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西岡参考人 西岡でございます。時間がありませんので、早速本題に入らせていただきます。
本日、衆議院の、それも
安全保障委員会でこの
北朝鮮問題、特に拉致問題を中心として話ができることを喜んでいます。
北朝鮮問題の本質は
安全保障問題なんです。今、
日本人妻の問題も出ましたし、拉致問題、そして
杉嶋さんの問題もありますけれ
ども、つまり、
日本の主権と
日本人の人権が侵されている、そういう問題なんです。そこに本質がある。ですから、
安全保障委員会で正面から議論していただきたい、そういう点できょう呼んでいただいたことを喜んでおります。
拉致問題を中心にお話を申し上げます。ことしの三月、
日本政府は、先ほどお話しされた
有本お父さん、
お母さんの娘さんの恵子さんを、
北朝鮮に拉致された
日本人として追加で認定しました。これは金正日が直接命令をして拉致した、そういう事件です。なぜそう言えるかといいますと、一九七六年に金正日が、工作員の現地人化教育を徹底して行え、そのためには現地人を連れてきて教育に当たらせよという命令を出しているんです。このことは、複数の
北朝鮮から亡命してきた元工作員が確認しています。
ですから、金賢姫さんというのは
日本人に化けていたわけです。その化ける
日本人化教育の教師が
田口八重子さんだったんです。一九七六年にこの命令があって、七七、七八年に拉致が多発しているんです。それで、金賢姫は八〇年に党に召喚されて工作員になった。彼女の同級生はあと七人いた。
全員が
日本人に化けたんです。つまり教師が八人いたということです。この命令によって行われたのが拉致です。
そして、この重大な主権侵犯、人権侵害に対して、これまで
日本政府は実はどのような対応をとってきたのか。一言で言って、見捨ててきたと私は言いたいと思います。
まず第一に、
日本政府は、今認定しているだけで十一人、私
たちの推定では七十人ぐらいいると思っていますけれ
ども、この事件について、
最初わからなくてやられてしまって、最近になってわかったのか。違うんです。
最初からわかっていたんです。やられているということをわかっていながら、次から次へと拉致され続けていったんです。
なぜそう言えるか。
日本政府が認定している拉致の第一号は一九七七年九月十九日に起きます。二十五年前です。これは、東京の田無に住んでいる李さんという在日
朝鮮人が、
日本人のある人をだまして石川県の海岸に連れていった。そうすると工作船が来ていて、ゴムボートで工作員が来てその人に渡した。その後、その李さんは現場で逮捕されているんです。第一号の拉致で現場で犯人が逮捕された。そして、李さんが今言ったことを自白したんです。
そして李さんの自宅を、これは東京の田無にあったわけですけれ
ども、家宅捜索したところ、
北朝鮮は深夜に数字で暗号放送をしてくるんですけれ
ども、その暗号を解読する暗号解読表が出てきた。その解読表を使ったら暗号が解読できたんです。石川県警はそれで
警察庁長官賞をもらったんです。しかし、このことは全く公開されず、李さんは不起訴処分になってしまった。
第一号がこうなんです。一号がこうだったとしたら、二号目からはそこで対策をとればいいじゃないですか。わかっていながら何もしなかった。だから、横田めぐみさんの御両親があそこにいますけれ
ども、その二カ月後にめぐみさんはさらわれたんです。
そして、次の年の七八年七月七日、七夕のときに、福井県の小浜市で地村さんと浜本さんが失踪しました。婚約中だったんです。
お父さんが舞鶴の海上保安庁に行ったところ、七月十日、十一日に小浜湾に不審船がいた。保安庁は追いかけた。追いかけて領海の外に追い出した。無線の傍受から
北朝鮮の工作船だと思われるという話を聞いているんです。
しかし、現在海上保安庁は、一九七八年には不審船事件はなかったというふうに言っています。舞鶴に行くと、当時の
資料はないというふうに言っていますけれ
ども、当時は
お父さんにそう言っているわけです。これはきちんと調べていただきたいと思います。
つまり、アベック拉致事件の第一号がこの地村さんの事態なんです。その後七月三十一日、八月十二日と起きたんです。工作船がいたんですから、それを捕獲していれば二人を救えたかもしれないし、それを逃がしてしまったんだったら、この次に工作船が来るのを押さえれば、海上警備行動をかけるようにすれば、入ってこないようにしていればあとの四人は助かったんです。
そして時代は下がりまして十年後、一九八八年三月、国会で初めて、参議院の予算
委員会で梶山静六自治大臣・国家
公安委員長が、三件六人のアベック拉致について、「
北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」という
歴史的答弁をしたんです。しかし、
マスコミは書かなかった。朝日、毎日、読売は一行も書かなかった。そして、国会でもそれ以上追及はされなかった。だから大事件にならなかったわけです。当時そこで、国会で、衆議院と参議院で拉致の解決のための決議が起きて、
家族を呼んで審議をすべきだったと思いますよ。しかし、それがされなかった。
そして、九〇年には警視庁が、先ほど言った金賢姫の
