○土井たか子君 私は、
社会民主党・市民連合を代表いたしまして、小泉
内閣総理大臣の
所信表明演説に対して
質問をいたします。(
拍手)
初めに、私は、この九月十一日、
ニューヨークとワシントン及びペンシルベニアで発生いたしました無差別
テロの犠牲となられた
アメリカ国民及び
日本国民を含む七十八に及ぶ国々の
方々に対して、心からなる哀悼の意を表明いたします。
搭乗した
民間機が乗っ取られ、無理やり自爆
攻撃の道連れにされた
方々、いつもの朝のオフィスが瞬時に火炎地獄と化し、火災とビルの崩壊にのみ込まれていった
方々、そして、救援に向かって命を絶たれてしまった消防士、警察官の
方々、さまざまな夢と希望と家族への思いを持っていたに違いないこの人々の人生は、いきなり理不尽に断ち切られてしまいました。この
方々の悔しさと怒り、そして御家族、友人、同僚たちの悲しみと嘆きを私は分かち合うものであります。
犠牲者六千五百人以上と言われる無残さに、私は戦慄し、
言葉を失いました。こうした
テロは、その背後にいかなる動機や信念や事情があろうと、決して許されるものではないと私は
考えます。
テロは、すべての人々の平和と安全を脅かし、暴力の排除を願ってさまざまなルールを築き上げてきた人類
社会に対する挑戦であります。
日本も
国際社会と
協力しつつ、まさに主体的にこれと闘っていかなければならないのは当然のことであります。(
拍手)
ところで、この
テロに対する取り組みをどうするか、これこそが、当初、
雇用をテーマに
考えていたはずのこの第百五十三回
臨時国会の最大のテーマとなりました。
国民もマスコミも、この点に注目をしております。
政府からすれば、米軍
支援に
自衛隊を派遣するという、
憲法上も実際上も最大の争点となるであろう
新法ほかの三
法案が準備されているにもかかわらず、
総理の
所信表明演説には、その
理念も
考え方も、あるいは具体的な中身についても全く触れられておりません。これは一体どうしたことでしょう。不可解であり、無
責任と言わざるを得ません。
九月二十五日のブッシュ米大統領との会談では、
小泉総理は、この米軍
支援立法の約束さえしておられます。
米国大統領には説明しても、
日本国民には説明しないということなんでしょうか。
国民軽視、国会軽視も甚だしいと言わなければなりません。
さらに、国会の
議論も待たず、自衛艦をインド洋に派遣する方向で防衛庁が調整しているという報道がありました。これは、
米国の
発動する
戦争に実質的に参加するということを意味します。場合によっては
国民の生命財産を危険にさらしかねない可能性のある決定を、また
憲法上も大いに疑義がある決定を、一省庁が先走って検討しているとすれば、
日本国民にとってゆゆしい大問題だと言わざるを得ません。これは誤報ですか。検討がなされていたのが真実とすれば、その
責任者はどの省庁のだれですか。
総理、お答えください。
テロ関連三
法案とは、米軍
支援の新
法案であり、
自衛隊法改正案であり、武器使用基準を緩和するPKO法改正案であります。すべてが
自衛隊絡みの
法案です。
テロリズムに対する闘いが、どうして
戦争や
軍事力の
行使が前面に出ないとできないと
小泉総理は
考えておられるのか。遺憾ながら、この問題を利用して、
政府は、従来の
軍事にかかわる
憲法の制約を振り払ってしまおうと
考えておられるのではないかとさえ、私は疑わざるを得ないのであります。私がメディアの取材に答えて、悪乗りではないかと述べたのは、そういう意味であります。
もとに戻って、まずは、
ニューヨークとワシントンを襲った
テロとは何であったかについて
考えてみる必要があります。
ブッシュ大統領は、
テロ攻撃の直後、これは新しい
戦争だと述べ、その相手は、アルカイダという
テログループであり、その指導者であるサウジ出身のオサマ・ビンラディン氏であると名指しました。そして、この
戦争は
外交、諜報、司法、
経済、兵器など、利用できるすべてを動員して戦われると述べました。
問題は、この新しい
戦争とは何かということです。被害が非常に巨大であったこと、
政治的、
経済的な中枢部が
攻撃されたことなどから、
米国がこれを
戦争という比喩で表現したとすれば、それは理解できます。しかし、比喩ではなく、文字どおりの
戦争と理解して対処するなら、多くの誤りとさらなる
悲劇を生み出しかねないと私は恐れるのです。
日本も、過去にこうした無差別
テロを経験したことがあります。例えば、三菱重工爆破事件や地下鉄サリン事件などです。いずれも多くの死者と重軽傷者を出し、現場はまさに悲惨な
戦場そのものでした。しかし、これらは、被害の規模は大きくても、犯罪であって
