○
国務大臣(
遠山敦子君) 今まで義務教育費国庫負担の
制度につきまして、荒井
委員の方から、
大変興味、関心をお持ちいただいて御
質問いただいてまいりました。私もそれをじっと伺っておりましたが、やはりこの問題を今回提起されたのは、経済財政諮問
会議の審議事項として提案されたわけでございます。そこのところが正に荒井
委員のおっしゃいますように、義務教育というような国の根幹にかかわるようなものを財政だけで論じていいのか、あるいは
地方分権という角度だけで論じていいのかというようなことにも絡んでまいると思います。
そこで、経済財政諮問
会議におきましては、極めて限られた時間が与えられて、結論のみをというふうに言われたものでございますから、そこに示したようなぺーパーを出して御
説明したわけでございます。しかし、その背景には実は、もちろん国として義務教育費についてどう考えるか、あるいは諸外国等の動向はどうなのか、それから義務教育で保障しようとしている教育水準というものをどのように今
改革に取り組んでいるかというようなバックがあるわけでございます。
そもそも、じゃ、なぜ国が義務教育費について責任を持ち、必要な部分については国庫負担をするかという点でございますけれども、これは正に憲法の要請によりまして、義務教育というのは
国民としての必要な基礎的資質を培うためのものでございまして、国としてはすべての
国民に、どこにいても無償で一定水準の教育を確保するという責任を持っているわけでございます。
そういう憲法上の要請に基づきまして、様々な法体系を作り、また様々な基準などを作って国としてはその責務を果たそうとしているわけでございますが、分かりやすく申しますと、国としては、
一つは教育
制度の枠組みの設定ということについての責務がございます。それから、一定水準の教育を提供するという角度から、国としては学習指導要領などの基準を設定するということについての責務もございます。そして、それらを基に必要な指導助言等を行って、全国のどこの小中学校におきましても質の保障された内容が教育されるようにということについて、常に私どもとしてのなすべきことをやっているという実態がございます。
そして、じゃ、それを確保するために、何と申しましても教育の成否は教員に懸かっているわけでございまして、義務教育を本当に優れたものにしますには教員の人材を確保していくということが大事でございます。その角度から義務教育費国庫負担
制度というものが制定をされまして、教職員の給与費についてその二分の一を負担していく、これによって全国的な角度から教育の機会均等、それから教育水準の維持向上を図っていくという、これまでの様々な教育行政の法体系あるいは予算体系の下に、義務教育についてその質の保障あるいは向上の
推進を図ってまいってきているわけでございます。
この際に二つちょっと付言したいと思いますが、実は
日本の義務教育の在り方につきまして
各国が大変な
研究をして、正に
日本の義務教育についての国の姿勢、あるいはそこに表れた水準の確保というものを
各国は今大変調査
研究されまして、
日本の
制度にいろんな国々が近づいているわけでございます。これはやはり
日本が二十
世紀の後半において、今日でこそこういう経済
状況になってございますけれども、あの繁栄を見たその背景は正に人力にあるということでございまして、それを支えたのは
日本の
国民がすべて平均して水準の高い教育力を持っていると。そのことを前提として、例えば
アメリカ、
イギリスあるいはドイツのような国でもこういう変化がございます。
例えば
イギリスでございますと、これまで、あの国は個人主義の国でございますから教育もそれぞれの学校に任されていて、教員が
自分で好きな教材を集めてきてやるというようなことで、カリキュラムの水準も国が指定していなかったわけでございます。しかし、
日本の発展の
状況を見ると学習指導要領というナショナルカリキュラムがあって、それに従って学校は教育を展開していく。そのことが
子供たちの基礎的な学力の醸成ということに大変大事だということに気が付きまして、実は
イギリスはナショナルカリキュラムを作りまして、そしてそれを確保するために、
日本よりもっと鋭く、毎年何千人という
人たちがそれぞれ分担をし合って学校に行って評価をし、あるいは毎年学力調査をやるというような段階にまで進んできております。これは何かといえば、ブレアさんが就任と同時に、国にとって一番大事なのは教育である、第二に大事なのも教育であり、第三も教育であるということで、大きな教育
改革を図っているわけでございます。
アメリカについてもそうでございます。
アメリカもあのような国でございますから教育の多くの部分は州に任されているわけでございますけれども、各州におきましてもナショナルスタンダードというものを、ステートのようになるんでしょうかね、そういう基準を作って、そして
日本のような方式を導入するというような方向に出てまいっております。これこそ一九八四年に出ました「危機に立つ
国家」という教育
長官からのペーパーを基に、
アメリカのあの当時の経済的な疲弊というものは一体何からくるか、それはやはり
国民の知力ないし知識力というものがない、ではどうしたらいいかということで、そういう危機に立つ
国家を救うのは教育であるということで、鮮明に方策を打ち出して、今日に至るまでその教育
改革が進められてまいっております。そのことが功を奏して、
アメリカはITを用いたようないろんな工夫が可能になってきた。
そのようなことを
説明し始めますと時間がたち過ぎますのでここで終わりますけれども、
日本のそういった成功を
一つの、何といいますか
各国における教育行政のモデルと考えられているのではないかと思われるような今
状況が
各国で見られます。特に
東南アジア、中国、韓国。韓国はもうほとんど
日本の
制度を取り入れているわけでございますが、これらの国々の教育、特に義務教育、これは大変のしてまいってきております。
日本は正に教育においては
各国のターゲットになっているわけです。国際調査をいたしましても常に
日本はトップクラスの学力を示しておりますけれども、次第にその差が縮まってまいってきております。
そのようなことから、今、教育
改革を大いにやりまして、これまでの
日本の教育の
一つの特質でありました平均的なところに重点を置いてそれらの資質を高めるということに力を用いてきたその方式から一歩出まして、それぞれの
子供たちの習熟の程度に応じて教育を展開していく、それによって伸びる子はどんどん伸ばしていく、また
理解の遅い子については丁寧にこれを教えることによって自信を持たせ、また達成感を持たせて、そして力を発揮していくことができるようにしていく、そういう大きな教育の目標の転換を今図っております。それに基づく新しい学習指導要領の実施が今、四月から各小中学校で行われているところでございます。
したがいまして、
世界の動静、あるいは
日本の大きな教育
改革というものを本当に成果を上げるようにするためには、私は、義務教育については国がきちっと責任を果たしていく必要があると思っております。
そのようなことから、さきの
山本委員の御
質問にもお答えしましたけれども、その経済財政諮問
会議におきまして人間力
戦略というものを出しました。そして、単に財政とか
地方分権という、それらは非常に大事でございますけれども、それだけの視点だけで義務教育国庫負担
制度を論じられるのではなくて、全体にどういう
戦略を持って
日本の教育ないし人間力を付けていくかと、そういう角度で論じてほしいということで
説明をしたわけでございます。
恐らくそのことについて、お手元には資料が行っていないのかもしれませんけれども、私どもといたしましては、そういう大きなフィロソフィーといいますか、
日本の教育について責務を持つ国の立場として、全体を大局的に見た上で、一体じゃ、それを前提としながらも、しかし
国家財政がこういう
状況である、あるいは
地方にもっと権限と責任を移していく、その理論もまた正しい、そのような中から、苦衷の中で断腸の思いで出したのが先般の義務教育国庫負担についての私どもの見直し案でございます。
そのようなことを御
理解いただきました上で、またおいおいに御
質問に応じてお答えをしたいと存じます。