○森功君 私は、第一線の
医療機関でございます
医療法人医真会の
理事長並びに
医療福祉グループを主宰しておるものでございますし、同時に、
医療事故調査会というのを一九九五年に会員とともにつくりまして、その代表世話人を務めております。
私どもが
医療を展開しております八尾・中河内地域というのは、大阪府の中部、東南部にございます。ちょうど
奈良県との間でございますが、まさに典型的な大都市近郊であります。この八尾市二十八万の人口プラスアルファ合わせまして約五十万の大都市近郊を対象にした
医療福祉を展開しております。
八尾市におきましては、十三病院ございます中で、三百床以上の総合病院が三つございます。市民病院が一つと、私どもと、あともう一つ民間の
医療法人の病院であります。
医療法人立病院はわずかに四%から五%の利益率でもって何とか維持しておりますが、市民病院はもう十億近い赤字を毎年出しております。にもかかわらず、この病院が今二百八十億の起債でもって、さらに大きな赤字を期待しながら改築中であります、これもまた一種のアイロニーではありますけれども。そういう中で
医療を展開しておりまして、今回の
医療保険制度改革に対して大変大きな危惧を抱いております。
まず、私どもは、
医療を提供する側といたしまして、いい
医療、良質の
医療を提供するということは、その裏にあります事故あるいはトラブルというものに対して直視し、その実態からさらに
医療の質を高めることを学ぼうという姿勢でもって日常の
医療を展開しております。
私どもは今考えますに、病院そのものが、つまり他の
医療職も含めた病院でいろいろと発生する事故、それから主として医師が行う
医療事故・過誤というものの二種類に分けて検討しておりますが、いずれにしましても、現在の日本の
医療というのは、事故の海の中で
医療が行われておるということが数値的にはっきり出ておると思っております。
御承知のとおり、ことしになって発表されました八十二の特定
医療機関、これは大学の病院でございますが、プラス国立の
医療センターから、未遂事故が十八万件、それから事故が一万五百件、あるいは深刻なる事故が三百八十件強という
報告がされております。
私ども
医療法人医真会グループの五百五十床の病床と七百人の職員が行っております
医療福祉作業の中で、二〇〇〇年におきましては千百八十件、二〇〇一年においては八百三十件の事故
報告書が出ております。その中で、二〇〇〇年には約六十件、あるいは二〇〇一年には約三十件の深刻なる事故を起こしております。
このような実態の中で、なおかつ医師が起こす
医療事故に関しましては
医療事故調査会において毎年シンポジウムを開いてその実態を明らかにしておりますが、今週末に行いますシンポジウムにおきまして五百三十九件の鑑定終了例に関して分析いたしましたところ、やはり従前から主張しておりますように、七五%においては医学的に過誤であるという判定がされております。しかも、その六二%は死亡例であります。なおかつ、この原因の最たるものが医師の能力不足であります。それに加えて、インフォームド・コンセントの欠如、あるいは
看護職も含めたチーム
医療の欠如、こういうものが過誤原因の主たるものを占めておるわけであります。
こういう実態を目の前にいたしますと、
医療事故というものがたまさか起こっておるものではなくて、我々の
医療は実は事故の海の中で行われておるという認識に立つ方がより謙虚ではないか、こういうふうに思っております。
一方、目を米国に向けてみますと、一九九五年から昨年の十二月までの約六年間に千五百三件というケースがJCAHO、
医療施設合同
評価委員会の方に
報告されております。ここ数年、各州におきまして、センティネルイベントと呼んでおりますが、あるレベル以上の障害あるいは死亡例を伴った
医療事故に関しましては
報告がほとんど義務化されております。それによって、猛烈な勢いで、かなり激しい右肩上がりで
報告がふえておりまして、現在は千五百三件に至っております。この中には
患者の手術の部位の取り違えとか、あるいは子供の誘拐ですとか、もちろん転倒、転落とか自殺等の、いわゆるセンティネルイベントでございますからほとんど死亡に近い障害を残しておるわけでありますが、そういった事故が米国においても多発しておる。
米国というのは、御承知のとおり、
医療経済の面では四千万の無
保険者を抱えるようないびつな国でありますけれども、提供側の品質保証としてはかなりのレベルを保っておる国であります。においても、なおかつこのような
医療事故が起こっておるということは、我々は、少なくとも今本気で、この日本においても
医療事故・過誤に対して徹底的にシステムとして取り組まなければ防げないという気でおります。
翻って、今回の
医療保険制度改革の中で、この事故
対策というのは、実は私が、コスメティックコンプライアンス、やっているふりだけというふうに呼んでおる施策でしかありません。それは減算対象であります。格好だけつけておれば一応保険の点数は払いましょう、こういうレベルであります。こういった対応をされる限りにおいては、
医療事故は、少なくともやっているふりだけしておればいいんだということで、航空業界で言う決してとってはならない態度ということになるわけでありますから、大変危険であります。
総論といたしまして、今回の
医療制度改革におきましては、少なくとも日本の
医療費というのは、戦後五十年対GDP比は七%台という、現在でも英国と並んで文明国で最も低いレベルであります。これは明らかに公的
負担が少ないということであります。
二木さんらによりますと、
国民負担率、すなわち、税金とそれから
社会保障費、
年金と保険でありますが、こういうものを足した
