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中村参考人 本日は、この場にお招きいただき、ありがとうございました。
私は、ただいま御紹介にあずかりました
東京大学社会科学研究所の
中村と申します。
本日、私があらかじめいただきましたテーマは、「
EU憲法制定の動きと
各国憲法」というものでございます。私は、
イギリス憲法を
中心に
研究を始めまして、その後、
研究を
EU全体の法の
制度というものに広げました。したがいまして、このようなタイトルをいただきましたことをまことに光栄に思いますとともに、いささかなりとも皆様の御
参考になればと存じます。
ただし、
各国憲法の
部分につきましては、私は、
イギリス憲法を専攻していた
関係上、ほかの
ヨーロッパの国々の
憲法についてはいささかあいまいなところがございますので、その点はどうか御了承願いたいと思います。
本日、私が申し上げたい
意見は、大きく分けまして
三つの
部分に分かれております。
まず、現在、
EU憲法という
言葉が使われておりますが、
ヨーロッパ諸国でどのような論議が何のために行われているのかということを、
ヨーロッパの
文脈そのものに即して御
説明するというのが第一の
部分でございます。
そして第二の
部分は、これまでの
EUの発展に伴って、それぞれの
構成国の
憲法がいかなる
変化を来してきたか。逆に言うと、
各国は
EUをつくるためにどのように工夫をしてきたかという
部分、これを語るのが第二の
部分でございます。
そして第三の
部分は、このような
ヨーロッパや
ヨーロッパ諸国の経験から私なりに考えました、
日本に対する示唆がどのようなところにあるのかというところを、
レジュメで申しますと「むすび」の
部分でございますが、そこで若干お話ししたいと思います。
レジュメでは、大きな柱の三番で、「
EU憲法の
制定に向けて 現在の
論点」というのがございますが、これは第一の、現在何が論議されているかというところに織り込んで御
説明をしたいと思います。
それでは、まず
最初の、現在
EUでは、
憲法という名前のもとで何が論議されているのかという点ですけれども、
御存じのとおり、いわゆる
EUと呼ばれるものは、一九九二年の
マーストリヒト条約以降誕生したものでございます。それ以前は
ECという、
ヨーロッパ共同体というものがあったにすぎません。
それが
EUになったのはどこに大きな違いがあるかというと、それは
共通外交・
安全保障政策を
政府間協力の
制度として法的に認知したという点が
一つ、もう
一つは、
警察・
刑事司法協力ないしは
移民や
難民の
共同規制、こういった
政策分野についても
政府間の
協力を
法制度として確立したという点、そして、
EC、
共通外交、
警察・
刑事協力という
三つの柱を
一つに束ねる
ヨーロッパ首脳理事会ないし
欧州首脳理事会と呼ばれるものを屋根のようなものとして
三つの柱の上に置いたという点、このような
制度づくりがきちんとしたというところにその特徴があります。
ですので、現在
EUと呼ばれているものは、既にあった
経済共同体を
中心とした
ECの柱に、やや異質の第二、第三の柱をつけ加えたという特殊な
体制になっております。
まず、その特殊な話をする前に、現在の
EUが全体としてどれほどのことを扱うことができるのかという点を表にしたものがございますのでごらんいただきたいのですが、表1をごらんいただきたいと思います。
この表1は左から右へと時間が流れているとお考えおきください。最も左側が設立当初の、E
ECだった時代の
条約が管轄していた事項でございます。
真ん中の
あたりの「
共同体の基礎」「
共同体の
政策」という大きな二つの柱に分かれていて、その中に、
商品の
自由移動、農業、人、
サービス、
資本の
自由移動等々が書かれております。一見、明らかにこれは
経済の
共同市場をつくるという
目的のもとに、その
目的だけのために、いわば
国家が限定的に
権限を譲ったというふうなつくり方になっております。
ところが、一番右側の現在の
アムステルダム条約をごらんになりますと、その同じ
