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江田五月君 十分そこも視野に入れて対処していただきたいと、これは強く要望しておきます。
さて、次に、
ハンセン病訴訟について
伺います。
法務大臣にも、何度も患者の皆さんあるいは我々、お願いをいたしまして、生の声も聞いていただきました。
法務大臣にもよく御理解をいただいて、政府として小泉総理の決断で控訴断念となったと。本当にこれはもう心からお礼を申し上げなきゃならぬと、敬意を心から表させていただいております。
実は、私の選挙区には長島愛生園と邑久光明園という二つの国立ハンセン病療養所がございます。二十四年前、国
会議員になったときから私は一貫してこのハンセン病問題と取り組んでまいりました。この問題は私の政治活動の原点といいますか、ライフワークでもあるわけで、そうしたこともあって、ことし四月五日に超党派の国
会議員百一名、今はもう百九十名ぐらいになっているかと思うんですが、によって設立されたハンセン病問題の最終解決を進める国
会議員懇談会の会長も、半分祭り上げられてですが、務めております。
五月十一日、熊本地裁の画期的な判決、政府の行政責任、国会の立法不作為責任、これが厳しく指弾をされました。私なんかはこの問題に長くかかわって、らい予防法の存在、それのひどさ、これもよく知っていたわけで、最も重い立法不作為責任を問われている。
政府声明などを見ますと、国
会議員には故意はないと。私なんか、あるいは故意があったかもしれないなどと思って、故意があったら責任を問われる、過失だったら責任を問われないというのも変だなと思ったりするわけですが、いずれにしても深く反省して、元患者の皆さん、あるいは今の患者の皆さんもおられますが、本当に心からおわびを申し上げます。
それだけに、小泉総理の控訴をしないという今回の決断は本当にありがたい、感動をしたと言ってもいいかと思います。この上は、もう一刻も早く元患者及び患者の皆さんへの政府と国会の、政府の方は小泉総理が総理
大臣談話で行われましたが、国会の謝罪、あるいは人権と名誉の回復、差別と偏見の除去、十分な賠償と生活の保障と福祉の増進。既に亡くなられた方々、どうしますか、こんな本当に牛乳瓶の小さいような骨つぼに入った遺骨が、各園の慰霊塔の裏に恐らく二万三千幾つあるんですね。この皆さん、ふるさとへ帰れないので、亡くなって煙にならなきゃふるさとへ帰れない、煙だけは帰れて遺骨は帰れない。そんな
状態をどう
一体なくしていくのか、解決していくのか、大変な課題ですが、みんなで汗を流し、知恵を絞り、最終解決をしなきゃならぬ。そのため必要不可欠な国会の決議が、どうも今、自民党の執行部の皆さんの執拗な抵抗でまだ実現の見通しが立っていない。こういうことで、本当に残念だと思っております。
まず、それは前提ですけれ
ども、これは本当に急がないと。実は、私、一九八二年に参議院の本
会議で、今の二つの園がある長島というところに橋をかけましょうと、長島架橋というんですが、これを主張したんです。私は、前回、六年間参議院におりまして、小会派だったものですから、本
会議の演壇に立てたのはその一回だけで、わずか十分だけ。その中で、その長島架橋のことを言ったんですが、そのときに長島にいる患者の皆さんは千七百人ぐらいだった。今は千人ぐらいになっているんですね。この間七百人ぐらい減ってきて、平均年齢今七十四歳を超えているわけですから、これからどんどんお亡くなりになるわけですから、そのことも考えたら急がなきゃならぬと思っております。
さてそこで、五月二十五日の
政府声明なんですが、控訴断念という極めて異例の判断をしたと、こういう控訴断念という言い方をされています。
ところが、同じ日の総理
大臣談話、これも閣議決定をされているものだそうですが、あえて控訴を行わない旨の決定をしたと。断念という表現はありません。この点に関して、小泉総理は、本当は実は控訴をしたかったんだけれ
ども断の念と、残念ながら念を断じたと、諸般の事情から控訴をあきらめるという
意味、そういう
意味の控訴断念という言葉を実はあえて使わずに、この際、積極的に控訴をせずに、この問題の早期かつ全面的な解決を目指していくという、そういう意欲のあらわれ、意思のあらわれ、これが小泉総理の談話では断念という言葉が使われない、使っていない、そういう
意味なのだと、こういうことを論ずる方もおられます。田原総一朗さんがテレビとかあるいは週刊誌でもそんなことを書いておられますが、私もそう思いたいんですが、小泉総理の真意はどうであるか、きのう総理のお考えを聞いてきてくださるようにお願いしておいたと思いますが、上野官房副
長官、いかがですか。