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参考人(
大塚和夫君) はい、承知しました。
御紹介にあずかりました
大塚と申します。
最初に、この
参考資料の訂正、二〇〇一年と書いていますけれども、当然これは二〇〇二年の間違いでして、何かパソコンを打ち込むときに間違ってしまいまして申し訳ありません。
今、
板垣先生の方から大きな
世界史的、
文明史的なお話があったわけなんですけれども、私自身が専門としていますのは
社会人類学と申しております。一般には文化人類学という
言葉で言われる方が通りがいいと思いますけれども、基本的には私の場合には
アラブ・ムスリム、
アラビア語を話す
イスラム教徒の
社会である程度の期間、一緒に暮らして、彼らの生活、
日常生活、衣食住から始まりましてそういうものを調べてくる、それが私の主な仕事になっております。これまで
エジプトとかスーダンの北部などである程度の期間滞在したことがございます。そういう
立場からしまして、自分なりに
アラブ・ムスリムとの付き合いはあるわけでして、その経験に基づきながら今日はお話を進めていきたいと思います。
大きく
二つに分けて、このレジュメの方は大きく
二つに分けてあります。一つは、いわゆる
イスラム原理主義、マスコミ等々で語られている、アカデミズムでも一部語られていますけれども、そういう現象を私はどうとらえているかという問題が一点。これがローマ数字のⅠの方です。ローマ数字のⅡの方が、今回の今日の
調査会のテーマであります
文明間の
対話という問題を、そういう長期的なフィールドワーク、現地での
調査ですけれども、そういうものに基づいて学問を行っている人間がどういうふうに考えるかということに関して述べてみたいと思います。
細かい話を言い出しますと、これはもう時間が、この内容を言い出しますと、これは
かなり時間が取りますので、非常にこうラフなスケッチだけで済ませていただきます。もし、事実
関係等で御質問がありましたら、また後ほど
質疑応答の時間に
お願いいたします。
いわゆる
イスラム原理主義と呼ばれている現象、それに関しては私は
イスラム原理主義という
言葉は使いません。この
言葉自体が非常にミスリーディングな
言葉だと思っています。
私はここに「
近代的現象としてのイスラーム復興とイスラーム主義」という
言葉を使っております。これは何かといいますと、こういう今起きている、いわゆる
イスラム原理主義という
言葉で大きなカバーでくくられているような現象をこういう
言葉で説明していこうと。
じゃ、これは
近代的な現象と書きましたけれども、じゃ前
近代においてはどうなのか。実は前
近代から
イスラムの改革
運動というものがあった。これは何かと申しますと、これはまた
日本人一般にこれ行き渡っている
考え方なんですけれども、行き渡っているというか誤解なんですけれども、
イスラムと言えば、
イスラムをちょっと勉強すればそれで
イスラム世界のことがすべて分かるという
考え方、これは私は決定的に間違いだと思っています。
欧米
社会が、例えばキリスト教を勉強したならばそれですべて分かるか、そういう問題。
日本社会が仏教若しくは神道を勉強したらそれで分かるか、到底そういうことはありません。もちろん、ある側面は分かるんですけれども、そこからこぼれ落ちることがたくさんある。更に、同じ仏教といいましても、例えば
日本の仏教とタイ、ミャンマー、あちらの方のテラヴァダ仏教若しくは上座部仏教、かつての
言葉で言うと小乗仏教ですけれども、それが、じゃ同じ仏教といってくくれるか、当然くくれないわけです。
そういうことを考えていきますと、まず
前提としまして、
イスラムは一枚岩ではない、様々な、これパソコンで打ちますと、この
言葉は赤線が入りまして間違いだとなるんですけれども、小文字のイスラームズ、つまり様々な
イスラムがある、それが私の理論の大
前提になります。
つまり、そういうところから、これまでの
イスラムの
歴史の中においても
イスラム若しくはムスリム、
イスラム教徒の王権、王朝がたくさんありました。現在でもそれが指導者になっている国民
国家がたくさんあります。とりわけ前
近代においてはその王朝の正統性というものは