ECの柱の中でも、例えば「
共同体の
政策」の上から四番目のところに「
移民難民等、人の
自由移動」というのが入っております。
移民や
難民は、少なくとも
経済的な動機もあれば、政治的な迫害を受けて移る
人等もありますので、必ずしも
経済共同体という
目的そのものに合致するものではなく、むしろそれを超えたものと言うことができるでしょう。
それから、例えば、十一番から後、十二、十三、十四、十五という
あたり、
社会政策、
教育、
職業訓練及び若者に対する
政策、
文化政策、
公衆衛生、
消費者保護、環境、
開発援助、このようなものになってまいりますと、純然たる
経済共同体を超えて、
一定の
社会的価値を
政策の中に織り込んで実現をするという
政策領域になっております。したがって、
ECの柱だけを見ても、九〇年代以降は急速にそれが政治、社会的な色彩を帯びた
政策分野に広がっているということがわかります。
さらにつけ加えて注目すべきなのは、先ほど申し上げた第二、第三の柱です。第二の柱の
外交・安保は、九〇年代の、その表でいくと一番下の英語の文字でCFSPと書いてある
部分でございますし、それから
警察・
刑事司法協力は、現在の言い方ではPJCCと呼ばれるものでございますが、こういったものがさらにつけ加わってくるということになりましたので、
EU全体で見ますと、実は
国民国家一カ国が担当する
政策領域のほぼすべてを扱っていると言っても過言ではないかもしれません。もちろんすべてではございません。後で触れますが、非常に重要な
部分が抜け落ちております。しかし、一見しますと、普通の
国家が行いそうなことを大体は扱えるということになるほどになっております。
それでは、そうはいいましても、
EUは
国家なのかというと、そうではございません。これは、先ほど申し上げた
三つの柱に分かれて、それぞれ独自の
統治のやり方をしておりますので、
三つを束ねて
一つのモデルで語るということはできないのです。
最も歴史の古い
EC、
経済共同体から次第次第に広がってきた
ECだけを見ますと、これは確かに
国家になぞらえ得るような
部分を持ってはいます。例えば、
独立の
立法権をその
条約の与えられた
範囲内で持っていることは確かですし、そして
独立の
立法機関をやはり
各国からは別個に持っているということも確かです。
どのように
立法がなされているかといえば、いわゆるコミッション、
欧州委員会が
提案をし、そしていろいろ
手続がございますが、
欧州議会、それから
政府代表で構成する
閣僚理事会で
審議をして、最終的に
法規を
制定する、このような流れになっているわけです。その
欧州委員会というのは、
各国政府から完全に
独立したものとして規範的に定められておりますし、
欧州議会は、
ヨーロッパ人民の選挙によって直接に、
各国議会とは全く別個に選出されるものでございます。したがって、純粋に
ヨーロッパレベルの
機関がこの
手続の中に不可欠なものとして参加して、
独立に行われるというふうになっているわけです。
しかしながら、これは形の問題でございまして、実は、
各国政府と
ECの間ではそのように簡単に
役割が
独立的に分担されているというわけではございません。同じ
条約の中で、
ECがすることができると書いてあっても、それが
ECだけができるという
意味では必ずしもないからです。したがって、
立法権がある
程度独立に
ECにあるからといって、
ECが完全に
各国とは別個の
統治体であるというふうに即断するわけにはいきません。
非常にそこは微妙なところでございまして、表2を見ていただきたいのですが、実は、一口に
ECや
EUに何らかの物事ができる
管轄権があると申し上げても、それがだからといって
EUや
ECだけができて、ほかのものができないということを
意味するわけではないのです。むしろそれは逆でありまして、
構成国が全面的にできるのが
原則であって、例外的に
EC・
EUができるというのが
現実でございます。
その
権限の
配分方法を、これは
法律の講学上、学問上の
分類でございますが、
そのものだけができるのを
