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高井参考人 高井でございます。
きょうは、ここで
意見を述べる機会を与えていただきましたことを心からお礼申し上げます。
私は、約二十六年間検事をしておりました。
弁護士になってそろそろ四年でありますが、
加害者の側、
被害者の側から
交通事件を見てきたということになろうかと思います。また、私ごとではありますが、私が極めて親しくしていたおばが若いころに
交通事故で亡くなっております。また、私の息子二人も、けがで済みましたけれども、
交通事故に遭っております。そういう
意味では、遺族という
立場でもあろうかと思っております。そのような
観点から、きょうは
意見を述べさせていただきたいと思うのであります。
まず、毎年八千人あるいは九千人近い人間が
交通事故で亡くなる、あるいは重度の後遺障害に悩む
状態であるということは、これはある
意味ではゆゆしき事態であって、その
交通事故をいかにして事前抑止するかということは、ある
意味では国家的な
関心事でなければならないというふうにかねてから思っておりました。
交通事故を抑止するというためにはどうすればいいかということになるわけですが、これは、
犯罪という
観点から見ますと
刑罰を重くすればいいのではないかということになります。しかし、後から申し上げますように、この
交通事故については
刑罰法規の持つ抑止力というものが余り期待できません。
したがって、
交通事故を抑止するためには、
刑罰法令を重くするということはある
意味では必要ではありますけれども、それだけではなくて、例えば二輪車の
交通レーンと四輪車の
交通レーンを物理的に区別すれば、二輪と四輪の右折、直進の
事故は起こらないということになるわけです。したがって、
交通事故抑止という
観点から見ると、都市計画をどうするのかということも当然考えられなければならない。また、車のブレーキ性能が向上すれば
事故は減る、あるいは前方不注視の
運転者がいた場合には、アナウンスでそれを注意喚起するという性能のある車が開発されればそれで
交通事故はさらに減るということになります。
したがって、
交通事故抑止という
観点からは、
刑罰法令を整備するというだけではなくて、そのほかの、車の性能あるいは道路環境というものをどうするかということもあわせて考えなければいけない問題であるというふうに思っております。この場はそのような法令以外のことを
審議する場ではないと思いますけれども、議員の皆様方にはそのような問題であるということを意識していただきたいと思うのであります。
次に、ではなぜ
刑罰法令に抑止力がないのかということになるわけでありますが、
刑罰法令が抑止力を持つのは故意犯であります。人を殺したら死刑にするぞという法令があるからこそ人は殺人をしない。要するに、故意犯であるから、殺人をしようと思うかどうかは自分で決定できる。したがって、法令を意識して人は殺すのをやめようということになるわけですね。
ところが、
交通事故というのは
過失犯ですから、だれも
事故を起こそうと思って起こすわけではありません。私だけは
事故は起こさないと思っている、そういう
状態で
事故が起きるわけですから、一般的な
刑罰法令の抑止力というのは故意犯に比べると少ないということになるわけです。
しかし道路
交通法があるではないか、道路
交通法は故意犯だろうということになるわけですが、御承知のとおり、道路
交通法の場合、その規制の実態が世の中の実態に合っていない。例えば、町の中を六十キロ規制にしている、しかし実際は六十キロで走ると渋滞が起きる、みんな八十キロから九十キロで走るというときに、スピード違反で七十キロで走っていた者を検挙する。だれもそういう法令は信頼しない。
さらに、余りにも発生件数が多いからそれを全部検挙して必罰にするということはできないことになると、道路
交通法の持っている
刑罰法令としての抑止力というのが極めて限定されたものになるということになるわけです。
刑罰法令が抑止力を持つためには、やってはいけないことが明記されていて、そのやってはいけないことをやった場合には一〇〇%近く検挙されるということがない限り抑止力を持たないということであります。
したがって、今回の改正によって、やってはいけない
行為というものを特定する、それは
危険運転行為ということになるわけですが、それを故意犯的に構成して、その結果が重い場合には重い罰を科するという今回の基本的な考え方というのは、
交通事故をいかにして抑止するかという
観点からも極めて妥当なものであるというふうに考えております。
講学上、これまでの二百十一条というものは開かれた
構成要件と言われています。要するに、不注意で
事故を起こした者は罰しますよと書いてありますが、何が不注意なのかは一言も書いていない。何が不注意かは皆さんが勝手に考えなさいよということになっているわけで、これでは、どういう