イスラム的に正しい王朝であるか否かというのが非常に大きなポイントであった。ただし、そこで問題はそういう原理原則が守られたとしても、じゃ何が正しい
イスラムかということに関しては、ムスリムの間でも様々な
意見がある、これがポイントです。
したがいまして、ある王権に対して、これは
イスラム王権であると。その王権に対しましてムスリムが批判をしていく、なぜならば、それは正しい
イスラムの統治の在り方ではないからだという形で。こういう
意味での
イスラムの内部的な改革
運動、これは
近代以前の
イスラム世界の様々な王朝の盛衰というものを見ていきますと、そういう形で説明できる
部分が幾つもあります。少なくともイデオロギーの面ではそういう形で説明できる
部分があります。これが大
前提です。私が言う
イスラム主義というものも、そういう流れを、前
近代からの
イスラムの流れを
現代、近
現代において持っている、そういう側面があると、そういう話になってきます。
じゃ、
イスラムにとって、
イスラム世界にとって
近代と前
近代を分かつ大きなポイントは何か。ここで先ほど
板垣先生から恐らく、のお話とはちょっとずれてきまして、もしかしたら
板垣先生から後で怒られるかもしれませんけれども、私はやはりある程度ウエスタンインパクトといいましょうか、
西洋の衝撃というものを重視します。
もちろん、
板垣先生がおっしゃっているようなその
西洋自身、
近代西洋、近世
西洋自身がどういう形で形成されてきたか、その過程における
イスラム文明の力、これはもう十二分に認めた上で、しかし実際に
イスラム世界の、
板垣先生の
言葉を使うと括弧付きになっちゃいますけれども、
近代というものを考える場合に、この
西洋による植民地支配というものはやっぱり大きな、彼らにとって大きな経験であっただろうという
前提に立ちます。
つまり、それは御存じのように、
イスラムというのは七
世紀に生まれて、初期の
時代には百年もたたないうちにいわゆる今の
中東それからその周辺
地域に大きな帝国を作っていきました。それが後には幾つかに分裂していくわけですけれども、しかし軍事的に非常に大きな広がりを持っていった。つまり、
イスラムというものは、例えばキリスト教、
最初に迫害を受けたキリスト教などと違いまして、言ってしまうと破竹の勢いで
イスラムの
歴史、とりわけ初期の
歴史というのは
世界に広がっていった
歴史です。つまり、勝者の
歴史です。抑圧された者の
歴史じゃありません。
ところが、そういう形が、勢いが止まって、しかしそれでもある程度の帝国というものを維持していくと。維持していった、しかしそれが初めてといいましょうか、恐らく、この前に実はモンゴルの問題がありますけれども、それをはしょりますと、やはり
イスラム世界全体が軍事的に、そして
政治的、経済的に支配される状態になったのがこの
西洋による植民地
時代。ある
意味では、
イスラム世界にとって初めて経験する絶対的な
政治、経済、軍事、文化的な劣勢の経験であったと。
そして、そこの場合に様々な抵抗
運動、これは
イスラム世界だけではありませんで、例えば
アフリカにしても東南
アジアにしても南
アジアにしても、そういう植民地経験、
西洋の植民地に対する様々な抵抗
運動が起きてくるわけです。そこでは、
ナショナリズムという形を取ったものもあれば、
社会主義というか、的なものを、イデオロギーを持ってきたものもあれば、
イスラム世界の一部で、これすべてではありません、ここで言う
イスラム主義、いわゆる原理主義と呼ばれているようなものですけれども、そういう抵抗
運動が起きてきた。少なくともそういう側面から見ていくことができるということです。
そして、ここでポイントが、その
イスラム主義者の多くというものが
西洋の影響を受けたモダニスト、ここでつまり一般に
宗教から世俗へといいましょうか、
社会学にしても
歴史にしても世俗化という
考え方がありまして、これは
日本人のある
意味では常識になっていますけれども、この世俗化理論からいったら、
宗教というのは
近代化が進めば進むほど、何というか生活に占める割合というのは非常に小さくなり、個人の信仰心の問題、若しくは私の、私化といいましょうか、そういう私の問題になってしまうというとらえ方、これは世俗化の理念になってきますけれども、そういうとらえ方からすると分かりづらいんですけれども、実はその
