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公述人(
松井圭三君) 皆さん、こんにちは。
私は、
中国短期大学幼児教育科専任講師の
松井圭三と申します。現在、社会福祉系の教員をしています。私
自身は、以前、自治体、またシルバー人材センターで長年と勤めてまいりまして、私が考えております
地方自治、
地方分権について思ったことを述べさせていただきます。
まず最初に、現在、政府、自治体に対して
国民の不信感がかなり蔓延しております。その原因は、今の不況を始めとする一連の政策の失敗が原因だと思います。これに加えまして、
政治の不正とか汚職が
政治不信に拍車を掛けておりまして、まず
地方自治・分権を考えた場合、
政治の
国民的信頼を得ることがまず何よりも重要でないかというように考えております。
資料一をごらんください。
手元にありますですね。これは朝日の記事なんですけれども、今の
政治に不満を持っている方は八〇%を超えておりまして、将来の生活に不安を感じている人も大半であります。経済不況とか社会
保障、収入や仕事等について
国民が悩んでいることが分かると思います。ですから、
政治が
国民から頼りにされ、また信頼されることがまず大切でないかと思います。
資料が古いんで、
内閣府が去年九月に実施しました
国民生活に関する
調査でも同様に六五・一%の
国民の方が何らかの不安を持っているということですので、まずは
政治が何らかの対策、方策を立てないといけないというふうに思っております。
それから、私たちが忘れてならないことは、現在の
政治、つまり議会の登場に際しての
歴史的
認識です。
地方自治を考えた場合、住民の参加の権利はお上から与えられたものではありません。私たちの先人が命を懸けて議会を作る努力をしてきました。
資料二にありますとおり、これは高校の
参考書の
資料なんですが、にありますように、自由民権運動を展開しながら民主主義の基盤を作ってきました。
地方自治・分権を考える場合、その
歴史の原点を忘れてはならないのではないかなというふうに思っております。また、民主主義はお上から与えられたものではなく、先人が汗と努力と命を懸けてかち取ってきたことを、私たちはこのテーマを考える前にいま一度考える必要があるのではないかと思っています。
では、本題に入りまして、
地方分権における一連の政策においての私見ということで、福祉
関係についてと、あと地方公務員
関係、また地方議会
関係について思ったことを述べさせていただきます。
まず、福祉政策ですけれども、戦後五十数年、基本的には中央集権体制で
決定、実施されてきておりました。しかし、八〇年代半ば以降、社会福祉は、生活保護事務を除きまして、団体委任事務として
規定されるようになりました。これは、社会福祉の費用を国の負担から地方の負担、住民の負担となったことを
意味しております。
また、九〇年代になりますと、少子高齢化等が顕著になりまして、国も新たな福祉政策を展開しております。九〇年の福祉八法改正とかゴールドプラン、新ゴールドプラン、介護保険政策はその政策の一つでありまして、これは
地方分権の施策と言えるのではないかと思います。
そこで、
資料三をごらんください。これは社会福祉施設の措置費の負担割合なんですけれども、そもそも国は、八五年五月に国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例に関する法律、いわゆる補助金一括法を制定、施行しまして、
機関委任事務から団体委任事務へ
権限移譲いたしました。老人福祉、児童福祉、身体障害者福祉、知的障害者福祉等が団体委任事務となりまして、国の負担割合は十分の八から十分の五に引き下げられました。
機関委任事務の生活保護も十分の八から七割へ、八九年以降は四分の三の負担になっております。このことは地方負担増とか利用者の負担増を招きまして、当時は社会福祉の後退といった反対論もありました。
八六年十二月に地方公共団体の執行
機関が国の
機関として行う事務の整理及び合理化に関する法律を制定しまして、
地方分権化へ
我が国も歩み始めましたが、ここで問題提起したいのは、
憲法二十五条の生存権
規定による福祉
国家の観点によるナショナルミニマムの
保障、つまり
国民の福祉の最低生活基準を国が
