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北川参考人 どうも、
皆さんこんにちは。今、
委員長さんから御紹介いただきました
三重県知事の
北川正恭でございます。
きょうは、何か、
地方自治といいますか、
地方分権について思っていることを自由に
お話をという御要請をいただきましたので、心配になって、
事務局の方にどういう内容を
お話しすればいいかお聞きしたら、好き勝手にしゃべれ、こんな程度のことでございましたので、思いつくままに考えていることを申し上げて、御指導いただければと思います。
発言の機会をお設けいただきました
皆さん方に感謝を申し上げたいと思います。
それで、私としては、どんな
考え方で
地方自治といいますか、
知事職を務めているかということについて少し
お話を申し上げたいと思います。
小泉内閣の
骨太方針の最後の方に少し書かれておりましたが、
ニューパブリックマネジメント、
パブリックセクターも
マネジメントしていこうということを書かれておりまして、非常にいいことだと思います。実は、私も
知事になりましてもう七年経過いたしましたが、七年ほど前から
ニューパブリックマネジメントでいこうというのが基本的な
考え方でございますので、従来の
管理型の
行政システムと
ニューパブリックマネジメントの
考え方の違いということから
お話を申し上げたいと思います。
そこで、今、私
どもが心がけている
行政の
あり方というものは、
顧客志向ということが第一でございます。
従来でございますと、
供給者側の
論理に立った
行政、こういうことになっていたと思います。
県庁を取り巻く
団体も三千とか五千とか言われますが、そういった
団体の
皆さんと話し合いをして、その
人たちが
県民だという
ようなことでエクスキューズをして
行政をされてきたのでありますが、本当は、そうではなしに、税を納めていただく
皆さん方のお
立場に立たないと
民主主義は語れなくなってきているということを考えておりまして、
供給者側の
論理とか、あるいは税をどうやって使おうという人々の
立場に立った
行政から、
サービスの受け手に立った
行政、タックスペイヤーの
立場に立って
行政を進めていこうということで、私が
知事になって、
県政の
最大の
コンセプトは、
生活者起点ということです。
これは
納税者の
立場に立った
行政という
意味ですが、税を納めていただく方は、お年を召した方とかお子さんとかは税は納めていただいていませんが、しかし、こう生き
ようというはっきりとした
意思を持たれた方を総称して
生活者という
言葉を使わせていただき、当初、
生活者重視とか
優先という
言葉を使ってやっておりましたが、何か、こちらが
優先してあげるよとか、重視してあげるよという
感じはどうも
言葉的に限界があるなという
感じで、
主権在民ということからいけば、
生活者起点というのが今たどり着いた一番いい
言葉かなというので、私の
キーコンセプトは
生活者起点ということになっております。
経済の、
エコノミーの
世界でも、
顧客満足ということをよく言います。物が不足している
時代は、
供給側の方が圧倒的に強くなるのは当然のことで、
生産の方の
立場が強くなる。
生産を強くすることによって
物不足を補うということでございました。規模を大きくするとか、ロットを大きくして、安くしてという
経済が行き詰まってしまったのは、物が充足してきたからだと思います。
したがって、どんなにいい
商品をつくっても、
顧客が
満足しない、買ってくれない
商品は全然
意味がないということで、
エコノミーの
世界も
顧客満足ということになるわけでございますが、
行政も、物がこれほど充足をいたしてまいりますと、
県民の
満足、いわゆる
生活者起点ということがとても重要だというふうに思っております。
さらに、
情報は今まで非
開示でございましたが、私
どもは、
情報開示が圧倒的に前提になるわけでございます。
三重県では、
情報公開という
言葉から、さらに、
政策を決めていく、
意思を決めていく
過程とか、
予算編成過程も全部出そうということで、言われて出すというイメージの
情報公開から、積極的に
意思形成過程を出そうというので、
情報提供という
言葉を使っております。
さらに、
情報提供から
情報共有まで今進めておりまして、
