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福本潤一君 公明党の
福本潤一でございます。
当
委員会、十二年間の
審議の実績、当
委員会七十八回の
委員会の実績、十二年間、
衆議院も百三十二回やって、今まで私としても、様々な
意見を読み、聞き、さらに党内でも
意見調整をすべく対応してきたところでございますけれども、公明党の場合、この
委員会に所属している三名が、
移転候補地一か所、また
移転される
可能性のある
東京都・関東圏一人、また全然縁のない私、
福本一人という三人の
委員でございますので、もう自由に討議していただいて結構だというお墨付きだけはいただいてこの
委員会に臨ませていただいております。
そういう中で、この
委員会、
国会決議は粛々と前進しておるわけでございますけれども、
移転の熱意が、バブル崩壊以後十年たちましたし、さらに今年十二年の
審議を続けている中で、思ったほど
移転の熱意があるのかないのか分からない状態になり掛かっているところもございます。
そういう中で、不況という中で具体的に
首都機能を考えるのがどうかという一つの大きなタイムアセスメントみたいなものが必要なような御
意見もあったりするわけでございますけれども、私は、これは
国家百年の大計でございますし、さらに今後新しい時代を作るためには大変大きな
日本の決断にはなるんではなかろうかというふうに思っておりますし、この
審議の重要な位置付けを考えますと、そういう現状、景気、不景気等々にかかわらず、計画としてきちっと前進させるべきではないかと。という意味では、
先ほどの
国井委員、また
江本委員が言われたことと同様に、
審議は尽くされて、いよいよタイムスケジュールにのっけて、今後、
国家百年の大計に基づいて
規模、予算、計画等々を定めていく段階、実行、決断の段階に来ているのではないかというふうに思います。
不景気のときに、アメリカで一九二九年の大恐慌の後の一九三〇年代に、ルーズベルト大統領がその大恐慌を乗り切るためにニューディール政策というのを行われたわけですけれども、若干
参考にお話しさせていただきますと、ニューディール政策、新規巻き直し政策というわけで、そういう不景気なときに、もちろん一本の柱はダムを造ったり、テネシー渓谷開発計画、TVAの計画がありましたし、土木事業中心というようなイメージもありますけれども、もう一方で一つ
文化芸術政策を進めていかれたと。
二本柱にして、
文化芸術政策と一つの新しい時代を作るための基礎開発もされていったわけですけれども、今回、そういう意味の趣旨で、公明党、こういう不景気のときこそ余り必要でないと言われた芸術
文化振興が必要だということで、基本法も提案させていただきましたし、もう一方に当たるのが一つの新しい時代をロマンのある形で作り上げようという
目標、方向性だというふうに思います。
そういう意味では、
首都機能移転という時代を一つ画するための方向性を作り出すというのは大きな
国民に対する鼓舞になっていくというふうに私思いますので、振興する方向、またこの
国会審議に基づいて推進する方向で進んでいっていただければと思います。
理由は様々、今言った
国民の心機一転ということもございますけれども、現状、
日本の
首都機能の
移転した背景を眺めてみますと、平安時代、鎌倉時代、室町、安土桃山、江戸、さらに
東京時代と、それぞれ
首都ということによってその時代を呼ばれておるわけでございますが、平安時代でも最大四百年
程度でございましたし、さらに、江戸時代と
東京時代合わせてももう四百年を超えている段階が来ております。
そういう意味では、大きな時代の変革期に、大きな一つの
国民の
目標を定めてそちらの方向に進めていくという、変革できるんだと、世の中を変えることができるんだという大きな柱になっていくんではないかと思いますし、この四百年の間に
東京の
一極集中が大変大きな問題になって、むしろ
東京の
都市再生で新しい
東京、
首都を作るというふうになると、
先ほど御
説明になりました
首都機能移転の予算よりはるかに大きな予算が要るという試算をしておられる学者も現実にございます。
そういう意味では、逆に
地方が人口が過疎になっていくというこの四百年の中での実績、現実がございます。
と申しますのは、
近畿地方も含めて中国、四国、九州、そういうところは全部人口減少圏で、関東圏以外はある意味では人口減少圏になっているというのはこの四百年の中の結果だと思いますし、新しい時代の、工業化社会から次の脱工業化社会に行くときの創造性、多様性を発揮するためにはそういう人口の偏在も
是正していく必要があるでしょうし、
国井委員の言われたように、
阪神大震災の後かなり、一極に
集中することによるその
都市の防災の面での深刻さ、新たなところへ行ったときの、一つの時代を、二か所に中心
拠点があるという
在り方、アメリカのワシントンとニューヨークというような形の
都市形成など、必要な段階に現在来ているんではないかというふうに思います。
そういう意味では、
地方の
都市間競争も一つの
文化、
東京を江戸時代を中心にした一つの
文化が
日本全国に伝播するということではなくて、
文化的な多様性が、それぞれ持って、特にIT化社会になっていくわけですから、そういう意味では、情報化もかなりのことが分散していてもできる時代が来るというふうに私自身思います。
そういう意味で、いよいよ決断して新しい時代を、ふさわしい
首都機能移転の
場所と、さらに
目標年次が必要ではないかというふうに思います。
この
委員会十年間やった中で、三か所の
候補地、
審議会で
決定していただいているわけでございますが、
首都機能移転ターゲット年というのを作り上げて、この年度までには
移転するという、これは当面、すぐではないでございましょうし、例えば一九五〇年とか一九四〇年とか、申し訳ありません、今修正してください、二〇三〇年、二〇四〇年という大きなスパンでの
目標を定めて、そのスパンに向けて新
首都を
形成していくという方向性で進めていただければと思います。
首都の
目標地点に関しても決めていかないといけないんでしょうけれども、三
候補地それぞれが、様々な優秀な判断でここの
地域こそ最適だというふうに考えておられるようでございますし、ただ、
日本の中心、地理的な中心という配慮もやはり必要ではないかと。ある意味では、
東京は東に偏在若干しておりまして、中心地点でいいますと、標準時を設定している兵庫ぐらいが
日本の中心でございましょうし、沖縄の与那国島等の最先端まで入れますともう岡山ぐらいになるのが中心地点だと。そういう中心地点に近い方が人口偏在の意味からいってもいいんではなかろうかという思いが一つあります。
また、これは今後の
審議にまちたいと思いますが、最悪、
首都機能移転ターゲット年を定めておく必要がある段階に来ているということが私の
意見でございます。