西洋化が進んで、進んでも必ずしもそういう
意味での世俗化とはパラレルには進行しない。
実際に、この
イスラム主義者と呼ばれている人たち、これが大体二十
世紀の初頭ぐらいから私は考えておりますけれども、この人たちは、実はその植民地経験の中で導入された
西洋近代的な教育
制度、伝統的な
イスラムの教育
制度ではなく、
西洋近代的なカリキュラムを持った教育
制度、高等教育の機関の中で知的な形成をした人たちが指導層には多いわけです。
イスラムのことしか勉強してこなかったからそういうふうになったんだというわけではありません。
つまり、そういう
意味でこういう
イスラム主義者というものは基本的にモダニストであると、今申し上げたような
意味で。つまり、これが
近代化イコール
西洋化イコール世俗化という仮説、今の
日本では
かなりこれが常識に近いものになっておりますけれども、この仮説自体が私は誤りである、若しくは大幅に修正しなければならないものであるというふうに考えております。
さらに、最近の話題に少し持っていきますと、この
イスラム主義という動きが二十
世紀の初頭ぐらいからあったとお話ししましたけれども、むしろこの
イスラムが
日本において、とりわけ今の我々にとって非常に大きな問題となってきたのが大体一九七〇年代ぐらいからと思われますけれども、そのころから実は
イスラム世界、これ私は念頭に
エジプトなんかを大体イメージとして置いていますけれども、において、ここで
イスラム復興、私は
イスラム復興と
イスラム主義というのは後で御説明しますけれども区別しております、そういう現象が強まってきた。
ここに定義していますように、七〇年代ごろから顕著になってきた、個人的アイデンティティーの第一の根拠を
イスラムに置き、それに従った、少なくともそう考えられる行動を取る
人々が増えてきた現象であると。つまり、ここで個人のアイデンティティーというものを考えますと、どんな個人であっても複数のアイデンティティーを持っているわけです。とりわけ
日本の場合には、何といいましょうか多民族性というものは非常に
日常生活で意識しなくてもいい場面が多いんですけれども、
中東世界などに行きますと、民族にせよ、
宗教にせよ、自分とは違った
宗教、宗派、自分とは違った民族、更には部族という
言葉も使いますけれども、そういうものに属している人間と日々
共存していく、日々付き合っていく、そういう
状況があります。
そういうところでは、こういう複数のアイデンティティーのうちの、自分が持っている複数のアイデンティティーのうちのどれを優先するかということが大きな問題になってくるんですけれども、そういう場合に、それ以前の例えば
エジプト人という意識よりもムスリムという意識をより前面に出す。これは、例えば
エジプト人とか
アラブ人という意識を否定するわけじゃありません。否定するわけではないけれども、
イスラムに基づくアイデンティティーをより前面に出す傾向が強くなったのは一九七〇年代ぐらいからではないかというふうに考えております。これは私の仮説です。
実はこの時期に、
エジプトなどの都市部において、ベールと普通言われていますけれども、顔は隠す人は非常に数は少ないです。しかし、髪の毛を覆う、スカーフ等々で、そういう
人々が増えてきました。実は一九二〇年代に、それまで完全に顔を隠していた
エジプトの女性たちが、そのベールを外し、街頭に出るようになりました。更にはそれから今度、スカーフを、髪覆いも取る、そういう
時代になりました。一九六〇年代になりますと、
世界的なミニスカートの流行がありましたけれども、
エジプトでもそういうミニスカート、ひざ上何センチというスカートをはいている女性がいました、若い女性で。ところが、そういう傾向が七〇年代辺りから徐々に徐々に、服装も肌を出さない服装を身に付ける人が多くなり、髪の毛、更には一部は顔も隠す、そういう傾向が見えてくる。これが本人たちは基本的に
イスラム的な服装であると考えている。
もちろんこれには実は
社会科学的にはいろんな分析の仕方があるんですけれども、そのことは触れません。問題なのは、本人たちがこれを
イスラム的な象徴である、
イスラム的な服装であると考えている、そういう現象が目立つようになってきたということです。ここでは、先ほど言ったような
