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田中国務大臣 私は基本的に、言った言わないについてここで議論をすることは本当にどうかというふうに思っておりますけれ
ども、ですけれ
ども、私がこれから申し上げることがございます。
それは、一月二十一日だと思いますけれ
ども、ちょっと簡単に早口で申し上げさせていただきますけれ
ども。
一月二十日の夜、パウエル
長官とお会いをして、レセプションで私がスピーチをした帰りがけに、メディアから、一部の
NGOを排除するという情報があるけれ
ども知っているかと言われました。私も秘書官もびっくり仰天して、知らないと言いました。私は夜じゅう気になっておりまして、翌日は極めて忙しいスケジュールで、七時二十分に家を出てから、夕方の、九時近くまでだあっと
会議が入っておりました。ですが、翌日二十一日の朝八時十五分に、
重家局長に私は
電話しておりまして、そのときに走り書きをしたメモがここにございます。
それは、臨時閣議があったので朝早かったんですけれ
ども、官邸から
高輪プリンスへ行く車の中から
電話をいたしまして、そういう話があったというのをきのうの夜マスコミから聞いたのだけれ
ども、これは本当かと聞きましたらば、もうこれは
大臣、そのときに
名前を出されまして、いろいろないきさつがある、そしてこれは事実だと。何でそんなことしたのか、なぜ私に言わなかったのか、どういうことかと言ったときに、具体名が出ました。
それから、その後で、私はもうびっくり仰天したんですが、その後、ずっと
会議をやっておりまして、これはパウエル
長官と
総理が会談なさるときに、私と塩川
大臣が陪席をしたわけですが、その寸前に、私、忙しい時間を縫ってかけたんです。このことがもう私は本当に頭から離れませんで、大問題になると思いました。
そして、次は、今度は十一時十五分に、これは
高輪プリンスのホテル内で——そのとき私、
重家さんにも言ったんです、
野上さんもこの話を知っているのかと八時十五分に言ったら、もちろんだと。
野上次官ももちろん承知している上からの全部の話であるということを聞きましたので、
野上さんに言ってすぐ
出席してもらいなさい、これを言ってくださいということを私は言ったのです。
ところが、返事もありませんで、十一時十五分に私、ホテル内から
電話をいたしまして、もうきょうは時間がたって、きのうは終わってしまったから、二十日の日は、したがってあすは必ず
出席してもらいなさい、そう言いました。そうしたらば、
野上さんは非常に不機嫌になりまして、
鈴木さんは難しい人だ、それから前からの経緯もある、
鈴木さんの言うことを聞かないというわけにいかないので、これは絶対に
出席させられないということを言ってありますと。
そこで私は、あなたはそんなことを言うんだったらば、この今回の
会議の
趣旨、すなわち国家と国際機関とそれから
NGOが有機的に働いて、お互いにこの復興にかかわっていくという本分と違う、それから、私
たちも今そのために
日本で会を主催してここまでやっているのに、それはもう根本から外れることだということを申しました。それで私は、どうしてもそれはできないというふうに
野上次官が
電話で言い張ったので、私は、職を賭してあなたはそのように反対をするんですかと申しましたらば、職を賭してというのはだれが言っているんだと、すごい怒声といいますか強い調子で言われまして、私は、私ですと言いました。
そういうことがありまして、後は天皇陛下が御臨席の開会式もあったりいたしましたけれ
ども、その後いろいろございましたけれ
ども、私は幹部
たちとも接触をしながら話をしましたけれ
ども、全員、
局長やら幹部
たち、ほとんどの方
たちは知っている事実でございました。