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稲福絵梨香君 私は、ことし三月に高校を卒業し、現在、
沖縄大学人文学部福祉文化学科に在学中の
稲福絵梨香といいます。よろしくお願いします。
私が高校二年のとき、二〇〇〇年に、
奉仕活動の
義務化が教育改革
国民会議で提言されていることを知りました。初めは、この
義務という言葉が持つ
意味を余り深く考えていませんでした。しかし、私が日ごろ行っている
ボランティア活動に対して、
義務だからやりなさいと言われたらどうするだろう、ふとそう考えました。私がその
活動に取り組んでいるのは、楽しいからにほかならないし、自発的にやっているという、大げさに言えば誇りを持っているからです。
私は、高校三年間、学校で青少年赤十字、JRCというボランティア部に所属し、さまざまな
ボランティア活動に取り組んできました。それを始めたきっかけは、たくさんの
方々と交流を通し、自分
自身ができることを仲立ちにして、一人でも多くの人の役に立ちたいという気持ちからでした。とはいっても、
活動を始めたころは、自分から積極的に行動することができず、ほかの人の後ろからついていくという感じでした。参加するのが精いっぱいで、どう動いていいかわからないというのが正直なところだったと
思います。
しかし、これでは自分が
ボランティア活動をしている
意味がわからなくなる、人の役に立つどころか、自分から進んで行動できずにいる、このままではいけないと思うようになりました。そのことに気づいてから、少しずつ、いろいろなボランティアの研修や
活動発表大会の実行
委員など、大きな役割を担う仕事をさせていただくようになりました。正直、きついと思ったときもありましたが、ここまで私が成長できたのは、自発的に
活動に参加し、考えて行動する環境を与えていただいたからだと
思います。
ボランティア活動を通じて、周りで支えてくれ、多くのチャンスを与えてくださった先生方や仲間に、心から感謝したいと
思います。
こうした
経験を通して、
奉仕活動を
義務化すると、押しつけられている気がして、気持ちよく
活動できないのではないかと感じました。法律で
奉仕活動を強制すると、
戦争の産物である勤労奉仕と本質的に変わらなくなってしまいます。私は、
ボランティア活動は、
活動する私
たちとサービスを受ける側、お年寄りや子供、障害者が
お互いに学び合う、いわば相互学習ともいえそうな、共生的な、ともに生きる
関係を持つ
活動だと考えています。
強制、押しつけという外からの力が加わることで、その
関係にゆがみが生じることを私は恐れます。何より、青少年の
ボランティア活動への関心は年々高まっており、社会福祉協議会の方の話によると、今では協力要請に対する反応がよく、介助者が足りなくて困る
状況はほとんどないとのことでした。各学校のボランティア部や生徒会が積極的に申し出をしてくれるからだそうです。せっかく自主的に
ボランティア活動をしようとする人が少しずつふえている今、なぜ
義務化なのでしょうか。全員を全く抵抗なく参加させるのは物理的に困難だと思われますから、結果的には青少年の自発的
活動の場を奪うことになりかねません。
私が高校三年間での
ボランティア活動を通して強く実感したのは、学ぶことは
権利なのだということでした。最近、それが
学習権という言葉で
憲法二十六条に保障されている
権利であることを知りました。
学習権は、
子供たちに学ぶことの喜びを味わってもらうために保障されているのだと私は考えています。ですから、
奉仕活動については、
一緒くたにして
義務化するのではなく、さまざまな選択肢、プログラムを用意し、
地域の人々の
意見を聞きながら、それぞれの
地域に支えられた
活動をすることが重要なのではないでしょうか。
戦前までは、学ぶことはあらゆる
意味で文字どおりの
義務だったこと、それは、
奉仕活動の
義務化に対する私の恐れとつながっています。戦前は、お国のためにという考えが当たり前とされ、学校の式典では君が代斉唱、御真影への敬礼、国定教科書どおりの授業など、教育は、
権利ではなく、
義務だったそうです。自分のためにというより、お国のために勉強するよう明治
憲法で決められていたと聞きました。
私
たちは、昨年の夏、この万
国津梁館がある名護市で、肝清(ちむじゅら)祭という、全県四十の高校から二百名以上の高校生ボランティアあるいは
ボランティア活動に興味のある生徒が二泊三日のプログラムに参加する、そんな集会を開きました。そこで、みんなで、さまざまなことをそれぞれに学んでいきました。
