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山本正和君 きょうは、
大学教育、特に
法律家になる人たちの
教育とか、あるいは医学、薬学のところをちょっと聞こうと思っておったんですが、その前に、午前中亀井
委員から
お話がございましたし、今、畑野
委員から
お話がありましたので、ちょっと私も触れておきたいんですが、
学校というのは私は役場や県庁とは違うと思うんですね。ですから、先生が朝八時出勤で五時までおって、はい、さようならと、その後は知りませんよということでいうのならば、私は
教育は崩壊すると思う。自分のうちへ帰ってもお父さん、お母さんから電話がかかってくるんですよ、子供はこうだと。それにいつでも相談に乗る。あるいは子供が自分の下宿に、若い先生の、遊びに来る、一緒に遊んでやる。そういうことがあって初めて
教育というのは行われるので、それを勤務時間を朝八時から五時までにちゃんとやりなさい、それさえすればチョンと、一週四十四時間勤務しなさいと、そんなことでは
学校はできないんだ。
私は、午前中に三重県のことを亀井先生が
お話しになったからちょっと言っておきますけれども、これは実は昭和二十二年に、当時の三重県知事と、青木さんという保守系の知事です、と三重県教職員組合の当時の
委員長とで話し合いをしまして、先生の勤務というのはどうだと。先生というのは役場や県庁と違う、だから校長さんが認めればよろしいと、勤務は。要するに、ちゃんと一人前働いていると校長が認めるか認めないかが
前提だと。だから、それはもしも自分が低学年の担任で昼からきょうは生徒がおらぬと思ったら、うちへ帰って休んでもいいよ、しかし夜の夜中まで走り回らなきゃいかぬときもあるということでもって、かなりいろんな話をしました。
そのときに、実はその当時は日教組なんというのは本当はなかったんですよね。つくらされた、占領軍の命令もありましてね。そして、どうやって組合をつくるかというのがわからなかったんですよ。初めのころは大
日本帝国
教育会と間違えて、やろうかというような話まであった。それで、どうやら組合をつくった。そうしたら今度は組合の役員のなり手がいないんですよ。だから、校長からお願いして、組合をやってくれと頼まれた。それでみんな出てきたんですね。ですから、そのときに、そういうところから出ていった場合には旅費が要りますから、旅費はしかし払わぬぞ、しかしこれは勤務時間だから、勤務として認めるから行ってこいと、こういうことで組合が生まれた。そういうのが出発点なんですね。
だからそこは、今、日教組がやれ文部省とけんかしてどうとかこうとかなんとかという時代とは違うんですよ。そこから始まっておって、そこでトラブルが起こって、例えば広島なんかでは随分激しいところあるからね。それで、何か人間的な憎しみまで生まれたところもありますけれども。三重県なんていうのは非常にのんびりしていますから、ずっと長い習慣でね。そうすると、校長さんが認めれば、はい、行ってらっしゃい、御苦労さんよと。そのかわり、おまえさん、頼んだら朝まで仕事せいよと、よっしゃというのがずっと続いていたんですよ。
そうしたら、北川さんという元気のいいのが出てきて、知事になったら、県庁の職員から、こら、おまえら空出張しただろうというので、空出張返せと言われた。空出張は悪いですよ、あれはね。だから、
学校の先生の勤務時間中の組合活動と一緒にとられちゃった。返せと言われたものだから、県庁の職員、みんな真っ青になって、それでも返したんですよ、かわいそうにね、安いのも一人十万円ぐらい返したのかな。しかし、それは実際はそのお金で酒飲んだり食ったりしたんだろうから返してもいいですよね。
ところが、教員の方はそれは
関係ないんだ、全然。しかし、そこも、
教育委員会といろいろな話し合いして、まあしかしこれからよくしましょうということで、調べようというので、朝八時から午後五時までの間に何時間ぐらい組合運動したかという
調査した。そうすると、お昼休みに職場
会議やった、これも組合運動だと。それから、分会長