戦争ではありません。もちろん、
日本はこれを犯罪として捜査し、容疑者を逮捕し、法に従って裁き、あるいは裁きつつあります。
犯罪に対しては、法に基づいて捜査し、証拠を固め、容疑者を逮捕し、法に基づいて裁くというのが近代
国家のいわば基礎認識であります。それによって
社会に正義が回復されると
考えるのが法治
社会です。
もとより、被害に対する報復は認められません。
一方、
戦争となれば、平時の法には一切制約されないことになります。法を超越した無制限の暴力がこれにかわります。
武力のさなかにあって法は沈黙する、全くこの
言葉のとおりですよ。
小泉総理は、今回の
事態をどのように認識しておられますか。犯罪と
考えますか、
戦争と
考えますか。
犯罪であれば、まずは捜査を行い、容疑の証拠を固めるべきであって、特定の国への
武力行使などはあり得ないと
考えますが、どうお
考えですか。凄惨な暴力に対して、さらに凄惨な暴力でこたえるのは文明
社会のやり方ではないと
考えますが、いかがお
考えでしょうか。
仮に
戦争と
考えた場合にも、問題は残ります。
国際社会は、
国家の
自衛権は認めていますが、報復の
戦争などは認めていません。
国連憲章並びに一九七〇年の
国連総会
決議により、
武力を用いたあだ討ちは禁止されています。
自衛権の
行使に際しても、まず緊急性と均衡性という要件を満たす必要があり、
国連安保理に報告する義務を負っております。
武力の
行使に当たっても多くの制約が課せられているというのが、過去百年にわたって人類が努力してきた成果であり、
国際社会の約束であります。こうした制約が一たん踏み破られれば、
国際社会の秩序はこれから大混乱する可能性があります。
仮に
米国がアフガニスタンのタリバンを
武力攻撃するとした場合、これはどういう
戦争ということになるのでしょうか。自衛
戦争でしょうか。それでは、
自衛権発動のための緊急性はあるのでしょうか。
総理はどう
判断されているのですか。お答えいただきたいと思います。
国連安保理の
テロ非難決議のどこを読んでも、アフガニスタンやタリバン政権を
攻撃してもいいなどとは書いていません。あらゆる必要な措置をとるという主体は
国連であり、個別の
国家ではありません。この場合、
国連決議なしの
武力の
行使は
国際法に違反します。
また、
米国の
武力行使が
自衛権の
発動というのであれば、それに対する
協力は、後方
支援といえども、明らかに
集団的自衛権の
行使ということになります。事実、北大西洋条約機構、NATOの
判断はそのようなものだったのではないですか。しかし、
日本の場合、
集団的自衛権の
行使は
憲法によって禁止されています。米軍
支援のために
自衛隊をインド洋にまで派遣するなど、どの
観点から見ても、初めから不可能なことではないでしょうか。
テロリズムに対してどのような手段でどう闘うか、また
米国の
戦争にどこまで
協力するかについて、
世界の各国はそれぞれ悩んでいるように私には見えます。それどころか、
米国内部でも、あるいはブッシュ政権内部でも意見が分かれているというのが実際ではないでしょうか。
湾岸戦争と違って、この
テロに対する闘いは、相手が見えず、
武力行使の正当化が難しいだけに、格段に複雑で困難なものであることが次第に明らかになりつつあります。
武力の
行使について、
世界各国でも、
米国内部でも、もちろん
日本でも、慎重な意見が次第に多く見受けられるようになってきました。その中で、小泉政権の
対応は、浮き足立ち、しかも、余りに
軍事と
日米同盟に偏り過ぎていると私には思えてなりません。
テロへの糾弾と
テロ組織の根絶については、
国際社会はほとんど一致しております。ただ、どのような方法をとるかについては、それぞれの国や
社会の制約や能力に従って決定し、実施するしかないし、
米国も
国際社会もそれ以上を求めてはいないと私は
考えます。それは、九月十二日の
国連安保理決議を見ても、また、九月二十日に発表されたG8の共同声明を見ても明らかであります。
日本には
日本の規範があり、
原則があります。それは
日本国憲法であります。
日本は、
武力による威嚇または
武力の
行使をしてはならないと決められており、
社会全体が
戦争をしない、できない
仕組みになっているのです。この
社会が
米国に追随して
軍事的
対応をするなど、初めから無理なんです。そして、そのことを恥じる必要など全くないと私は思っております。
テロ、
テロ組織への対策は、
軍事的なもの、日米安保にかかわること以外にも山ほどあると
考えるからです。
例えば、司法、警察の捜査
協力、情報の
協力、対話を促進する
外交的な
