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参考人(
川本哲郎君)
京都学園大学の
川本でございます。
私の
専門は
刑法と
犯罪学・
刑事政策でございます。大学院の
修士論文で
交通犯罪者の
処遇を取り上げまして以来、
交通犯罪の問題には
関心を抱いてまいりました。また、五年前に
イギリスに一年間留学して以降は
イギリスとの
比較研究にも
関心を持っております。そのような見地から、きょうは若干の所感を述べさせていただきます。
まず、結論から申し上げますと、今回の
改正には基本的に
賛成でございます。これは、国際的な
刑事政策の潮流でもありますが、
刑事政策の二極
分化、バイファーケーション・イン・ピーナル・ポリシーというものに沿った
改正であろうと考えております。
二極
分化と申しますのは、
刑事政策の原則であります、重かるべきは重く、軽かるべきは軽くというのを、重かるべきはさらに重く、軽かるべきはさらに軽くと、そういうことでございまして、具体的に言えば、重大な
犯罪を犯した者には長期の
拘禁刑を科す、軽微な
犯罪を犯した者には
社会内処遇を科すということになろうかと思います。今回の
改正案の二百八条の二の一、二項は前者、二百十一条の二項が後者ということになると思います。
次に、二百八条の二の
危険運転致死傷罪の新設につきましては、今の
井上参考人の述べられたところからも十分おわかりいただけると思いますが、
被害者の
方々からの
要望が大きな力となっております。戦後、発展してきました
被害者学という学問の貢献もございます。
現在の
被害者学は、
被害者支援ということに重点を置いておりまして、近年さまざまな
調査研究が行われており、それが
刑事手続における
被害者保護とか、あるいは
犯罪被害者等給付金支給法あるいは
少年法の
改正として結実しましたことは
御存じのとおりでございます。それまでは
犯罪被害者ないしその
遺族の声はほとんど聞かれることがなかったわけですが、最近になってようやく事態が変化してきたということです。
刑事司法の
システム自体が、
被害者の
方々の
意見によって決定されるわけではない、専ら
被害者の
要望によって決定されるわけではないのは言うまでもないことなのですが、従来、ほとんど
被害者の方の声というのは反映されてこなかった、それがようやく反映されるようになったというふうにとらえていただきたいと思います。したがって、
被害者の方の
要望がようやく聞かれるようになったのでバランスがとれてきたというのが現状だろうというふうに私は認識しております。
次に、この法案に対して基本的に
賛成というふうに申しましたが、問題がないわけではございません。
それについて以下に申し述べますと、レジュメの方にも書いてございますが、まず第一に
構成要件の問題がございます。つまり、
危険運転に該当するものとしないものとが明確に区別できるかということでございます。
二百八条の二の一、二ですが、そこに
箇条書きにいたしましたが、「
アルコール又は
薬物の
影響により正常な
運転が困難な
状態で」、「その
進行を制御することが困難な高速度で、」とか、あるいは「その
進行を制御する技能を有しないで」というような表現になっております。簡単に言いますと、
最初が
飲酒、
スピード違反、未熟な
運転、そして次が
信号無視などの危険な
運転ということになろうかと思いますが、これでもっていわゆる
危険運転をすべてカバーできているのか、あるいは逆に、これでは
危険運転と言えないものまでがここに入ってくるのではないかということが問題になろうかと思います。
外国の方に目を転じますと、
イギリスでは一九九一年に
道路交通法の
改正で
危険運転罪が設けられたわけですが、そこでは、危険というのは、
運転が
資格のある注意深い
運転者として期待されるものからかけ離れていること、そして
資格のある注意深い
運転者にとって自己の
運転が危険であることが明白なことというような定義がございます。また、
飲酒運転につきましても、
飲酒の上、不注意な
運転によってという限定がつけられております。
というふうに、
日本の
規定と
イギリスの
規定は違うわけですが、実際に挙げられているものを見ますと、
無謀運転と
危険運転というようなものが大体重なってくるということで、私の個人的な
意見としてはもう少し幅を持たせてもよかったのかなという気がいたしますが、どうも御議論の過程ではやはり限定して余り広がり過ぎないようにしようという意図が明確にあったようでして、また、これは初めてこういう
