○椎名素夫君 けさ以来、この
道交法の
改正についてはいろいろな角度から御質問が同僚
委員からありまして、もう余りつけ加えるような質問はないんですが、最近、アメリカあたりで複雑系の研究をやろうというのが始まりまして、これが全くおもしろいと思うんですが、一緒になってやるのは原子物理学どころかもっと下の素粒子の物理学者から始まって、それからいろいろ物性論、金属の構造の研究をやったり、あるいは生物学、分子生物学とかそういう人たち、それから驚くことに経済学、
社会学、天文学、考古学、こういう大変に優秀な人たちが集まって研究所をつくっているんです、数年前からなんですが。
どういうことかというと、近代、特に現代になってから学問がそれぞれの分野に穴ごもりしてしまって、それぞれでは大変な
専門家だけれ
ども、全体を見るといつでも間違うと。経済学なんというのはその典型みたいなもので、彼らの言うとおりやっていたらアメリカの経済はこんなになっちゃったというような自覚もあって、複雑系という考え方で、大体世の中は大変複雑なんで、相関連したものとして扱わないととんでもないことになるという話を聞いて大変興味を持っているんです。
この
道路交通法のお話を聞いていて思うんですけれ
ども、日本の
社会、もうそれこそ複雑系そのものだと思うんですが、そのうちの一
部分の話を切り取ってやっている。その中でいろんな現象が起こっている。これに対して
対策はどうするかというような話ですな、これは。だけれ
ども、それは
道路交通法あるいは
公安委員会、
警察庁の範囲の中だけでは答えが全然出ないような要素ばかりのような気がするわけです。
そう考えると、前の
道路交通法も、それから今度、幾分
規制緩和というようなことでおやりになって、その中でさまざまなことを考えておられる。まあこんなものかという気はするんですね。
だけれ
ども、もう少し大づかみに考えてみると、少なくとも江戸時代には交通、こういう問題は全然なかったわけでありまして、これは
自動車がなかったから。さあっと走れるような道路もなくて、皆かごか歩くかせいぜい馬でしょう。川があると渡れないから渡しで渡ったというような話。わずか百五十年ぐらい前そんなことをやっていたのが、今こんなことになってしまっている。
それで、この問題というのは結局、七千五百万人ですか、これだけ
免許証を持っている人がいて、それに見合ったような
自動車があって、それに見合ったような、あるいはどっちが先か知りませんが道路ができて、それで走り回って危ないからあちこち信号をつけたりというようなことをやって、さあどうしようという話なんですが、見ていると、高齢化ということもあってどんどんここに入ってくる
免許証保持者というのは、参入は毎年毎年相当ふえますね。この中から退出するのは余り、それだけないわけです。
私は今、七十歳に去年なったんですが、驚くなかれ、二種の
免許を持っているんです。昭和三十年に取りましたら、何だか知らないけれ
ども大型二種というのになってしまいまして、しかもゴールドなんですよ。おととし更新したら、何か無条件に五年くれまして、そうするとあと三年あるんですが、まだ大丈夫だと思っているんですけれ
ども、あと三年のうちにどうなるか、本当のところわからないですね。資格だけはある。
自動車もありますから時には動かすかというと、何が起こるかこれはわからないというような、極めて非優良
運転手候補みたいなやつがこうやって資格を持っているというようなことは現にやっぱり起こっているんですね。
それから、先ほどから
暴走族の問題が出たりしましたけれ
ども、こういう人たちがやっぱりどんどん参入してきているというようなことで、考えてみると、せめてつり合うようにするためには参入と退出というのはバランスした方がいいんじゃないかというような、この
道交法の
改正法案に逆行するようなことかもしれませんけれ
ども、そういうことを少し考えた方がいいんじゃないかという気がするんですね。
これは、この範囲内ではだめなことですけれ
ども、とにかく日
本人たる者は
免許証が取れる年齢になったら
免許証を持ってなきゃ恥ずかしいという気分を一人一人がみんな持っていて、だから当然のごとく
免許証を取りに来る。割に楽に昔よりなっているから大体取れちゃう。一回そこで取れてしまうと、私のように二種
免許なんというすごい、代行業だってやれるようなものになっていって、これも五年ちゃんとくれるというような話になっていると、どんどんたまり込んでいくんじゃないかと思うんですね。
妙な人がなるべく入ってくるのをディスカレッジするということと、それから退出者には報いてやるというようなことを少し考えないと、これは幾らいろんな信号をつけたりとかガードレールとか、何とかかんとかいってもこれはとまらないんじゃないかと思うんです。これはもうおおよそ人間の
意識の問題であり、しかしそこあたりをもう一度考え直さないと、それこそ
環境に対する負荷であるとかあるいは大変にむだなお金をたくさん使うようになると。交通体系の問題ですから、要するに移動の問題である。移動をするのにどうしても
自動車というのはなきゃいかぬ、そして、一人一人が持つべきだと、こう思い込んでしまったところにこういうことになっているわけで、ほかの手段も、今あるもの、ないものを含めてもっと総合的に考えるというようなアプローチが、この
法律の範囲内じゃありませんけれ
ども、どうしてもそろそろ必要になってきたんじゃないかという気がいたします。
例えば、自発的に
免許証を返したら少し特典をやるとか、ほかの乗り物に乗ったらただで乗せてやるよとかですね、あるいはお金を払ってもいい。費用はかかるかもしれないけれ
ども、全体として節約になるかもしれませんね。そういうようなことをお考えになったらどうかと。
もうスペシフィックなお話は皆さんから十分にこの
法律についてはなさって、そして私もこの背景から考えるとこんなものだと思いますので、特に細かい質問はもうやめますが、そこらあたりのお話を、お考えを伺えればと思います。
例えば
暴走族の話なんかも、これはもう、ある期間たったらまた取らせてやるよというようなことなしに、そういうことをやると一生だめだよというような、完全にディスカレッジしてしまう。
免許証を取り上げるだけじゃなしに、
免許証を取り上げても無
免許でやったりするんですから、
自動車ないしオートバイはもう一切買えないようにするとかね。かわりに、駅に放置してある自転車がたくさんありますから、自転車三台やるよというような話とかですね。何か少し入るのをとめて出るのを奨励するというようなことで、私も何かいい御褒美があれば喜んで二種の
免許を返上するつもりでおりますが、いかがでしょうか。