○西村
委員 我々立法、行政の意識から全く欠落しているのは、ある
意味では、英米法的な事後司法審査ということでありまして、行政も立法も、特に行政、例えば、
大臣が決断して、これは許可なんだから、許可するか許可しないかは当局が決める。その決める考慮の中に、拉致された
日本人、また多くの
日本人配偶者が一切帰られずに、どういう待遇をされているかわからない、瀋陽で領事館に逃げ込んだ五名などはまだ天国であって、
日本人こそ拘禁
状態の最たるものである、こういう前提があるのに北朝鮮人だけが自由に行き来することは
我が国民感情として許されないんだ、一律禁止だとやったら、ややこしいですけれ
ども、事後司法闘争になりますよね。それで判断をする。それが立法、行政のダイナミックな
一つの姿だと私は思いますが、そのように申し上げておきます。
原田検事総長が
懲戒処分を受けた旨の報道がなされました。
監督責任というものでございます。非常に重いものでございまして、こういう
事態になっておりますので、私は、自分の友人に降りかかった
一つの、刑事司法は大丈夫なのか、監督しなければならないのではないか、ここにその
一つの具体的なケースがあるということをお知らせして、お考えをお述べいただきたいと思います。
当初、
三井検事が逮捕されたときに、ネガティブな情報ばかりが説明としてありました。したがって、私は、大阪高検のナンバースリーがそこまでつまらぬ人物であり、彼が言おうとしておった
内容がとるに足らない、それを取り上げればマスコミも
議員も恥をかくんだというふうなマイナス評価があった以上、そのような人物をなぜ大阪高検のナンバースリーで二年間も仕事をさせておったのか、この
責任は必ず問わねばならない、このように思っておりました。
さて、司法の適正、妥当性の確保は、ある
意味では、刑事司法の発達の歴史を見てもわかるように、我々の
社会がある限り永遠の課題であります。したがって、現在、この手続が刑事訴訟法に乗って、令状主義に乗っておるから、それですべては大丈夫なんでございますという形式論的立論は、堕落をさせるもとでございます。明らかに、今回の
検事総長の
処分ということがそれを示しているわけでございます。
検察に与えられた起訴便宜主義、また起訴独占主義は、極めて大きな裁量と大きな権限を
検察に与えておるものですから、このものが乱用されていないか常に我々は監視しなければなりません。
一つの政治勢力と結託して、微罪を積み重ねて、その政治勢力の
反対意見を持つ者を拘禁する、また、自分の個人的な観念に固執する余り、微罪を重罪扱いして省みない、このようなことはなされていないのかということで、私の友人二人が関与した
一つのケースを取り上げます。
私は、具体的な進行している
事件でございますから、この場で取り上げるのはなにかなと思っておりましたけれ
ども、
三井検事の逮捕等々の経緯を見て、これは取り上げて本当にこの際考えるべきことだと思ったわけでございます。
さて、
事件は、昨年七月七日、神奈川県民センターにおいて、神奈川県日中友好婦人連絡会の集会で起きました。これは、女性国際戦犯法廷というものが一昨年の十二月にございまして、いわゆる従軍慰安婦を世界に向かって宣伝して
日本政府に補償を求める、そして
昭和天皇を有罪であるとする法廷でございました。この法廷のビデオを上映しながら第三部でフリートーキングをするという会が、昨年七月七日、開かれたのであります。
フリートーキングでありますから、私の友人二人を含む四名は、それに参加し、機会あれば反論をしたいという思いで参加しております。この思いは四人共通しております。ビデオが上映されたときに、我慢のならない証言、我慢のならない発言があったので、この二人はやじを飛ばした。ビデオの最後の場面は、「天皇ヒロヒト有罪!」というふうに映し出されましたが、主催者側男性が立ち上がって、ビデオ中に少々やじをした自分たちの方を向いて勝ち誇ったように拍手をした。そしてまた、続いて別の女性が立ち上がって、自分たちの方を見て勝ち誇ったように拍手をした。私は、私はというのは川久保という私の友人、被告人ですが、思わず飲みかけのお茶の缶を投げつけてしまったということであります。
天皇は、
日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴であるというのは憲法第一条に書かれており、この天皇が侮辱された場合に怒るのは
日本国民として正常な反応であり、フランスのシラク大統領は、フランスの国歌の最中にブーイングが起きた一事をもって激怒してサッカーの試合を中断させたほどでございますから、普通の
国民として当たり前の反応だ。国の象徴、
国民の象徴が侮辱されたら怒る。特に
外国人と
