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参考人(
小杉泰君) 私は、専門が現代でございますので、
歴史と現在の中でどちらかというと現在のところに集中してお話を申させていただきます。よろしくお願いいたします。
私
たち、今
イスラム世界というものが国際
社会の中にあって、それで
イスラムというものを
一つの共通項としていろんなことを主張している、あるいはそういうふうにして何かのまとまりを持っているというふうに理解しているわけです。それで、昨今
イスラムをめぐる問題も非常に大きな
動きがございまして、その中で当然
イスラム諸国の中でもそれに対していろんな反応が出てくるというような形で、
イスラム世界というものが、国際
社会の
動きあるいはいろんなアメリカも含めて先進国が動いているのに対して、いろんな
意見を言う、そういうことを理解しなければいけないというふうに考えるわけですけれども。
世界史の中で私
たちが
イスラム世界というふうに呼んでいるようなものと、今、国際
社会の中で
イスラム世界と言っているものの間には
一つ違いがあるんではないかというのが私の申し上げたい
一つのポイントであります。
外から見て
イスラムが広がっている
世界を
イスラム世界というふうに呼ぶのはよろしいんですけれども、本
人たちが
イスラム世界であると、我々は
イスラムでまとまっているものなんだというふうに主張するかどうかということでいえば必ずしもそうではありませんで、二十
世紀の全体を見ますと、やはり過去三十年ぐらいにそういう
動きがはっきりと出てきた。その前は
イスラム世界という
言葉も彼らは使いませんでしたし、
イスラムで共通なんだということも余り言わない
時代が長く続きました。
それで、二十
世紀の初めを考えますと、伝統的な
意味での
イスラム世界、それは
オスマン帝国ですとか、あるいは
南アジアのムガール
帝国ですとか、そういうような大きな
帝国があって、そういうものが
イスラム世界を代表している。それで、いろいろの小さな王朝がそれとつながっているというような、そういう
イスラム世界というのが大体第一次
世界大戦のところで終わりまして、特に一番その当時
イスラム世界を代表していると思われていた
オスマン帝国が解体してしまった。その解体した後にできたのは現在の
トルコ共和国でございますが、この
トルコ共和国は
ナショナリズムを原点にして、当時、国土が列強によって蚕食されておりましたので、祖国解放戦争をするというような形で国づくりをしたわけですけれども、当然ながら、それででき上がった国というのは
イスラム王朝とか
イスラム共和国ということではなくて、民族
国家としての
トルコであると、こういうことだったと思います。
それで、
トルコは
独立を保ちましたけれども、
イスラム世界のほとんどは列強によって
植民地化をされまして、それでその
植民地から
独立を二十
世紀の半ばにどんどん達成していくわけですけれども、そのときには
イスラムを旗印にするということはほとんどございませんで、
民族主義あるいは場合によっては
社会主義などを旗印にしながら
独立する。
独立すれば、
国民国家として主権を確立して国際
社会に入っていくというような形になりました。
そういう国々が、もう一度、二十
世紀の中ぐらいから
イスラム意識みたいなものを強く持ち始めた。国が持ち始めたというよりは、
国民レベルでそういう意識が出てきて、それぞれの国がそれに
対応したというふうに考えた方がよろしいかと思いますけれども、そういうものがなぜ出てきたのかということを
ウンマという
言葉でちょっと御説明させていただきたいと思います。
この
ウンマという
言葉は
イスラム共同体という
意味でございます。
ウンマそのものは共同体という
意味でございますので、
イスラムの考え方でいえば、
キリスト教の
ウンマ、共同体というのもあるし、仏教の
ウンマというのもあるんだろうと。そういういろんな
ウンマがある中に我々
イスラムの
ウンマがあるんだというふうに言うわけですけれども、彼らがこの
ウンマのある種の一体感というんでしょうか、我々は
一つの共同体だというような意識を持っていることが今日の
イスラム世界の連帯とか結束とかいうことにつながっているんだろうと思います。
それで、
聖典クルアーン、いわゆる
コーランと言われている
聖典の中に
ウンマというのが書かれております。「これは汝らの
ウンマ、単一の
