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梶山参考人 弁護士の
梶山でございます。
お
手元にレジュメがあるかと思いますが、一応この線に沿って、今四十九分ですから四分までの間でお話ししたいと思います。
まず、私の
立場ですが、廃棄物関係の紛争に四十件ばかり、現在まで
弁護士としてかかわっております。
一つは現場から見た問題、それから、
弁護士会として十数年、今法
制度の問題を研究しているグループに属しております。そういう二つの点からお話ししたいと思っております。
まず、現時点の
状況をどう見るかということなんですが、これは要するに、この
法案の提案理由として述べられているところですが、まず
平成九年五月に
自動車リサイクル・イニシアティブができまして、この内容としては、当時の
状況把握、問題点の把握という意味では一応首肯できるものがあるだろう。これに沿って自工会等が
自主行動計画として、先ほどちょっとお話がありましたが、事前評価改善ガイドラインとか、ガイドラインの中で、素材選択とか複合素材の解消、材料の表示、それから解体分離の容易化などを打ち出してきたわけです。これは、その自主的な
取り組みとして評価できるだろう。民間の自主的な
取り組みでも相当程度のことは本来はできる、こう考えております。
では、このままでいいのかといいますと、それは決してこのままでいいとは思っておりません。いいとは思っておりませんが、例えば、今度の
法案の中で、
既存の解体
システムを生かしながら、エアバッグとか
フロンとか、場合によっては、求めがあれば
ASRとか、そういうものをメーカーが個別に対応していく、これはこれで評価できる
システムだろうと思います。
しかし、
法案の中身と、それから
法案で言われている緊急性、不可欠性として言われている部分というのは、はっきり言いますと、問題点の解決にこの
法案がなるとは考えられないというのが最初に私が申し上げたいところです。民間の自主性で、あるいは市場メカニズムを
活用しながらできる部分と、公的な関与でやるべき部分とがはっきりと区別して認識されていない、過剰な公共関与であるというのが
一つは私の印象であります。これはまた後で個別に申し上げたいと思います。
釈迦に説法ですが、法
制度をつくる、あるいは法
制度を設計するという言葉もよく使われますが、その当該法
制度を必要とする社会的事実、これを立法事実、こういうわけですね。その立法事実という観点で見ますと、この
法案の中で大きなものとして三つ挙げられていると思います。
一つは、最終
処分場の
逼迫です。
最終
処分場の
逼迫、私は、最終
処分場の現場での
状況という意味では、恐らくここにいらっしゃる方の中では一番よく知っているだろうと思っています、これはおこがましい言い方かもしれませんが。
平成十一年度に確かに
許可件数は激減しました。残余容量がそのあおりを食って急に落ちた、これも事実であります。ただ、これは、いわゆるミニアセスメントが導入されて新法への対応がおくれたということと、駆け込みの
許可申請が前年に膨らんだためであって、
状況としては、ここ十数年ほぼ残余年数としては変わりはないだろう。これはまたいずれもとのレベルに戻る
状況であろう。それを言うにはそれだけの根拠があるわけですが、今ここでそれだけの話をする時間がありませんので。
それからもう
一つ、実際に、岩手クリーンセンターとか大阪フェニックス等を見ていただきたいんですが、ごみが来なくて困っているという
状況があります。つまり、
処理コストの高いところはごみが来ないで困っている。これは現実としてあるわけです。
それから、第三番目に、この
法案が最終
処分場の延命を考えている、これは当然のことですけれ
ども、この
法案の内容との関連性が大変希薄である。つまり、この
法案がなくても、最終
処分場の延命化、
ASRの
最小化、埋立容量の
最小化、これは別個にできる話であって、この
法案との必然的なかかわりはない、こう考えております。
それから、不法投棄対策でありますが、不法投棄対策につきましては、道路運送車両法の十五条の抹消登録
制度と公的機関による
適正処理証明とを連動させるということでもって、
自動車の場合には極めて効果的な対策ができるはずでありまして、まずそういうものに手をつければ、相当程度の効果は期待できる。つまり、
適正処理証明がなければ
自動車所有者は永久に
自動車税を支払わなければならない、そういう
システムをつくるということですね。
それから、
最後に逆
有償化との関連、これは確かに大きな問題ではあると思います。
逆
有償化については、この
法案の最も大きな問題は、逆
有償化したから、しつつあるから、その部分をエンドユーザーから