排他的権限、両方ともできるのを
競合的権限というふうに大きく分けるとすると、
EUが排他的に、つまり
EUだけができる
権限は思いのほか少ないのであります。
それは、
ECの柱でいえば、
漁業資源保護の
分野、それから
共通通商政策の
分野、あるいはこのごろ発足した
ユーロの
管理運営に当たる
通貨政策、これぐらいでございます。あとは、
農業政策の
部分で一部そういうものがございますが、
原則として認められるのはせいぜいその
程度でございまして、
EUの第三の柱で
共同機関として設立された
警察の
共同機関である
ユーロポールの運営、これはその
性質上
各国ができないものでございますから、
EUしかできないという
分類になるわけですけれども、せいぜいこのくらいなんですね。
むしろ、
EU側もあるいは
構成国側もできる、しかし
EUが一
たんそれについて全面的な
立法権を行使したならば、それ以降は
構成国は
立法権が行使できないというふうになる
部分がございまして、これが
競合的権限の
部分ですが、これが多いわけですね。そこに掲げましたような
農漁業であるとか
域内市場の
自由移動、これは
商品や
資本、
サービスの
自由移動等でございますが、掲げられております。
九〇年代になりますと、このような大ざっぱな
分類にさらに加えて、
構成国の
権利をむしろ留保するために、補完的な
権限という
概念が恐らくできてきたと思われます。それはどういうことかと申しますと、一応
政策項目として
EUが扱えるというふうに
条約上書いてはあるんだけれども、しかし
各国の
法律を変えるような
立法はできない、
各国間の法の調和をするような
立法は
EUにはできないというふうにはっきり書いた、そういう条文が
条約上入るようになりました。
したがって、これは逆に申しますと、
構成国があくまでも
立法権限を留保しているのであって、
EU・
EC側にできることは、それに対する
一定の
ガイドラインを提示すること、あるいはその
立法をさらに促進するような
援助措置をとることぐらいしかできない、そういうふうなものでございますので、この補完的という
言葉は、
EUから見て補完的という
意味であります。そのような
権限として、先ほど、九〇年代に特に入ってくるようになったと申し上げた、
教育だとか文化だとか
公衆衛生、こういった項目が掲げられていることになります。
したがって、実質的に突き詰めて見てまいりますと、
独立の
立法権を持っている
ECといいましても、それは伝統的な
経済共同体の確立のための
立法範囲が
中心でございまして、それを超えて社会的な
価値、あるいは文化的な伝統の
価値判断に深く立ち入るような
政策領域になりますと、これはやはり
構成国側の
権限が
原則として認められている、そういう
分類になることになります。
したがいまして、
ECが
独立の
立法権を持つと申し上げても、今のような事情ですので、そのなせる
範囲というものは常に
各国の間の相互の
交渉に任されているという
部分が強く残ります。
しかし、だからといって、では通常の
国際機関と同じような
交渉をしているのかといいますと、それは全く違う面もあります。それが、
レジュメの
最初にまた戻っていただきたいのですが、その
真ん中あたりに書きました
EC法の特殊な
性質の
部分でございます。すなわち、対内的な
部分ですけれども、そうはいっても、一
たん法律としてできますと、この
EC法規というのは
構成国の
法規との
関係で非常に強い効力を持つことになります。それがいわゆる直接効と呼ばれるものです。
ECの
立法が、
一定の条件がありますけれども、
各国民に
権利や
義務を直接に発生させる効果というものを持ちます。
そして、一
たんそういった直接効を持った
EC法ができますと、今度は、それと抵触する
国内法規があった場合には
EC法の方が常に優先をするという、
EC法の
優位性という
原則もまたこれは判例で確立しております。
こうなりますと、
国内において、日常茶飯の民事や商事の
事件の中にも
EC法が絡まった
事件が出てくることになりまして、それを
国内の
裁判所が裁くということになりますので、そこで
