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参考人(
野澤裕昭君)
弁護士の
野澤と申します。本日は発言の
機会を与えていただき、ありがとうございます。
私は、現在、自由
法曹団という
法律家団体の
司法民主化
推進本部の事務
局長をしております。その
活動を踏まえて、発言をさせていただきたいと思います。
最初に、自由
法曹団について一言御紹介させていただきます。
自由
法曹団は、一九二一年に神戸で発生した労働争議に際し、労働者を弁護するために全国から集まった
弁護士を母体として結成されました。以後、労働、刑事、公害、
行政、
環境、基地訴訟などさまざまな裁判に携わり、
国民の自由と人権の擁護のために
活動してきました。現在、全国で約千六百名の団員がおります。
私たちは、こうした労働者や
国民の
立場で裁判に取り組んできた
経験から、現在の
司法の
あり方については強い疑問を感じております。それだけに、今回の
司法制度改革については、私たちも真剣に考え、
国民のための
司法改革を行わなければならないとの
立場で、積極的に
提言もしてまいりました。
司法改革を考えるとき、
司法の現状がどうなっているかを検証することが第一に必要ではないかと思います。その場合、
国民にとって
司法、裁判というものがどういうものになっているか、
国民が何に不満を持っているのかを裁判の実態に即して検証する
観点が特に重要だと思います。
この
観点から見たとき、
司法が抱える問題として最も重大だと思うのは、現在の
司法が、憲法が
期待する
国民の基本的人権を擁護するとりでとしての
役割、あるいは憲法擁護の
役割を十分果たしていないということです。
現行憲法は、戦前の
日本が
国民の人権を弾圧することで戦争体制を築いていったことの反省から、平和国家を建設するために何よりも人権が尊重されなければならないと考え、基本的人権擁護の
理念を掲げました。また、憲法は、
法律によって人権が制限された歴史も踏まえ、違憲な立法に対しては、
裁判所にこれを
審査し、無効とする違憲立法
審査権を与えました。
行政に対するチェックも
裁判所の
役割として
期待されていると思います。まさに
司法は平和と人権を支える機能を憲法から
期待されているというふうに考えております。
しかし、残念ながら、現在の
裁判所は人権擁護、憲法擁護の
役割を十分果たしていないのではないかと言わざるを得ません。
例えば、国や大
企業を相手とする裁判では、
裁判所は国に追随し、あるいは大
企業に甘い判断をする傾向にあります。国などを相手とした水害あるいは公害の差しとめや損害賠償を求めた訴訟では、そもそも原告適格がないとか、あるいは受忍限度の範囲内の被害は違法性がないとか、
行政の規制権限に大幅な裁量を認めるなどの手法で住民や被害者の救済を拒んでいます。
労働事件でも、労働者に対して冷たい判決が続いています。一例を挙げれば、共稼ぎで三歳の子供を保育園に預けながら働いていた女性が、
会社から片道二時間以上もかかる職場へ転勤を命じられました。この女性は、妊娠中でもありとても育児ができないとこの
会社の配転命令を拒否したところ、解雇されたという事件であります。
裁判所は、
会社の転勤命令は労働者として通常甘受するべきものであるという判断をして、この解雇を有効としました。この女性は控訴し、最高裁まで十二年間争いましたが、昨年一月、最高裁もこの解雇を有効としました。
また、少年事件ですが、女子中学生が乱暴されて殺されたという事件がありました。女子中学生の体に犯人のAB型の精液や唾液が付着していたのですが、犯人として逮捕された当時十三歳から十五歳の少年の血液型がBあるいはO型と犯人のものと全く違っていたにもかかわらず、
裁判所は、精液は別の
機会につけられた可能性があるとか、少女の胸についていたAB型の唾液は少女のA型のあかと少年のB型の唾液がまざったものなどという常識外れの判断をして、少年を犯人と決めつけました。この事件は、さすがにその後、昨年二月、最高裁で破棄、差し戻しされています。
また、憲法違反と思われる状態であるにもかかわらず、判決の
影響を考慮して憲法判断を回避する、いわゆる
司法消極主義と言われる傾向もあります。
さらに、裁判が長期化し、費用がかかり過ぎるという問題もあります。労働事件や公害事件などでは十年、二十年という歳月がかかり、勝訴しても救済の意味が失われているという