お金を集めて取ろう、基本的にはそういう発想でできていると私は思うわけでありまして、この辺は大変安易な発想ではないかと思うわけです。
既存の解体
システムをどうやって守るかということは大変大きな問題ですが、これは後でまた申し上げたいと思います。基本的な
考え方としては、逆
有償化になった、では、その分、金で埋め合わせようというのは、もちろんこれはやり方によるわけですが、要するに、簡単に言うと、これから申し上げるあしき
リサイクルを固定化することになりはしないかというのが私の最も懸念するところであります。
リサイクルとか
循環型社会ということがしきりに言われるわけですが、
リサイクルというのは、これは
資源を循環するだけではなくて、そこに
資源を投入しなくてはいけない。
リサイクルのための
資源の投入が絶対に必要なわけであります。それから、
リサイクルの過程でまた新たな廃棄物も生みます。
資源の浪費も起こります。それから、
環境汚染という現象も起きます。そういう
トータルとしての
リサイクルというものをどう構築するかというのが最も大切な点でありまして、そういう意味でいいますと、まず、その
リサイクルがこのまま続けていいかどうかという
リサイクルの、つまりあしき
リサイクルとそうでない
リサイクルというのは、基本的にはその
リサイクルが廃品
回収業として成り立つかどうか、これがやはり、一面的ではありますが、最も
リサイクルの質を測定する方法である、こう考えます。
つまり、逆
有償化ということは、それにかかるコスト、あるいはこのコストに代表される
資源とかエネルギーとかあるいは
環境汚染防除
施設等のためにさらに新たな
資源の投入を必要とするということでありまして、こういう逆
有償化した
リサイクルというのは、基本的には縮小していかなくてはいけない、あるいは逆
有償化を根本的な部分で改めるような
システムがそこに入ってこなくてはいけない、こういうふうに考えるわけであります。
そういう意味でいいますと、先ほどのお話にもありましたが、逆
有償化から、それを本来、つまり、そこにエンドユーザーからの金を投入しないでも
リサイクルとして自立するかぎを握っているのはやはりメーカーであろう、私はこう思います。そうすると、メーカーにどういうインセンティブを与えるかということが最も大切な点でありまして、エンドユーザーから金を集めて逆
有償化を補うというのでは、これは逆
有償化は固定化してしまいます。つまり、そこからさらに質のよい
リサイクル、簡単に言いますと、
処理コストを下げながら質のよい再生
資源をそこで生み出す、プラス、マイナスとしてプラスに行くような
リサイクルを生み出すというインセンティブが逆に働かなくなってしまう。つまり、エンドユーザーがそこを埋め合わせてくれるわけですから、そこまでの
努力をしないでも
業界としてはやっていける、あるいはメーカーとしてもやっていけるということになるわけであります。そこに
一つの大きな懸念がある。
まず、その金の集め方の問題でもって、エンドユーザーから集める理由として、受益者負担論ということがこの
法案の
議論の中で出てきております。私は、受益者負担論でもってエンドユーザーが金を払うべきだというのは、大きな不公平を生むことになると考えております。
これはどういうことかといいますと、どんな製品にも、プラスの部分、つまり便益を与える部分と、それが
環境に出た場合にマイナスの部分を与える、つまりプラスの面とマイナスの部分とがございます。例えば、FRPを使ったために
処理費用が極めて大きくなる、それから、複合素材を使ったために
処理が極めて困難になる、
環境汚染を起こす、あるいは、言い方は悪いですが、意図的に短寿命化されている製品も間違いなくたくさんございます。
短寿命化されているために
処理コストがかかるというものについて、これは、エンドユーザーから見れば、自分たちはそれによって何の便益も受けておりません。しかも、自分たちは何もコントロールできない。つまり、
情報もないし、本当にこれが
環境に優しい製品かどうかということは、エンドユーザーから見ると、コントロールもできないし
情報もない。そういう
状況の部分を受益者負担論でもってエンドユーザーに負わせるというのは、これは逆にマイナス面をそのまま固定化するということになるのは、これは経済的原理からいっても当然のことであろうと思います。
そういう意味でいいますと、まずメーカーが
処理費用、逆
有償化部分を負担する。その上でメーカーはそれを
最小化するための
努力をする。これは当然のことですね。メーカーとしては、利益を最大にするために
最小化するための
努力をする。それでも吸収できない分は、当然
価格転嫁
システムを通じてエンドユーザーが負担するわけであります。こういう