先決裁定手続と呼ばれる特殊な
手続が設けられております。これは、
各国で
EC法規を
各国まちまちに
解釈すると、法の統一的な
適用ができないために、それを避けるための
手続でありまして、
各国の
裁判所で
EC法上の
解釈問題や効力問題が生じた場合は、
裁判所の裁量で
EC裁判所へその
事件を付託することができるというものであります。そして、
国内の
裁判所が
最高裁の場合は、この付託が
義務になっております。
ですから、最終的には、いずれにせよ、
EC法上の
解釈問題や効力問題は
EC裁判所が一手に
解釈をするということになりますので、そこで法の統一的な
適用や
解釈が確保される、こういう
制度なんですね。
各国の
裁判所は一回
手続を停止しまして、
EC裁判所の
論点に関する判断を得た後にまた
手続を再開して
終局判決を導く、このような
手続でもって法の
統一的適用が確保される、こういうふうになっておりますので、一
たんできた
法律のその後の
部分を見ますと、これは非常に統合的な
法制度になっているということがわかります。
しかしながら、
ECの独自の
統治というのはここまででございまして、
ECの
政策を法あるいは
ガイドライン等で実現していく行政の
場面になりますと、これはほとんどの場合、
構成国の
政府の
機関を通して実施をするということになりまして、
EC独自の
機関はほとんど持っておりません。
競争法の
場面で
EC委員会、
ヨーロッパ委員会が入ってくる
程度でございます。
したがって、実際には、
立法するところにおいて
ECはいわば
独立なのであって、それ以外の
部分は
各国に依存しながらやっていくというものになっております。ここもやはり普通の
国家や
連邦国家でのイメージとは違うものであろうと思います。
第二、第三の柱になりますと、ましていわんやでございまして、
立法の
過程からして、実は
構成国が非常に強力な
影響力をまだ温存しております。すなわち、
立法の
提案において、
欧州委員会のみならず、
各国も実は
提案権を持つというふうになっておりますし、それから、最後の
審議の
過程では、
欧州議会は諮問的な
立場にとどめられておりまして、むしろ、
閣僚理事会、これは
各国の
政府代表ですが、彼らがほとんど
全会一致で決めるというのが
原則でございます。したがって、これは伝来的な
国際組織の形をとどめた
部分でもございます。そういうふうに言うこともできます。
というわけで、この
EUというものは、そもそも、これまで出てきた
成果から考えても、
一種、
国家が扱うほどの大きな広がりを持った
管轄権を持ってはいるのですけれども、しかしながら、
現実の
権力行使というものにおいては、要
所要所で
各国の
制度に依存をしながら、あるいは
各国の
制度のチェックを受けながら行うというふうなものになっているということなのです。
ですので、これを一足飛びに
連邦国家ができる途中の
体制であるというふうに評価をするのはやや即断であろうかと私は思うわけであります。むしろ、前代未聞の、非常に特異な
実験途上のものである。それは
国家になるのかもしれないけれども、そうでない
可能性もまだたくさんある、そういうものにすぎないというふうに見るべきであろうと思います。
ただ、いずれにせよ、この
制度を使って
ヨーロッパ大陸での悲惨な戦争が過去五十年間根絶されてきたというのは大きな
成果でありますし、それから、夢にまで見たような
一つの通貨ができて、
現実に流通しているという多大なる
経済的成果をもたらしたのもこの
EC・
EUの
制度でございますから、これは、
構成国が
厳然として残っているというふうに単純にまた考えるのもおかしなわけでありまして、本当によくわからない中間的なものであるというふうに、むしろそのままお考えいただいた方がよろしいと思います。
まさに、それゆえに、実は
EU憲法という
言葉でもって、現在の
ヨーロッパの
人たちは、今
自分たちが持っている
統治体制がどんなものであるかを再確認しようとしているわけです。
国家を超えた何らかの強力な
統治体ではある、しかしそれは
国家の上の
