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福井委員 ありがとうございました。ぜひそのようによろしくお願い申し上げたいと思います。
最後に
大臣の方から、グランドデザインの前提となる
我が国国民の今後のライフスタイルということで、三十年から五十年後、
大臣はもう百年後の
日本国民のライフスタイルまで見込んで今勉強中、検討中ということでございますけれ
ども、それについて御
質問させていただきたいと思います。
まず一つの動きの実例といたしまして、私、助役で出向しておりました掛川市、人口八万人の小さな町でございますけれ
ども、今、スローライフシティーというのを宣言しようとしておりまして、十一月にはシンポジウムをやるということで、まさに二十一世紀の新しいライフスタイルとして、二十世紀型の、ファストフードに象徴される気ぜわしい生き方への反対概念、対抗する概念としてのスローライフを市民全体の生き方とすべく、これから
活動していこうというのが掛川市の
事例でございます。
今、年金、介護その他で、国民的な閉塞感がございます。閉塞
状況を打開するためには国民運動が必要だというふうに私自身も思っております。掛川では市民運動となっているわけですけれ
ども、一人一人のライフスタイル、自分のライフスタイルとは何かということを見つけていく運動が
我が国では必要じゃないかというふうに思っております。
そのためには、自分が一番大事にしているものは何か、何が一番気持ちいいのか、どうしたらほっとするのかといったような、自分を見詰め直すような作業も必要ですし、何よりも自分の
価値基準、自分の価値というのを見つけなければならないわけであります。
日本人というのは、そういう作業が非常に、ひょっとしたら弱いのかもしれません。シラク大統領は、大統領選挙が終わって最初のコメントは、フランス人はフランス人の
価値基準に基づいてフランスの価値を守ったというふうなコメントもありましたし、トルシエ監督は二十三人を選ぶときに
価値基準という言葉も使いました。そういった、日常会話の中に出てくる国民もいるわけでありますけれ
ども、しかも欧米では、自分のキャリアプランというのを子供のときから考え抜いているということもございます。
日本人が、一体自分は何かということを問い続けるということについては、国民運動あるいは無理やりというか、強制的にやらせるという作業が必要なのかなというふうに思います。しかも、現在の社会的
状況は国民的な誤謬があって、小泉構造改革の次にどんな人生が待っているのか、どんな生活が待っているのか、
政府が上から明らかにしろというような社会的な風潮がございます。
そうではなくて、一人一人の幸せ、一人一人の人生とは何かということを
皆さんに考えていただいて、その集合体としての
国家の価値、
国家のビジョンというのがあり得べしというふうに思っておりまして、まさに選挙からちょうど二年たっているわけですけれ
ども、二年前の選挙でもそういうふうに訴えて、それだけで当選したわけです。
ちょうど、戦後
日本人の平均寿命は五十歳、女性が五十三歳ということでございました。が、今はもう八十歳、九十歳となっている。その持ち時間が十分たっぷりあるのにもかかわらず、時間軸で閉塞感があるわけです。十五歳や十二歳の偏差値で人生が決まってしまう、勉強はもう十代で終わってしまう、二十二歳までで終わってしまう、そこから
企業に就職して定年を迎えなければならないというような、決められたような人生が今の
日本人の強制された人生ですけれ
ども、いつ勉強してもいいじゃないか、いつ働いても、いつ休んでも、介護したって、再び勉強したって、自分が好きなときに好きなことをやれるような人生を保障するような社会こそ今大事なんじゃないかということで、一人一人の人生こそ
国家のビジョンではないかというようなことを思っておりまして、そういうことを国民的な運動にしなければならないというふうに思っておりまして、勝手にしゃべらせていただきましたけれ
ども、
大臣といたしましては、若者との勉強会も何回かやられているというふうに伺っておりますし、グランドデザインということを最初から指導されておられまして、この二十一世紀あるいは二十二世紀まで見据えたような
我が国国民のライフスタイルをどのように見込まれているのか、その検討の方策、そして中身について御
紹介をいただければありがたいと思います。よろしくお願いします。