意味での世俗化論は当てはまりません。むしろ、こういう現象が起きてくることによって、
社会学等々における世俗化論というものを、また読み直しというものが始まっています。
そして、こういうような形の中で、実はその
イスラム主義というものは、こういう傾向を背景にしながら、それ以前から
イスラムに基づく
国家、
社会、共同体を築こうとする
運動、そういうものはあったんですけれども、それがより顕著な形で
社会の表面に現われるようになってきた。それを、
日本も含む西側のマスコミがイスラミックファンダメンタリズムという
言葉を使い、それを我々は
イスラム原理主義という
言葉で呼んでいる。つまり、それだけ目立つような現象になってきたということです。
私は、この
イスラム復興というのは、基本的に
社会、文化的な現象ととらえています。それに対して
イスラム主義といった場合には、これは
政治的なイデオロギー及び
運動という形でとらえています。これは一応区別して、分析的には区別して考えていかなければならないものであると。ただ、これはある
部分では密接につながる、ただ、別な
部分では全く切れてしまう。別な言い方をしますと、ベールをかぶっている女性のすべてがいわゆる
イスラム原理主義者の過激な行動に賛成しているわけじゃありません。もし賛成していたら今ごろ革命が起きています。むしろ、ベールをかぶっている女性たちであっても、いわゆる過激な
イスラム主義者の行動をあれは
イスラム的なものではないと、先ほど申しました複数の
イスラムがあるという
前提です、そういう形でそれを否定している。ここの複雑さといいましょうか、それが
現代の
イスラム世界に起きている現象であり、これを、
イスラムが分かれば
イスラム世界に起きていることがすべて分かるということにはなりません。
さて、もうちょっと
近代の、
現代の話に持っていきますと、
グローバル化という概念、私はここで、人とか物とか情報などの移動・伝達手段が飛躍的に発達し、地球
世界、いわゆるグローブでの時間、空間が実質的に縮減、短くなって、空間的に縮まってきたという現象として一応とらえております。これは僕は完全にテクノロジーの問題としてとらえています。イデオロギーの問題じゃありません。通信技術等々、輸送技術等々がこの三十年、五十年の間に飛躍的に増大してきたということは、これ客観的な事実と私は考えます、技術の問題として。それをどういう形で利用するかというのはまた別な話になってくるわけですけれども。
しかし一方では、ここで書きましたように、デジタルデバイドによって象徴されるような、
グローバル化の現象を自分の役に立つように享受していく、そういう人たちが
世界全体を見渡せば限定されているという現象もこれ考えなければならない。
日本においては、こういう情報の
グローバル化等々というものが
世界を一つにまとめていく非常にいいことなんだ、
グローバル化が進むことはいいことなんだという論調がとりわけ経済の分野などで
かなり議論されていますけれども、そこで決定的に見落とされているのは、グローブというレベルで考えていく、地球
世界ということで考えていったら、このデジタルデバイドに当たるような現象が、そしてこの間の
政治的、経済的な格差の広がりというものが広がって、ますます広がっていると。とりわけ、サブサハラ・
アフリカ、サハラ以南の
アフリカ、いわゆる
日本で普通、
アフリカと言っている
世界ですけれども。そこの
地域などにおいては、こういうデジタルデバイドに匹敵、と象徴されるような
政治的、経済的情報の面でも、そういう面での格差というものが国内でも国際レベルでも広がっています。
こういうこともちょっと考えなければならないんですけれども、基本的には九・一一も含めた
イスラム主義の
政治的イデオロギー及び
運動というものはこの、先ほど申しましたように、初期の
イスラム主義者がモダニストであったというところと絡めて、そういう
近代化、さらには
現代の
グローバル化の産物であると。
そして、その
グローバル化というものが実際に生み出したものが何かというと、ここでグローバリズム、僕ちょっとまたこれを区別して使います。アメリカ
中心主義的なイデオロギー及び現象、
政治にしても経済にしても文化にしても、アメリカ的なるものが
世界を席巻していくという、そしてそれが良いことなんだという