運転をしてはいけないのか、どういう
運転をして
事故った場合には重くなるのかが
国民はなかなか理解できない。
しかし、今回の改正によって、酔っぱらってまともに
運転ができないような
状態で
運転したらとんでもないことになりますよ、アルコールの
影響でまともに
運転できない
状態で
運転したらとんでもないことになりますよということをあらかじめ
国民の前にメニューとしてさらすということになるわけですから、
国民はそれを見ることによって、そういう
運転をするのはやめようという規制が働く。そういう
意味で、今回の改正のような
法律をつくることによって
刑罰法令の本来持っている抑止力が回復されるというふうに考えております。
一方、先ほど来問題になっておる
免除規定の問題ですが、車
社会と言われるように、現代の
社会において車が果たしている
社会的な機能というものは極めて大きなものがあって、この
社会から車を排除することはできません。しかし、車を
運転するということは必然的にこれは
事故を招来するものであって、統計的には
事故の発生は不可避であります。統計的に
事故の発生が不可避なものを
社会的に必要な道具として認容しておきながら、不可避的に生じた
事故はすべて
犯罪であるとするのは、本来の
犯罪論からいうとやや異なっているのではないかと思います。
したがって、本来であれば、極めて軽微な
過失による極めて軽度な結果しか発生しなかった
事故については非
刑罰化をするあるいは親告罪にするというのが最も妥当な措置であろうというふうに私自身は考えております。
今回の改正は、そこまで踏み込まないで刑を
免除するという形になっていて非
刑罰化はされていないわけでありますが、私の
立場からすれば、次善の策としては
評価できるであろうというふうに考えております。
それから、一般的に抑止力を持つ
刑罰法令をつくったとしても、その検挙が十分に行われなければやはりその条文は死文化するわけで、いかにして新しい法令に違反したものを適切に検挙するかということが重要になるわけでありますが、その
観点からは、
捜査力を合理的に配分する、
捜査力を重要な事件の方に合理的に配分するということが必要であって、そういう
観点からすると、ほとんどが起訴猶予になっている事案、あるいはなるであろうと思われる事件に対して極めて精緻な実況見分調書をつくることを
捜査機関に
要請するということは、
捜査力を有効に活用しているとはやはり言いがたい。
したがって、起訴猶予相当であると思われる事案については、
捜査はしっかりする、
過失の
原因もしっかりする、
責任の所在もしっかりさせるわけだけれども、その書類の作成、例えば一番時間を要している実況見分調書の作成をある
程度簡略化するということによって、浮いた
捜査力を悪質重大な事件の
捜査に重点的に振り向けるということが
国民の利益にかなうものであろうというふうに考えております。
それから、細かい条文の書き方について一点だけ申し上げてみたいと思います。
構成要件が客観化されなければいけないということは先ほどの
意見にもあったとおりであります。また、
弁護士の
立場からいうと、自白によらなければ事実認定ができないような条文の書き方というのはできる限り避けられるべきであるというふうに考えております。しかし、今回の改正では、例えば制御不能の
高速度であるとか、その他もろもろの
評価を含む概念が用いられています。
評価を多く含む概念を用いられますと、
捜査機関によってその
適用は異なってくるということにもなります。
それからもう一つ。例えばある
程度のスピードオーバーで同乗者にけがをさせた。一週間のけがであった。従来の扱いであれば、
罰金か、あるいは一週間ですから不起訴ということになります。スピード違反はあるんですけれども、スピード違反は現認でなければ立件しないというのが
実務の取り扱いですから、スピード違反は不問に付されるというのが今の取り扱いであろうと思います。ところが、今回の改正条文が仮にそれに
適用される、そのスピードが制御不能の
高速度であったというふうに認定されると、同じ一週間のけがであっても、直ちに十年以下の
懲役刑に処せられるということになるわけであって、
運転行為をどう見るかによって、結果が同じでも天地雲泥の差が出てくるということになるわけです。
ですから、
危険運転行為と認定するのか、そうでない
運転と認定するのか、これが極めて重要なことであって、この認定が正しく行われるようにしないと、今回の改正はその趣旨を正しく実現されないことになるのではないかということを
弁護士としては懸念しております。
したがって、この
運用に当たっては、
捜査機関あるいは実際に
捜査を担当する人方に対して、この改正の趣旨、それから、新しい概念がいろいろ用いられておりますが、その新しい概念の
意味するところ、そしてその限界というものが周知徹底されるということが必要であろうと考えております。
以上です。(拍手)