○椎名素夫君 無所属の会の椎名でございます。
最初にお断りしておきますけれども、私、何にも予告しておりませんから、たまに聞くかもしれませんけれども、お答えになりたくなければお答えにならなくても結構です。
というのは、いつでも七番目か八番目ですから、これはなるべく時間をむだ遣いしたくないと思うので、重複したようなことは余り言いたくない。思い出すと、各党の皆さんに、
一体何をお聞きになりますかというのを、ちょうどお役所の方が
質問をとるように、とって歩いた上で考えなきゃいけないというようなことを考えますと、私は生来、不精なものですから、とてもそんなことをやる気が起こらないので、前からの方はおわかりでしょうけれども、私は通告というのをしたことがありませんので、どうぞ御遠慮なく拒否していただいて結構です。
もう、感想のようなことになりますが、さっき大渕さんの
質問にお答えになって、いろいろあったけれども円熟した先輩がどうこうというような
お話がありましたが、私のちょっと
感じを申し上げると、余り大きな公共の秩序とかなんとかかんとかというような、いわゆるビッグワードを使ってだんびらを振り回すような方はむしろ円熟していない方だと私は思っておりますので、余り軽々しく円熟というようなことをそこらじゅうの方にレッテルを張らないようにしていただいた方がいいんじゃないかと思っております。これは余計なことですが。
この
金融システムの問題をずっといろいろと見たり聞いたりしておりますと、大体、この
金融業界というのはほかの産業と違った特殊な性格を持っているということは
大臣も言われたし、そして、そのときに、つまり
公共性というものが非常に強調される。それから、きょうの
議論などを聞いておりますと、一方、それぞれの
銀行などの自主的な判断ということも随分、何遍もきょうは伺ったような気がするわけです。
この
法律もそうですし、あるいは不良債権の
処理の問題、こういうのを通じて、その大前提がやっぱりいろいろ出される
法律なんかにあると思うんですが、これは要するに、自分がやっている仕事の
公共性の自覚を十分に持って、そして自主的な判断ができるというプレーヤーを相手にした話だというのがどうも前提になっているように思うんですが、一方では、どうも本音を聞いてみると、信用できないと。このプレーヤーが本当に自主的に判断をする能力があるのか、あるいは
公共性の自覚というのが十分かということに対して、本音ではどうも不信の念を抱きながら、しかし建前としてはそうせざるを得ない。そうでないと、昔のような本当の
意味での護送船団
方式で旧大蔵省が何もかも抱え込んで言うことを聞かしたというところにまた戻ってしまうというようなこともあるんでしょうか。そういう
感じがするんですね。
そこで、もしもお答えいただけるんでしたら、この
金融機関の
公共性というのは
一体何なんであるか。それから、だれに対して責任をとらなきゃいけないのか、あの人たちは。それから、つまり
公共性というものを自覚したらどういう行動をとることが期待されるのか、あるいはどういうことはやってはいけないということになっているのか。
いつも
公共性と、こう言うとそれで話が終わっちゃうような気がするんですが、そこのところがどうもはっきりしていないためにいろんなことをやりたくなるという、その心の葛藤が
大臣には非常に
感じられるんですね。
さっき、何ですか、懇談会でおっしゃったというんだけれども、その退職金のなんのという、そんな話はどうでもいいんですが、さっきおっしゃったのは、ちょっとおもしろいからとってあるんですが、こういうときなんだからすべての問題についてもっと真剣に取り組めというのが私の気持ちだったと、こうおっしゃった。そういうことを察すると、やっぱり、おい、この並んでいる連中は本気でやっているのかねというお気持ちがどこかにあるんじゃないか。
それから、塩川
財務大臣の
お話を聞いていると、これは
銀行に限ったことじゃありませんけれども、
一体、配当もせず、借金も返さず、赤字を何年も続けるような企業というのは
一体どういうことだと言って憤激をなさっていたところ、あの本気になって怒っていらっしゃる様子を見ますと、
一体、企業の
公共性というものについて、本当のところ疑念がありながら、建前としてはそういうことにしておかなきゃいけないというあたりがきちっと割り切れていないんじゃないかと思うんですね。
ですから、この
法律でもそうなんですが、私も何人かの
委員と同じように、余りこんなものつくる必要あるのかなと実は思っているんですが、しかしどうしても、もうきちっと書き上げておつくりになったから、それを否決してしまう、否決にはならないんでしょうけれども、してしまおうというほどの一生懸命な気持ちにもなれない。
何か初めて
伺いましたが、さっき池田
委員がおっしゃったけれども、
銀行協会長はこんなもの要りませんと言ったと、我々自主的にできますからと。そういうことなら、そういうことをおっしゃるのが本気で言っているのだとしたら、つくっても別に害はない。
ラストリゾートにおっこちる
銀行が出てきたとしますね。下手なブランコ乗りみたいなもので、それは命は助かるけれども、年じゅう落ちるやつというのはみんながブーイングで信用しないんですね。それを含めて
会社の
価値というのはマーケットで判断されるという長い目で見れば、いや、公的資金に手をつけたようなところの
銀行はだめだというような判定が恐らく下るんだろうと思うし、だからどっちでもいいというふうな気持ちに今なっておりまして、どうしようかと思っているんですが。
今いろいろとぐしゃぐしゃ言いましたけれども、もう
一つ言えることは、一般の人から見ていて、本当に
銀行というのは何やっているんだろうという大変な疑念が我々以上に率直にあると私は思うんです。
とにかく一生懸命働いて預金をしていたら、あれ、みんな保証してくれないとかなんとかいうような話があって、
一体、だめだとしたらどこへ移そうかとか、そういうようなことがいつまでも持ち越されるようなことをどこかでとめなきゃいけないというのは、やっぱりできれば
銀行を信用したい。しかし、もういいかと思っていたら、何かマイカルの問題やその他あって、それもきっかけになったんでしょうが、特別検査なんというのをやると。こういうことになってくると、またどこをやったなんということはおっしゃらないのは、これは当たり前な話だと思いますが。
ちょうど、戦後、
日本の憲法を変えてしまおうというので、向こうでつくったんだけれども、それを上から押しつけたというんじゃまずいから、おまえの方から出せといって、いかにも自主的に改正をしたというような格好にしたのと同じようなことをやらなきゃいけないというような、大変手の込んだ話とどうも似ているんじゃないか。こんな例を持ち出すとお怒りになる方もいらっしゃるかもしれませんが。
それこれひっくるめて御感想があればお聞かせいただいたら、もう私はこれで終わります。