○山村
委員 なぜくどいように同じような細かいことを聞いていくかと申しますと、本当に今回いろいろな方面で、小泉
改革、それこそ構造
改革なくして成長なしという言葉にあらわされるように、ついこの間まで、三月の末までは、いわゆる財政構造
改革がイコール
小泉総理がおっしゃってみえた構造
改革というふうに多くの人は受け取られたと思うんですけれ
ども、私は、それは与党の人間ではございませんが、昨年のちょうど四月、総裁選挙に出られたときに、当時の小泉候補者がこの構造
改革という言葉を使われたときには、我々民主党の若手議員は特に、今まで我々が訴え続けてきた
政策じゃないか、言葉は悪いですけれ
ども、パクリじゃないかというようなやじを飛ばしたように、まさしくそういう理念というところでは一致しているんじゃないかなというふうに思っていたわけなんです。
その中に、その財政構造
改革というものも含めて、いわゆる
経済のシステムも構造
改革、教育のシステムも構造
改革、過去、明治維新以降百三十年にわたって続いてきた
政治を含んだ社会の制度自体が、ITという問題もございますけれ
ども、大きく転換点を迎えている。そういう
意味合いで、従来の価値観ではだめですよということを当時の、当時のと言っても今も現役でございますが、
小泉総理は訴えられたんじゃないかなと。それが多くの
国民にも響いて、昨年の四月、本当に新しい形で、従来にないような形の総理
大臣が誕生したというふうに、一年前を振り返って、私は、そういう
自分自身の判断も間違っていなかったなと思うんです。
それが、まず最初に片づけなければならないというのが不良債権の問題ということで、どうしてもそちらの方面だけがクローズアップされてきたというふうに思うんですが、今回の
国会のいろいろな、かつてといいますか昔から、特にいわゆる永田町の人にとってみると当たり前のことの領域として受け取っていたというようなことが、今やもうあちこちで不祥事という形で、これは政党を問わずという形で言わせていただいていいと思うんですが、噴き出している。まさに永田町の常識と世間の常識が本当に百八十度違うという、それも含めて、ある
意味の構造
改革というのを迫られているんだと思うんです。
そんな中で、先般私質問に立たせていただいたときにも、本来ならば、
予算案を含めて、
景気対策というものに対してもっと踏み込んだ
議論をすべき場が
国会の場にあって、これからの
日本をどうしていくんだということをもっとこの議場の中で
議論を重ねていくということが、恐らく
国民が
国会議員に、
国会という場所に一番求めていたことだと思うんです。
ある
意味、私
自身、個人的にといいますか、多くの仲間の議員、これもまた与野党を問わずだと思うんですけれ
ども、ワイドショー的な
政治の劇場じゃないよと、本来
政治家がやるべきこと、行政に対してどういう注文をつけていくのかはっきりさせていくというのが、この二カ月半にわたっての唯一の、唯一のといいますか、本当に心残りの
一つでもあるわけなんです。
やっとここへ来て前向きなといいますか、こういう場をいただいて
議論ができるなと。私も、担当法案という形で特許法そして
弁理士法の
改革というようなこの分野、いわゆる
経済の構造
改革についてということで質問に立たせていただくチャンスを得たわけなんです。非常に前置きが長くなってしまいましたが。
経済、いわゆる産業構造を変えていくという
意味合いからして、これは総理の方にもいわゆる
経済構造
改革、政府におきましても
経済構造
改革における位置づけということで、昨年の三月に、いわゆるe—Japan重点計画の中で電子商取引等の促進、そして具体的な施策としては
知的財産権の適正な
保護及び利用、そして特許法の見直しというようなことが
経済産業省の管轄の中でうたわれているわけなんですが、それにのっとって今回の
改正案というのも出てきております。
そして今、
日本の産業界を見回してみますと、いわゆる製造業の
空洞化といいますか、多くの人が、特にこれは
大臣にとっても頭の痛い問題だと思うんですが、いろいろそれは、
中小企業対策であったりとか
雇用対策であったりとかという問題にかかわってくるわけなんですが、はっきり申しまして、中国十三億人という人口のもと、いわゆる中国に対しての製造業の流出というのは、これは防ぎようがないなと、結論から言ってしまいますとね。
日本のようにこれだけ給与水準を高くしてしまって今さら下げるわけにもいかないし、では、かといって中国から、中国を初めとしていわゆる後進国の
皆さんをどんどん労働者として国内に引っ張ってくるということもまずできないだろうし、そういう中からいわゆる
知的財産権という概念が出てきて、これが
日本のある
一つの生きる道といいますか、世界を引っ張っていく糧にしなければということで急がれていることだと思うんです。
