○古賀(一)
委員 日本のこれまでの農耕文化といいますか、あるいは
都市化の進展からいったら、今私が提案したような沿道規制というか、新しい
道路を中心とした立地規制というのはとんでもない、大変な問題だと思われるかもしれませんが、素直に外国を見たときに、それを当たり前のようにやっているということ。
それで、もう
一つは、物すごく重要なことは、今、
国家財政が、
地方財政と合わせまして長期債務が七百兆弱。恐らくどんどん膨らんでいくでしょう。それで、
道路が要るとか下水道は高過ぎるとか、いろいろな
論議が出ていますよ。もっと出てくるでしょう。それはそれでもちろん議論をしなきゃならぬわけですけれども、私は、長期債務があるから
道路は要らぬとかいう、直結する議論にはならないと思うんですよ。
ただ、よくよく見てみると、この東京
一つ見ても、僕が学生のころから見たら、例えば、あのころは八王子はまだ小さい町だったし、相模原もあんなでかい町じゃなかった。私は、静岡に赴任したことがありますけれども、新幹線で通ると、十五年前、二十年前はきれいな田園風景だったのに、何か住宅とか工場とかがあって、こんなに変わったかと思うぐらい変わってきているんですね。
私は、ここで問題提起をしたいのは、結局、自由な、計画なきとは言いません、計画が弱いというか、あるいは農村と
都市との
調整がまだきちんと図られないままの、何か妥協の産物と言ってもいいですかね、中途半端なそういう
都市計画のあり方というものがある程度自由な立地を許してきた。沿道もそうです、田んぼもそうです。それが結果として今後どうなるかといえば、これから高齢化社会ですよ、多摩ニュータウンの小学校がなくなったように。今はいいけれども、あと十年後、二十年後、三十年後を
考えたときに、あの広大に広がった町に、もちろん福祉施設も要る、
道路の
管理も要る、まだまだ
都市計画街路が、新しくできた相模原だって八王子だって追いつかないところはもう恐らく山ほどあるわけでしょう、あると思うんですよ。新橋のマッカーサー
道路なんかも、五十何年たったって全然できていないわけですから。こんなことが将来の財政負担として、もう膨大なものが私は出てくると思うんですよ。
道路整備はまだできていない、だから下水道もできていない、でき上がったものは
維持管理しなきゃならぬ、でも、うちの町は高齢化比率がもう二八%になった、福祉施設も要るとかいう。
私は、今言ったような沿道を中心とした
都市の外延化というか、つまり、中の空洞化、そういうものが膨大なる公共事業投資あるいは
維持管理コスト、そういうものを生み出してきたと思うんですよ。それが、私は、ある面じゃ、この七百兆の長期債務の相当部分を占めるんじゃないかと思うんですよ。要る
道路は要る、要る下水道はつくるべきです。しかし、歯どめなくそういう需要が
発生してくるようなその構造の中に、実は、財政問題、
都市の問題、環境問題すべてが生み出されてきているんじゃないかという気がするんです。
一つの提案でありますけれども、中央
省庁統合になって、
総合調整を政治のリーダーシップでやっていこうという時代になってきたわけですから、まさにこの点にこそ、農林水産省、
都市・
地域整備局あるいは
道路局一体となって、やはりあるべき姿を
総合調整してデザインしようという
論議を始めるべき時代だと私は思っております。時間はかかると思いますが、ひとつこの点、これはもう時間がございませんので、私から一方的に
指摘をさせていただいて、次の問題に移らせていただきたいと思います。
この前、四月の十七日、暫定平行滑走路供用開始ということで、供用開始前日に、
大臣、
委員長ともども、私も同行させていただきましたけれども、あそこで私は
大臣のあいさつを聞きまして、政治家としての
一つの、何といいますか、問題意識というものをかいま見たような気がするのです。新空港公団総裁も、やはり成田開港に当たっての過去を振り返る一言があっても私はよかったなと思うんですが、それはなかったように思うので、ちょっと残念でありますけれども。
開港後何と二十四年。開港後ですよ。開港前のあの問題も大変な問題でした。開港後滑走路一本で頑張ってきた新東京国際空港が、こうして二本目の滑走路になりました。これについて
大臣、あのあいさつで、万感胸にあったと思うのですが、改めまして過去を振り返っての反省といいますか、私はあってしかるべき、
大臣のせいではないのですが、思うところがあるのではないかと思うので、その所見を改めてここでお聞きしたいと思うのです。