○高木(義)
委員 民主党の高木義明でございます。
私は、限られた三十分の時間でありますが、新たな事件といたしまして
池島鉱の
閉山問題に絞って、
大臣初め
政府の
皆さん方にお伺いしてまいりたいと
思います。
質問通告をいたしておりますが、若干、
質問通告にもないものがございますが、どうぞ率直にそのケースでは
お答えいただきますようにお願い申し上げます。
私は、この
委員会において、過去幾度となく、
我が国の
国内炭鉱の存続について主張してまいりました。
まさに今、市場原理のもとで内外価格差、
我が国の
石炭は約三倍の価格差があると言われておりまして、このままでは
我が国の
炭鉱はすべて
閉山やむなしに追い込まれる、こういうことが前々から叫ばれておったわけであります。しかし、今、
我が国の貴重な
エネルギー資源である
国内炭が、私
どもの
日本という国は、今日現在一億四千万トンに上る
石炭を輸入しておる、そのほとんどが海外からだ、まさに世界最大の
石炭の輸入国という実態がございます。
国内炭は、価格の国際競争力はないにいたしましても、今日まで培われてきた坑内の採掘の安全
技術あるいは
石炭にかかわる多くの
技術については世界で冠たるものがあると言われております。将来、海外の
石炭現場が露天掘りから坑内掘りになっていくときに、必ずやその
技術が生かされ、結果的に
我が国の
石炭の安定供給につながる、この
思いから、私は、これまでも、
国内炭を決して粗末にしてはならない、そういう
思いの主張を何度もしてまいりました。
最近の動きを見てまいりますと、オーストラリアの大手鉱山と
日本の大手電力
会社との二〇〇一年の輸入価格交渉は、難航の末でございましたが、前年度比二〇%高と六年ぶりの値上げで決着いたしております。確実に
日本のバーゲニングパワーは低下いたしております。このパワーの低下は将来の
エネルギーセキュリティーの面においても重要な要素になるのではないかと、私は一抹の懸念をいたしております。
しかし、現実に、四十二年の
歴史をもって
池島鉱は
閉山いたしました。その
閉山に当たりまして、私はつい先日も
池島に赴きましたけれ
ども、
地元の報道紙の中で、本当に私の胸を熱くしたものがございました。
少々、その一端を紹介いたしてみますと、「いつ大けがをしてもおかしくない坑内
現場で、ともに命をかけて仕事をした仲間との別れはつらい。住宅探しや年金などの手続に追われ、
閉山の実感はまだわかない。家族でこれからどう暮らしていくのか、寂しさよりも今後の不安の方が大きい。」あるいは、「山の仕事は男っぽさが魅力だ。ヘルメットはもう必要ないが、捨てられそうにもない。一緒に頑張った仲間に感謝をしたい。」そして、「ここ数年は
出炭量が減って悔しい
思いがしたが、国の
エネルギー政策の一翼を担ったという自負がある。」こういうコメントも目にしたわけでございます。
労使の交渉は、
思いのほか厳しいものがございました。しかし、それぞれの
努力の成果によって、一応、交渉は妥結した。これは私は評価をしていきたいと思っております。
今まで、
石炭の
歴史は大変長いものがございます。
我が国の
石炭政策、
昭和三十八年から第一次、そして第八次までの
石炭政策が講じられてまいりました。第一次から五次までは、
石炭産業の急速な衰退から生じる社会混乱をいかに防止するかという、いわゆる
閉山、生産量などを緩やかに縮小させていくのがある意味では目的でありました。六次策からは、新しい
エネルギーとの調和を図りつつ、
エネルギーの安定供給の一環として
石炭を活用していく、海
外炭の
開発輸入の円滑も図っていく、こういうことでもございました。
そういう
歴史的な経過のある中で、海外
技術移転五カ年
計画があって、来年度から五カ年間、そのような
技術が生かされる、そういう仕事ができると思ったやさきに急展開したこの
閉山劇でございました。何で今ごろ、こういう
思いがあるのではないかと思っております。
そこで、今日まで多くの
炭鉱が、あるときには坑内火災や爆発事故、そしてまたあるときには
日本の
エネルギー革命の中で、
閉山を余儀なくされた。七百から八百とも言われております
炭鉱が、今、北海道と
長崎の
池島だけになって、そして
池島が
閉山に追い込まれた。しかし、最後まで、そこまで生き延びてきたこの二つの
炭鉱、この
炭鉱についてどんなに評価をされておるのか、
大臣の御所見を賜っておきたい。