一般用語として
情報公開という
言葉を使いますが、
情報公開は、
行政とか
政治にとって、今まで隠してきたことをばらすわけですからとてもつらいことであることは事実ですが、一たん言ってしまえば実はすごく楽になるわけでございます。
協調者になるわけですから当然のことだと思いますが。
情報公開は、実は、一番つらくなるのは
住民の方でございまして、私
どもにとっては、
県民の方の
自己責任をはっきり問いますよ、こういうことを申し上げるために
情報を提供しているということになるわけで、お任せ
民主主義とか
観客民主主義ということで、
住民の方はスタンドにいて、風が吹こうが雨が降ろうがそんなことお構いなしに、エラーをしたら責めるというだけで何で
民主主義が定着しますかと。
したがって、
三重県政が悪いのは
知事のせいにするということは天につばする行為になりますよ、
県民の
レベルがその
県政の
レベルを決めるんだということを明確に申し上げていかないと、デモクラシーは成熟していかないというふうに実は思っているところでございまして、
情報公開がキーワードになるわけでございます。
それで、
情報公開なんかでも、
リスクマネジメントなんかを見ていても、国は少しおくれているなと正直思います。仕方なしに、
情報公開できる点だけを出してしまっているから、最近次々と起こってきて、一体何のための
リスクマネジメントをしているんだという思いを強く持っております。
リスクを
マネジメントするという
危機管理は、実は省なりその
組織を守ることが
危機管理と思っていらっしゃるのではないかとさえ思えるほどで、心配しています。
私
どもも、当然、
危機管理というのは重要な要素で、失敗ばっかりしておりますが、やはり
県民の
皆さんの
リスクを
マネジメントすることが
リスクマネジメントであって、その結果、私
どもはどう対応をしたらいいかということで初めて
職員が守られるというふうに思うところでございます。
したがって、
情報公開というのは、それほどのすごい
意味合いを持ってきて、
民主主義のあり
ようとか
行政のあり
ようをすっかり変えてしまうほどのことではないかというふうに
感じているところでございます。
そこで、
情報公開はさまざまな
手法があると思います。ITを使うこともそうでありましょうし、
予算の
編成過程をお示しするのも
一つの
手法だと思いますが、実は、最もいい
手法は
分権をすることだと思います。
主権者たる
住民の
皆さん方が、
一般の御商売と違って
先銭を納めていただくわけでございます。税金という形で
先銭を納める、こういうことになったときに、その税の使われ方が、
先銭を納められた
住民の方に明確にわかることが一番の
情報公開になると思うわけですね。
ところが、
ヒエラルキーが余り続きますと、
官優先の、
官尊民卑なる
言葉があるとおり、
先銭を無条件で納めた人に、要望に来いとか、陳情に来いとか、
自分たちが勤める八時半から五時までのウイークデーに来いとか、こういうことが当然の
ように思われていることが、全く本末転倒しているんだということを私は思うわけでございます。
そういった税がどう使われるかということが、一
たん国に吸い上げられて、また配分されて
地方へ戻ってくる
過程で非常にわかりにくくなっている。したがって、
分権をして、税の使われ方も、この
消費税の一%はあなたの
老後のためにとか、あるいはこの一%は道路の
公共事業のためにとはっきりわかれば、
自分の
老後は不安だから、三%、四%に
消費税を上げてほしいという話も出てくるだろうという考えを私は持っております。
したがって、
情報公開の
大前提は、
中央集権から
分権へと行く流れはぜひ御理解をいただいて、お進めいただいておりますが、一層拍車をかけてお進めいただけたらな、その
ように思っております。
次に、
顧客志向の次には
生活志向というふうに言われますが、従来の
行政は
管理をし
ようというのが非常に強かったと思います。したがって、
法令、
規則による
管理ということで、ねばならないという、どちらかというと
ブレーキ役の
管理が多かったのかな、そういう
感じがします。
法令、
規則によりますと、当然、
行政の
あり方は
前例踏襲ということになりますから、ほとんど感動、感激がなくなってしまって、これはいけませんということで、どうなるのかなというふうに思います。
