○松浪
委員 おはようございます。保守党の
松浪健四郎でございます。
まず最初に、
アメリカでの
同時多発テロ事件で
犠牲になられた皆さんに哀悼の誠をささげたいと思います。そして、負傷された皆さんの回復を心よりお祈り申し上げ、お見舞い申し上げたいと思います。
冒頭、私事にわたり恐縮でございますけれども、私は、一九七五年から七八年、
日本政府並びに
国際交流基金からアフガニスタンの国立カブール大学に
派遣をされまして、そこで体育学とレスリングを指導し、生活を経験したものであります。そして、帰国をして三週間後に共産革命が起こりました。翌年、七九年の十二月の末にソ連軍が十万五千の兵を侵攻させ、国は地獄絵図を見るような大変な国になってしまいました。そして、あの最強とうたわれたソ連軍をもってしてでもアフガニスタンを完全制圧することができなかったことは、皆様御案内のとおりであります。
私は、たくさんの教え子をアフガニスタンに持ち、アフガニスタンという国をくまなく旅をし、そして長男が首都カブールで生まれ、家族があのアフガニスタンで平和を甘受した、その体験を持つものとして今の
状況は大変心苦しい、また悲しいものがあります。
しかし、ムジャヒディンがアフガニスタンを支配する、けれども、
国民の平和の願いはかなうことはありませんでした。
そして、タリバンが制圧をする。それでも、パキスタンに二百万の難民、イラン側には百五十万の難民がいて、やはりタリバンの政権も
支持できない、そういう
状況であり、そして、そのタリバンが
テロリストをかくまうという形になり、現在を迎えておるわけであります。
心中複雑ではありますけれども、この特別
措置法は、今までの
議論の中にございませんでしたけれども、真のアフガニスタン
国民の平和を願うものにとりましては、極めて重要な意義ある
法律であるというふうに私は思うものであります。
したがいまして、一日も早く、
与党野党を問わず、一千七百七十万アフガニスタン
国民のために成立をさせていただきたいということをお願いしたいと思います。
そこで、
質問をさせていただきますけれども、この
法律の第二条三項の二に、
当該外国が認めれば
我が国の
自衛隊を
派遣することができるという形になっております。恐らくはパキスタンを指している、こういうふうに思いますけれども、このパキスタンの国境線は、一八九三年、当時パキスタンはインド領でありましたけれども、イギリス人のデューランドが国境線を引きました。そのときに、
アフガン族と言われるパシュトゥーン族が国境線によって二手に別れるという形になってしまいました。そこで、アフガニスタンは、この
地域をパシュトゥニスタンと呼んでおりますけれども、このパシュトゥニスタンの返還運動が盛んでありました。しかし、そのパシュトゥニスタンの人たちは、自分たちは独立をしたいということで、パキスタンにプレッシャーをかけました。この独立運動は、パキスタン
政府を悩ませるものでありました。
そこで、アフガニスタン
政府も頭が痛い、パキスタン
政府も頭が痛いということで利害が一致し、アフガニスタンとパキスタンの友好関係がずうっと続いてきたわけでありますけれども、パキスタン
政府は、このパキスタン側にいるパシュトゥーン人、パシュトゥニスタンを実は自治区にしたわけであります。自治区にしたことにより、国道はなるほどパキスタンの
法律によってありますけれども、そこから数メートル離れれば自治区ですから、パキスタンの
法律が及ばないという
地域になっております。ここでは、
武器をつくる工場があったり麻薬をつくる工場があると言えばパキスタン
政府にしかられますから言いませんけれども、とにかくパキスタンの国が来てくれと言ったところで、そこに行くということは、パキスタンの
法律が及ばないから、
自衛隊の皆さんがそこで
地域活動をする際には、若干の危険が伴う。
そこで、
自衛隊がその
地域で
活動をする場合、それらのことを十分に勘案されて、十分に
研究されて、より安全な、また安全だと思われるところで
地域活動をやっていただいて、そして、難民を救うだけにとどまらず、アフガニスタンの平和のために御尽力を賜りたい、こういうふうに
考えておりますが、
自衛隊が
地域活動をするその
地域について、
総理の御
見解をお聞きしたいと思います。