ウンマである」というのが、諸預言者章という章がありますが、その中の一節でございます。それから、部屋章という名前の章の中に「信徒
たちは同胞である。それゆえ同胞の間を融和せよ」という
言葉がありますけれども。あと、ほかにも連帯を勧めるとか仲よくしなさいというようなことについて書かれたのはあっちこっちにございますけれども、その
コーランの教えでは、
イスラム教徒というものは全員が
一つの共同体をなしているんだと。ここに、
世界の十二億とか十三億と呼ばれる
人たちが、自分
たちはどこに住んでいてもこの
一つの共同体のメンバーなんだというふうに考える元種があるということであります。
ただ、こういう
ウンマというようなものの意識があるのはあるとしても、あるいはそれが
宗教の教えだとしても、だからといって直ちに国際的な協力をするとか、あるいは現在行われているような
アフガニスタンでの戦争のようなときになったときに、同胞が、同じ共同体のメンバーが爆撃されるのは許されないというような
意見を言うというふうには直ちにはなりませんで、なぜこの
ウンマという意識が復興してきたのかというのはちょっと考える必要があると思います。
それで、二十
世紀には昔の王朝がだんだんとなくなっていって
国民国家になったわけですので、普通はそれぞれの国の、
エジプトなら
エジプト人ですし、バングラデシュならバングラデシュ人だという意識を持っているわけですので、そういう
人たちが、
イスラムが復活してきたときに、やはり国々は違っていても共同体なんだというようなことを言うというそこのところがポイントだと思うんですが。
私の理解では、
一つは、もちろん
政治的な
動きもございますけれども、
イスラム教徒が日常に行っている
宗教儀礼というのがございますが、それ自体が
ウンマの意識を醸し出すような仕組みになっているというそこのところがあって、それは日常生活ですので必ずしも、我々は同じ共同体で同胞なんだと思ったからといって
政治行動には結びつかないんですが、それがベースにあって
政治的な
動きが出てくると何か強い
動きになってくるということだろうと思います。
それで、
一つは、ここに
アラビア語のあいさつということで書かせていただきましたが、アッサラーム・アライクムという、あなたの上に平安をという
アラビア語のあいさつがございますが、
イスラム教徒はこのあいさつを交わすわけです。
それで、何人であっても、自分がしゃべっている母語が何語であってもとにかくあいさつはこういう、この
一種類ということに決まっておりまして、もとは
アラビア語なんですが、
インドネシアへ行っても話しておりますし、ナイジェリアに行っても話すというかこの
言葉を使っていると。それで、当然
ヨーロッパに移民している
人たちも、あるいは
日本に滞在しているような
イスラム教徒もこういう
言葉でとにかく会って話す。しゃべっている
言葉が違えば、このあいさつの先は何か英語を使ってみたり、
日本にいる人なら
日本語で話してみたりということなんでしょうけれども、とにかくどこへ行ってもこの
言葉で相手とあいさつができるという。このあいさつは割と便利でございまして、朝昼晩とか関係ないんですね。どんな時間でも使いますし、それから会ったときだけじゃなくて、別れるときもこれを言いますのですごく手軽なんですが。
例えば、そういうあいさつができる相手という、これが共同体だという。そうすると、
世界いろんなところ旅行していって、どこかへ行ってモスクへ行くと、とにかく会ったらこのあいさつをするという、それが自分
たちの共同体意識をもたらすというふうに言えると思います。
それで、
イスラムには五行、五つの行というのがございますが、ここに並べました
信仰告白、それから礼拝、喜捨、断食、巡礼というのが健康な成人の大人の
イスラム教徒であればしなければいけない義務ということになっておりますけれども、これが普通は我々は
宗教的な
行為だというふうにとるんですけれども、その
宗教的な
行為をする中に
世界的な
イスラムの共同体意識が出てくるというふうに考えられます。
信仰告白というのは
イスラムに入る入り口のところでありまして、
唯一の神である
アッラーと
預言者ムハンマドを信じますということなんですが、
イスラム教徒というのはだれかというときの最低の条件というのはこれを信じているというだけでございまして、逆に言うと
イスラム教徒に