システムの方が、同時にインセンティブも働くし、受益者としては、受益者なりの負担も、応分の負担はするという意味で、最も公正な負担が最終的には実現するだろう、こう考えております。
それで、あとちょっとだけ、何点かお話ししたいんですが、
一つは、今回の
法案の中で、公的な資金
管理ということが出ております。これは、
法案をつくる段階で、十年後に使うであろう
費用をあらかじめ概算して集めて、それをメーカーが
管理するのか公的な
管理機関を使うのかという部分があったわけでありますが、そこには大変大きなフィクションがありまして、つまり、十年後の
費用が現時点で適正に算定できるというとんでもないフィクションがここに
一つ入っている。
それから、今の
企業会計の中で考えれば、これを分離して
費用を十年後までとっておくというのは、極めて非効率的な
企業会計の
考え方であろう。簡単に言えば、私の先ほどの考えで申し上げれば、メーカーが吸収できないものは
価格転嫁という考えであれば、これは生産コストの一部と考えて
処理すれば何の問題もないわけでありまして、そもそも資金
管理云々という話は最初から必要ないわけであります。
それから、公的資金
管理をすると、一万円で済むものが二万円になる、五千円で済むものが一万円になる。これは、
管理法人の運営維持の
費用も全部そこに含ませるという話になりまして、支払い
システムから何から全部そこに
費用として入れてくるということになると、当然こういう非効率的な、しかも市場メカニズムを経験しない外郭団体がそういう資金
管理をするというのは二重の意味で問題があるだろう、こう思います。
それで、基本的には、今回の
法案の
議論の中で出てまいりました
議論をちょっとだけおさらいしてみたいんですが、
一つは、私の申し上げたメーカーに対する
環境保全型製品設計へのインセンティブがあるかという点について、二つの指摘があったと思います。つまり、
一つは、車種ごとに差別化して料金を算定するんだ、その料金を比較することによってユーザーは
環境保全型製品かどうかということは区別できるじゃないか。それからもう
一つは、十年後に
処理費用は上がるかもしれない、上がるかもしれないんだけれ
ども、集めた
お金でもって
処理するということであるから、メーカーはその間にそのリスクを最小限にするためにいい
処理をできるような製品設計あるいは
処理技術を磨くではないか、こういうことが言われているわけですね。私は、これはある意味では大変ばかげた話だと思います。
車種ごとの差別化の話ですけれ
ども、これは、車種ごとに全部差別化する、あるいはそれが適正に反映しているということを保証するすべもありませんし、それから、現実にこのような差別化はほとんど不可能であります。同じことが家電
リサイクルの場合にも言われたわけですね。家電
リサイクルは、差別化すると言いながら一律になりました。恐らくそういう
可能性は極めて高いだろう、こう思います。
それで、購入時と廃車時の
費用変動のリスクをメーカーが負担する、これがインセンティブになるんだという話ですが、これも実はほとんど考えられない話であります。つまり、これは
管理法人が資金
管理するわけですね。それは
企業内部に留保されているものではありません。ですから、そこで、実際に安くなるか高くなるか、両方の場合があり得るわけですが、どちらの場合にしても、
環境保全型設計へのインセンティブというものは働かないと私は考えます。
最後に一言申し上げたいんですが、三Rということが
循環型社会ということでしきりに言われるわけですが、一番根元にあるリデュース、これが今回の
法案でもすっぽり抜け落ちていると思います。
一九九五年、七年前ですが、七年前にスウェーデンのボルボ社を訪ねまして、そこの
環境担当役員と話をしたときに、こういうことを言っていました。ボルボ社はスウェーデン国内の車の四〇%を占めているんですけれ
ども、その
環境担当役員が、我々の車はスウェーデンの都市を破滅に陥らせている、これ以上車をふやしてはいけない、ボルボはこれから公共交通に力を入れる、こういうことを言ったんですね。
当時のスウェーデンの国土面積当たりの車の密度は、当時の
日本の約十八分の一です。その十八分の一という密度でありながらボルボ社の
環境担当役員がそういうことを明言したということは、我々大変ショックを受けたわけですが、要するに、
日本は車が多過ぎるんだ、やはりそこの原点に返った
議論、それから車をもっと長寿命化しなきゃいけない。その場合に、産
業界がもっと深刻な不況に陥らないかということは当然あるわけですが、それを両方をクリアする方法はこれは当然あるわけでして、その問題がもっと真剣に
議論されなくてはいけない。やはり根元のリデュースを忘れてはいけないと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。(
拍手)