保障したりしまして、また、それ以外は地方に任せるという従来の理念をどう考えるのかとか、また、現在でも十分な生存権
保障が未熟な
我が国におきまして、地方又は住民に負担していただくことがいいのかどうか。一方、スウェーデンのエーデル
改革にありますように、
地方分権を完全に進めまして、市町村に
権限、財源を移譲しまして
地域住民の自主性にすべてを任せてしまうのか。私
自身はこの二つの論点を提起したいと思います。端的に言えば、社会福祉は国と
地方自治体、どちらが実質の主体なのかというのをもう少し
国民的に議論をすべきではないかというふうに思っております。
いずれにしましても、
地方分権推進法や
地方分権推進一括法の施策の中で
機関委任事務は法定受託事務、自治事務となりまして社会福祉事務も大きく変わってきましたが、実質は、指導基準等を細かく作ったり、また補助金とか監査体制といったような
地方分権を阻む要因が多々あります。これらの問題も含めて、
国民的議論が必要でないかなというふうに思っています。
国にお願いしたいことがあるんですが、
資料四をごらんください。福祉事務所の
資料があるんですけれども、任用資格というのがありまして、社会福祉主事、知的障害者福祉司、身体障害者福祉司等といった任用資格があります。今日では福祉専門職は一般的には社会福祉士というのがありますが、社会福祉士の
国家資格はありません。福祉事務所の専門職の資格としても社会福祉士の資格はありません。この社会福祉士資格を除外しまして考えた場合、六八年から地方交付税によりまして福祉五法を専門に担当する現業員の増員措置が講じられながら、これらの任用資格を持つマンパワーも福祉事務所に配属されていないことが、皆さん、
資料を見るとお分かりになろうかと思います。
資料四の一番下を見てください。一つ例に取りますと、査察指導員、現業員の有資格率の状況ですが、年々低下傾向にありまして、福祉の専門性が発揮されているとは言えません。今日の住民のニーズは多様化、複雑化しておりまして、
地方分権推進
委員会が言っています資格の必置
規制は社会福祉の場合は難しいのではないかというふうに私
自身は思っております。むしろ、国が社会的
規制を何らかの
方法で取る必要があるのではないかなというふうに思っています。逆に、保育所と幼稚園のように、保幼一元化が地方におきましては住民のニーズであるのに、国が
規制しまして、
地域の独自の福祉政策が展開できないことはやはり問題があるのではないかと、このような
規制は撤廃すべきであるというふうに考えています。したがいまして、
地方分権を考えた場合、社会的
規制をすべきものとすべきでないものを細かく精査する必要があるのではないかというように思っております。
最後に、
地方分権推進
委員会の最終報告ですが、国庫補助金は真に必要な分野に限定しまして、その財源を地方一般財源に振り替えていくべきであるとか、包括交付年金化、統合補助金の大幅な拡充とありますが、特に地方交付税を包括交付金化することについては基本的には賛成ですが、地方交付税は私たち住民にとって極めて不明瞭です。例えば、ゴールドプラン等の介護基盤整備はこの交付税で賄われてきました。しかし、首長の
考え方で道路や橋の公共事業に使われてしまうこともあります。ゆえに
情報公開が何といっても必要だと思います。国も二〇〇一年より
情報公開法を施行しまして、
地方自治体も条例制定をしておりますが、まだまだ不十分です。
資料五をごらんください。国にお願いしたいのは、
情報公開法の対象に
地方自治体や
裁判所も含めていただきたい。また、救済
制度は完備しておりますけれども、提訴する場合、全国の八地裁しか
規定されておりません。今日の高齢化を考えた場合、是非都道府県に一つの
機関で提訴できる仕組みが必要ではないかなというふうに思っています。
次に、地方公共団体の自治
立法権を考えた場合、その自治体の職員、
議員の
機能は重要です。ここでは主に二つを取り上げたいと思います。
まず、地方公務員
改革ですが、まず公務員の意識
改革が必要です。人事や処遇を前提に公務員の研修
制度を実施していくことが大事ではないかと思います。民間企業に一年間研修するといった例はどうでしょうか。私も地方公務員の