考え方。そういう現象に関して、この
グローバル化の産物、
イスラム主義も
グローバル化の産物の一つです。それがグローバリズムに対して反抗しているという構図、これは一種の
グローバル化のパラドックスだという言い方もしていますけれども。ここで、具体例は下に書いておいたようなものです。
時間がありませんので、次、Ⅱの方に入ります。
じゃ、こういうことを
前提にした上で、
文明間の衝突、
対話、又は他者への無
関心という形で問題を立ててみました。
一般に
文明間の
対話という議論をする場合には、その前にサミュエル・ハンチントンの
文明の衝突という議論があって、それに対する一つのアンチとして
文明間の
対話というものが出てくる、そういう構図になっています。
さて、私は、こういう国政とかそういうものに直接携わる者じゃありません。また、そういうことを学問の、自分の学問の対象にしている者でもありません。
文明とか文化とか、そういうことに関しては自分の学問の対象にはしておりますけれども。
そういう
立場から考えますと、そのサミュエル・ハンチントンの議論というのは一種の
文明論としてとらえられた
部分もありますけれども、私はそう思いません。彼の言っている
文明のとらえ方は非常に陳腐です。非常に、何というか通俗的な
文明の在り方です。彼自身のオリジナリティーは全くありません。
しかし、さらには、その
文明ということを、実はこれまでの国際
関係論などにおいて、どちらかというと、こういう
文明とか文化とか
意味とか象徴という要素はそれほど重視されてこなかったところにそういう要素を入れてきたという点は私は評価すべきだとは思うんですけれども。しかし、もし入れてきたことによって逆に、国際
関係論とか
政治経済学、恐らくハンチントンの専門分野であるそういうところで議論すべき
政治経済的な分析の側面というものが非常に弱いのではないか。
文明ということを持ち出した、これは
プラスの面があると
同時に、逆にそれによってすべてを、
かなりの
部分を説明しちゃおうというところから、
政治経済分析が非常に弱いのではないかと。むしろ、ここら辺はまた皆様方の方で御
意見があるかと思いますけれども、素人の
立場から見ますと、ハンチントンの議論というのはむしろアメリカの国策の一つの雰囲気というものを代表している議論なのではないか。
実は、ここでなぜこういうことを申しますかというと、ハンチントンの議論は
社会科学的な議論として考えていくと非常に問題があります、今申し上げましたような
意味で。細かいことをまたいろいろ言うことができますけれども。ただし、じゃ、そうだからといってそれを全く捨てちゃっていいのかと申しますと、私自身は、
紛争当事者、実際に今、民族とか
宗教とか
文明という形で
紛争が起きています、血が流されています。そういう
紛争の
当事者たちの主観的な意識の中では、ハンチントン流の
文明の衝突、この
文明という
言葉は、ほかに
宗教とか文化とか民族とか、そういう
言葉に置き換えていくことも可能だと思っていますけれども。その彼らの、実際衝突を、
紛争をしている
当事者たちの意識の中ではハンチントンの議論というものは説得力がある、若しくはそれを非常にうまく表現しているのがハンチントンなんではないかと。
もちろん、実際の
紛争が起きる、民族
紛争、
宗教紛争が起きる場合に、民族の民族意識、
宗教意識だけで起きるのではありません。その底には常に
政治経済的なある種の不平等、そういう要素が含まれております。
社会科学をやる人間はそういうところを地道に分析すべきだと思いますけれども。と
同時に、
当事者たちの意識がこの
世界というものをどういうふうに見ているかということに対する理解というのを持っていかなければならない。
その場合に、ハンチントンが言っていることは、ある
意味では、
紛争当事者たち、もしかしたらアメリカも、アメリカ合衆国政府もその一つのプレーヤーかもしれません。そういうものを反映しているのではないか。当然、
イスラム主義者の意識もそういうような一種の
文明の衝突論で説明できるような、少なくとも意識を持っている人たちが多くいます。そういう
意味で、ハンチントンの議論というものを全く捨ててしまうことはならない。
それを、じゃ