イスラムって何ですかということを聞きますと、大体これだけを言うという。ほかはいろんなことはあるのかもしれませんが、その単純さというのがあると思います。彼らは、ですから
ウンマだと言う、我々は
イスラムの共同体だと言うときに、そのメンバーは少なくともここの共通項を持っているという、こういう意識を持っております。
礼拝は一日に五回するということになっております。
世界じゅうで
メッカの方を向いてするわけですけれども、モスクでするなり、あるいは自分のうちでするなりするときに、どっちが
メッカかなというような方角を考えてすると。それを
世界じゅうの
イスラム教徒がやっているという自覚は非常に持つわけですね。
それから、例えばモスクで礼拝しているのを見ますと、先頭にイマーム、導師、導く人というのが立って先頭でやるんですけれども、その後ろにモスクに入ってきた順になって列をつくってやります。その列になるときの順番というのは一切ありませんで、お金持ちでも貧しい人でも、あるいは力のある人でも弱い人でも、みんな兄弟だから同じなんだという、それで一列に並んで神に向かうというのが兄弟としての平等なんだということを彼らは強く言います。そうすると、いろんな国でいろんなところで礼拝をしているわけですが、とにかく
世界のただ
一つの一点、
メッカにあるカーバ
神殿に向かっているという意識を非常に強く持ってしている。それを
世界じゅうの
イスラム教徒は同じようにしているという自覚も同時にあるわけですね。ですから、毎日お祈りをするたびに、ある自分
たちの共通観を持っていくというようなそういう効果があるだろうと思います。
それから、喜捨というのは、貧しい人のために財産から一定比率、お金で考えれば四十分の一、二・五%ということなんですが、持っているお金から毎年その分を貧しい人に出しなさいということですけれども、これは当然ながら、
イスラム教徒が共同体をなしていてお互いに兄弟だから助け合いなさいという考え方に基づいておりますので、お金を出す、あるいは貧しければ今度はもらう側になるわけですが、それをするたびにそういう共同体みたいな感覚になると。そうすると、当然、例えばどこかの国で非常に困っているとか飢饉があるとか、あるいは戦争があって難民が出ているというと、それもやはり助けるべきだという、こういう議論が出てくるわけです。
それから、次が断食でございますが、これはラマダン月一月間、太陰暦ですので二十九日または三十日の間、日の出前から日没まで水も飲まない、食事もとらないということをするわけです。今たまたま
イスラム世界はラマダン月に入っておりますけれども、そうすると、最近ですとニュースでどこの国は月を、太陰暦ですので月を見ないと断食月が始まらないんですが、どこの国では見たので断食が
始まりましたというようなことが国際ニュースでも流れますけれども、ああいう形で
世界じゅうの
イスラム教徒が断食をしているというふうに思う、あるいは実際自分の住んでいる
社会の中ではみんながしている一体感があるわけですね。
それで、断食月というのは、何か我々の理解では食べない苦行なんだというふうに考えるんですが、
イスラムの断食というのは何日も延々と食べないということではありませんで、日の出前から日の入りまで食べないということですから、日が沈むと食べるわけですね、というか盛大に食べるのが普通なんですが。そうしますと、食べるというときに、家族がみんな集まって食べる、あるいは友人が集まって食べる、さらに食べられないような貧しい人がいるとかわいそうだということで、大体
イスラム世界では日が沈んだときに無料で食事を配るというようなこともやっておりますけれども、そうしますと、とにかく食べ物を分かち合う喜びというんでしょうか、そういうものを共有するという。だから、断食というと苦行っぽいんですが、現地へ行って見ていますと、むしろ一緒に御飯を食べる月みたいな感じがいたしますけれども、それでやはり同胞意識が出てくる。
最後に、巡礼でございますが、巡礼は一生に一度行けばいいということになっておりますけれども、聖地
メッカを訪れる、
メッカを訪れたらついでに
預言者ムハンマドの
メディナにあるモスクを訪れるのがよいとされておりますけれども、そのときに、今ですと、特に七〇年代ぐらいから石油ショックの後でございますね、いろいろ石油のオイルダラーが出たとか、資金が潤沢になったというようなこともありますし、それから国際的に旅行が簡単になったということもありまして、大体百万とか二百万人が集まるようになっております。その前ですと万
単位だったと思うんですけれども。
