○
若林参考人 NHK解説
委員の
若林です。
司法制度改革という将来のこの国の形を決める大事業、それを推進する
法案の
審議に当たりましてこうした機会を与えていただきましたことに、まず感謝をしたいと思います。
これから私が述べます
意見は、NHKとしての見解というようなものではなくて、
司法問題を取材し、見詰めてまいりました一ジャーナリストとしての
意見というふうにお聞きいただきたいと思います。
まず、この
法案についてでありますけれども、
司法制度改革を進める上で、強力に推進するための
法案としては必要だろうというふうに思います。ぜひ早期に成立をさせていただきまして、執行体制をとっていただきたいというふうに思います。しかしながら、現在
検討されております推進体制につきましては、幾つか心配な面、危惧する面がありますので、その点を中心に話をいたしたいというふうに思います。
まず、その心配される面に入る前に、この
司法制度改革審議会は一体どのような
審議会であったのか、その
意見書はどのようなものであったのかというところからお話をさせていただきたいと思います。
この
意見書は、将来のこの国の形をつくるということで、
一つの
理念に貫かれております。私も、壮大な大河ドラマのシナリオ、その骨格ができたのかなという気がいたします。その
意味では、
審議会は十二分の役目を果たしたのではないかというふうに思っています。
とりわけ重要なのは、やはり
国民参加の
裁判員制度、そして
法曹人口の大幅増、それを支える
法科大学院構想ではないかというふうに思います。
裁判員制度について言いますと、その
意味は私は
二つあると思います。
一つは、
司法が
国民に直接の接点を持つということであります。
国民的な基盤、正統性をそこに置くということは、従来の
司法のあり方、ややもすれば上からの統治のための仕組みという性格を強く持っていた
司法が、
国民に根差した、そういった根拠を持つ契機になる大変重要な
制度だろうというふうに思います。
もう一点は、この
裁判員が無作為に抽出されるということです。そして、選ばれれば、これは
国民の義務、
責務として
裁判員になるということです。これは、子供に例えば
日本の
司法制度を教えるというときに、君は将来ひょっとしたら
裁判員になるかもしれない、そうしたら、もしかしたら人を死刑にする、そうした判断をしなければならないということを子供のときから教えるということを
意味するのだろうと思います。
私たちは、戦後の
社会を振り返ってみますと、自由、権利といったことは随分習いましたけれども、しかしその一方で、
社会の一員としての義務といいましょうか、そういったものについては大分希薄であった。その
意味でいうと、お客様であったというふうに思うわけですね。
国民が本当に主体的にこの
社会にかかわるという教育をする契機にもこの
制度はなるというふうに私は思っています。
二つ目の、
法曹人口の大幅な拡大は、小さな
司法から大きな
司法に大転換をする、その
前提条件をこのことが保障するのではないかというふうに思います。
今回の
改革、その一条を見ますと、
規制緩和をこれから進めていく上での
条件整備といった色彩が強く出されておりますけれども、今の
司法の現状を見ますと、そもそも現状がやはり十分期待にこたえていなかった、
司法本来の役目を果たしていなかったという現状認識ももう
一つ一方では必要ではないか。その
意味でいうと、一条は、現状認識の点において少し欠けている面があるというような気もしております。
さて、
審議会ですが、そのようなものというふうに私は受けとめておりますけれども、ここまで踏み込んだ
改革になるというのは、実は、私も二年前の今ごろは想像しておりませんでした。そういう
意味でいいますと、ジャーナリストとして想像力の欠如ということを思わないわけではありませんけれども、どなたかが、たき火をするつもりだったら山火事になってしまったというふうにおっしゃったそうですけれども、同じような感想を私も抱いております。
では、なぜそうした踏み込んだ
審議、そして
意見書になっていったのか、その理由を私なりにまとめてみますと、四点あったのではないかというふうに思います。
まず第一は、その
審議会の
委員がユーザー中心になったということです。
法曹の出身者は三人、また法律学者三人ということで、従来、法制
