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神野参考人 東京大学の
神野でございます。
私は、
財政学を専攻しておりまして、
郵政事業につきましては、むしろ
委員の
皆様方にお教えを請わなければならない
立場にございます。全く素人ではございますけれども、
財政学の
立場から
参考意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。
財政学というのは、十九世紀の末にドイツで誕生いたしました。
財政学の
考え方は、今の主流の
経済学とちょっと違っておりまして、
競争原理で営まれる
市場経済と、それから、人々がお互いに助け合って
協力原理で営まれる
財政、この二つの
経済が車の両輪となってうまく機能しなければ
国民経済というのは発展しないのだという
考え方に立っているということでございますので、少し
考え方が違うという前提を御理解いただければと思います。
そして、この
財政という
言葉は、
パブリックファイナンスという英語の
翻訳語でございまして、現在では
中国に逆輸入されて、
中国でも
パブリックファイナンスのことを
財政というふうに言っております。だれが翻訳したのかといいますと、慶応義塾を創設いたしました
福沢諭吉が
最初に翻訳したのではないかということが、
いろいろ説がありますけれども、そう考えられております。
きょう、
福沢諭吉の「
福沢全集緒言」、
最初の
言葉を、明治三十年に発行されました
福沢諭吉全集、持ってまいりました。お
手元に
配付資料としてあるかと思いますので、一ページをおめくりいただきまして、四十一ページをごらんいただければと思います。
最後から四行目ですね、
福沢諭吉が
郵便事業を調査するに当たってどれほど苦労したのかということが書いてあります。
かの
郵便事業の取り調べ、調査に苦しみたるは今に忘れることができない。
フランスの
都パリに在留中に
手紙を出そうとして、その手続を偶然来た来客に尋ねたところ、その客は、紙入れから四角なる印刷の紙片を出して、この
印紙を
手紙に張って出せば直ちに
先方に達すべし、こういうふうに言った。それは
飛脚屋に頼むことかというふうに問えば、否とよ、
パリにそんな
飛脚屋はなし。町内いずれのところにも箱のようなものがあるゆえ、その箱の中に投ずれば
手紙は自然に表書きの届け先に届くと言う。いよいよ不思議に思って、
江戸の
飛脚屋京屋島屋に
手紙を頼むに、
江戸より
京大阪まで七日限りと言えば、書状一本につき金二歩の定価なり、日を限らぬものにても一本につき二、三百文払うというふうに
我が国では
市場原理で決まっているのに、
フランスでは、ただ
印紙を張りさえすれば
手紙はあたかもひとりで
先方に届く。さてさてまれなり。無理に客を引きとどめて事柄の次第の全体を聞けども、その日は要領を得なかった。そこで重ねて訪問し、費やすこと三、四日にして、初めてわかった。なるほどうまい
通信法なりと感心し、今日
我が国一般に行われる
郵便法なり、こういうふうに言っているわけでございます。
ここでの
皆様方の
審議は、
日本の未来を決める
審議だというふうに言っていいかと思いますが、私
たちが
制度を変える場合には、その
制度は
先人たちの知恵の産物であるということですね。
状況は変わった、したがって、
制度を変えなければなりませんが、
制度を変えるときに重要なのは、
先人たちがその
制度の
原点をどういうふうに理解したのか、その
原点を失わずして、
状況に合わせながら変更していく、
改革をしていくというのが
制度改革の本質ではないかというふうに思います。
ここで
福沢諭吉が強調している点はといいますか、感心した点は何かというと、先ほど来、
参考人の
皆様方が強調されているような
ユニバーサルサービスというふうに言っていいだろうと思います。だれでも、どこでも、そして同一
条件で
手紙が届くということに感心して、それが必要なのだということだろうと思いますので、そうした
ユニバーサルサービス、つまり、
福沢諭吉が感心した、感動した
原点を少なくとも失わないような
改革でなければならないというふうに思っております。
それは言いかえますと、先ほど
財政というのは
社会の
構成員の
共同の
事業だというふうに申し上げたと思いますけれども、公の
事業、つまり、
社会の
構成員の
共同の
事業として営まれるということが重要だろうと思います。それが官僚に壟断されている官業ということであれば、これは
国民が、特に
皆様方代表者を通じてコントロールできる公の
事業にしていくということが
改革の
方向ではないかというふうに考えています。
もちろん、この
郵便事業にかかわって、
小口の
金融、それから
簡易の
生命保険も行われるようになっておりますが、こうした
小口の
金融とか
簡易の
生命保険というのも、
社会の
構成員の
共同の
事業として行わなければならないというふうに考えられ、それによって行われているのだということだろうと思います。
共同の
事業ということを考える場合に重要な点は、公の思想であります。私の恩師であります宇沢弘文先生がいつもおっしゃっておりますが、公園の思想というのはゲーテが考えました。ゲーテは、封建領主や貴族に独占されている美しい庭園をすべての
社会の
構成員に
開放しようということで、公園の思想を世界に訴えました。したがって、これはユニバーサルという
考え方に通じるわけですね。だれも排除しない、すべての人々に
開放しよう。
それからもう一つ重要な点は、山登りの思想であります。
共同事業で行う限りは、
共同で山登りをするときに重要なことと同じように、山登りをするときには、
皆様方御存じのとおり、ペースの一番弱い者にペースを合わせて山を登らないと遭難する危険があるわけですね。
共同事業も同じことです。
社会の仕組みというのは、
社会の
構成員の一番弱いところにペースを合わせながらデザインされなければならないということだろうと思います。そう考えてまいりますと、私は今回の
改革についてはほぼ支持できるというふうに考えております。それは、この
制度の
原点を守ったということの限りでございます。
先ほど来から
ユニバーサルサービスそのものについては御説明がありましたので、例えば、
小口の貯金などについて申しますと、これを
社会の
共同の
事業にはしないで
民間の
競争原理に任せるというようなことをしてしまえば、当然ですが、もうからない
地域には
民間企業は出ていきません。
民間金融というのはもともと
競争原理で行われるべきものですから、これを護送船団方式などでやるのはむしろ好ましくないので、そのかわり、
共同の
経済である
共同事業の方では護送船団方式で行うというのが筋だろうと思います。そこで、
民間金融は恐らく利益が上がらないような
地域には出ていかないだろうと思います。逆に、もしも現在
共同事業で行っている
郵便貯金を
市場原理の方に変えてしまえば、これは
郵便局の方も
効率の悪い
地域から撤退せざるを得ないわけですから、当然のことながら
共同事業としては成り立たなくなってしまうということだろうと思います。
今回の
改革で重要なのは、私は、公のことにすること、つまり、民主主義を貫徹するという
観点が重要だろうと思います。民主主義を貫徹するのには二つの
方法がありまして、一つは、
皆様方国会がコントロールする。つまり、トップダウンでこの
事業を国会がコントロールするという仕組みをつくることと、もう一つは、できるだけ下部に、
事業を行う最先端の人々に権限を移譲していく、そのことによってエンパワーメントして
効率を図りながら民主主義を図っていく、この二つの
方法がありますが、国会がコントロールするという
方法と、下部に権限を移譲していくという
方法をどこで調和させるのかというのが、今回の
審議のポイントになるのではないかというふうに思います。
以上、素人談義に及びまして、感想めいたものになってしまったことをおわびいたしまして、私の
参考意見にかえさせていただきます。(
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