状況も生まれております。裁判が
国民の常識からかけ離れ、
国民に背を向けていると思われるような
状況を変えることが、今
改革の第一に求められていることではないかと我々は考えます。
こうした現状を生んでいる原因は何かといえば、裁判官に対する最高裁を頂点とした官僚統制にあるというふうに思います。例えば、労働事件や公害事件では、最高裁が全国から裁判官を集めて裁判官会同あるいは裁判官協議会というものを開き、そこで特定の事例について事務総局から国や
企業の利益に沿った見解が示され、その方向で判決
内容を統制していくということが行われています。また、裁判官に対する任用あるいは昇給・昇格、任地などでの差別が行われ、最高裁の意向に反する裁判官は冷遇され、他の裁判官から引き離されるという人事統制も厳然として行われています。裁判官が
法務省や検察庁に出向するいわゆる判検交流、これも年間数十人の規模で行われておりますが、裁判官が国の代理人となるということで
行政寄りの意識を裁判官に植えつけ、
行政寄りの裁判をさせる原因ともなっていると考えております。
最高裁のこうした裁判官統制のもとで、裁判官が自由に
意見を表明し行動することが制限され、良心に従って裁判を行うことができなくなっている。こうした
状況が、先ほどの
国民の常識に反し
国民に背を向けた裁判を生み、憲法と人権を擁護する本来の
司法の機能を失わせ、そのことが
国民の裁判への
信頼を弱めているのではないか。そのことが、
司法が
国民の中に浸透していかない大きな原因になっているのではないかと考えています。
国民が利用しやすく身近な
司法を
実現するという
司法改革の
理念からすれば、このような官僚統制を廃止し、
裁判所を
国民の常識が通用するものに変えることが極めて重要ではないかと思います。
このほかにも、
司法の規模が人的にも物的にも小さいという問題があります。裁判官、検察官、
裁判所職員を大幅に
増員する必要があります。裁判官一人で二百件から三百件の事件を抱えるのではとても丁寧な審理はできないと言わざるを得ません。また、私たち
弁護士も、
弁護士過疎地と言われる
状況を解消するために
増員する必要があるというふうに考えます。
私たちは、こうした
司法の現状を根本的に
改革するには、
法曹一元、陪審制の導入という裁判の根本からの
改革が必要だと考えます。今回の
審議会の最終
意見は、裁判官
制度改革や裁判員
制度の新設、
国民の
司法参加の
推進などの点で現状を前進させる方向が打ち出されており、これらの点では積極的に評価しております。しかし、先ほど述べた
法曹一元や陪審制の導入については先送りをされ、官僚的裁判官
制度を根本的に
改革するものになっていないということは不十分であるというふうに考えます。
また、
改革の
理念自体についても、
政治改革、
地方分権推進あるいは
規制緩和などの
経済構造改革等の
一連の諸
改革の最後のかなめという位置づけをしておりますが、これは
司法が何のためにあるかとの
視点がずれており、問題ではないかと考えております。前述しましたとおり、
司法は、
現行憲法によって憲法の番人であり、基本的人権のとりでとしての
役割を
期待されているのであります。こうした憲法の
理念を離れた
規制緩和などのための
改革を目的とするというのでは、本末転倒ではないかと考えるものです。
また、労働裁判や
行政裁判、刑事事件、違憲法令
審査権の行使の
あり方など、人権と憲法の擁護にとって非常に重要な問題について、残念ながら今回の
意見では具体的な
提言がほとんどなく、課題として先送りされております。労働裁判では、労働調停の導入が提起されておりますが、急増する労働事件を処理するには不十分です。労働参審制などの導入を図るべきですが、それは先送りになっております。刑事裁判についても、裁判員
制度、被疑者・被告人の公的弁護
制度の新設など評価すべき点も盛られておりますけれ
ども、代用監獄の廃止あるいは逮捕後起訴されるまで最大二十三日間保釈が認められないといういわゆる人質
司法の問題などについては先送りになっております。違憲法令
審査権については、「論点整理」の中で論点項目に掲げられておりながら、最終
意見は何ら現状の問題に踏み込んでおりません。
弁護士報酬敗訴者負担の問題についても、
国民が裁判を提起することを萎縮させるものであって、
国民の
司法参加という
理念に反し、我々としては反対しております。
私たちは、
改革審のこのような
審議の
