○伊藤
基隆君 私は、民主党・新緑風会の伊藤
基隆でございます。
私は、参議院議員になる前には、全逓信労働組合の中央執行
委員長をやっておりまして、田舎の二十人ほどの特定
郵便局の出身であります。ですから、今日お三方からのお話を聞いていて、自分の生い立ちといいましょうか、
原点のようなものを感じながら、皆さんに、私からの問題提起といいましょうか、私の
郵便局物語のようなものをお話ししたいというふうに思います。
ここに「ドイツとの対話」という本がございます。これは毎日新聞の伊藤光彦という記者が書いた本でありまして、第三十回
日本エッセイストクラブ賞を受賞しております。なぜこの本を持ち出したかといいますと、実は私自身が全逓に向かって、ふれあい
郵便、
ひまわり郵便又はまごのて
郵便という、今日発表がございましたが、それを提起していったきっかけになった本であります。
この本を読んで、その一部にこういう記事があったわけであります。ちょっとそれを紹介します。
ドイツで市民に一番信用のある職業といえば、警察官でも裁判官でも、ましてや
政治家でもなく、それは
郵便配達人だ。途中略しますが、西ドイツ
時代ですね、西独
郵政省が七八年四月から半年間、テストケースとしてある州で実施した
郵便配達人による「ひとり暮らし
老人福祉サービス」もこんな背景を
抜きにしては考えられない。
郵便屋さんが
手紙の配達だけでなく、
独り暮らしの
老人の「ご用聞き」を務めるというアイデアである。核家族化が
日本より極端に進んでいる西独では、老夫婦だけの生活、あるいはそのどちらか一人のやもめ暮らしはごく普通のことで、急病、目、耳、足腰の不自由など老齢者だけが味わう悩みは幾らでもある。
郵便局は配達人全員に「緑色のカード」を持たせ、配達途中、
独り暮らしの
老人家庭には必ず声を掛け、頼み事をこのグリーンカードに記入する。「医者に往診してほしい」「家政婦に来てもらいたい」「息子夫婦にこんな連絡をして下さい」……。カードを仕分け、
関係先の役所、
病院、あるいは隣町の肉親などへと「配達」するのは
郵便屋さんにとって「表芸」である。日曜日を除く毎日、必ず声を掛けてきてくれる「
信頼できる友人」がいること──
独り暮らしの
老人たちに、これはどんな大きな
安心感を与えるだろうかと。
これを読みまして、
日本でできないかというふうに考えました。
全国に、中央本部の役員ですから、指導に回る、人を集めて様々な話をする。だれか手を付けてみないかという呼び掛けをいたしました。
私は、今日、
智頭町の
町長さんが
ひまわり郵便を発案されて実施したということや、まごのて
郵便の話もお伺いしておりまして、それぞれの自治体の中でそういう発想が数多く生まれたんだなと。それは、社会の状況を反映してそういう発想が生まれてきたんだなと思っています。
ただ、実行するということの難しさというのはありまして、ところが、お話聞いておりますと、実行していたのは、
最初は
独居老人対策みたいな感じ、何とか手助けのような感じが、それぞれの人
たちが自立してきたんではないかと。
白石市では、まごのて
郵便は
年寄りと子供
たちの
関係が
自分たちの中で発展してきたというお話も市長さんから聞いておりますが、そういう
可能性が高まってきたというふうに思っております。
少し歴史的な経過を、私自身の
ひまわり郵便の話をしたいと思います。
実は、そういう話をしているときに全逓、大分県で豊肥支部の支部長が、これからの
郵便局は地元の
信頼がなくては成り立たないだろう、
地域に根付いた
郵便局の在り方を探るためにもやってみたいと、職場や久住町の
関係者と協議した上で、久住町と全逓豊肥支部、久住
郵便局、都野
郵便局の四者がふれあい
郵便協定というのを結びました。一九八五年、昭和六十年十月に大分県の久住町でスタートさせたのがふれあい
郵便、今ここで
ひまわり郵便と言われているものの一番
最初の動きであります。
当時、国家公務員法との
関係で問題があるということはあって、
郵便法第一条に公共の
福祉の増進とあるんだから、本来業務に支障のない範囲だったらいいんじゃないかというような解釈もしたようですが、当時の支部長、私の友人でありますが、自殺した
老人の日記に、だれとも話をせずに今日も暮れたと繰り返し書かれてあったという新聞記事を見て、強くそのことが印象にあって手を付けたということのようであります。
このふれあい
郵便をやるときに、実は
郵政省の中で反対をする声が強くありました。
郵便配達人が配達すべき
郵便物のない家を訪ねてはならないんだ、これは勤務時間内の組合
運動ではないか、全くそういう視点でしか見なかった。というよりは、正論といえば正論であります。この協定が
郵便局長と町と全逓の間で行われたと。これは局長と町と全逓という組合の間の
信頼関係が底辺にあって、日常的にきちんと仕事はやっている、そのことが揺るぎもしない前提としてあったがゆえにできた協定ではないだろうかというふうに思っているわけですけれども、そのことの
理解が全く本省段階ではされなかったわけであります。
