○簗瀬進君 それでは、話題を変えまして、
先ほど与党議員の質問の中にもございましたが、知的財産戦略についての質問をさせていただきたいと思います。
今、一時間にわたって私
どもも今の
日本の厳しい
状況についての
議論をさせていただきました。実は、一九八〇年代の
アメリカ、
先ほども触れられておりましたけれ
ども、大変な危機感に、ある
意味では
日本以上の危機感を
アメリカは持っていたかもしれない。
アメリカは、やっぱりトップランナーとしてずっと世界を引っ張ってきたという自信がある、そこの自信が見事に打ち砕かれようとした。
日本の製造業を
中心にした輸出攻勢に遭いまして、例えば、自ら作り出してこれからの世界はこれで牛耳ろうと思っていた半導体が、一九八五年ではたしか
日本のシェアは五六%に達していたと思います。もう
アメリカの製造業は見る影もなかったと。
今、テレビコマーシャルで有名な、「インテル入ってる」という、そういう
会社が実は一九八六年には倒産の危機に瀕していた。その一九八七、八年掛かってようやく半導体を切って、あれは集積回路の方に
方針を転換を、マイクロプロセッサーの方に
方針を転換してからようやくインテルは今のあのスタートに立っているなんて、こういうふうな話もあったわけですよ。この一九八〇年代の
アメリカのもうすべての製造業は
日本の
企業につぶされてしまうんじゃないのか、こういうふうな危機感を持っていた
アメリカが必死になって何を
考えていたのかということをやっぱり我々はしっかりと学ぶべきであろうと。
先ほど御紹介ございましたので、ヤング・レポート、ちょうど一九八〇年代のど真ん中の一九八五年にヤング・レポートが出ておりますけれ
ども、例えば、一九八一年には特許商標庁の権限強化というようなことをやっております。また一九八二年には、
アメリカの特許訴訟が非常に区々にわたって判例が違ったりするということではならないということで、一審は連邦地方裁判所が受けるんですけれ
ども、控訴審は
一つの連邦巡回控訴審裁判所といったところにこの特許関係の訴訟の上訴審を専属的に管轄させる、こういうことをやったのは一九八二年です。これは司法改革。
先ほどの特許商標庁の改革というのは、これは行政改革ですよね。それから特許法の改正、例えば存続期間を延長したり再
審査制度を導入したりと、これらはもう一九八〇年にやっている。それから、政府委託の
研究開発結果の
大学、民間移転、これをバイ・ドール法という、二人の、バイさんとドールさんという上院議員が出したバイ・ドール法という法律ができたのが一九八〇年。こういう一連の、これは、バイ・ドール法というのは言うならば
大学の研究機能の強化ですよ。教育改革ですよね。
行政改革から、司法改革から、教育改革。バイ、ドールさんが
大学の方をやれば、子供たちの科学的な思考
能力が非常に劣ってきているんじゃないのかなということで、かなり初等教育機関に対しても相当
一つの
方向性を出して、その科学的な思考
能力を完成するように、養成するようにという、そういう動きを出す。一連のこの一九八〇年代の動きというのは、やられた
日本に何とかこれはもう対抗して、
アメリカのプライドを懸けた
取組というようなものをここでやっている。それが集約をされているのが、言うならばプロパテント
政策ということです。
特許を
中心にした、特許だけではありません、著作権とか、そういうような問題、こういうようなものを総合的に知的財産権と、IPR、インテレクチュアル・プロパティー・ライトと、こういうふうに言うわけですけれ
ども、このIPR、これこそやっぱり
アメリカの
一つの大きな柱だぞ、
経済の柱だぞと、こういうふうなことを
考えて外交上も果敢に、特許侵害に対する水際にしても、あるいはチェックにしても、外国に行ってのいろんな動きにしても、外交上もこれをやると。こういう全体的な
取組の結果、私は、それがコンピューターの作り出す
IT革命とうまい具合に絡まって
アメリカの現在の
経済というようなものがあるんではないのかなと。
正に
IT革命を
IT革命だけでやろうとすると駄目なんです。
IT革命というようなものを、やっぱりその結果としてできてくる生産物とか新しい
産業形態とか、そういうようなものを守る。さらに、重要なのはやっぱりユーザーの感覚なんですよ。製造業を
中心に物を
考えるんじゃなくて、どういうやり方をしたらユーザーに便利なんだろうか、どういうやり方をしたらユーザーが増えてくるんだろうかという、こういうふうな
考え方を持って
IT革命とこのIPRの戦略というようなものを絡めてやっていったというのが、これが
アメリカの戦略だと。
e―Japan構想についての話もありますけれ
ども、あれは私から言わせれば、非常に
日本は逆立ちしているんですよ。需要喚起の方をやらずに供給サイドの、ここもまたやっぱり需要よりも供給というような形で、こういう感覚で
IT革命をやろうとするから、
IT革命自体も、需要者、すなわちユーザーが置き去りにされた形で一定程度行って
ITバブルだとか、製造業の方が元気なくなったら
IT革命もう終わりだみたいなそういう印象になっちゃっている。やっぱりこういうふうな間違ったところもあるんですね。
ちょっと話長くなりましたけれ
ども、一九八〇年代の
アメリカというのは、IPRについての基本的な戦略をいろんなところで立てながらやってきたと。このことを是非とも学んで、後ればせながら
日本でも全力を挙げてこのことに取り組んでいただきたいと思うんですけれ
ども、まずは御決意を聞かせてください。