したがって、
ニューパブリックマネジメントの方では、
目標設定をして、そして
業績評価による
マネジメントサイクル、いわゆるプラン・ドゥー・シーという
ような
チェックアクションでもよろしいですが、そういったことによって
成果を出していこうということで、
管理から
経営へ、アドミニストレーションから
マネジメントへ、そういう
感じを強く持って、
最小の
費用で
最大の効果を出していこう、こういう
努力をしておるところでございます。
そうしますと、従来は、さまざまな
法令、
規則に従ってやらなければいけないという
ようなことから、どうも
行政は
予算主義といいますか、私
どもも、一億円の
予算をお国に要望するときには、十回も二十回も通って一生懸命涙ぐましい
努力をするわけですね。一億円はいただけた、それで
事業はできた。その結果、
決算委員会は二年おくれで、いつ行われたかわからない
ようなことになっていたということは間違っているのではないか。
したがって、私は、一億円の
予算を使ったときに、どれだけ
県民の
満足度に資することができたかという
決算主義に切りかえていかなければいけないんだというふうに思っているところでございます。それが
成果主義になるわけです。
予算主義になりますと、全くばかげた、使い切り
予算だということで、これは
守秘義務といいますか、
情報非
開示の
時代の名残でありますが、国のメンツも、一たんつけた
予算は使い切ってもらわなければ
国会がうるさいとか、全く
内々の
ようなことで情けない状態が続いているということは本当に
反省してもらわないと、
世間の常識が非常識になっているということを思うわけでございます。
私
どもも、次、
予算削られるということで恐れていますから、そういう我々自身も大いに
反省をしなければいけませんけれ
ども、
予算主義から
決算主義へということで、
三重県では、県の
単独事業だけになっていますが、使い残し
予算というのをやってみました。そうすると、やはりやれるものでございますので、ぜひその点は、
国会の
先生方、よろしく
お願いを申し上げておきたいと思います。
予算主義になりますと、
予算をつくり
事業をつくるときは、みんないろいろ勝手な
自分たちに都合のいい指標を集めてきて、そして
予算を組む。ほとんどそれがうまくいかなくて七百兆円の
借金になっておるわけでございますから、ここは本当に、私
どもも当然同罪でございますから、真剣に考えないと、
政治、
行政が
県民の
皆さんから信頼されないということは明確だと思っておるところでございますので、ぜひ
決算主義にということで今後
努力をしていきたいと考えているところでございます。
そうしますと、
憲法だから仕方ない点はあるんですけれ
ども、
現金主義会計、私
どもでいうと、
県民の代表の県議会の
皆さんに毎年
お金の動きをお示ししなければいけないということでございますが、
現金主義にもかかわらず、私
どもは起債を起こして
借金をしているわけでございますから、当然その
会計主義は無理があるわけでございます。本当言うと
発生主義会計ということで、
財務諸表つきでなければ、民間の
経営者の方から、いまだに大福帳かということで、おくれているなという批判を受けざるを得ないと思います。
したがって、私
どもも、バーチャルでございますが、
発生主義会計というのを取り入れているところでございます。
そうすると、どう変わってきたかといいますと、役人の
世界では、フローだけで、
資産勘定がほとんどなかったと思うのですね。例えば坪五千万円の土地も、どう使うかという
ようなこと、
資産を
活用するというのはほとんどなかったと思います。
都道府県会館に私
どもも
三重県の
東京事務所を持っておりますが、あれもほとんど勝手に決められて一・八倍の面積になって、高い家賃を取られて、こんなばかげた話、どこにあるということになるわけでございます。あそこを本当に
ファシリティーを
マネジメントしていこうというので、パーティションをとって、そして
会議室を五十二平米から九十三平米に広げたんですが、例えばそれを
発生主義会計でいくと、
資産価値が年間二百六十万ほど上がったということに
思考回路が変わってきまして、それで
三重県庁の中の
ファシリティーが本当にどんどんと変わってきました。
したがって、従来型は
現金主義会計でございますが、
