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山谷委員 いろいろ
教育の
現場を取材したり、また、
自分の
子供を
教育の
現場で、いろいろな形で、
保護者会とかに行って驚いたことがあるんですが、
小学生の
夏休みの前の
お知らせという中に、早寝早起きしましょうとか、暴飲暴食
やめましょうとか、宿題を
早目に片づけましょうという中に、薬に手を出すのは
やめましょうということが書いてあったんです。
私は非常にびっくりいたしまして、先生に、
小学生の
夏休みの前の
お知らせになぜこのようなことを書くのでしょうと言いましたらば、そのような薬の売買、あるいは中学生、
高校生のお兄ちゃんがもっと上の人から
小遣い稼ぎに言われて、それをもっと弱い
小学生に売りつけるとか、あるいは
最初はただでジュースに混ぜて飲ませてみたり、そのようなことが近所であるということでこのような一行を書かせていただきましたと言われまして、私は非常にショックを受けました。それがもう数年前のことでございます。
例えば、私なんかは、「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」とか、あるいは聖書の中では、あなた方の
肉体は神の宿る神殿ですなんというふうに教わるわけですね。そういうきちんとした
普遍性を教われば、
自分の
肉体をそのように傷つけるということが自由であるわけがないという、やはりその辺にいくんだろうと思うんですが、
お知らせでは、薬に手を出すのは
やめましょうと書いても、本当に
普遍を教えていないというように感じておりまして、なかなか
教育の成果が上がってこないのではないかというふうに思っております。
四月九日に公表になりました
教科書なんですけれ
ども、やはりこの
普遍と
多様性という
意味で、幾つかの
疑問点を感じております。もちろん、
検定に合格した
教科書だということは踏まえているわけですけれ
ども、あるいは私のような
違和感を感じている人もあるのかもしれません。
例えば
家族形態、
多様化、
シングルマザーとか事実婚、ペットも
家族など、多様な
家族像が取り上げられております。
戦後間もないころ、
家族制度というのは
民主化を妨げるものとして、
家族より
個人が尊重されなければならないという
思いはあったと
思います。また、
現行憲法には、
家庭、
家族という
言葉がない。
教育基本法第七条、「
社会教育」の項にも、「
家庭教育」という
言葉はありますけれ
ども、
社会の
構成単位としての
家庭の意義とか重さを述べているわけではなくて、立法と
家族の
現状あるいはその倫理のある種の体系というものが非常に
ばらばらになっている中でこのような記述も生まれてきたのかなというような感じが私はするんですけれ
ども、命をはぐくむ
共同体というような
視点が欠けているのではないかというようなことを思っております。
結婚するもしないも自由、
子供を産むも産まないも自由というようなことは教えても、命をはぐくむ
共同体だというような
普遍的なものは抜け落ちてしまっている。
アメリカなんかは、中
高校生に
結婚の
意味を教える
結婚講座なんというのを州によっては
義務づけているというところもあって、
夫婦げんかしたとき、どうやって仲直りしたらいいかとか、そんなことを教えているわけですね。
ある
教科書では、
日本は
欧米先進国と比較しても
離婚率は余り高くない、では
日本の
夫婦関係は良好かといえばそうとも言えない、
離婚後の
経済事情を考えれば
結婚生活を続けざるを得ないケースもあるからであるとか、いろいろ書いてあるわけです。
私、中教審の
少子化問題を考える
委員をしておりましたときに、
資料として渡されたのが、非
嫡出子の割合が、
日本はたしか一、二%、スウェーデンとかフランスは五〇%前後ということで、
日本は非常にデプレッシブな
社会だから非
嫡出が少ないんだ、これをもっと
自由化というか
多様化しなければいけないというような雰囲気の
資料の提出なんですね。
私は、それは非常に
違和感を覚えました。もちろん、非