社会科学的にどういうふうに考えていくかといいますと、まだ私の分析は深くはないんですけれども、その2のところで書きましたように、ここで
文明とか
宗教とか民族とか、さらには文化という
言葉なんかも使ってもいいんですけれども、そういうものが、の間での
紛争とか衝突が様々マスコミなどで報じられている、そういうものをどうとらえていくか。
一見、例えば民族と
宗教と
文明というのは全然違った
言葉なんですけれども、しかし一種のこれも集団であると。ある種の集団同士の争いである。その場合に、
紛争当事者たちの民族、
宗教、
文明等々に関する意識をどうとらえているかというとらえ方は、中身は違いますが形式論、形式的といいましょうか、構造的には
かなり類似している。
宗教とそれから民族というのは、これまた全然別な側面があるんですけれども、しかし形式若しくは構造の面では類似している。
次に挙げておきましたように、これは恐らく
近代的なネーション、これ
国家とか国民とか民族なんというふうに訳される
言葉ですけれども、という主体、こういう集団的な主体の在り方を考えていくと、次に挙げたような一、二、三の特徴が指摘できる。
そして、この特徴というものは、
宗教紛争とか民族対立とか、さらには、この
言葉を使うこと自体が私は批判的ですけれども、サハラ以南の
アフリカでは部族
紛争なんというふうに言われているあの問題。私は、サハラ以南の
アフリカも部族という
言葉を使うのは基本的に反対していますけれども、マスコミではまだ使われております。
今ここで述べたような自集団の特性が永続的である、昔からずっと我々の民族は、我々の
宗教は不変であった、
歴史的な変化というのはなかった。我々も民族、文化、
文明の本質は昔からずっと変わっていないというとらえ方。
そして、自分と他者というものを、境界を明確に分ける。先ほどの
板垣先生の
言葉で言うと、一種の二元論的に分けていく。これも、二元論が白か黒かというわけでそのグレーゾーンを認めないような分け方、ここを強調していくやり方。
そして次は、それにひっくり返って今度、じゃ
自分たちの
宗教、民族、
文明、そこに属している人間はみんな一枚岩的であると。みんな同じようにその民族性、民族意識、
文明の意識等々を持っている、そして同じように行動し得るはずだ、すべきであるというとらえ方。こういう特徴を、今のその民族
紛争等々というものの
当事者たちはこういう側面を持っているんではないかというふうに考えております。
さて、こういういわゆるここまでが
文明の衝突論の方の話になっているわけですけれども、次に
対話の問題を考えてみますと、もちろん文化的若しくは
文明的若しくは
宗教的、民族的他者との
対話は重要であるということは、もうこれは言うまでもありません。当然の話です。しかし、
対話というのが
言葉だけで済むものかどうか。とりわけ、
対話というのはダイアログ、これ
言葉を交わすという問題です。果たして、異なった民族、異なった
文明、異なった
宗教と
共存していくのは
対話だけで済むのであろうか。となってきますと、こういう
共存していくための
対話というものを、これ単に
言葉の上だけではなく、全身をもって、身体的な
部分から
対話をしていくという、これ一種の比喩になります、そういうふうにしなければ、恐らくこの
文明間の
対話というのはきれい事で終わってしまう可能性がある。
恐らく、これは次に
梶田先生の方でもっと詳しい話が出てくると思いますけれども、
日本にも様々な形での異民族といいましょうか、そういう人たちが、異文化の人たちが住む傾向が、とりわけこの数十年の間に強くなってきています。もちろんこれ、在日コリアンの問題はちょっといったんこっちに置いておきますけれども、それから在日チャイニーズの問題も置いておきますけれども、それとは違って、
アジア、
アフリカ、ラテンアメリカ辺りからの人たちが
日本社会により顕著に暮らすようになってきている。こういう場合に、単に
対話という
言葉だけではなく、やはり身体的な、つまりある種の五感を通じて、単に
言葉だけじゃなく、極端なこと、体臭とか、それから彼らの音楽とか音に対する趣味とか、そういうものもある程度認め合うような形での
対話、これはもう完全にここでは
対話というのは比喩になっていますけれども、そういうことをしなければ、諸民族の若しくは諸
文明の、諸文化の
