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田中国務大臣 では、簡単に申し上げます。
民主党さんの将来のためにも、この種の
質問が二度と若手の方から出ませんことを期待いたして、一回で終わらせていただきたいと思いますけれども。
これは、今月の一日でございます。よくお聞きください。一日の日ですけれども、午後三時から六時三十分まで衆議院の特別
委員会がございました。それで……(発言する者あり)よく御存じないから、同じことをお聞きになるので。三時から六時三十分まで衆議院の特別
委員会がございました。このときに条約が承認されました。承認されましたので、その後、これは国会の
ルールで、御存じだと思いますけれども、
委員長とか与
野党の
委員の先生方にごあいさつをして回ります、
大臣として。これも結構時間がかかります。
その後、辻元清美先生やらあるいはほかの
議員から、特に辻元先生は御自分でパキスタンに行かれたんですね。したがいまして、辻元先生から、パキスタンにはあなたと一緒に行きたかったというような
お話も発言中にございましたので、そこに行って御苦労さまでしたと言いましたらば、辻元先生は、例の調子で熱弁を振るわれまして、パキスタンの実情について詳しく
お話しくださいました。これも結構時間がかかりました。そして、その後にもう一人の
議員さんがずっと待っておられて、個人的なことでちょっと
お話があったんですが、それを私は短くしていただきました。
そして、すぐ
大臣車に乗って役所に帰ろうと思いましたらば、そうしましたときにぶら下がりの記者さんがずらっと来られまして、
外務省のプール金の問題がなかなか明らかにならないけれども、これは
大臣はどういうふうに取り組もうとしているのかとおっしゃったので、これはまた逃げたとか言われてはいけませんから、立ちどまってかなり熱心に、官房長に秘書官から電話もしてもらいました、携帯で。そして話をいたしました。
ところが、これは三時から六時半までの
委員会の後ですけれども、これで軽く三十分ぐらい経過しているわけですが、七時から食事がございました。これは飯倉公館というところです。
委員会が終わった三十分後にこういう
外務大臣とセットをしてありましても、普通に考えて三十分以内では済みません。
ところが、そのぶら下がりでも時間がかかりまして、その後、私は着がえに役所に戻ろうと思いましたら、私物が役所から袋に入れて
大臣車に載っていて、そのときに、私はいつも指輪とかなんとかといろいろ言われますけれども、そこで私のブレザーやら何かが袋に入っていて、その指示を出していません、役所に行かなければなりませんでしたので、どうしたのと言って、秘書が見つからないという話もあったんですが、いずれにしても、もうここから、
大臣車に乗るところで三十分は過ぎていました。
ですから、これはまた
確認もしてありますけれども、中東アフリカ
局長、
重家局長に電話をしてもらって、これは間に合いませんよと。
委員会が六時半まであって、その後のお片づけ事項があって、七時になんかとても間に合わないので、これは、失礼があってはいけないから、
局長が
対応していただきたいという連絡を入れました。そうしましたら、
局長では格が違うとかなんとか、私はそう思わないんですが、わかりましたというお返事だったので、
局長対応と思っておりまして私は役所へ戻りました。それでもって、もう大体四十分ぐらい過ぎちゃっているわけですね。
そうしましたらば、
局長はじかに、自分の判断で先方にお電話をかけて、ニューオータニにまだおられたので、宿舎でとまって待っていてください、そこでそうおっしゃったということが後でわかったんです。私は、もう吹っ飛ばして、眼鏡をかけたまま、眼鏡のまま飛んでいきましたよ。そうしましたらば、どなたもおられなくて、
局長がそこで、実は先方さんにホテルで待っていただいているとおっしゃったので、私は、ああ、そうかと思って、そこでお茶を一杯飲んで新聞を見てお待ちしていました。それで、お着きになりましたと言ったので、私が飯倉公館の玄関でお出迎えをいたしました。
したがいまして、途中だけ聞いていると何があったかにがあったになりますから、今、全部通して
お話を申し上げた次第でございます。ですから、先方をお待たせしなかった云々とかというのは、一番最後だけを言ったので私が舌足らずでありましたが、すべてのてんまつはそういうことでございます。