そんな中で、非常に私、自分の言葉が長くなってしまうんですけれ
ども、明治維新以降からの今までのシステム、我々の周りを見回して、今、時代の転換点に来ているということをあえて例えさせていただきますと、明治維新以降百数十年にわたって中央集権国家のもと、いわゆる知識を持っている人間が国のリーダーになっていく。
当時、明治維新をなし遂げた先輩方、そしてまた戦後の廃墟の中から復興されてきたフロンティアといいますかパイオニア精神を持った先駆者たちというのを除いては、一たんでき上がってしまった構造を、いわゆる知識をキャッチアップしてきたというのが
日本の近代化であり、そして、いろいろ言われているいわゆる学歴社会といいますか、知識さえ吸収できれば優秀な人間だということで、いい大学に入り、いい社会に出ていって、しかもその社会の中でリーダーになっていったという現実だと思うんですけれ
ども、従来型の物差しが通用しないという
現状に直面しまして、これからは知識吸収型より知恵をいかに発揮できるか、知識から知恵への転換点に来ているというふうに
認識しているんです。
そういうときに、産業界に戻れば、言葉遊びじゃないんですけれ
ども、やはり
知的財産権といいますか、創造力あってのこれからの産業の発展だというふうに思うわけなんですよね。そのときに、従来のシステムである、工業所有権は経産省、文化的な部分は文部省という大きな切り分けの中で、そのままの行政のシステムではまずやっていけないんじゃないか。
と申しますのは、先ほどいろいろケースを挙げて質問させていただいたのですけれ
ども、例えば、ではデジタルでつくったコンピューターグラフィックスはどうなるのと。ブラウン管に映してみればしっかりとしたアートといいますか絵になっているんですけれ
ども、じゃあ、それは一体何なのといったら、それこそ、今はフロッピーディスクはありませんけれ
ども、いわゆるCDでやったり、メディア、いわゆる媒体の中にはもうプラスとマイナスしか、どれだけ顕微鏡で拡大しても、置いていないわけなんです。
それが、コンピューターという機械を通して映し、しかも大きなモニターに映せば壁一面がアートになってしまうというような
状況になったときには、物として見たらもう本当に点々、早い話、デジタルの世界ですから点々というのが並んでいるだけ、でも目に見えるものは立派な絵である、そして動画であるというような形になってきている。
では一方、工業的な特許におさまる部分、どうしてもコンピューターのいわゆるソフトというものに関しては、これはあくまでも特許権じゃないのと。それも顕微鏡で拡大してみると、アートの部分と同じように点々々と並んでいるだけ。それをどう切り分けるのかという問題に自分でも気がついたわけです。
しかも、今度はメディアを介さずに、IT環境といいますか、インターネットでつながれば、要するに、スペインで、
アメリカで、中南米で、コンピューターグラフィックスをつくりましたよ、ネット上に、自分のホームページに掲げましたよと。それを
アメリカでも、それこそ南極でも、通信環境にあるところであれば、引き出したらもう瞬時に同じものが世界じゅうどこにいても受け取れるという環境になってしまったわけです。
だから、
アメリカの有名なデザイナーが、イタリアの有名なデザイナーが、ことしのラインはこういうファッションになりますよ、色はこうですよとやったときに、今までですと何カ月もかかって
日本へ伝わってきたものが、もう瞬時にして地球の裏っ側に伝わる時代になってしまった。
そういう概念からいいますと、
日本国内はもとよりなんですが、特許法にしろ、
弁理士法というのはどうしても国内法になるんでしょうが、特許権といいますか、
知的財産権の問題というのは、これはもうIT社会とは切っても切れない国際問題であり、いわゆる国際法という概念のもとに構築しないと、
日本の中で、これは
経済産業省の管轄だから、文化庁だから、音楽の部分はJASRACという団体があるからというふうなことを言っていたのでは、まさに、それが産業として育っていくかと言われたときに、恐らく後追い後追い、それで世界はどうなっているのという、周りを見てキャッチアップ型というふうな今までどおりの
政策立案といいますか、制度を追っていたのでは、ますます、先ほど言われた失われた十年が二十年にもなり三十年にもなりというふうになっていくように思うんです。
そういう観点から、本当に私、
自分自身がしゃべり過ぎて申しわけないんですけれ
ども、いわゆるそういう
知的財産権というものを一元化するというようなお気持ちといいますか、それをまた産業興しといいますか、創造的に展開していくために、省庁再編してからまだ一年余りですけれ
ども、そういうお気持ちというのはないんでしょうかということをお伺いしたいのです。