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伊藤(英)
委員 私は、ふざけちゃいけないという感じなんです。
総理や
官房長官にこんな言葉を使いたくない。本当に、
日本のことをお願いしますよ、こういう
気持ちなんですよ。いいですか。
例えば、卑近な例かもしれません、あるいはこんな話がなければ、石原都知事は、この問題について
官房長官に、激励の電話というふうに新聞に出たと思いますが、そんなことはなかったと私は思うんです。
いいですか。ほかの国も、今
韓国でも中国でもいろいろな意見が出ています。本日のと言った方がいいのか、昨日のと言った方がいいのか、アメリカのニューヨーク・タイムズは、さっきもありましたよね、どれだけのスペースを開いて、きょう一面に出ているか。これはA4だけにあれしましても三枚、四枚ですよ。ここに書いてあるのは、まさに
核兵器が
日本で挑戦を受けている、受けつつあるということですよね。どんなに詳しくか、ずっと書いてあります。そして、その中に書いてありますのは、まさに
日本で今
安全保障の問題について大きな変化が、メジャー シフト イズ アンダー ウエー、起こりつつあると書いてあるわけなんです。この中に、
官房長官の
発言やら副
長官の
発言やら、あるいはその他の
日本の他の人の
発言等々が出て、もうそういうふうになっているんですよ。そのことの深刻さをもっともっと考えてほしい、こう思っているんです。
その次に、
外交面、国際的な面のことについて申し上げたいと思うんです。私はいつもこういうふうに思ってまいりました。私たちが
安全保障の問題を考え、あるいはいざ有事のときのことを考える、そのときに私はいつもこう言ってきたんです。九九%は
外交だ。もしも、よく言うように、万一の事態、万一と考えるなら九九・九%が
外交ですよね。
最後の〇・〇何%が実力部隊の、例えば
日本でいえば自衛隊を使って云々という話でしょう。そういうふうに考えるときに、私は今回のような状況を見るときに、この
外交感覚のなさは何なんだろうかというふうに思います。
先ほども話が出ました。中国の問題にしてもあるいは
韓国の問題にしても、あるいはインド、パキスタンの問題にしても、これだけ核の問題を初めとしていろいろ緊張しているときに、
日本の
官房長官が、あるいは副
長官が、この時期に、核が持てるかもしれないかのごときというような話は、どんなに否定しても、さっき、副
長官の話なんかを聞いていますと、どんなに……(
発言する者あり)そうじゃない、そうじゃないと言うけれども、あるいは
政策論がどうだ、あるいは
憲法論はどうだ……(
発言する者あり)ちょっと静かにしてください。論理の上でという話をしたとしても、なぜ今、
憲法論のもとであったとしても、小型だったらどうなのか云々とか、そんな話が出るんですか。今
日本が置かれている現在のこの時点で、あるいはほかのときでもそうなんですよ、今この時期に何だと私は思うんです。
先般、
総理が
韓国に行かれました。普通だと、ああいう形で行かれれば日韓の首脳
会議が行われても全然おかしくない、本来開かれるべきだと私なんかは思うんです。にもかかわらず、この間は瀋陽の話等々でできなかったんでしょう。それはそれとしても、この今の九九%以上は
外交だと思っているときに、この
外交的な視点の欠如が今あるというのはどういうことか。私は、緊張感のなさ、不用意さ、不注意さ、これは一体どういうことだと思うんですが、どうですか。