審議会などの主たる
メンバーであった人たちは全体の過半数に達していません。ユーザー中心、そして有識者中心の
審議会になった、これが第一点です。
二点目は、
審議が
委員主導で行われたということであります。
事務局というのは黒子に徹しておりました。その
事務局の皆さんの
努力は大変大きかったと思いますけれども、
審議が明らかに
委員主導であったということが二点目の重要なポイントです。
三点目は、全会一致という
方針を
最後まで貫き通したということではないかと思います。従来の
法曹三者の協議を見てまいりますと、対立が解けないまま、
意見の対立を残して
一つの結論を出して、そしてそれが
国会の
審議に至っても尾を引くというようなことがしばしばありました。そこでまとまった
内容というのはやはり力を持ちません。全会一致、最大公約数でまとめるという
努力をなされたという点も大変重要だったろうと思います。
そして四点目、これが一番重要なところでありますけれども、
審議の
公開ということであります。
既にほかの
参考人もおっしゃっておりましたけれども、私は
審議会をほぼ毎回傍聴いたしました。その経過を若干申し上げますと、当然、手続の
透明性、
公開性というのが
司法制度にとりましては生命線であります。
審議会も当然
公開で行われるというふうに思っておりましたけれども、実際、第一回の会合では
公開を渋る
委員の方がいらっしゃったということで、
公開がそのときは
実現いたしませんでした。
審議会の
公開を求める
意見がいろいろありました。私も、またほかの新聞社、そして通信社の論説
委員の皆さんも、ぜひ傍聴したいという希望を実は出しました。こうした傍聴希望、
公開の希望に対しまして、
審議会の
委員の皆さんも大変重く受けとめていただきまして、実質的な
審議の
段階、翌年の一月からだったと思いますけれども、全面
公開ということになりました。
委員室が大変狭いために、テレビモニターによる
公開ということではありましたけれども、議論の経過を逐一私たちは聞くことができたというわけであります。
その効果がどのようなものであったかというのを、ずっと聞いていた私の率直な印象として申し上げますと、まず第一は、
国民の目や
国民の耳がその
審議の
内容を見詰めているんだ、聞いているんだということのもたらした緊張感ではなかったかと思うわけであります。
委員の皆さんは大変よく勉強なさいました。また、本来業務、自分の仕事をなげうってこの
委員会に没入されていたというふうに思います。体調を崩された方もいらっしゃいますし、自分の本来の仕事ができなかったということも多かったように思います。そして、そこでの皆さんが話をしておられる言葉というのは、借り物の言葉ではなくて、自分の言葉で語られていたというふうに思います。
国民の目や耳が聞いている、見詰めているというその緊張感。よく、本音の議論ができないから
公開しないということを言われますけれども、しかし、本音というのはややもすると自分の既得権、利害を語るのに本音をしゃべりたいというような
意味ではないかと思うんですが、
司法というのは道理の
世界であります。道理の
世界で議論をするという場が確保されたのではないかというふうに思います。
二点目の効果としてありますのは、今回の
司法制度改革は、
国民の間からほうはいとして
司法制度を
改革してほしいという声がわき起こったものではないわけです。しかし、
審議が
公開され、そしてリアルタイムでそれが報道されることによりまして、
国民の関心がやはりどんどん深まっていったのではないか。そして反応があらわれ、
意見があらわれ、それがまた
審議会の議論に反映されていく。そうした双
方向のコミュニケーションが成立していったというのが、この二年間の
審議会の
過程であったように思います。そのことが
審議の
内容をより豊かにし、そして
司法制度というその根本的なところまで踏み込んでいった最大の要因であったというふうに私は感じております。
さて、これからの推進体制の問題ということでお話をしたいと思いますけれども、四点指摘をしたい、お願いをしたいと思います。
まず第一点は、今るる申し上げましたように、
公開の重要性ということであります。
現在、準備室
段階で
検討されていますのは、
顧問会議あるいは
検討会といったものの
議事録などの