会議を例えば勤務時間内でそこでやっておると。それも入っておるんだ。そんなものも全部一緒に出しちゃった。それは校長が認めているんですよ、ちゃんと。校長も地教委も認めている。それから、ほとんどの市町村長もみんな知っているんですよ。こんなことを言うとおかしいけれども、文部省から教職員課長もずっと歴代来ておったから、文部省、皆知っておるんですよ、そういうことは。
だから、組合運動というのは、まさに全面対決してストライキを打つとかなんとかいうやつはぴしゃっとしておるんですよ、そこは。日常の教職員の活動をお互いに組合員の
名前で、あるいはPTAの
名前で、校長会の
名前でやるんですよ。それはみんな合同でやる。そういうのも含めてみんな報告したのがあの十億という金なんですよ。
ところが、そいつがそうなっておるものだから本当は困っておるんですよ、県教委もね。文部省にはちょっとうそも報告しておるけれども、実際にこれを裁判で争われたら困るんですよ。それは勤務時間なのか勤務時間じゃないかといったら、証拠は何かといったら教員が報告しただけ。教員の報告は朝八時から五時までにこういうことしましただけの、それしかない。
そこで、裁判どうする、こんなことでもめても仕方ないだろうというので、まあ
教育委員会と
関係者がいろいろ話し合いしまして、とにかくこれからちゃんとしましょうということで、教職員組合の金で八億円の寄附しますと。そして、校長や教頭も、みんながこれからちゃんと三重県よくやっていくために金を寄附しましょうと。それで、十億八千万を県の
教育に寄附しようと。その金なんか文部省に返さぬでいいんですよ。文部省も本当は欲しくないんだ。それだけの金もらったら、これまた会計検査院からやられるんですよ。というのは、
行政処分したやつです、一たん。給与ですよ。
もし、例えば私が商売人で商売したとする、月給を払ったと、おまえ返せといったときに、どうやって取りますか、余分に払っている。しかし、その場合は明らかに違法であると認めにゃいかぬですよ、違法
行為である。違法
行為であるということをめぐって
議論しているから、やるのなら裁判せにゃいかぬですよ。しかし、県教委からそういう申告があれば文部省としては違法
行為で払ったものは返してくれというのは当たり前ですよ。もしこれ払ったとしたら、今度は県の段階で訴訟が起こる。本当の違法
行為かどうか明らかにせいとなる。これは最高裁まで裁判せにゃいかぬ。そんなつまらぬことで
学校現場がトラブルせぬでもいいんです。
先ほど畑野
委員が言われたように、本当に
学校の先生というのは、勤務というのは大変なんですよ。あとはだれを信頼するかの問題。一番信頼しなきゃいけないのは現場の校長先生ですよ、あるいは地教委ですよ。地教委の
教育長も一生懸命苦労して見ている。そこを、さっき
矢野局長はうまいことを言ったんですよ。服務監督はすべてそこで裁量を持っておやりになっていると言うたから。
だから、そういう信頼
関係を持った中で
行政をやらぬと、例えば超過勤務手当よこせという訴訟をかつてやったんです。大変な金になる。文部省も弱ったんですよ。各地教、県も皆困った。先生の超過勤務全部調べてやったらね。そしたら、先生もそんなことを言うの大概にせいよという話をして、当時の日教組もそれを引いて、そして超勤訴訟を和解した。これはもう西岡先生がよく御存じのこと。
だから、先生に超過勤務で云々と言って、勤務時間云々と言い始めたら大騒動になるんですよ、これは。だから、そういう意味で、それよりは文部省としては各
都道府県に、何とか現場で働く先生たちが安心して働けるような
体制をつくれ、また、労使間で十分話し合いをして
教育がうまくいくようにやれということを
指導してもらう方がいいと、こう思いますから。
ちょっとこれは午前中の先生の
お話と畑野
委員の
お話に絡んで質問の前に感想だけ申し上げておきます。お受けとめになるのは自由ですが、場合によってはまた私なりのいろんなこと、悪いことを
考えるかもしれませんから。
そこでお願いしたいんですが、実は私どもが若いとき、私は戦争に負けて昭和二十四年にもう一遍
学校を卒業したんですけれども、そのときに非常に感銘したのは、奈良県の検事さんが食管法違反だからやみ米一切食わぬ、食糧配給だけで耐えますと言って頑張ったんです。栄養失調で亡くなられた。本当に感銘したんですよ。すごいんですよ、
法律家というのはね。そんな人がおるんですよ、
