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上田(清)
委員 こちらは、今申し上げましたように、沖縄及び北方問題に関する特別
委員会、このときの
委員長は実は鈴木宗男議員でありました。あえて
委員長を一たん
辞任して、
委員長代理が
委員長席に着き、
委員として
質疑をされた。非常にこれは、日本外交史におけるいわば恥辱的な
質疑に当たったんではないか、あるいは、日本の外交のターニングポイントとも言えるような貴重な、歴史的な
質疑ではなかったかというふうに私は思っております。
そこで、つらつら見ていただきましてもなかなかわかりづらいと思いますので、雑駁に1—2はどんなことが書いてあるかということを申し上げますと、サハリン沖の地震についての人道支援を河野
大臣にお尋ねしたというくだりが1—2であります。
1—3でありますが、ここのところで、下から七行目あたりから、鈴木議員は、プレハブの診療所だけでも色丹島につくらないか、こういう問いかけをされておられます。河野
外務大臣は、しっかりとした見識を示されました。「あくまでも北方領土というものはロシアによって不法占拠されているところである、」その「不法占拠に、恒久的な建物等をつくってそれが恒常化するというようなことはいかがなものか」、このように
答弁をされておりますが、その後、鈴木さんは同じような
趣旨で、とにかくつくれ、すぐやった方がいい、こういう質問をされまして、当時の野村欧亜局長が、やはりいろいろ問題がありますからということで、
大臣の指摘のとおりでありまして、「現状固定化、既成事実化ということについては」「懸念を持たざるを得ない」と否定的な発言をされました。
しかし、しつこく鈴木議員は、倉庫をつくっているじゃないか、倉庫をつくっているんだったら診療所ができないことはないだろう、このような問いかけをさらにされまして、河野
外務大臣は、若干誤解を受けやすいことで誤解をされたのか、誤解されたとは思いませんが、仮設というものですか、診療施設の整備への支援、診療所施設の整備、例えば、ロシア側が診療所をつくっているうちに緊急に病人が出た、そういうことについて例えば医者を派遣するとか、そういう支援であれば、「我が国の基本的立場を害さないという限度内であるという判断ができれば、」これはできる、こういう
趣旨で河野
外務大臣は発言されたのではないか。その理由は、その後段の
部分で、「診療所というと、それは倉庫のようなわけにはいかない。」こう言って改めて否定されておりますので、まさに、つくるというよりは、整備をされている周辺の領域であるいは可能なことがあるかもしれないということを言っただけだと
理解しております。
ところが、鈴木議員は突然、「仮設の診療所の支援はできるということでよろしいのですね。」という全く反対のことを
質疑されていまして、さすがに野村欧亜局長も、また同じように、違うと。要するに、仮設診療所の設備への支援といったことでございますれば、「支援のあり方について検討を行うことは可能である」と。要するに
議論すること自体は問題じゃないといった程度なんですが、野村さんの後に、いつの間にか鈴木さんは、「
大臣、仮設の診療所をつくることは人道的にもこれは問題はないという
答弁をいただきました。」こういう、今
総理も笑っておられますけれ
ども、普通の人が聞けば笑いたくなるような。問題なのは、この後すぐ、
外務大臣も余り否定しなかった。そんなこと言っていませんと言えばいいのに、知らぬ顔しているから後で問題になってくるんですが。
1—6にも、そういう鈴木議員流の、
大臣が反対の
答弁をしているにもかかわらず、すぐつくれ、こういう話をしておりまして、まさしく、北方領土問題にかかわる我が国の基本的なスタンス、四島の帰属をきちっと我が日本として明らかにしてから返還あるいはその他のことが行われるんだという立場を貫いておるわけですが、この間に鈴木さんが誘導質問をしながら、しかし
大臣はひっかからずに二回否定し、野村欧亜局長が三回否定し、しかし鈴木さんは三回畳みかけて、最後は勝手に問題なしにしてしまった。
こういう
議論でありますが、実は、支援
委員会のそれから先の建物がつくられていく過程は、このときから始まったんですよ、
総理、
外務大臣。それまでは食料品や医療品で、先ほど申し上げた、この九三年につくられた支援
委員会の設置に関する協定のとおりちゃんとやっていたんですよ、九五年のこの
質疑の前までは。この
質疑の後、
外務大臣が嫌だ、欧亜局長が嫌だと言っているのに、最高決定者が嫌だと言っているのに、いつの間にか、この支援
委員会は勝手に建物をつくり始めたんですよ。それがどういう我が国にとって利敵行為になるかというのがわからなかったのかということを私は強く申し上げたいんですが、これは利敵行為じゃないんでしょうか、
総理。