協力、
テロ組織の資金源を断ち切る金融面の
協力、武器の流通を阻み、抑制していく
協力、航空の安全のための
協力などがそれです。何より
日本政府は、アフガニスタン和平のために今まで
外交関係を大事にしてきたのではありませんか。アフガンであれパレスチナであれ、対話と和解のために、中立で野心のない
日本ができることは多いと思います。
テロリズムを防止し、また公正に裁いていくための
国際的な司法の枠組みを提起することも、大いなる
国際的貢献となるでしょう。
国際刑事裁判所の設置に関する条約に日米が
協力して積極的に取り組むことも、不可欠な問題ではありませんか。
国連では昨日から総会が開かれています。
国連の月と言われるこの十月にも、
国連の場で率先してこの努力ができるではありませんか。
米軍の報復
攻撃があることを予想し、それに無批判に追随、
協力するというのではなくて、
戦争を起こさせない努力をすることも、
日本が要請されている役割の一つではないでしょうか。それは将来、必ず米
国民からの理解を得る日が来ることを私は信じます。
アフガニスタンやタリバン政権に対する
米国の
武力攻撃が仮にあり得るにしても、現在のところ、その
武力の質もレベルも、その
目標も期間も、全く明らかになっていません。それが明らかになっていないからこそ、NATOの加盟国でさえ
軍事協力の具体的な中身を決めかねているのです。米軍の
武力行使の形態がはっきりしていない段階で、なぜ
日本政府は、その米軍の後方
支援をすることを早々と決めているのでしょうか。小泉政権は、
米国にすべてを白紙委任するおつもりですか。
今回の
テロに対するオサマ・ビンラディン氏やアルカイダの関与についてのはっきりした証拠さえ、私たちはまだ
米国から見せられてはおりません。まさか、証拠も提示せずに
米国が
武力行使することなどあり得ないと私は思いますが、ましてや、証拠を示されもせずに、その
武力行使を
日本が
支援するなどあり得ることでしょうか。お答えいただきたいと思います。
このような
法律が一たんできてしまえば、いかにそれが時限立法としてつくられたとしても、やがては、米軍の必要に応じて、
自衛隊は
世界の果てまで
支援に行くことになりかねません。
小泉総理は、
自衛隊をそのようにするおつもりですか。
小泉総理は、靖国神社に参拝されたとき、近隣諸国からの批判に答えて、
日本が二度と
戦争しないよう祈ったと語られました。その舌の根も乾かぬうちに
戦争の片棒を担ごうとされるのでしょうか。危険を伴っても
自衛隊に
活動してもらうとは、どういうことでしょう。巻き込まれて戦死者が出てもやむを得ないということでしょうか。反撃して
戦争に参加してもいいということでしょうか。この際、
小泉総理のお
考えを正直に語っていただきたい。重大な問題です。
危機であればあるだけ、緊急であればあるだけ、
原則に立ち返り、その
原則を守ることが重要であります。
総理、それが
憲法であり、
憲法の規範というものではありませんか。
危機のときに投げ捨ててしまうようなものは、規範とは呼べません。
原則とは呼べません。
総理は、今回、
憲法を熟読されたと聞きます。改めて言うまでもなく、
憲法は、緊急の
事態において為政者の
行動を縛る規範として存在しています。そして、
総理大臣は、
憲法を最も遵守しなければならない義務があります。先日の所信表明では
憲法の前文を都合よく引用されましたが、その前文には、「
政府の
行為によつて再び
戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを
決意し、」とあることをどうか忘れず、
憲法の精神に沿って施策を進めていただきたいと思います。(
拍手)
こういう緊急を要する問題では、まず、与野党が一致でき、
国民みんなが納得でき、
協力できることから始めるのが筋ではないかと私は思います。
自衛隊や
憲法のかかわる難問から浮き足立って無理に始めれば、必ず対立が生じ、
政府は説明がつかなくなって、
海部内閣時代に廃案となった
国連平和
協力法案のような結末を迎えることになることを、私はあらかじめ警告しておきます。
実際、
自衛隊を在日米軍基地などの重要
施設の警備に当てることができるようにする
自衛隊法改正案は、
与党内部は
もとより、
自民党の中からでさえ疑問の声が噴出しているじゃありませんか。
国民に銃を向けるのか、まるで戒厳令のようではないかという声。
もともと自衛隊は自分たちの部隊警備の任務も権限も持っていないのに、なぜその任務も権限も持っている米軍
施設を警備するのか、こっけいではないかという声すらあります。
自民党の中にですよ。