この
運動は、その後それぞれの
地域、中国、近畿又は東北、いろんな
地域で実験的に行われ、それぞれの
地域で協定が結ばれながら局長との
関係もきちんと確立して行われたんですが、相変わらず間違いであるという認識がずっと続いていた、ここには苦労があるわけであります。
一九九一年に大分県の湯布院で全逓ふれあい
郵便全国交流集会というのを開催しました。そのときに、ふれあい
郵便とか、とんとん
メールとか、あったか
郵便とか、シルバーホーム
サービスとか、様々な名称を付けて、それは
町長さんや
村長さんからの呼び掛けがあった点もあるんでしょうし、
自分たちが考えたこともあるんでしょうし、様々な発展をしてきたのであります。
ただ、その中で
一つだけ紹介したいエピソードがありますが、これは一度、私が当選したての参議院の逓信
委員会でも披露したことがあるんですが、
郵便物がない家を
郵便屋は訪ねてはいけないと。大体そういうところは山間地、冬はふぶいているところでありますから、家に入れない。だから、縁側の先から家の中に向かって、ばっぱ生きているかと声を掛けるんだと、吹雪の中。そうすると、しばらくたつと、中でばあさんがちょっとおどけた声で、生きてるどと言うと、
安心しておれは次の家に行くんだということが言われまして、その光景が目に浮かぶような気がいたします。そういう知恵というか、そういうやらなくてはならないというような、突き上げられるようなものでやったんじゃないかというふうに思っています。
しかし、よく考えてみますと、私が若いころ、二十代に
郵便局に、特定局に行って、それはその
郵便局の中で日常的に行われていたことなんです。それを改めてやるというところにやはり
郵便局の仕事というものの、あるいは衰退みたいなものがあったんじゃないかと。そういうことは日常的にもっと行われていたんだと、改めてそのことを発見していかなくちゃならない。じゃ村だけなのか、山間地だけなのかと。本当は大
都会の方がもっと厳しい過酷な条件にあるんじゃないかと、
独居老人は。しかし、手が付けられない。そのことを我々も考えてきたけれども手が付けられない、現実が厳し過ぎて、ということだろうと思います。
ですから、何か
郵便局と
住民の
関係、
地方自治体との
関係は、大都市は別だけれどもというのがよくあるんだけれども、大都市こそ必要なんじゃないか。しかし、これは手が付けられません。それは経費の問題であります。仕事が一杯過ぎて全く駄目です、不可能です。だれがやるかと。これはだれかがやらなくてはならない。
ですから、今
郵便局と市町村との
関係の中で行われている幾つかの例というのは、私はそこにおける村落共同体みたいなものの再生なんという課題ではなくて、
日本の社会のあるいは作り直しというか、元に戻ることがすべてよくないとすれば、新しい創造と、社会的なつながり、社会というもののつながりというのを創造だろうというふうに思っておりまして、それほどまでに
郵便局は偉くないんだよということも自問自答の中にありますが、それは
地方自治体とつながることによってあるいは価値観が高まるんじゃないかというふうに考えている課題であります。ですから、そのことに早く気が付いてもらいたいなと。
私は、
郵政事業というものは、
郵政省があって
郵政局があって
郵便局があるというふうには一回も思ったことありません。
郵便局がまずあるんです。
郵便局が機能していて、それが
ネットワークされていて、それをコントロールするために
郵政局とか
郵政省というのはあるんであって、あくまで
郵便局が自らが機能していて、
ネットワークされている。その
ネットワークというのは、かつての国鉄とか電電と違って、ハードな
部分は
郵便局舎だけです。あとは人間なんですね。ソフトは人間。人間が介在する
ネットワークと。非効率であります。非効率だけれども、これが得難いんじゃないかというふうに、他にない
ネットワークシステムだろうというふうに考えております。
実は、ふるさと小包も私が
郵政省に提案した当事者です。
全国物産小包体系化方針という名前を付けて
郵政省に提案しましたら、即その日に受けました、
郵政省は、やろうと。実は、ふれあい
郵便も、全逓がやっているといろんな差し障りがあるんで、
郵政省の施策にしてくれないかと言ったら、即座に受けてくれた。そういう
時代にそのとき
郵政省はあったというふうに思っています。
私は、しかし、様々な取組がボランティア的に無料で行われているということについては限界が来るだろうと。今のうちはまだいいかもしれない、しかしやがて限界が来るだろう、とんざをするだろうと。だから、有料でなくてはならないと、有料の契約協定を結ぶ必要がいつか来るんじゃないかというふうに思っています。これがどういう形で行われるべきかというのは、今私が考えがあるわけじゃありません。
ひとつ、今後の協定の在り方、又はその料金の問題ということについてのお考えをお三方から一言ずつお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。