日本人化教師の田口さんを拉致したと思われる重要な容疑者の、在日商工人の安という人が関係がある、それは私はそのときの
警察のつくった内部
資料の書類を持っていますけれ
ども、九〇年五月十日付で
総連と彼の自宅に家宅捜索令状が出て、彼の手下で田口さんと
一緒に歩いていたと思われる男に逮捕状がとられたんですけれ
ども、その執行の直前に打ち切られた。
これは活字になっているんですけれ
ども、文芸春秋の九八年六月号で、警視庁関係者の言葉として、「金丸
訪朝で潰された」というふうに活字になっています。そして、昨年の十二月十六日付の産経
新聞を見ると、金丸さんから圧力がかかって、
朝鮮総連に対する外国人登録法違反の捜査が中止になった、そのことが明らかになったと産経
新聞も書きました。それは同じものなんです。これは活字になったことだけ私は申し上げています。
そして、金丸
訪朝があって
日朝交渉が始まったわけですけれ
ども、
有本さん
たちはもう
子供から
手紙が来ているんですから、その前からわかっていて取り上げてくれと言ったのに、本
交渉で
有本さんのことは取り上げなかった。
田口八重子さんのことを第三回
交渉で一回だけ取り上げた。その二年前の国会で答弁したアベック拉致は一言も言わなかった。これが
日本政府の対応です。国会で、拉致の疑いが十分濃厚と言いながら、
交渉で取り上げなかったんです。そして、
家族会ができてやっと取り上げるようになりましたけれ
ども、その後も、
日本政府は現在まで
北朝鮮に
米支援を続けているわけです。百十七万トン、費用は千六百億円です。
普通でしたら、主権が侵害されたならば制裁をとるんです。これは国連憲章でも認められている権利ですね。しかし、恩恵を与えた。では、幾ら小泉さんがサミットに行って
協力を
お願いしますと言っても、
北朝鮮を孤立させてくれるな、
北朝鮮を助けてくれと言っているわけですよね。主権が侵害されていて助けてくれと言っていたら、では、その
程度だ、
日本は真剣に思っていないというふうに各国は思いますよ。
ですから、
家族が今真剣に求めていることは、
北朝鮮に対して制裁措置を発動してほしいということです。そして、もしも被害者に危害が加われば日米安保も発動してほしい、これは
安全保障の問題だ。領土が侵されて
国民が連れ去られている。まだ帰ってきていない。
日本政府は、実は過去に三回、
北朝鮮に対して制裁を行っているんです。やったことがないんじゃないのです。八三年のラングーン爆弾テロのとき、八八年の大韓機爆破事件のとき、九八年のテポドン一号発射のとき、三回です。やっているんです。これは、
日本人はだれもけがはしていません。
韓国人が死んだり、テポドンのときはだれもけがしていませんね、外国人が被害者だったり、あるいはミサイル発射実験には制裁措置をとって、
日本人が
政府の発表でも十一人、二十年以上帰ってこれないで、
家族が生き地獄の苦しみをしているのに援助をしている、制裁はとらない。こんなばかな政策があるでしょうか。
アメリカ
政府は、テロということについて、秘密工作員または国家より下位の集団により、非戦闘員を対象として行われる
計画的、かつ政治的動機に基づく暴力行為、こういうふうに定義しているんですね。これとぴったり合うわけです。秘密工作員が行った非戦闘員に対する暴力行為ですよ。これはテロなんですよ。
ところが、
警察白書で、これは平成九年版だけに大きく書いてあるんですけれ
ども、「国際テロ情勢と
警察の取組み」というところに拉致のことが書いてあるんですけれ
ども、ここでも「
日本人ら致容疑事案」として、
北朝鮮によるテロを列記した部分には書いてないんです。そして
日本政府は、これがテロなのかどうかということについて言を左右にして、テロだと言わないんです。テロだとしたら制裁しなくちゃいけないわけです。国際
社会がみんなで
協力してテロに制裁をとっているわけです。だから大韓機爆破事件もラングーン事件でも、
日本人は被害されていないのに制裁をとったんです。
家族たちは、
政府は、特に
外務省に行きますとそうなんですけれ
ども、粘り強く真剣に取り組むと言っている、しかしその言葉ばかり聞いてきた、何にも
情報もない、わからない。これでは
政府の本音は、実は、
家族がみんな死んでしまって、うるさくなくなるまで粘り強く取り組む、そういうことにも聞こえてくるという声が出ています。
そして、
家族会に参加していた
家族のお一人、先ほど言った小浜の地村さんの
お母さんがこの四月に亡くなりました。息子さんを奪われたショックで脳梗塞になって二十年以上寝たきりで、
お父さんがずっとおむつの世話をしながら、四十万人以上の署名を集めたんです。どんなに無念だったかと思いますけれ
ども、間に合わなかった。
横田さんの
お母さんが書いた本がここにあります。その中で、娘は、
お父さん、
お母さん、いつ迎えに来てくれるの、なぜ迎えに来てくれないのと今も思っている、そう思うといても立ってもいられないと書いています。私
たち日本人は、あるいは
日本政府は、
お父さん、
お母さんというこの言葉を、母国
日本はいつ来てくれるんだというふうにめぐみさん
たちが今も思っていると思って毅然たる対応をとるべきだというふうに思います。
安全保障問題としてぜひ取り上げてください。
以上です。