世間がだれも相手にしない
ようなことをいつまでもやっておっていいのかねということで、
発生主義会計は当然のことになってくるだろう、そう考えているところでございます。
次に、
市場メカニズムの
活用というので、今までは非
活用が
原則ではなかったかと思います。公の
仕事は官がやらなければいけないという
思い込みで、本当に非
効率であろうが官がやってきた。
競争がありませんから、どんどん非
効率はきわまっていくということだと思いますが、
ニューパブリックマネジメントでは、
民営化、
エージェンシー化、
外部委託化や
内部市場システムなどの
活用をして、公の
仕事であっても、官がやって
効率がよければ官がやればいいし、民がやって
効率がよければ民がやるべきだろう、その
ように考えて、取り入れているところでございます。
次に、
権限移譲、
分権化ということですが、従来は
集権官治と申し上げていいと思います。
中央集権で
官僚が治める
集権官治。これを私
どもは、
分権自治ということでやらせていただいております。
実は、
集権官治になりますと、どうしても国が
ヘッドクオーターになって、国でお考えいただいてお決めいただいたことを私
どもが追認してまねをしてということになりますから、全国一律にならざるを得ないと思います。したがって、
分権自治になってきますと、
北海道では
北海道の知恵が出てきて、そして
北海道のよさが出て、そして、その結果よかれば、国が追認をしていただいてサポートしていただくということが、実は
モザイク国家になって、私は、
発展性がより高くなるんではないか、その
ように思っているところです。
もちろん、長い間そういう
システムが続いてまいりましたから、国の
制度とか法律とか、あるいは通達なんかに依存する
地方自治体の体質も本当に改めなければいけないと思っておりまして、
政策法務とか、あるいはさまざまな
政策立案を私
どもも思い切ってやっていかなければいけないということは
大前提でございますが、その
ように
分権自治ということに力を入れているところでございます。
次に、単一の職務に特化した
縦割りの
分業システム、明確な
ヒエラルキーシステムというのが従来の
管理型の
行政であったと思いますが、NPM、
ニューパブリックマネジメントでは、
フラット化、ネットワーク化した柔軟な
組織運営、
業績評価の単位である
組織との契約による
マネジメントということになろうかと思います。
縦割りの弊害はきわまっていると思います。
私もいろいろなところで申し上げてきたんですが、
いじめの問題を
教育長にお聞きをすると、まじめな
教育長で力のある人ですから、この
ように
いじめの問題はいたしております、カウンセラーはこの
ようにやっておりまして、従来よりも充実しています。ところで、
児童相談所とか
児童小児科の
先生とはどうなっていますかとお聞きしますと、あれは
健康福祉部の
仕事ですという返事でございます。
健康福祉部の
部長に私が尋ねて、
いじめの問題はどうなっていますかと言うと、
児童相談所の方は、
保護者の方が自由にこそっと来られる
ように夜の八時まで延長して対応しています、この
ようにやっていますというまじめなお答えです。
いじめの起こっているあの学校のことはどうなっていますかと言うと、あれは
教育委員会の
仕事ですという
お話がきわまり過ぎていると思います。
すなわち、優秀な
教育長、優秀な
健康福祉部長が、実は
いじめの問題をほとんど全くと言っていいほどしていなかった。
自分たちが勝手に決めた壁、
教育委員会という壁の中で、単に
自分たちがしてあげているという範囲で
仕事をしているだけであって、
公安委員会も、食の方からいえば
農林水産の
仕事の方も、
地域の問題からいえば
地域振興の
仕事も、全部含めて
いじめの問題はやらなければいけないのに、それは他
人事で、私は知らないという
ようなことが許されてきたこの
官僚体制というものは批判されて当然だと思っております。
そのあたりを本当に私
どもは
総合行政でやっていかないと、ほとんどの問題は解決しないと思っておりまして、国の
縦割りによってどれほど我々が難儀し、どれほどばかげた労力を使っているかということを御理解いただけたら本当にありがたいと思います。
それにならされた我々は、もう一回言っておきますが、我々も
反省をし、本当に