経験がありますが、コスト意識は全く役所では培われませんでした。また、年功序列、終身雇用のために安楽した雰囲気が蔓延しております。職員の
任期制、民間からの大幅な採用増、職員に対しての住民による信任投票を提起したいと思います。
この職員に対しての住民の信任投票ですが、例えば、四年に一度の統一地方
選挙の際に、
地域住民が最高裁の
国民審査のように公務員にペケ印を付けるとか、また各課ごとに目安箱を設けまして、そしてその
内容等を職員の処遇に影響するような
制度を作ったらどうかというふうに考えております。もちろん職員の
情報公開等は徹底的に行う必要があります。そうすれば公務員も襟を正しまして、緊張の中で職務を遂行できるのではないでしょうか。
それから、だれもが参加できる地方議会ということで、
地域住民による
地域住民の福祉向上のための地方議会の
役割は重要です。
法令的には、二十歳以上の
地域住民には
選挙権、二十五歳以上の
地域住民には被
選挙権が与えられていますが、しかし、現実には地方議会の
議員になる人は一部の職業に偏っております。本来一番多数のサラリーマンはほとんど
議員になっていません。というより、サラリーマンでは
議員候補になれないシステムになっています。
例えば、労働基準法とか就業規則の中に公民権行使の
規定というのがありますが、この
制度を知っている人はどのくらいいるでしょうか。今日の不況下におきまして、
選挙に出るので有休を企業に請求すると真っ先にリストラの対象になるのではないかなというふうに思っています。現実には、労働基準法や就業規則に関して、使用者、また私たちもやっぱり関心が薄かったのではないかと思います。したがいまして、労働基準法であるとか就業規則を企業等に遵守させることも必要なことだと思っています。
そして、サラリーマンが現職のまま
議員等に立候補できるシステムを作ることが必要です。この場合、例えば
選挙に出る場合ですが、
選挙事務所等も必要になります。借家の場合、往々にして大家の反対がありまして、
選挙に出れない場合があります。
私
自身も、大学院生のときに市議会
議員の立候補しようと思いまして
政治活動をしたことがありました。しかし、自分のアパートを事務所にしようとしたところ大家の反対がありまして、アパートを転々としました。しかし、どの大家も事務所にすることに反対しまして、結局どのアパートも借りることができず、
選挙に立候補できなかった
経験があります。大家が反対した理由ですが、近所に
議員がおりまして、部屋を貸すと私
自身を支援しているといったように見られるということでした。
このように、地方
政治にだれでも参加できる環境というのはやっぱりないのではないでしょうか。だれでも首長、
議員等に立候補できる
制度、供託金の減額、貸与、だれでも利用できる
選挙事務所等、課題は山積です。
最後に、民主主義の原点として
主張したいのですが、
資料六をごらんください。外国人の地方参政権です。在日朝鮮・韓国人に対して、九五年、最高裁は、外国人の場合、その
意思を地方
行政に
反映するために、法律によって首長や
議員の
選挙権を与える措置を講じることは
憲法上
禁止されていないという判決がありましたが、真の
地方自治を考えた場合は、やはり一日も早く外国人の地方参政権を認めるべきです。
結びとしまして、何といっても、
地方自治・分権を考えた場合は、やはり教育が何といっても重要です。そして、教育なくして
地方自治・分権なしと言わざるを得ません。
特に今、小中学校における
地方自治・分権に関する教育は重要です。現在の社会科教育を
改革しまして充実させることが必要なのではないでしょうか。また、高校におきましても、現代社会という科目がありますが、ほとんどの高校生はこの科目は勉強しておりますが、
地方自治・分権分野の
政治経済の科目は任意選択となっております。必須科目にして、自治、分権に対しての教育を小中同様に行う必要があります。そのためには、教員の資質向上や研修体制の充実等、教育する側の環境整備も重要であることは言うまでもありません。
加えまして、今日の生涯教育の中、
地方自治・分権を学習できる社会教育体制を整備しまして、住民一人一人の学習によりまして意識
改革を行わない限り真の
地方自治・分権は実現は困難であるというふうに私は申し上げまして、私の発表を終わらせていただきます。
拝聴ありがとうございました。