それに集まってきますと、とにかくいろんな色の人、いろんな人種、いろんな言語の
人たちが集まるというのを目の当たりにするわけですね。巡礼に行った
人たちというのはまた国に帰って巡礼のことを語りますし、それで巡礼をしたというのは尊敬されますので、みんな帰ってそのことを言うわけです。そうすると、理屈で
世界じゅうで礼拝を同じ方向にしているんだとか喜捨をしているんだとかというようなことを言ってもぴんとはこないんですが、巡礼へ行きますと完全に
世界じゅうから集まっていると。百万人とか二百万人が集まって同じ
儀礼をして、これがみんな共同体なんだと、そういう感じでございます。
それが続いてきたというところが、そうすると
ナショナリズムの
時代とか
国家の
時代になるんですが、
宗教儀礼はこれが続いていると。続いているとやはり
イスラム世界の一体性というのが日常レベルで続いてきたんだろうと。そこへ、ですから
政治的な
動きが出てくるとかなり一体感が強まるということだろうと思います。
政治的な
動きの方なんですが、
イスラム復興というのはいつからどのように始まったかというのはいろいろ考えることができますけれども、十九
世紀の終わりから二十
世紀の初めごろにはそういう考え方が出てまいりますが、カワーキビーという人が「
メッカ会議」という作品をちょうど百年ほど前に発表したんですが、これが非常におもしろいものでございまして、一八九九年に巡礼のときに
イスラム世界の
各地からリーダーが集まって国際会議をした、その議事録という形の本なんです。実際にそういう会議があったわけではございませんで、それはカワーキビーの想像の産物なんですが、その中で二つ特徴がありまして、
一つは、その中でみんなが集まって、
イスラム世界は非常に衰えている、これをどうにかしなきゃいけないという、そういう話し合いをするわけです。ですから、
イスラム世界が助け合って復興の努力をしなきゃいけないという主張をしているんですが、もう
一つは体裁そのものが彼のメッセージでありまして、もう王朝とかそういう
帝国の
時代じゃない、これからは
イスラム世界の人が集まって国際的な会議をして全体のことを決めようじゃないかという、そういうメッセージだったわけです。
それで、そのメッセージの実現というのは、一九二〇年代から五〇年代ぐらいまでの間を見ますと、カイロですとか
メッカですとかエルサレムとかでいろんな
イスラム国際会議が開かれますけれども、それは
イスラム世界のリーダーのある一部が集まっただけということでありましたけれども、一九六九年になって第一回
イスラム首脳会議が開かれました。ですから、大体七十年ぐらいかかって彼の主張したことが実際に
国家の代表
たちが集まるような形になって実現したと。
そのときに決めたのが
イスラム諸国会議機構という
組織でありまして、諸国会議機構の憲章ができたのは七二年なんですけれども、会議そのものは六九年の首脳会議で結成されたと。この首脳会議が、当時は二十五カ国ですけれども、現在は五十七、正確に言うと五十六カ国プラス一機構、パレスチナ解放機構はまだ
独立国家になっておりませんので、ということになります。ただ、
イスラム諸国会議の中ではパレスチナはもう
一つの国として扱われていますので、彼らの言い方では五十七カ国。それで、ことしの六月にコートジボワールが五十七番目の加盟国として入りました。
ですから、ここのところで初めて
イスラム諸国というものが国際
社会の中の
一つのまとまりとして出てきたわけです。国際
社会の中で
イスラム世界という集合がこういう形で出てきたというのは、やはりこの首脳会議が
始まり、諸国会議機構というようなものが出てきて初めてなんだというふうに考えられます。
それで、この集まりがどういう
意味があるのかということを考えると、
政治的に言うと必ずしもそんなに強くはない。例えば国連の中で考えますと、結構数がございますので、例えば国連の職員の休日、公休日に
イスラムのお祭り、断食明けの祭りと犠牲祭という二つのお祭りがありますが、お祭りを休みにするとかそういうようなことをするのには大きな力はありますけれども、例えば
軍事面ではほとんど力がない。
イスラム諸国会議機構には軍事同盟はありませんので、軍事的なことでは
影響力が余りないと思うんですけれども。
ただ、それにしてもまず
人口的に、今は五分の一ですけれども、先ほど半
世紀のうちに三分の一ぐらいになるんではないかということを伺いましたが、あと二、三十年の
