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中野(寛)
委員 短時間ですから、各論に突っ込んだ話はできませんので、それ以上申し上げませんが、文化でもそうですし、学力なんかもそうなんでしょうが、いわゆるピラミッド型を想定して、底辺を豊かにすれば頂点も高くなるというやり方と、それから頂点をより豊かにすることによって底辺が広がるというやり方とあるんだろうと思います。どちらが正しいかという
結論を出す必要はないので、事文化に関する部分というのは、やはり頂点に立つものをより伸ばしていくというのは、これは
一つの
方法だと思います。
日本でも、やはりサッカーがこれだけ普及をしたのは、ある意味では、Jリーグができた、それによって模範的なプレーが見れるということが
一つは日本の今のサッカーブームをつくったとも言えなくはないというふうに思います。
また、日本では、たくさん劇場はできる。しかしながら、そこに例えば専属の歌劇団は存在をしない。また、そこへ専属の歌劇団を置こうと思うと、またいろいろな
意見が、賛否両論、わいわいがやがやと出てきて、なかなかそれが
実現しないということがありますが、しかし、本当に芸術文化について、そのトップを伸ばしていく、そして全体としてのレベルアップをしていくためには、本当は、劇場専属の交響楽団であるとか歌劇団というのは
幾つかあった方がいいということはあるんだろうと思います。その辺のことは、むしろ大いに首を突っ込んでいってリードしていただいて、日本の文化政策の
基本、指針、そういうものをしっかり示していただきたいなという気がいたしております。
さて、余計なことを言っている間に時間がたってしまいました。あと、文化の
一つなのですが、言葉の問題についてちょっと述べたいと思います。
おもしろいですね、日本人というのは実に器用だと思うんですね。日本サッカー協会があるんですな。今回活躍をされたわけですが、これは英語でイニシアル、JFA、サッカーのイニシアルのSはどこにもないんですね。サッカーという言葉は世界のどのくらいのところで通用するのかな、サッカーの語源はと、ふと思ってみたんですね。結局、FIFAと言うけれ
ども、そこにもサッカーのSはないんですね。結局、Fとはフットボールの略なんですな。
そうすると、実に日本人というのは、まあ、サッカーというのは、アメリカではサッカーですよね、アメリカでフットボールと言うとアメリカンフットボールのことを指すものだから。ただ、日本人というのは、そういうのを実に器用に使い分けている国民だなと思うんです。漢字、それから和製英語についてきょうは述べたかったのですが、まあ、器用過ぎて日本人というのは本当にいろいろな間違いも犯すなと思っています。
先般、九州の方で、和製英語をちょっと乱れ過ぎているから
整理をしようと。例えば、レベルアップという言葉、スキンシップという言葉、英語圏に行って通じない英語というのがいっぱいある。レベルアップというのは、この
新聞によるとインプルーブ、プレイガイドはチケットオフィスの方が正しい。間違った和製英語をたくさん世界に通じる英語だと思って日本人は勉強している。しかし、それは最初から正しい、外国でも通じる英語をちゃんと覚えてそれを使っておけば、英語の勉強は随分楽になるんだろうと思うんですね。そして、いつの間にか英語をしゃべれるようになるということなんではないかと思うんです。
この前、通じない片仮名英語というのをちょっと秘書に言って調べさせたら、たくさんあるんですね。セロテープ、ガムテープ、シャープペン、ボールペン、ホッチキス、マジックインキ、トランシーバー、ポケベル、ファミコン、フライパンからミキサー、ストーブ、コンロ、ジャンパーからメロドラマ、ゴールデンタイム、マザコン、ワンマン、ガードマン、カメラマン、サラリーマン。これによるとスナックのママというふうに書いてありますが、それは余計なことですけれ
ども。
この辺、やはりこれは、文科省もそれからマスコミの皆さんにも御協力いただいて、ちょっと
整理する努力は要るんじゃないでしょうか。和製英語ですから、それはそれで
一つの日本の文化ではあるんですけれ
ども、実に日本人の巧妙なといいますか、上手なやり方だと思いますが。
漢字も近ごろ随分と、いろいろな間違いがふえてきたような気がしますよね。日本語をもうちょっと、国語審議会もあるようですから、ぜひ正しい日本語。漢字が正しいだけではなくて、国字というのもあるんですね。裃だとか峠だとか畑だとか、いわゆる中国ではない日本で生まれた漢字、これは国字というんでしょうが、というのがある。これは日本独特の文化で、日本というのは積み重ねの文化の得意なところですから、それはそれでいいのです。しかし、共通の意思を通じ合うための言葉を余り乱雑にしてはいけないのではないかという気がしているんです。
最近、つなぐという言葉が、昔の国語辞典にはつなぐだけがあってつなげるというのはなかったんですが、最近の国語辞典を引くとつなげるというのがあるんですね。
新聞を読んでも、それからテレビで放送を聞いていても、つなげるという言葉が意外に使われるようになっているんですね。私は、何だこれはと最初思ったんです、つなぐでしょうと。つなげるというのは、つなぐことができるということの略語でつなげるならわかるんだけれ
ども、しかし、国語辞典にまで載ってきました、近ごろ。そうして発展していく言葉の文化もあるのだろうと思ったりします。
それから、時々、例えば
大臣のかわりにどなたか役所の方がいらっしゃる。いや、
大臣が日程上の都合で、私ごときで役不足ですがと言うけれ
ども、役不足というのは何と。本当は役者不足ですな、正しくは。役不足というのは、私に合ういい役がないので、しようがない、こんなつまらぬ役を今引き受けて私は来ました、そういう意味ですよね、役不足と言えば。でも、そういうのはみんなよく使うんですな、意外に。やはり言葉というのは意思表示の
基本だと思うんです。
私は、学生時代にピカソの絵を見て、まあ変な絵ですな、この人ちょっと変わっていますねとだけしか思わなかったんです。そうしたら、美術の先生がピカソのデッサンの絵を見せてくださって、実に見事なデッサン。やはり基礎がきちっとしていて、その応用動作としてあのピカソの芸術というものが生まれているということを教えられたことがあります。
そういう人間の
基本になる部分をやはり
文部科学省としてはしっかりとまとめ、また教えてほしいものだなと思うのですが、時間が来ましたから、それを最後の
質問にして、御
答弁をお願いしたいと思います。