総合行政ができる体力をつけていかなければいけないと思っておるところでございます。
そこで、ささやかなことですけれ
ども、
フラット化等々をしまして、私
どもは
課長制度をなくしました。次長、
課長とか
課長補佐、係長ですか、こういうものは全部なくしました。それで権限委譲いたしまして、迅速に事に対応できる
ようにしたところでございます。
したがって、今まではややもすると、年度というのがあって、四月に
定期異動というんですか、これをしたら、何か慣行があって、一年間
人事が動かせないとかいう全くばかげた話があったので、本当にそうですかという話をして、必要なときに、忙しくなれば異動するのは当たり前じゃないですかというので
マネジャー制度にしたわけですが、どうしても課とかいうのがありますと、
課長の
仕事は、パーキンソンの
原則ではありませんが、定数をふやすことと
予算をふやすことが
課長の
仕事と錯覚して、そして、全く
県民を忘れてやっている
ようなばかげたことは本当になくさないかぬと思うわけでございます。
したがって、私が
課長制度をなくしたら、随分
県庁の
職員にも怒られました。
課長を目指して頑張ってきたのに、士気にかかわるではないか、来年、娘の結婚式に、
課長の
ポストがなければ困るではないかと言われました。私
たちは
現実の
行政の
責任者でありますから、理想ばかり語っているわけにはいきません。
現実を直視したときに、とても重要なことだと思います、そのことも。
しかし、
県民の
生活者起点というサイドに立てば、どなたが
課長であろうがなかろうが、
ポストは関係なく、いかに
最小の
費用で
最大の
サービスが提供できるかということが問題であって、まさに
内々の
議論で、
自分たちが働きにくいからとか、
自分たちのことがということが、
一つの
体制が長く続きますとそういう錯覚が起こってしまっているんですね。
思い込んでいるという、このことを打破しない限り、なかなか
官尊民卑は取れていかない。取れていかなければ
行政はばかにされるわけですから、だんだんといい人は寄ってこなくなるということを、我々世代は、次になる
人たちが希望を持って来れる
ような
体制を何としても今残しておかないといけないのではないかということを本当に考えて、やらせていただかなければいけないと考えているところでございます。
次に、ビジョンとか戦略に基づいて
県政運営をしていかなければいけないというのが
ニューパブリックマネジメントでございますが、今までは、こんなことだという
思い込みで、
前例踏襲をしながらやってこられたことが余りにも多過ぎたのではないかというふうに考えるところでございます。
したがって、私は、最近、
シャープ株式会社に上限九十億円の
補助金をつけて、
三重県に来てくださいということで決めました。これは、十五年間分割ですが、パブリックな
お金をプライベートな
企業に渡そうということは
議論のあるところだと思います。そこで、もし、それはさまざまな問題でだめだと言われるなら、法廷に出ることも辞さないと思って決断をしたところでございます。
今までは
情報非
開示でございましたから、そういったことをすると、何か癒着という
ようなことになったと思いますが、私は、
情報開示は積極的な
意味合いで使うべきだと思っております。私は、九十億円出しますよ、しかし、そのことによって四千億の売り上げが出て、そして税収はこれほどになって、雇用はこれぐらい確保できますよという
ようなことがアカウンタビリティーを果たすことになると思っておりますし、もっと申し上げますと、私は国の方にも
お願いをしたいと思いますが、
中国や東南アジアへどんどん、安いからというので海外へ出ていくことが当たり前の社会をつくっておくことが一体いいことかどうかということを思うわけでございます。
本当に
日本はそれほど力がなえた国になったか。今までのテクノロジーの
蓄積とかノウハウの
蓄積、それを本当に
集積をして真剣にやれば、
中国へ行くよりは国内に残ろうという
企業が出てくるのではないか、私はそう思っておるところで、本当にすばらしいエクセレントなゾーンをつくることができれば、きっと
液晶なんかは
集積が
集積を呼んで
日本に残ってもらえるだろう。
シャープさんも断固残るという、そういうお気持ちはとうといと思います。
したがって、
シャープさんに限らず、
液晶のいろいろなメーカーさんがございますが、そういった方が寄っていただける