犯罪が
規定されるわけですので、スタートとしては謙抑的な形でいいのではないかと思っております。
そしてまた、先ほど申し上げたように、大体
イギリスと
日本でも同じような
運転行為が
処罰されるというふうになっておりますので、そういうところはいわゆる解釈で賄えるというのでいけるのではないか、基本的に
賛成というのはそういう意味でございます。
第二に、刑罰の問題がございます。
傷害の場合は十年以下の
懲役と、
刑法二百四条の
傷害罪と同じなわけですが、二百四条の場合は三十万円以下の罰金もしくは科料を選択できるのに対して、本条の場合にはそのような
規定がないということが大きな違いです。
また、人を死亡させました場合は、我が国の有期の
懲役刑の上限が十五年、この
犯罪に対する刑罰が一年以上ということですから一年以上十五年以下ということになります。
刑法二百五条の
傷害致死罪に対する刑罰が二年以上の有期
懲役となっているのに比べますと、二百八条の二は下限が一年になっておりますので、そういう意味では
刑法二百五条の
傷害致死罪よりも法定刑の幅は広いということになります。
いずれにしましても、かなり重い刑罰が
規定されているわけです。
ここでも
イギリスの例を出しますと、
イギリスでも、
危険運転致死罪の刑期を無期刑に引き上げてはどうかとか、あるいは十四年ぐらいにしてはどうかというような議論があったわけですが、現在のところは刑を引き上げるということは考えられていないようです。これは、ある
調査研究で五年以上の
拘禁刑が科されている事例は非常に少ないということが明らかになったからです。
そういたしますと、我が国でも
懲役刑の上限は十五年でなくてもよいのではないかということが考えられるわけですが、ここのところは、大は小を兼ねるという形ですので、そんなに大きな問題ではないのかなという気がしております。
それと、それに関連して、
交通犯罪に対して全体に刑が重くなるのではないかとか、あるいは重い刑罰を科せられるので
ひき逃げがふえるのではないかとか、そういうような危惧が表明されているわけですが、これについては次のように考えております。
つまり、今回の
改正は極めて悪質な
交通犯罪者に対する刑罰が軽過ぎるということを根拠にしているものですので、運用の実際を見てみないとわかりませんが、殺人に対してもそれほど重い刑罰が科されているわけではないという現状を見ましたら、
交通犯罪についてだけ刑罰が極端に重くなるということは考えられないだろうと私は個人的に思っています。
イギリスの例を見てみましても、今回の
刑法の二百八条の二によって
処罰されて、しかも五年を超える
懲役刑を科される例はそれほど多くならないのではないかと。もちろん、そうは申しましても、
危険運転自体の実数が非常に多いわけですから絶対数はそれほど少なくならないという可能性もあるわけですが、それが
交通犯罪全体に占める割合というのはそれほど高くないだろうということでございます。
となると、こういうような
規定は必要ないのではないかということになるわけですが、もちろんそうではありません。現在の法
規定は、業務上
過失致死罪の上は殺人罪ですから、その間にかなりのギャップ、溝があるわけです。今回の
改正は、その溝を埋めるということに尽きるんだろうと思っております。
また、
ひき逃げの増加につきましても、この場合も恐らくそれほど増加することはないだろうと。大抵の
ひき逃げは、パニック
状態になって引き起こされる、あるいは先ほど
井上参考人が述べられましたように、
飲酒運転の発覚を恐れて逃げるというようなタイプのものが多いわけですので、刑罰が重いから
ひき逃げがふえるということはそれほど多くはないだろうと思っております。
そうしますと、刑罰の
犯罪抑止効果は今度は逆にないのではないかという疑問も出てくるわけですけれども、そうではないわけでして、ここは、ドライバー全体に対して
危険運転は重罰を科される悪質な
犯罪であるというメッセージが送られるわけですから、いわゆる刑の一般予防効果は期待できるんだろう、つまり
危険運転全体としては減少するだろうと思っています。
第三に、二百十一条の二項につきましては、
最初に申し上げましたように、
刑事政策の二極
分化に従うもので、これも基本的に
賛成でございます。
なお、
傷害が軽いときは情状によってその刑を免除することができるとされていますので、これは、
傷害が軽い場合にすべて刑の免除となるわけではないというのは当然でありまして、