国家ではない。ならば何か。しかし、その何かがわからないわけですね。それを語る
言葉がないのです。ですから、とりあえず
憲法という
言葉を使っておいて、つまり人民の
主権に由来する
統治体制というものを
ヨーロッパレベルでも確保したいという願いが彼らの中にあるのです。ですので、そういった
言葉を使いながら、しかし新しい事態を何らかの形で明確に
説明するための
言葉をつくりたいというのが、現在の
ヨーロッパ憲法のいわば願望を込めた運動であろうと私は考えております。
ですので、
レジュメの二枚目の大きな三番を見ていただきたいのですが、
EU憲法の
制定に向けての現在の
論点として語られていることは、実は、例えば先ほど私が表2で御
説明した、
権限の配分をもっと明確化せよといった
論点が挙がっております。それも、先ほど申し上げたような排他的とか競合的とか補完的とかいう
概念を新たに導入して、明確化せよといった
議論が出てまいりますし、それからもう
一つは、
各国議会が、
ヨーロッパ議会とはまた別個に、どのような
役割を果たすべきなのかということが
議論の対象として挙がっております。
そしてもう
一つは、二〇〇〇年代に入って特にですけれども、人権の擁護というものを、やはり
EC・
EU独自のものをつくって、規範をつくって明確化すべきではないかという
論調も強まっておりましたので、つい最近、
基本権憲章というものが
政治宣言として出されるに至っております。そこで、これを一歩さらに進めて、いわゆる
国民国家の
人権章典と同じように
法的効力を持ったものに進めるべきではないかといったような
議論がなされているわけです。
このような
議論は、それだけを見ますと確かに
国民国家の
憲法の
制定過程に近づいているように見えるのですが、しかしその中には、
各国そのものとか
各国議会というのは
厳然として残る、
国際法上の
主権主体として残るというふうな
概念自体はありまして、したがって、いわゆる
国づくりというのとはやはり違う
論調であります。
例えば、
一つの象徴的な例を今の点で申し上げておきますと、
国民国家の場合は、
国民がだれであるかという
定義があるわけですけれども、
ヨーロッパの場合は、
ヨーロッパ人がだれであるかという
定義は、実は
各国の国籍を持つ者ということになっています。ですから、
各国がまずあって、
プラスアルファで
ヨーロッパに属することによる
権利というのが、特殊、もう
一つつけ加わる、そういう発想なんですね。それを全部消してしまって、
ヨーロッパ国というのができて、
ヨーロッパ国国民とはこういうものであるというふうなことを言っているわけではありません。ですので、今ある
論調というのは、常に
各国があって、その上に
プラスアルファとしての
権利や利益の
擁護体として何をつくるか、そういう
議論であるということを御承知おき願いたいと思います。
さて、以上のような
ヨーロッパ憲法形成過程があったとしますと、それでは
各国の
憲法はどうであったかと申しますと、これはかなり、
イギリスの場合ですけれども、重大な
変化をもたらされております。
例えば
イギリスは、
御存じのとおり
議会主権という
一つの大きな
憲法原則を持っておりました。これは、
議会というのは法的に無制限の
立法権を持つというものです。それも常に持つという
意味ですから、すべての会期の
国会が持つということです。ですので、後の
国会がつくった
法律の方が前の
国会がつくった
法律に優先する、これは、
後法が前法を覆すのはどの国にも共通したものがありますが、それを
議会の
主権で
説明するわけです。
これが
国際の
場面にも
適用されまして、したがって、例えば、ある
条約を締結し、それを批准した後に、
議会がそれに反するような
立法をした場合、その後の
立法の方が当然に優先するというのが、簡単に言いますと
議会主権の
考え方でございました。
しかし、そうしますと、直接効がある
EC法は常に
国内法に優先するという
原則と衝突してしまうわけですね。一九八〇年の
EC法があったとして、一九九〇年の
イギリス法ができた。この場合、
EC法の
