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植田委員 少なくとも、私がここで
質問で聞いて、そして
調査をしていただいて初めてこれは明らかになったわけですが、これをしなかったら私は間違った事実を伺ってきたということになるわけでございますので、今、私は、そのことがけしからぬ、けしからなくない以前に、少なくとも事実がどうであるかということをまず明らかにするために、その
評価以前のところでまず事実を共有するために
質問してきたわけです。
ですから、少なくとも、二月十何日でしたか、私が東日本入管に行ったときのセンター側の説明とは、これは、所長、職員を含めて、保護室にかかわる
使用についての説明は今の
局長の御答弁とは全く違いますので、これも可及的速やかに事実
関係を明らかにしてください。どっちかがうそを言うたということになってしまうわけですので、お願いいたします。これはまた別途の
機会にやりたいと思います。
時間がありませんので次に進みますが、ちょっと、個別事例なので恐らくは一般論としてのお答えしかできないんでしょうが、京都大学、京都工芸繊維大学でずっと研究者として活動されてきて、一九七四年にJICAの招待で来られたアフガニスタン人のサルダール・カーン・バハァドルさんという方が、昨年
逮捕されて以降、
逮捕は別件だったんですが、勾留をされて今京都の拘置所にいらっしゃるわけですが、この方の問題について、まず、一応こちらの方で事実
関係だけ、おさらいだけしておきます。
このバハァドルさんというのは、JICAの研修員で、日本の招待で一九七四年に来日をされ、そして、京都大学工学研究科とか京都工芸繊維大の繊維学科等々の修士課程と、また博士課程を行かれて、八七年まで研究生だったわけですが、八七年の四月以降、京都大学の研究生としての学籍を失われた。そして、以降、当初は留学生ビザ、そして八七年から九〇年までは特別在留許可ということで、そして九〇年の八月十七日から定住ビザに切りかえられましたが、この定住ビザがおりた九〇年の八月十七日から半年余りの九一年の二月十六日でこの定住ビザも剥奪をされているわけです。
実際に、定住ビザが半年後に剥奪されるというようなことは、もちろん入管行政の中で当然裁量の範囲内だとおっしゃるんでしょうけれ
ども、余りといえば余りじゃないのかということなんですよね。しかも、剥奪をして、そして九一年の二月の十七日以降、この方は今まで約十年以上在留資格がないまま研究活動をなさってこられたわけですが、剥奪をしておきながら、入管の方も、当局の方も、約一年半ほったらかしにしておった。そして、それ以降、一年半過ぎて以降、約十年間、年に一回から多いときで四回ぐらい、このバハァドルさんと入管の間で、バハァドルさんの主観でいけば交渉、恐らく入管の側からすると違法
調査ということなんでしょうが、約十年間そういうやりとりが続けられてきたという経過があります。
そして、去年の暮れでしたか、万引きをやったというようなことで
逮捕をされ、そしてその後、いわゆる不法滞在ということで今勾留されているわけですけれ
ども、まず、定住ビザを与えておきながら半年後に剥奪するというのは、これは一体どういう理由によるものなのかということ。これは十年前の話ですが、それと、それ以降約一年半ほったらかしにしておった、それはどういうことなのか。
そして、それ以降、一年半たって以降はそれなりに交渉があったようですが、その交渉というものが、それぞれの主観の違いはともかくとしても、違法
調査であったとしても、このバハァドルさんというのがどういう研究者であり、日本に生活基盤を持ってどういう生活を、生活実態というものは十年も調べていれば十分わかるわけですよ。それが今度全く別件で、しかも今裁判にかかっていますけれ
ども、その万引きの容疑で裁判をやられているのじゃなくて不法滞在でやられているわけですが、少なくともこのバハァドルさんは逃亡の心配も全くないわけですし、ごくごくまじめな研究者であるわけですから、こういう方をかかるような対応でこの間やってこられたということについての理由を御説明いただけますか。