傷害が軽い場合でも情状によって刑の免除とならなければ、もとに戻って十年以下の
懲役ということになるわけですから、もちろん
裁判所の運用次第ということになるわけですが、私は、この
規定によって大量の刑の免除というものが出てくるものではないだろうというふうに思っております。つまり、先ほど申し上げたように、溝を埋めるということですので、
裁判所の方としてはオプションがふえる、選択肢がふえるというふうに考えていただきたいということでございます。
その次ですが、問題はさらにこの法案の成立後にあろうかと思います。つまり、今後の課題でございまして、そこには、レジュメの方に「矯正
処遇」と「交通安全教育」と「クルマ社会の在り方」というのを挙げております。
最初は、矯正
処遇の問題です。
我が国では、四十年前から
交通犯罪者に対しては、いわゆる集禁
処遇、
交通刑務所での
処遇というのを実施しています。これは世界に例を見ないもので、それ相応の効果も上がっているわけですが、最近は対象者も減少しておりまして、矯正教育の問題も指摘されております。ただし、集禁
処遇につきましては
交通犯罪者全員が集禁
処遇を受けているわけではございません。一定の条件がついておりますので、今回のように
危険運転罪で長期の
懲役刑を受けるという
受刑者が
交通刑務所に行くかどうかというのははっきりいたしませんが、行かない場合というのも考えられるということです。
いずれにしましても、五年を超えるような長期刑の
受刑者にどのような矯正
処遇を施すのかということが重要な課題になろうかと思います。
ここでもまた
イギリスの例で恐縮ですが、最近の研究ですと、そういう
交通犯罪者の長期の
受刑者と一般の
犯罪者の間にはそれほど差はないのではないか、だから特に別に
処遇する必要はないのではないかというような研究も出ておりますし、また、我が国の
交通刑務所のモデルとなったベルギーですが、これも四十年ぐらい前にそういうことをしていたわけですが、そこはもっと早い段階で、結局のところ悪質な
交通犯罪者は一般の
犯罪者と変わるところがないということを
理由に廃止しているということですので、
交通犯罪者の集禁
処遇の対象者の
調査研究というのは結構行われているんですが、悪質な
交通犯罪者全体についての
調査研究というのはそれほど行われていないわけでして、今後、やはり悪質な
交通犯罪者がどのような性格であるのかとか、どのような環境で育ったのかというようなことを十分研究する必要があるだろうと思っております。
第二は、交通教育でございます。
これは
犯罪の予防でして、
犯罪を犯した者に厳しい刑罰を科すというのは応報ですが、当然ですが、
受刑者が
犯罪を繰り返さないように教育するというのも刑罰の重要な役割でございます。
飲酒運転を例にとりますと、先ほども
井上参考人の方から述べられましたように、我が国の一般の風潮では
飲酒運転に対して寛容過ぎるのではないか、その要因の
一つに、やはり
飲酒運転防止についての教育が不十分なのではないかと思っております。さらに、
飲酒運転だけでなく、広く
交通事故防止のための教育を推進することというのがこれからの重要な課題になろうかと思います。
私の
京都学園大学では、総合講座というので「交通問題を考える」というのを三年前からやっているんですけれども、そこでは、本学の教員が私のように
犯罪学の立場から
交通犯罪を解説するとか民法の立場からとか、そういうもの以外に、自動車教習所の先生から保険会社の方から、さらには
警察の方、保護観察官の方とか、いろんな方に来ていただいて話をしていただいているんですが、その中で一番大きなインパクトがありますのは子
たちを亡くされたお母さんのお話です。これはほとんどほかの大学ではやっていないと思いますが、静まり返ります。お母さん、非常につらい気持ちをこらえて話していただくわけですけれども、そのときに学生は、やはり
被害者の方の生の声を聞いて
交通事故の恐ろしさがよくわかったというふうに言うわけでして、やはり教育の重要性というのはそこからもうかがえることだろうと思います。
最後の大きな課題ですが、交通システムの問題でございます。
自動車というのは極めて便利な乗り物でして、愛好家も多いわけですが、結局のところ、現在では
事故防止というのは
運転者にかかってくる。走る凶器に変わるわけですね。そうしますと、今のような車の使い方には無理があるのではないかということです。つまり、貧困な交通政策のもとで不十分な道路環境で十分な教育も受けないで……