日本人共催によるこの集会においては怒らねばならなかったということ、私は正常な反応だと思います。
さて、その後、謝って、三千円をお渡しして済みませんと言いました。その女性は、いいですよと言ってお金を受け取りませんでした。私たちはそれで済んだものと思っておりました。主催者側から外に出るように言われたので、外に出ました。そうすると、警察官が待っておって、その場で私たちは住所、氏名、すべてを警察官に告げました。これが七月七日の話であります。
終わったと思っておった四カ月後の十一月十四日、忘れたころになって警察官が自宅に訪れ、私たちは逮捕されました。十一月十四日逮捕されて、十一月二十五日拘置所に移され、第一回公判は二月十三日、保釈は三月二十九日。実に数カ月にわたって拘禁されているわけでございます。
罪名は、四名共謀して威力業務妨害、川久保という缶を投げた男だけが傷害というのがつけてあった。警察からも、これは微罪だから略式だ、罰金だと。弁護士も警察からそう言われたんですが、ふたをあけてみると、七月七日の
事件が、十一月十四日の逮捕、四カ月後の逮捕になって、そして十一月十四日から三月二十九日まで出られなかった。保釈もままならなかった。フリートーキングの会において
反対論を展開するというのは
国民の当然の権利であり、これだけをもって業務妨害とできないと私は思うんですが、まさにそれをやっておる。そして、こんなのは、缶を投げた人間がおったとしても数日の勾留で、やはり略式だと私は思うんですが、数カ月の勾留だ。
この間、川久保さんは、東大を出てコンピューター会社に勤めておったけれ
ども、
平成八年から学習塾をやっている方なんですが、この当時に私は知り合ったんですが、学習塾の生徒が半減して生活の危機に直面した。
栗原さん、この方も私と親しい人ですが、建築会社に管理職として勤めておりますが、家庭の事情が、この方は知恵おくれの妹さんの世話をしておって、五十歳ぐらいの妹さんですが、二歳ぐらいの知能しかないわけです。兄さん兄さんと言って、四六時中この兄さんが横にいなければ精神的な均衡が保てないという人なんですね。こういう家庭の事情があるにもかかわらず、我々
議員でも
議員を辞職したら
社会的制裁を受けたとかいろいろなことで情状をしんしゃくされるにもかかわらず、この家庭を持ち生活をしている人間にとって極めて残酷な五カ月を拘禁されておるわけでございます。
今二人の例ですが、あと二人はどうなったかというと、あと二人は、驚くべきことに、初公判は五月二十日でございます。十一月十四日に逮捕されたこの
事件の初公判が五月二十日だ。どういう別件があったのか。
この時期、思い起こしてください。扶桑社の教科書採択で大騒動しておりました。東京のある区役所は、人間の鎖と称するデモで取り囲まれて、教科書採択を審議する場に非常な物理的圧力がかかっておった。新しい教科書をつくる会の事務所は過激派に放火されておった。各地における教科書採択に携わる教育
委員のもとには、かみそりを送られ、脅迫の電話がかかっておった。
このような騒然たるものであり、
日本の教科書が、正しい、
日本人のものにならねばならないと思っている私の友人を初め
本件の被告人たちは、例えば他の二人は、岡山県華僑総会が脅迫、嫌がらせを行ったことに対し、西村修平、これも被告人の一人ですが、電話、ファクスで抗議した。もう一件は、この新しい教科書の採択に肯定的な教育
委員を解任しようとする国立市の上原市長に対し同調する動きをとった自民党市議に対して、加藤哲史、
福島達樹が自宅を訪問、電話、ファクスで同調してくれるなと思いとどまるように説得した。こういうふうなことで、別件でこれも逮捕されておるわけですな。
新しい教科書をつくる事務所が放火され、かみそりを送り、人間の鎖で自由に議論されるべきものに圧力を加え、これらの者はすべて何ら捜査の対象にもならないのに、
国民の象徴が侮辱されて怒る真っ当な常識的な
日本人は、このような五カ月、六カ月における拘禁の末の
裁判にいまだ縛られておる。
これは、
我が国は法治国家なのか、それとも、
検察官、
裁判官は、大学紛争及びその後の左翼的風潮の中の学園で学んで司法試験に通って、後は
検察、
裁判の世界に封印されて、優越感を持って、
人権の観念もなく、左翼的な観念で、ただ左翼の運動の手助けになるように刑事司法を操っておるのか。それが起訴便宜主義、起訴独占主義の陰に隠れた彼らの
一つの傾向ではないか。
三井の問題があれば、この問題もあるのではないか。こういうふうに私は思って、この場で御
紹介させていただきました。
法務大臣、いかが御感想を持たれますか。安心し切っておったら我々も刑事司法も人治に堕落する、このような思いがいたしておりますので、御
紹介申し上げました。いかがですか。