公開をする、あるいは、いろいろな案がまとまったらその都度説明をし、
意見を求めるということのようであります。確かにそれも形式的には
公開だとは思いますけれども、実は、リアルタイムで議論をオープンにするということがどれほど重要かということをぜひ理解をしていただきたいというふうに思います。
先ほども申し上げましたように、この
審議会の議論がダイナミズムを持ったというのは、まさにリアルタイムの
公開があったからにほかならないというふうに思っているわけです。法律に
公開をきちっと
位置づける、あるいはこの
委員会の
質疑の中でそこのところを確認をとるといった歯どめの
措置というのを皆さんにぜひお願いしたいというふうに思います。
二点目は、
顧問会議、
検討会の性格ということであります。
今回の
意見書というのは、確かに大きな
方針を示してはおりますけれども、具体的な
制度内容の設計にまで踏み込んでいない
部分が大変多く残されています。また、
意見が必ずしも一致していない点もあります。
一つの例を申し上げますと、
裁判員制度です。
裁判員の数、評決の方法、選出あるいは忌避の方法、あるいは証拠開示のルール、争点整理のやり方、あるいは、調書
裁判から直接主義、口頭主義への転換といったさまざまな
検討課題が残されております。これをすべて解決していくということは、
日本の刑事
司法手続を全面的に根本から見直すことにほかならないと思うわけです。そうした大変重要な課題が残されている。
また、
行政に対するチェック機能の強化について言いますと、突っ込んだ議論には入っておりません。これは、一
司法改革にとどまらず、
行政改革にも関するものでありますし、
三権の、
行政と
司法、あるいは
司法と
立法との関係をどういうふうにつくっていくのかという非常に根本的な問題も含んでいる。こうしたことの
検討が残されているわけです。これを、現在では
顧問会議という格好で、お目付役、大所高所からちょっと
意見を言ってもらう人たちと、
検討会というのは
事務局の
立法作業をお手伝いする専門家のチームといった
位置づけ、性格がどうも強いようですけれども、そうしたところで果たしてできるのかというふうに思うわけです。
三点目は、人選の問題ということです。
この
審議会で語られた
内容、
意見書は百数十ページの大変大部なものでありますけれども、そこにまとまるまで、一言一句について大変さまざまな
検討が行われました。六十数回の
議事録すべて
公開されておりますけれども、これを読めばわかるではないかというふうに言われるかもしれませんけれども、その
審議会の二年間の経過をきちっと理解をし、そしてそのことをこれからも発展、継承させていく、それはやはり人がつながっていくということが私は重要ではないかというふうに思っています。
委員の皆さんの継続ということもありますけれども、今回新しくできます推進体制を見ますと、
推進本部、五十人ほどのチームになるというふうに聞いておりますが、そこに入る方の中でこの
審議会に関与した人はどうも一人もいないということになるようです。全く別の各省庁から、あるいは
法曹三者からの皆さんでその
事務局をつくっていく。本当にその
審議会の議論の経過がそこに継承されていくのか、そこのところは私は大変心配をしているところです。
また、この
顧問会議あるいは
検討会の中に、
法曹三者あるいは官庁、法律学者だけではなくて、やはりユーザーの視点を持った人をたくさん入れていただきたいということも重要なポイントだと思いますし、
事務局の中に民間人の登用ということもぜひ考えていただきたいというふうに思っています。
四点目は、そうしたことを可能にするには、やはり
予算の問題と定員の問題があろうかと思います。
司法制度の
改革の話になりますと、
財政上のネックがあるということをしきりに言われます。どうも昔の大蔵省あるいは財務省のお役人が足を引っ張っているのじゃないかというような感じを抱かせるわけですけれども、本当にそれでいいのかという感じがいたします。
財政上、そして各省庁の定員の問題があるようですけれども、
司法制度の
改革という将来のこの国の形をつくる大
改革のためには、全く別枠という発想で取り組んでいく必要がある。それは政治の責任ではないかというふうに思っています。
以上、私の
発言を終わらせていただきます。(拍手)