立場からすると、両者が抵触する場合は、必ず一九八〇年の方の
EC法が優先しなければいけないわけです。しかし、
議会主権から考えると、一九九〇年の
国会の方がより新しい
意思を持っているわけだから、こちらの方が優先しなくちゃいけないということになりますので、全く逆の結論になるわけです。
現実にそういう問題を正面から取り上げるような
事件が起きまして、その中で、
イギリスの
最高裁に当たります
貴族院は、やや技巧的な判決ではありますけれども、一九七二年、これは
イギリスが
ECに加盟する前の年ですけれども、そのときに
国会の加盟するという議決が一応あって、そのときの
意思が
明文で覆されない限りは、後の
国会の法の中にも当然に推定されるということを言っ
たんですね。
ですので、
明文でもって
EUから
イギリスが脱退すると言わない限りは、基本的に
EC法の
優位性というものを認めるということを言ったのと同じことになります。それはあくまでも
国会の
意思でやっているんだというふうに
説明をするわけであります。
説明の
技巧性はともあれ、実質的には、加盟し続けている限りは
EC法の
優位性というものを承認せざるを得ないというところまで追い込まれておりますので、そうなりますと今度は、
EC法が
一種の
憲法のような作用になりまして、
EC法に反する
国内法を
裁判所が
適用しないという
場面まで出てくることになります。
かつての
議会主権の
考え方では、
議会だけが
法律を改廃できるわけですから、
裁判所がその
適用をとめたり、あるいは無効を宣言したりということはおよそ考えられないことだったわけですが、しかし、
EC法に反するという理由でもって
国内法の
適用を差しとめたりするということが可能になってき、実際それを行うようになってきているわけです。
こういうふうになりますと、
イギリスのいわゆる
議会主権、
国会主権の
原則というのは、もう実質的に換骨奪胎されたと言っても過言ではないというのが私の見方でございます。
行政や司法の面でどのような深い影響があったかと申しますと、まず行政面ですけれども、
EC・
EUの
政策の実施主体として、いわば代行
機関として
各国の
機関が活動することになりますので、実はこれまで
イギリスの
法律やあるいは
制度運営上なかったような
考え方を執行しなければならないというふうな
場面が出てまいります。
例えば、比例
原則という
言葉がございます。これは
目的に比例した手段で、とりわけ私人の
権利を侵害するような場合には、最小限の手段でそれを実施するといったような
原則でございますが、
イギリスの行政
機関は、そういった新しい
ヨーロッパ大陸風の
原則でもって自分の行政行為を統制していかなければならないというふうになりますし、それから逆に、行政の主体の方から
立法案を
提案したいというような場合に、
イギリスの
国会の側に、
EC側からの情報を得ながらその法案を提起するといったような、影の準備
過程での
協力作用といったようなものがございます。
司法
過程におきましては、例えば
国内法上、
EC法の実効的な実現を妨げるようなものがあった場合、
適用を排除するといった
義務を課される場合があります。
これは
イギリスの事例ではなくてアイルランドの事例なんですけれども、
国内の民法上の時効の規定がありまして、
EC法上の
権利を行使しようとした人が、
国内法上の時効でもって
権利の実現を阻まれるという
事件がありました。これ
そのものでしたら何の問題にもならないんですが、実はたまたま
EC法の
国内的な実施をアイルランド
政府が怠っておりまして、それゆえに
事件の発生から時効が成立してしまうほど経過してしまった、そういう
事件なんです。
この場合、
国内法上の時効の規定をそのまま
適用するのは正義に反すると
ECの
裁判所は申しまして、
国内法上の時効の規定の
適用をしてはならないという
義務がむしろ
EC法上積極的に課されるというようなことを言いました。
それから、
イギリスの事例でいいますと、
国会の
立法の執行を差しとめるということは、
国内の
裁判所の