嫡出子とか
離婚された方を応援していくということは大切だというふうに思っておりますけれ
ども、先回りして、
多様化させよう、
ばらばらにさせようという、そのような
違和感を感じられた方も、この
家庭科の
教科書を見て、いらっしゃるのではないかというふうに
思います。
夫婦別姓に対しても、「
現実には大半は妻が
自分の姓を改めている。このことが、
社会で
活動する
女性に不利益をもたらしているということから、一九九六年にまとめられた
民法改正案で、
選択的夫婦別姓の規定が設けられた。」というような形で、何か
夫婦別姓を暗に推奨しているような
書き方が今回の
検定教科書の中には見られておりますし、それから、「事実婚」というので詳しい
説明があって、「
婚姻届を出すという
法律上の手続きはしていないが、事実上
夫婦として生活している
関係」であるというような
説明があったり、「
法律から描く
家族のイメージ」という
ページでは、「
明治民法」「
現行民法」そして「今後の姿は?」という形で、あたかも
夫婦別姓を進めた方がより進歩的だというような
ページが既に設けられたりしているわけでございます。
これは、きのう、自民党の
法務部会でももめたようでございますけれ
ども、多様な生き方、
男女平等、
共同参画の
視点、それから仕事をしている
女性が便利とか不便とか、不便を感じているなら、そういう弱者を大切にしたいという
視点はあると
思います。私も、
通称使用をして働いておりますので、そのことは非常によくわかっているんですけれ
ども、ただ、その
視点を否定しているわけではないんですが、命をはぐくむ
生命共同体、あるいは継承の重要さ、それから、宗教的なある種の
情操心の中で
結婚を考えるという
視点もまたあるというふうに思うんですね。ですから、これは、どちらがどうという、
選択だからいいじゃないかという問題ではなくて、
日本の
家族とか
文化の枠組みに関する問題で、
教科書の
書き方は、
検定に合格はしているのですが、ちょっといかがなものかなというふうに私は感じております。
法律婚と事実婚の垣根をさらに低くしていって、
結婚と
家族の
意味を外側からも内側からも不明にしていくというようなことが進むと、今、必ず
結婚しなければいけないと考える
日本の
若者は二〇%、
アメリカは七九%いるんですね。これも
日本青少年研究所なんですが、非常にいびつな形で
日本の
子供たちは
結婚を考えている。
そうすると、今、事実婚はさまざまな
権利が既にあるわけです。同居、
扶養の
義務、貞操の
義務、
社会保障の
権利、
財産分与権、
慰謝料請求権、いろいろある。そうすると、事実婚した方が、月に四万二千三百七十円の
児童扶養手当をもらえたら、そっちの方が得かななんて考える
若者も、もしかしたらいるかもしれません、それはどうかわかりませんが。
とにかく、いろいろ教え方を考える場合には、
現代の
若者気質と、それから、どういうふうに
教育の場でそれが教えられているかというような
分析をしないと、意図しない方向に流れていくような
思いを今私は抱いております。
この問題は、復古的な
反対論とも
家族の解体というような極端な
個人主義とも距離を置きつつ、
家族や
子供にとって最も望ましい
制度は何か、
日本最大の温かい
セーフティーネットの問題でございますので慎重に考える必要があると思うのですが、この
教科書、「誤解するおそれのある
表現はないこと」という
検定基準にかなうのかというような
意見もあるかもしれません。
私は、今回、
家庭科の
教科書だけではなくて、国語とか音楽とか、いろいろな
問題点があるように
思いまして、ぜひすべての
教科書を地元の図書館に置いていただきたいというふうに考えているんです。そして、
国民各層、多様な人の、
子供たちがどういう形で教えられているのか、それから、
現代の
日本社会において
普遍性と
多様性のバランスはどうあったらいいのだろうか、いろいろな声を集めながら考えていくということが
子供たちの
健全育成につながっていくというふうに考えておりますが、
福田官房長官、いかがでございましょうか。