ようにということで、私としては
補助金を、大変なことでございますけれ
ども、九十億、上限でありますが、辞さずということにしました。そして、それによって本当に
地域が主体的につくっていけるとするならば、まさに
地方分権の
時代ではないかと思うわけでございます。
今まで、いい世の中といいますか、右肩上がりでどんどんと
経済はパイが大きくなって、開発志向型でよかったわけでございます。しかし、それがままならずということになったときに、本当に
地域の雇用はどうするか、本当に
地域の税収、財源はどうするか、こう考えたときに、従来は国がお決めいただいていたわけですが、私
どもが決断した方が速かったら、私
どもは先に決断しましょう、よければ、国もどうぞサポートしてくださいねということになるんだと思います。その九十億出したことがどうしてもだめなら、選挙に決まっておるわけでございますから、選挙で信を問うということになる。
何か事なかれ主義で、うまくやっておけよという
ようなことの連続で今まで
日本が来て、そこを打破するという
ような馬力、情熱が中央官庁の方にも少なかった。いわゆる利害調整の
ようなことが多過ぎた、私はそう思っておりますし、
地方自治体はもっとそういう
意味ではだめだったと思います。
したがって、何とかそういうメッセージをお伝えしたいということで、
液晶産業
集積のために九十億を上限として出して、だからこそ真剣に一遍頑張って、いいゾーンをつくっていきたい、そう思っているところでございます。ビジョン、戦略に基づいて私
どもはやります、それがだめなら選挙でどうぞ上げてください、落としてくださいということにしていかないと、無難に無難にということだけでは新しい
時代は切り開いていけないだろう、その
ように考えているところでございます。
そこで、二年ほど前に
地方分権一括法案が通りました。私
どもにとってはすごく大きな法案でございました。これはどんどんと社会を変えていると思います。私も、きょうここで失礼な
お話を申し上げておりますが、ここまで言い切れることは、実は
地方分権一括法のなせるわざだと思っておるところでございまして、従来は、理不尽なことでも、
予算とか
補助金がありますし、いろいろな点でお世話になっているからというので、本当に国の都合のいい
ように文章を書かされて、そして
補助金をもらうために本当に悲惨な状態であったということを御理解いただきたいと思うんですね。
しかし、
分権一括法で、
原則的にいわゆる機関委任事務等々が廃止になりました。そして
情報公開と相まって、説明責任、アカウンタビリティーは国に果たすのではなく、本来の
主権者である
県民の
皆さんに説明をしなければ
知事がもたないわけです。だから、国の
皆さんにも、本当に筋が違えば物ははっきりこれからはどんどん言っていきますから、どうぞそのつもりでおっていただきたいということを申し上げたいところでございますし、国が正しければ私
どもは当然従います。
だから、従来の上下主従ということから、対等・対立じゃなしに対等・協力という形に本当にしていかないとこの国がおかしくなる、そして
地域社会もおかしくなる。
地域社会がおかしくなれば、当然国は活力を失うということになるんじゃないでしょうかということを申し上げたいと思うところでございまして、国も随分変わっていただいていることを、敬意と感謝を申し上げたいと思います。
和歌山県の
知事なんかと一緒に、山の持つ機能を、
経済的な機能だけでなしに公益的な機能もということで、緑の雇用
事業というのを内閣の方に
お願い申し上げまして、御理解をいただいて、今それが進んでおります。すなわち、これから私
どもも
政策を自主的に立案しまして実行していく。それがよければどんどんとサポートしていただきたいなと思いますし、その
過程において、やはり国のお知恵というものはすごいものがありまして、どんどんそれを直しながら、御指導いただきながら、そして、今緑の雇用
事業なんかは進化の
過程にあります。そういうふうに、どんどん対等の
立場で協力し合って、そして本当にやっていくということを明確に
お願いしたいなというふうに思うところでございます。
その中で、
経済特区の
お話が出ています。考えてみればこの