権限としてはできないということになっていました。国王に対する差しとめと国王の家臣に対する差しとめというものは、コモンローの
裁判所はできないというのが
原則だったわけですけれども、これも
EC法の実効的な実現を妨げる場合には
適用されないとして、実際のところ、
イギリスの
制定法が
EC法に反している場合、
イギリスの
制定法の方の
適用を差しとめるといった事例まで出てまいりました。
こういうわけで、
立法、行政、司法のどの面を見ましても、実は深くその行為様式を変えなければならないほどのものになっているということは確かです。
ただ、
イギリスの場合、
憲法が不文
憲法ですので、こういった
変化がはっきり市民の前にあらわれるわけではありません。これがわかるのは、やはり専門的な
法律家だけであります。したがいまして、よその国と比べまして、
イギリスが
EUに属したことによって
統治の根本的な決まりが変わっているという点について、
国民と、それからそれがわかっている
議会や議員やあるいは弁護士との間では、相当に相違があるというのが
現実であります。
よその国については、私は実は余り語る能力がございませんので省略させていただきたいと思いますが、以上のような経験から、一体何が
日本の現在の状況に示唆を与えるものとして導けるかという点に最後に簡単に触れて、
意見陳述を終わりたいと存じます。
まず第一に、私は、この
ヨーロッパそのものの経験は、具体的な
法制度の点では
参考にならないところが多いと思います。しかし、もう少しレベルを抽象化して考えますと、
経済がグローバル化して、相互依存
関係が
各国間で非常に深まってまいりますと、一カ国の規制、
権限では、規制が十分に達成できないという問題状況がたくさん出てまいります。
例えば、環境や資源保護などが最も簡単に挙がる事例であろうと思います。
日本と隣国との間で、共同で漁業資源を保護するとか共同で環境の積極的な保護措置を実施するというふうに、何らかの形で国境を越えた
協力でもって初めて実効的な
政策が実現できるといった
場面が今後ますますふえていくであろうと予測できますので、この点で
EUがどのような
制度をつくって実験をしているのかということを参照する、そういうレベルでまず
一つの関連性を見出すことができると思います。
私の個人的な関心で申し上げますと、いわゆる狂牛病、BSEの
事件がありましたときに、
ヨーロッパの諸国は、直ちに科学専門
委員会を開きまして、
イギリスで発生したBSEの全世界禁輸措置をとりました。そのことによって、病気が蔓延することを防ぎ、そしてその間、
イギリスに多大な補助金を出しながら、その罹患牛の焼却処分を進めさせたわけです。
例えば、こういった国境を越えて物品のリスクが広がるといった場合、
各国同士が別個に、
独立にやっていては、その抜け道を使ったリスクの蔓延というものがどうしても生じます。それを防ぐためにも、何らかの形で越境的な組織をつくって、そこで情報を収集して一気にやるといったような
制度が求められる時代が恐らく近々来るであろうと私は思いますので、このような場合に、どのような
制度を
EUがつくってきたかということは
参考になろうと思います。
それからもう
一つは、きょう私が申し上げたお話の中で強調したことですが、
EUは、
各国から浮かんで存在しているものではなくて、常に
各国の
制度とタイアップして存在しているというところからわかりますように、
EUが
法規範として出してきているものは、十分
各国間で練り上げられた、討論で練り上げられた、いわば良識の最大公約数なわけです。
ですので、そこから出てきた
ヨーロッパの公の秩序、公序ないしは規範感覚、規範
価値といったものは、十分
日本においても
参考になるであろうと思います。これは、
国際協調をうたった現在の
日本国
憲法の中においても、
国際的なレベルでの
議論を常に反映して
統治に当たるという精神に合致するものでございますので、
ヨーロッパの持ち出してくる公序というものは全く無視できないものがあろうと思います。
時間になりましたので、後の質疑応答の
場面でさらに
意見をもし補足できたらと存じますが、以上で私の
意見陳述を終わりたいと思います。(拍手)