あり方、
意見の
内容が、
司法の現状、特に裁判が
国民の常識に合致していないという実態の調査、原因の分析が弱かったことと無
関係ではないというふうに考えております。
しかし、私たちは決して最終
意見を否定するという考えではありません。むしろ、裁判官
制度改革、
国民の
司法参加、その他前進的な面は積極的に
実現するべきであるというふうに考えます。ただし、最終
意見で積み残された点があること、あるいは裁判員
制度など
制度設計が今後の論議にゆだねられている点があること、
弁護士報酬敗訴者負担に問題点があることなどから、この最終
意見をゴールとするのではなく、これを新たなスタートラインとして
国民的な論議を重ね
内容を発展させるという
観点が必要であり、今後行われる立法作業においてもそうした
観点から行われるべきではないかというふうに考えるものです。
今回の
司法制度改革推進法案について最後に述べます。
これについて私たちは修正
意見というものを発表し、本日それを資料としてお配りさせていただきました。
内容はそこに記載したとおりですが、要約すれば以下のポイントになります。
第一に、
推進本部設置の目的、基本
理念の中に、
司法の憲法上の
役割を明記するべきだという点です。先ほ
ども述べましたけれ
ども、
司法改革の
理念というのは、やはり憲法が
司法に
期待している
役割に即して行われるべきであるというふうに考えます。
第二に、日弁連の責務条項については、これは削除するべきではないかと考えます。
弁護士自治を有する日弁連が
法律上
一定の責務を負担することは、自治権の
観点から問題があるというふうに考えるからです。
第三に、基本方針の中に、最終
意見が
提言した裁判官
制度改革などの積極的な部分を明確に反映したものにすること、今後の課題としている部分についても、これもきちんと盛ることが必要ではないかということです。
第四に、
推進体制の中に
国民の
意見を反映する仕組みをつくるということです。
推進本部は全閣僚であり、事務局も各省庁からの
出身者がほとんどで、これでは官僚主導の法案づくりという批判を免れません。
国民の
司法参加の
理念というものにも反するもので、これでは
国民の支持は得られないのではないかと思います。最終
意見書では、最後の「おわりに」の部分でこのように述べております。「何より重要なことは、
司法制度の
利用者の
意見・意識を十分汲み取り、それを
制度の
改革・改善に適切に反映させていくこと」であるということです。この最終
意見書の最後の指摘にこたえるためにも、立法過程に
国民の意思を反映させるということが極めて重要ではないかと思います。
推進本部あるいは事務局にユーザーの団体、労働団体や消費者団体の代表を参加させることなど、
国民が参加した
推進体制にしていただきたいというふうに考えます。
なお、顧問会議あるいは検討会
設置ということが検討されていると聞いておりますが、ここにも
利用者の代表者やあるいは
学識経験者を参加させるということが必要であり、そしてそういう機関を
設置する場合に、その存在をぜひ
法律上明記していただきたいというふうに思います。そうでなければ、この顧問会議やあるいは検討会の権限、あるいは
委員の人選や会議の運営などについてどうしてもあいまいになり、結局は事務局主導になるという批判を受けるおそれがあるからです。
最後に、情報公開を徹底してほしいということです。
審議会では、会議の議事録をすべて公表し、リアルタイムで会議の
内容を公表されました。これは公開性を非常に高めるもので、
国民の関心もこのことによって非常に高まりました。まさに、市民のための
司法改革を行う機関として、それはふさわしい対応だったと思います。今後の
推進本部の会議あるいはその他の会議においても、ぜひリアルタイムで会議の
内容を公開するべきであると考えます。最低限、すべての議事録は公開するべきであると考えます。
改革の目的はあくまで憲法と人権の擁護という
司法の本来の
役割を発揮することに置くべきであること、立法過程への
国民参加と情報公開を保障すること、そのことが
国民の
司法改革への
信頼を生み、
改革の成功につながるということを強調したいと思います。
最後に、私たち自由
法曹団の
弁護士も、二十一世紀の
司法を
国民のためのものにするため、
法曹の一員として
改革に主体的に取り組む決意であることを表明して私の発言といたします。
ありがとうございました。