共存ということはあり得ないだろう。ここが非常に大きなポイントである。ただし、実際にこれ、言うはやすく行うは難しです。
こういうことは、会話、
対話だけだったらまだきれい事で済まされることがあるかもしれませんけれども、
日常生活で異なった慣習を持つ人たちと一緒に暮らすということは、これ、
かなりしんどい話です。ここら辺の問題は恐らく
梶田先生の方からもお話があると思います。しかし、それをやっていかなければならない状態になってきている、こういうことを我々は自覚しなければならないんではないか。
そしてさらには、実はこの
文明間の衝突、
文明間の
対話というこの理論、ハンチントン、それから
対話に関しては
イランのハタミ大統領が提唱した形になっていますけれども、それが、それを単に我々は、何といいましょうか、よその理論というか、そういう形で受け入れて、それを、じゃどう展開をするかということを考えていますけれども、果たして今の
日本社会を見ていくと、我々は本当に衝突とか
対話ということを理解しているんだろうかという感じがあるんです。
つまり、いずれにせよ、衝突にしても
対話にしても、これは他者、文化的、
文明的、民族的な他者の
存在というものを
前提にします。それがなければ衝突も起きないし、
対話も起きません。
ただ、これは全く個人的な感想ですけれども、九・一一以降の
日本のマスコミ等々の論調を見ていくと、果たしてあの問題が、我々は
自分たちにどこまで密接な、どこまでつながっている問題としてあれを受け止めたんだろうか。しょせんテレビ等で映される、ショーと言ったら言い過ぎになっちゃいますけれども、それに近いようなもの、本当の、
自分たちがこれから時には衝突するかもしれないけれども基本的には
共存していかない他者、他者たちの問題としてあの問題をとらえてきているだろうか。
つまり、全く個人的な感想なんですけれども、
日本一般においては文化的な他者に対する無
関心、一時的にわっと
関心を持ってもすぐ忘れていく、若しくはそういう
存在を初めから認めていないというか、ワイドショーの話題の一つとしては使うかもしれないけれども、しかし、それは真剣に自分の問題として考えない。そういう形の自分の中に閉じこもっている。引きこもりなんという
言葉も書きましたけれども、そういうもの、そういう傾向がないだろうか。つまり、他者の
存在を意識的、無意識的に否認すること、そういう傾向がないだろうか。これは考えてみなければならない
部分だと思います。
実際に、他者を自分の手持ちのイメージの中に閉じ込めて、その範囲内で理解若しくは誤解したつもりになること。先ほど
板垣先生がおっしゃった、
西洋の
オリエンタリズムというもの、機能、
役割というのはそういう
部分があったと私は考えております。
そういうものが我々の中でも、果たしてアメリカ、果たして
イスラムというものを真の他者としてとらえて、そこでの、きちんとしたネゴシエーションをする対象として我々はとらえているんだろうかという思いが九・一一以降非常に強くなってきました。
基本的には、実は先ほどの、
日常生活も含めた他者との
共存ということを考えていった場合に、これは
かなりしんどいことだと私申し上げました。こういう形で他者というものを、
存在を認めて、そして、我々がそれと真剣に、時には対立することもあると思います、しかし時には、しかし、基本的にはどこかで
共存の線を探っていく。この場合には、我々が動かない、今自分があるままで他者と話をしよう、
共存しようとしても、これは駄目なんです。やはり
共存をする、
対話をするというときには、相手のことも分かると
同時に、相手にもこちらを分からせる。それは、相手もこちらも今ある姿から少しずつ変わっていく、自分が変わっていくという契機がなければ、そういうことを認めなければ、絶対に
対話にしても
対話は成り立ちません。自分が今あるポジションというものをそのまま保持して
対話をしようとしても、
言葉の単なる儀礼的なやり取りに終わってしまう可能性がある。
ですから、この
文明間の
対話、これは断固推進していくべきテーマだと思いますが、それは
同時に、自分が変わっていくという覚悟も持たなければならない、そういうものであろうというふうに考えております。
ちょっと超過しましたけれども、以上でお話を終わらせていただきます。