単位で考えると、恐らく
世界の四分の一ぐらい。それで、この
イスラム諸国会議機構というのはどんどんメンバーがふえておりますので、六十五カ国ぐらいには、数は大体の私の推測ですけれども、なるんではないかと、
イスラム国もふえておりますし。
それで、
イスラム諸国会議機構というのは非常におもしろい。というのは、国際的な機構をいろいろ考えた場合に、
地域統合という場合には大体
地域的なまとまりがございますし、
宗教で国が集まっているというのはほかに例が全くないわけですね。
宗教組織の国際的な連合というのはいろいろございますけれども、
イスラム諸国会議機構というのはあくまで国連に加盟している主権
国家が
イスラムという
宗教を紐帯にして集まっているという形ですので、これはほかに例がございません。それは、
イスラムは
政治と
宗教を分けないということをしばしば言われますけれども、まさにそういう性格が出ているんだろうと思います。
それで、おもしろいのは、この
イスラム諸国会議機構というのは、参加資格というのは特に決まっていないんです。我々は、
イスラム国ってどんな国ですかというときに、
イスラム諸国会議機構に入っている国は
イスラム国と言っていいですというふうに申し上げるんですが、入る国はどういう資格、例えば
人口の半分以上が
イスラム教徒であるとか、あるいは憲法に
イスラムが国の
宗教、
国教であると書いてあるとかという、そういうルールがあれば単純なんですが、そういうのは一切ありません。ですから、どこかの国が入りたいと言って、
イスラム諸国会議機構の方で受理すればそれで入れるというだけの仕組みになっております。
ですから、現実に
イスラム諸国会議機構に入っている国を見ると、
イスラム教徒はその国の中でマイノリティーでしかない国は結構あるわけですね。ただ、その国の政府が、うちには
イスラム教徒の住民がいるからここに入りたいと言えば入れると。
イスラム諸国会議機構の中でやっているいろんな活動、特に水平ODAとかいろいろなこと、経済協力のとかやっておりますので、例えばそういうことに参加したいと思えば入れるということがあるわけです。ですから、何というんでしょうか、例えば
人口の半分
イスラム教徒がいないと入れないということであれば数も想像がつくんですが、わからないわけですね。入りたいという国があれば、マイノリティーで
イスラム教徒がいる国はまだたくさんございますので、まだまだふえていくだろうと。
それで我々は、南アメリカでも二カ国加盟国がありますけれども、
イスラムがやはり南アメリカまで広がっているというのは、我々の理解からするとちょっと驚くことなわけです。
この
イスラム諸国会議機構に入っている国の経済水準を考えますと、途上国の平均値よりも低いあたりにございます。ですから、全体とすればより貧しい国が多いというふうに言ってよろしいと思うんですが、そういう国々が集まって、確かに数がございますので、国連で投票したりするようなときには、例えばパレスチナ問題を何とかしようというような決議に投票する、そういうときに票が集まるというのはわかるんですけれども、それ以外でいうと、どうしてこれだけの
存在感があるのかというのはいま
一つはっきりしない面があると思います。
それは、恐らく
政治的な力とか軍事的な力ということではありませんので、ましてや経済的な力ということではない。
一つ大きいのは、やはりエネルギー資源ということだろうと思います。石油にしても天然ガスにしても、
世界的な分布を見ると、
イスラム圏の中にかなり大きな量が集中していると、こういうことが言えます。
それからもう
一つ、やはりソフトパワーというふうな言い方がございますけれども、ルールをつくったり知的な貢献をすることで
存在感を出していくという、軍事だとか経済の力というのをハードパワーと呼ぶのに対していえば、
イスラム圏の力というのはこのソフトパワーなんではないかと。
イスラムを広める力、あるいは
イスラムだといってこれだけの大きな
人間を一体感を持たせて、ある国際世論を形成していくような力という、それはどこか中に
政治力とか軍事力が飛び抜けた国があってリーダーシップを発揮しているのならもうちょっとわかりやすいんですが、そうでないというところが不思議といえば不思議ですし、特徴なんだろうと思います。
それで今、
イスラム世界、だんだんまとまりを持ってきた。三十年ぐらいの間にかなりまとまりを持ち直してきたと言った方がいいと思うんですけれども、
植民地化とか