その大会のプログラムである記念講演で、「
沖縄の現状と課題」という
テーマで、戦後史について研究している先生の話を聞きました。
沖縄にある
米軍基地の多くは、戦後すぐの時期に
アメリカの銃剣とブルドーザーによって強制的に取り上げられたものであること、そうした悔しさの積み重ねが、
復帰前の
沖縄の人
たちが新しい
憲法のもとに帰る闘いに取り組むエネルギーになってきたこと、せっかく
復帰したのに、
沖縄にはこんなにたくさんの
基地があること。私は、
沖縄にいながら、この話を聞くまで、
沖縄の
基地問題について余り詳しくは知りませんでした。
この講演を聞いた後、
戦争についてもう一度考えてみました。かつての
日本は、明治
憲法のもと、軍国主義政策によって
戦争の惨禍を生み出してしまいました。この過ちを二度と繰り返さないようにとの願いを込めて、
憲法九条で
戦争放棄、恒久平和をうたっているのだと
思います。
今、
有事法制についての話が持ち上がっていて、あらゆる
有事に
備えるべきだとの
意見が出ています。私には、この
有事法制がどういうものか、また、施行されたらどうなるか、正直言うと、まだはっきりとイメージがつかめているわけではありません。しかし、私
たち日本人は、
戦争という悲劇でたくさんの苦しみを体験してきました。
有事法制は、こうした過ちにまたつながってしまわないか、また
国民の
権利が制限されないか、平和を脅かしてしまうのではないかなど、さまざまな疑問が浮かび上がってきます。
また、この大会のフィールドワークと呼ばれるプログラムで、私は、これも名護市にある
沖縄愛楽園で、ハンセン病回復者の体験を聞く機会に恵まれました。そこで、
人権についても考えさせられました。戦前、ハンセン病は、治らない病気、感染する病気であるとの間違った認識が定着し、患者
たちは社会から排除されていたそうです。偏見や差別を生み出した原因、それは、らい予防法という非科学的な法律による強制的な隔離だったのです。
ハンセン病患者は、子供をつくってはいけない、仕事についてはいけない、外出制限など、さまざまな形で法に縛られ、人間らしい
生活を送ることができなかったそうです。医者や看護婦でさえも完全防備で接していたりして、全く人間扱いされていなかったという話を聞いて、とてもショックを受けたし、何より、こんな法律が最近まで九十年間も存在し続けたということに最も驚きました。そして、人間らしく生きるために
基本的人権の保障をうたっている今の
憲法がどんなに大切なのかを感じました。
一方、ハンセン病患者
自身が、病原菌は空気感染せず、菌の力も弱く、発病しない場合も多いし、自然に治るケースもあるということなど、科学的な知識を身につけ、それを武器に、自分
たちの
権利を広げるために闘っていた話に感動しました。
私の学んでいた高校にも、女生徒に全盲の先輩がいました。彼女とは、
ボランティア活動を通して少しかかわりました。正直言うと、先輩はどういうふうに学校の授業を受けているのだろうか、ふだん一人でバスに乗ったりして大丈夫なのかなと思ったことがありました。しかし、健常者である私
たちとほとんど変わらず接することができたのにかえって驚かされてしまいました。
間違った認識を持つことで差別や偏見が生まれ、人々の心を傷つけてしまうのです。無関心で真実を知ろうとしない姿勢を大勢の人が持ってしまうことで、これほどまでに悲しい出来事が起こってしまったのです。正しい知識を身につけることがどれだけ大切なことか、改めて実感しました。
今、障害者や女性、子供といった弱い人
たちの
権利が確立されつつあります。しかし、夫婦間の暴力や女性の
人権など、さまざまな課題が残されています。例えば、いわゆるDV法が施行されましたが、今でも、夫や恋人の暴力による女性の
人権侵害がまかり通っています。女性を暴力から守るため、こうした法律をもっと多くの人に知ってもらいたいと
思います。
そのためには、知らせる
活動を強化する、相談所を各自治体単位で設けるなど、行政での取り組みが必要です。また、よく報道される子供への虐待についても、よりよくするよう改善しなければなりません。どちらも、今の
憲法にうたわれている精神を大切にすることで十分
実現できると考えています。
学ぶことは、
義務ではなく、
権利である。高校三年間のボランティア部での
活動を終え、大学に進学して、いろいろな
ボランティア活動に挑戦しようとしている今、私は、胸を張ってそう言いたいと
思います。
共生的な、ともに生きる
関係をつくっていくため、
憲法の精神を大事にして、
地域に支えられた体験
活動を大切にしたいと思っています。