総理は、現在、警察の力で警備できないようなどんな
事態があるとお
考えなんでしょうか。
もう一つ、
テロ関連でお尋ねしたいのは、パキスタンに対する制裁の解除であります。
この制裁は、九八年に行われた核実験に対して実施されたものです。いわば、
日本の非核
政策、核不拡散
政策の一環としてなされたものです。パキスタンは、いまだ核兵器不拡散条約、NPTに加盟せず、核
政策を変更してもいません。なぜ制裁を解除し、四千万ドルの援助を行うのでしょうか。
日本の非核
政策は変更されたと理解していいのですか、はっきりしていただきたいと思います。
小泉総理はどれほど意識しておられるかわかりませんが、今回、
日本が
自衛隊を派遣するかもしれないことについて複雑な感情を抱いているのは、韓国、中国など近隣諸国であります。
日本が
軍事力を海外に送ることは、将来、東アジア地域の非常に大きな不安定要因となるであろうと、韓国のある学者は警告しています。なぜだと
総理はお
考えですか。
それは、東アジア地域において、
日本が信頼されるパートナーとなっていないからです。ことしに入ってから、歴史
教科書問題と靖国神社参拝問題によって、それまで比較的良好な
関係を保っていた韓国、中国と
日本の
関係は大きく損なわれてしまいました。そして、今もなお
関係は修復されておりません。
私は、最近、韓国を訪問し、金大中大統領と会談してまいりました。そのとき大統領が言われたのは、ひもの結び目はそれを結んだ人がほどくものだということであります。韓国であれ中国であれ、
日本との
関係をこのままにしておいていいとは決して
考えておりません。むしろ、良好な隣人
関係を築きたいと願っているわけです。しかし、握手をするためには、まず問題を引き起こした側がそれを解決する
姿勢を示す必要があるということです。このままでは、来年のワールドカップを気持ちよく開催することはできないのではないかと私は心配しております。
韓国では、日韓
関係は、九八年の日韓パートナー宣言以前の
関係に逆戻りしたと言われています。
小泉総理は、この共同宣言を再確認するつもりがおありになりますか。あるいは、九五年の村山
総理談話の歴史認識から後退しないことを内外に宣言されることができますか。歴史
教科書について、それらの宣言の精神にのっとって、近隣諸国に配慮すると約束することができるでしょうか。来年以降の靖国神社への参拝についても、より慎重に
判断する必要があるのは当然です。
所信表明演説で、未来志向の
協力関係と述べられましたが、
総理の明確な
態度表明なしには、未来志向どころか、
総理の望まれている首脳会談さえできない
現状をどう認識されているか、お答えいただきたいと思います。
最後に、
構造改革にかかわる問題について、時間の
関係で一点だけお尋ねいたします。
雇用の問題です。戦後最悪の
失業率五%が続いています。しかし、この数字も、求職をあきらめてしまった人などを加えますとさらに大きくなり、若年層や中高年、女性などははるかに五%より高いと言われます、
失業率が。求職と求人のミスマッチがあるだけなどという
小泉総理の楽観的な認識はどこから出てくるのか、全く
現状を把握しておられないとしか言いようがありません。
安定した仕事なしに、どうして将来を設計したり子供を育てたりできるでしょうか。
年金や
健康保険も、安定した仕事があってこそ
考えられるのであります。
構造改革が進み、
不良債権の処理が進めば、大失業時代が来ると言われております。ITバブルが崩壊し、電機
産業などが次々と大規模なリストラを発表している中で、相変わらずe—Japanなどと言っている場面ではないでしょう。
私は、現在の
雇用流動化、不安定化
政策を改めて、思い切って、失業保険などのセーフティーネットを強化し、ワークシェアリングを進め、福祉、
介護、環境、教育、保育などの分野でより積極的な
雇用の拡大を図る、このことがどうしても必要だと
考えますが、いかが
総理は
考えておられるかをお聞かせいただきたいと思います。
質問の終わりに、皆さんにお伝えしたい詩の一節があります。
かつて
テロリストの凶弾に倒れたジョン・レノンさんのパートナー、オノ・ヨーコさんが、この九月二十三日の
ニューヨーク・タイムズ紙に、レノンさんの曲「イマジン」の一節を載せた全面広告を出されました。この広告は、一面真っ白な中にわずか八つの
言葉が書いてあるだけです。
Imagine all the people living life in peace
人々が平和に暮らすことを想像しよう
終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣小泉純一郎君
登壇〕