国民国家の成立を通じてかなりばらばらになっていたのがまとまりをもう一回持ち直して一生懸命やっているという状態の中で、今どういうことが彼らにとって一番問題なんだろうかということを最後に申し上げたいと思います。
一つは、
イスラム法の現代化というのが大きな課題になっております。
イスラム法というのは、イスラームの法ですので経典
コーランをもとにしてつくられておりますが、これも
イスラム世界の共通項としてあるんですが、
イスラム法というのは前近代のかなり安定した時期に安定した形をしておりましたので、近代に入ったところでかなりそごが出てきたと。出てきた当時、十九
世紀から二十
世紀の前半については、もう
イスラムは古いんだという議論が専らだったんですが、実際には、
イスラム法というのは柔軟な解釈ができますので現代化できないということは全然ありませんで、二十
世紀の半ばぐらいから現代化の努力が非常に続けられております。
以前は西洋の法律を移植するということが専らだったんですが、そうですと、どうしても現地の
文化とのそごがあるということで、近代的なものと
イスラム的なものを合わせたものという努力が非常に進んでおります。が、まだまだ時間がかかると。それで、
イスラム世界は割合一体感がありますが、コンセンサスを大事にいたしますので、
イスラム諸国会議機構でも多数決はとらないわけですね。全部コンセンサスでいくんですが、そのかわり時間がかかるということで、
イスラム法の現代化もそんなスピードでは進まないという、それが
一つの課題。
それから二番目は、穏健・中道派の形成ということだろうと思います。今、非常に過激な
イスラム急進派の
動きが大変国際的にも問題になっておりますけれども、非常に伝統的な考え方、それから近代主義的な
イスラムの考え方、それから復興の考え方、復興の中にも穏健な
人たちと急進派とございますので、
イスラム世界の中、かなり
意見が分かれていると。これをやはりコンセンサスを集約していくというのにかなり苦労して、次第にでき上がりつつはあると思うんですけれども、スピードがいまいち出ない。例えば
イスラム諸国会議機構が国際フォーラムとして機能しておりますけれども、それがうまく機能していかないとどうしても急進派が成長するというようなことがあって、なかなか中道派が主流になり切れないような、そういうような
部分の問題があると思います。
それから三番目は、パレスチナ問題、エルサレム問題。これはやはり
イスラム世界が一番問題にして、それで
イスラム諸国会議機構というものもパレスチナ問題、エルサレム問題をきっかけにできましたので、これを何とか国際的にきちんと解決したいという強い希望を持ち続けております。
それから、加盟国間の紛争防止ですね。
イランとイラクの戦争にしても、まだあちこちにある国境紛争にしても、こういう問題が、
イスラム諸国は、
イスラムはみんな共同体なんだと、同胞なんだと言いながらも、国のメンバーの間でかなり紛争がございますので、これを何とかしなきゃいけないと。
それで、
イスラム諸国会議機構は国際
イスラム司法裁判所というものを八七年に設置することに決めたのですが、それがもし設置されれば
イスラム諸国の間の調停はイスラームの法に従ってするというようなことも可能になるんですが、まだ実際には設置されておりません。ここら辺が課題になっていると思います。
最後は、
一つ一つの国はかなり途上国が多うございますので、経済発展をする、それから
イスラム諸国の間の水平貿易、経済協力を拡大していくということでございます。それで、
イスラム諸国会議は七五年に
イスラム開発銀行というものを設立いたしまして、貿易の拡大とかそれぞれの国の経済発展、あるいは職業訓練などを含めた教育の問題とかに取り組んでおりますが、七五年時点では大体五%ぐらい加盟国間の貿易があったのが、十年ぐらい前に一一%ぐらいになって、これは倍増ですのでかなり、一一%が多いか少ないかは、ちょっと余り多いとも言えないと思いますが、成果があったようですが、昨年ぐらいの数字だとどうも八%ぐらいで、むしろグローバライゼーションの進展の中で先進国との関係が強まっているのかなというふうに思いますけれども、その辺が、一生懸命やっているのはやっておりますけれども、まだまだ課題としては大きなものが残されていると。そういうようなのが大体の現状ではないかと思います。
以上で私の報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。