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佐々木知子君 ありがとうございました。
次に、司法制度改革に移りたいと思います。
大臣の
所信表明にもございましたけれども、
大臣はことしを司法改革元年と位置づけておられるということでございます。そのしょっぱなに、
福岡事件と称されておりますけれども、ああいうような検察、それから司法の威信を失墜するような
事件が起きて、非常に
大臣も心外だろうというふうに思います。私も元検察にいた者として非常にこの
事件は深く受けとめざるを得ないものでございます。
同僚議員からも
前回から、きょうもそうでしたけれども、いろいろと御
質疑があったとは思いますけれども、私もいろいろと関心もございますし、聞かせていただこうというふうに考えております。
司法制度改革というのはいろんな側面というのがありますけれども、要は
国民にとって司法が使い勝手のいいものであること、アクセスがいいものにしようというようなことが基本にあるのだろうと思います。
国民の司法参加ということでよく論じられますけれども、法曹の
意識というのが
国民と違うところにあったのではいけない、できるだけ
国民と近いものであって、要するに常識が通じるような
社会であって、そしてということなんです。
国民の司法参加といえば、
一般的にはよく陪審制、参審制を導入するかどうかというような次元で論じられておりますけれども、今回の
福岡事件などを見ておりますと、まさに検察や
裁判所の感覚がどうも
国民の常識というのか
意識と遊離しているのではないかということを如実に見せつけたという
意味において私は深刻だと思っている次第でございます。
私は、この
事件が、最初は朝日新聞二月二日のスクープということでございましたけれども、明るみになったときに、以前検察に奉職していた者としてまず思ったことは、検事正は何をしていたのだと思いました。次席検事はもちろん検事正のもとにあるものでございますから、検事正が事前報告を受けていなかったはずはないし、もし事前報告を受けていれば適切な指示をしたはずであるし、もし事後報告だったとしてもその時点で適切な指示をしたはずだと、それがまず浮かんだことなんです。
実際に、これは
調査報告にもございますけれども、事前にやはり報告を受けていた、ただその指示というのが中途半端な指示であった、事後にも適切な指示をしなかったと。かつまた、実際に
国民の不評を買ったのはあのインタビューの
内容で、
かなりうそをついていたということで、検事がうそをつくんだったら
被疑者はもっとうそをついていいのではないかというふうに思うのではないかと思うんですけれども、そういう
意味でも非常に検察の威信を失墜させたと。インタビューをやらせたというのは、もちろんこれは検事正が容認していたことであるだろうし、指示であるだろうしということで、どうしてこういうことになったのだろうかと。
今回、次席検事につきましては六カ月の停職処分、これでも軽いと言う方もおられますけれども、私はそれは非常に厳しい内部的な処分だっただろうというふうに思います。解せないのは、検事正が、こちらはもちろん懲戒処分を受けているんですけれども、次席よりもはるかに軽い処分であったと。
こういう
組織的なものとしては、ヒエラルキーにある者として、例えば工場長が実際の現場の責任を負っていたとしても、だからといって社長は報告を受けていて何もしなくてもよかったのか、それで工場長よりも軽くていいのか。私はとてもこれは
組織として成り立たないのではないかというふうに思っているわけなんですけれども、これについて、
法務大臣、何か御所見がございますでしょうか。