負担率は、日本は三六・五%であります。米国は三六・二%か三%。米国よりも日本の方が多い。もちろんスウェーデン等の北欧と比べますと、それは半分ぐらいでございますが。しかし、それを国家として、例えば四〇%にするなり五〇%にするというコンセンサスを、少なくとも今までの政治の現場においてはそういうのをつくられたことはないわけであります。
したがって、現在の三六・五%というのは
国民負担率としてはもう十二分に
負担しておるというふうに考えていいとすれば、少なくともあとは公的
負担にゆだねる以外ないわけでありますから、それの財源等につきましてはやはり国家としてお考えいただきたいし、その一端を使う方法として、
医療の品質保証とそれから事故管理というものについてどれだけのものが出せるかということであります。
現実に行われることは
受診抑制でございまして、
受診抑制は一見、
医療にかからないわけですから、
医療事故に遭うチャンスも少なくなるんじゃないかと思われるかもしれませんが、私ども第一線でやっております限りにおいては、
受診抑制はそれほど強くかかりません。すなわち、
患者側にとりましては、葬儀と病気に関しては比較的支出を拒まないという認識が地方にもございます。病気になったときぐらい個室に入れてやれよとか、あるいは、病気になって手術するときには多少お金を払ってもいい先生に手術をしてもらえという認識は今でもあるわけであります。
したがって、そういうふうな認識からいたしますと、少なくともこの低
医療費を自己
負担でもってふやすということはもう限界でありますから、何らかの手当てを基本的に考える必要があります。しかし、そういった検討は今までなされたことはないわけであります。この間、
厚生労働省がやってこられたことは、一貫して
医療費の自然増を抑える、そのことをもう大目的としてやっておられるわけでありますから、その延長には今回のような部分
改正、部分改悪と呼んでもいいかもしれませんが、そういう
改革案が出ておるわけであります。
特定療養費の
拡大ということがこれほどなし崩し的に、また何の了解も得ずに解釈を変えて、老人保健の五万円程度の一五%をとにかく払いなさいとかいった形で出されるというようなことは、これはとんでもないことでありますけれども、それに対する批判もそれほど強く起こってこない。
特定療養費というのが選定
医療と高度先進
医療に対して使われ出したものでありますから、そういったものに限局しておいていただければいいんですが、実際はこのように
国民がなし崩し的に
負担し、特に老人に対して、三カ月以上の入院に対しては一五%以上を
負担するといったことがもう行われているわけであります。これは実は、二百床以上の病院に関しては、外来診療の
紹介状がなければ初診でも取ってまいりましたけれども、今回は再診に対しても取ってよろしいといった、ますますなし崩し的に
拡大されておる。
こういうことが自己
負担の実は隠れた部分の増加として出てくるわけでありますから、来年の四月からの三割
負担プラスアルファ、こういうのがふえると考えますと、
国民の自己
負担率というものはさらにふえるわけであります。
一方において私どもの提供体制の方は、教育、研修、それから信任、これは免許更新等でありますが、こういったことに対しては一切やられていません。
今回、義務研修を二年間やるというふうに決めておられますけれども、その
内容たるや大変寂しいものであります。研修指定病院の資格はどんどん下げられておりますから、要するにどういった研修ができるかということになりますと、私どもインターン
制度を経験した者といたしましては、実態としての研修は、本来の世界的に行われておる基礎的な研修
内容と比べましても大変ずさんなものにならざるを得ないのじゃないかという危惧をいたしております。そういった提供側の教育ということが卒後研修ということにまで及んで、大変レベルが低い。
現在、私ども
医療事故調査会の方で鑑定いたしますケースの中に、カルテが書けない、診察ができない、心音が聴取できない、鑑別診断という一つの
患者に対して幾つかの疾患をとりあえず思い浮かべるという作業すらできない、こういった
医療が現在救急
医療においても行われているわけですから、そういった
医療者の、提供側の品質を即座に何か
改善する
方策を講じなければ、使う方の使い方を幾ら言っても、実際使う人たちがそのレベルであるならば、大変レベルの低いことになるわけであります。
そういう点で、私は、教育、研修、信任というものは、実は
保険制度改革の根幹になるわけでありまして、そこをさわることが
抜本改革であると思っておりますから、そういう意味では、日本における
抜本改革は今まで一度もなされたことがないし、検討もされておらぬのじゃないかという気がいたしております。でき得るならば、今後は、そういうところにまで思いをいたして、各政党でもって検討していただきたいというのが希望であります。
最後に、加藤先生もおっしゃいましたけれども、私どもは、
医療事故を防ぐためには、今の
医療裁判というものがいかに悲惨なものであるかということと、また、それによって使われるお金というものが大変むだであります。
私は、司法者でございませんけれども、現在欧米において二十五年を経過して、そのあげく学んだことというのは、裁判外処理法でもって処理しようということであります。
この裁判外処理でもってどうするかということにつきましては、この週末の我々のシンポジウムでも提起いたしますけれども、少なくとも
医療事故に関する鑑定、つまりその
評価であります。それと、それに対してかかわった人間の審判。それから、被害者の
患者の救済。
この三つをセットにいたしましたことを今日本でもしも考えられるとすれば、欧米が三十年近くかかって到達した道を一挙に我々はそこへ到達することになるわけでありますから、ぜひそういったことも
保険制度の中である程度の財源的なものを保障しながらやっていただければということを追加で要望いたしたいと思います。
御清聴ありがとうございました。