経済特区もいいかげんなものでございまして、日に日に変わっていますが、私はそれでいいと思っています。すごくいいと思います。がちがちに決めて、全部指標を固めて、こういった条件でこれこれこういうことだからこの
事業はつけるというのは、ほとんどでたらめに近い
ような、都合のいい指標でやってきて七百兆円も
借金つくったわけですから、もうやめた方がいいと思うんですね。よければ、感動は感動を呼んで、次から次へといい
予算にどんどん切りかえていくという適応能力でいった方がいいと思います。
私
ども、
経済特区を聞いたときに、最初、ああそうかなと思って頑張ってやろうと思ったら、日に日に変わってきて、聞くたびに変わったり、こっちが言ったら、ああそれいいねといって取り上げていただいて、これは非常にいいと思いますね。だから、それは協働でつくり上げていく、コラボレーションでやっていけば本当にいいと思います。
この
経済特区は
予算措置が余りされないということですから、どうぞやってくださいといって、内閣もえらい熱心でありがたい。それでいいと思うんです。ところが、これは規制緩和だというと、また各省庁が
自分たちの既得権益を守ろうとする。このことについては、国
会議員の
先生方、ぜひ断固闘ってほしい、本当にそう思います。
そして、例えば、
三重県なんか四日市のコンビナートがあります。四十年の苦労の歴史がありますよ、公害から脱却するための。あるいは、オールドな
エコノミーになってしまったところをニュー
エコノミーに変えていこうという、すごい思いがありますね。
やはり、現場にこそ神宿るでありますから、遠慮のない御
議論はいいですけれ
ども、
自分たちの権益を守ろう、省庁の権益を守ろうという
ようなことは
国会の
先生方でぜひやめさせていただきたい。そして、それぞれの、各地から出てきた案をモデルケースにしていただいて、国だけで全部適用ではつらくなるだろうから、
三重県なら
三重県とか、ある県とか、ある市ならある市でやられるということについては、できたら大目に見ていただいて、そして
時代を切り開くビジネスモデルをおつくりいただければ本当にありがたいなというふうに私は思っているところでございますので、ぜひそれを
お願い申し上げたいと思います。
私は、多くの
先生方が御承知いただくとおり、衆議院議員も十数年経験させていただきましたし、
知事も七年になります。未経験なところはジェラシーが起こるんですね。私は県
会議員をしていましたから、国
会議員ていいなあと思っていました。海外に一緒に旅行に当時連れていっていただくと、我々バスで、国
会議員さんだけはさっと大きなリムジンでというので、うらやましいなこのやろうと思っていました。
国
会議員になると、なかなか苦労が多くて、月曜日に東京に
仕事に来て、金曜日には
仕事しに田舎へ帰って、ほとんど時間がなくてということで、すごい緊張感の連続でございました。したがって、
知事なんていいなあ、こう思って
知事になりましたが、
知事になったらなかなかつらいことがございまして、思っているほどいいものでもなしにということになります。私は、両方とも経験していますから、両方ともわかるつもりでございます。
したがって、
地方自治体と
国会の
先生方とが本当に
議論し合って、さまざまな問題、例えば
分権一つとっても、理論的にはそうだろうけれ
ども、
現実なかなか動かないという
ようなこともあろうかと思います。そんなことを虚心坦懐にいろいろな話し合いをしていただいて、単なる未経験によるジェラシーとか思い違いというのはいっぱいあると思うのですね。だから、そういうことを本当に
議論して、お互い一足す一が十とか二十になる
ような、そういうこともお考えをいただければ、私
どもにとりましては大変ありがたいことでございます。
大変失礼なことを申し上げましたが、これのすべては、
地方自治体もぬくぬくと国に甘えてきまして、そしていろいろなことで依存症でございました。これの体質を変えるために、私
ども全力を挙げて、
自分たちで
政策法務はやるとか、
政策を立案するとか、自己決定する
努力をするとか、自己決定すれば
自己責任をとるという、こういう
努力があってこそ初めて言えることだということを肝に銘じながら
お話を申し上げたつもりでございますので、今後そういう
努力をいたしてまいりたい、この
ように思いますから、今後ともぜひ御指導をいただきます
ように、
お願いを申し上げて終わらせていただきたいと思います。
ありがとうございました。