法律違反しませんと言って。
ところが、この前から国会でも裁判官訴追がありましたですね。ああいうふうなことがちょこちょこ出てくる。また、弁護士さんや検事さんの
事件等も出てくる。
この前、実は
テロ行為の九月十一日の朝、私どもは国会からの視察でちょうどワシントンにおったんです。連邦裁判所におった。そこで裁判官はどういう身分かというような話を聞いていた。そのときにどかんとやられたんですけれども。私はそれを聞いたもので頭にきて、その翌日大使館のところに行って柳井さんに、こんなものは
日本国憲法も予想していないやつだと、取っ捕まえて全部ひっくくれと、
日本もそれ全部入るよと、こう言ったんです。そしたら、
山本さん、そんなことを言っていいんですかと、あなたのところの社民党はそうじゃないでしょうと言った。それは違うよと言ったんですよ。
テロというのは絶対許さぬという決意をまず
日本国が表明せにゃいかぬと。だから、柳井さん、それしっかり言ってくれと。
それで、そんな話をしたんですけれども、そのときのアメリカでいろいろ聞いた話では、裁判官というのは、人間のいろんなものがある、一生たくさんの出来事がある、人間にはいろんな性格がある。そうすると、全くいい人が突然凶暴な犯罪を犯すことがあるかもしれない。何が起こるかわからぬ。そうなると、裁判官というのは人間としてのさまざまなものがある。そうかといって万能じゃないわけですよね。
じゃ、どうするんだというようなことでいろいろ
議論した結果、アメリカでは裁判官になるについては、例えば弁護士なら弁護士でどれだけの経験があるとか検事がどうとかというふうなそんなことを含めてやっていますよと。
そればっかりじゃないんですと。アメリカのロースクールというのは、普通の
大学を出て、その
大学の中で例えば音楽の先生もおる、音楽で勉強した人がこれでじゃどうするかと、よし、じゃロースクールに行こうという人が来る。同じようなことで、お医者さんの
学校も、医者というのは人間のもう本当に死ぬ間際までの苦しみを見にゃいかぬわけですよね。だから、こういうロースクールとか医学とかいうものは特別な制度でもって資格を与えるための制度にしようとなってきたんですという話を聞いたんですね。
私はそれは本当にそうだと思うんですよね。今の
日本は、何か知らぬけれども、子供のときから英才
教育を受けて、偏差値をぴっしりつけられて、東大の法学部を出て、正直言って、こんなことを言ったら語弊があるけれども、若い弁護士の中には本当に人間がわかっておるかしらんというような人もいますよね。私は心配で仕方がない。そういうことも含めたら、そういう部分は何とか文部省としても、
日本の
教育の根本にかかわることですから、そういう
法律だとか医学とかいうふうなことについては
考えるべきじゃないかと、こういうふうに私は思っておるんです。
それからもう一つは、今、
炭疽菌で大変です。そうすると、アメリカは薬剤師がそれについては全部知識を持っていて、一斉に各
地域で始まっておる。ドイツでもそうですよ。
日本の薬剤師というのは
社会的地位が非常に低いんですよ。昔から諸外国と比べてなぜ
日本の薬剤師はこんなに低いんだと、学歴が低い。よそはみんな五年制ないし六年制です。
日本だけ四年制というけれども、それも実際にやる専門
教科、カリキュラムは二年しかやっていない。ほかは専門を三年ないし四年やっているんですよね。そういうことからいったら、どうしてもこの薬剤師の問題も取り上げなきゃいかぬ。
そして、もっと言えば、きょうはお医者さんはお見えにならぬけれども、お医者さん出身の国
会議員もおるもので一言言うんですけれども、医療費の問題の出発点は何かといったら、お医者さんが処方せんをたくさん書いて薬を出したら経営が楽だということですよ。本当ならばお医者さんというのはそういうもので経営を
考えちゃいけないんです。それができなかったのはなぜかといったら、医薬分業がないからです。医薬分業がない理由は何かといったら、
日本の薬剤師は程度が低いと、こう言われておる。程度を高くしなきゃだめなんですよね。
そのことも含めて、ぜひこれは文部省としても真剣に
高等教育の問題を
考えていただきたいと、こう思うんですが、時間が過ぎましたのでこれで終わりますので、答弁があれば。