○本岡昭次君 私は、FEMA型の危機管理体制というものをつくることが日本に必要だということをずっと主張して、その質問をしてきました。だけれ
ども、
政府はなかなかこれにこたえようとはしない。今、
大臣がコストということをおっしゃいました。なかなか正直で結構だと思うんですよね。
FEMAが正職員を二千六百人、非常勤職員を四千人擁して、一たん事が起こればさあっとその人たちが機動的に動く。日本のように各
省庁から集まっていらっしゃいよじゃなくて、そういう人たちが常時、
災害が起これば。しかし、それをコストと見るのか、ここのところだと思うんですよ。真に
国民の生命、財産を守るんだ、それが国の責務だと言うなら、その責務を果たすコスト、それを高いと見るのか高くないと見るのか、この認識の問題だと思う。
だから、日本の国は人の命をどう考えているかという問題にかかわって、今のあなたの答弁
一つ見ても、
政府の意識にコスト意識という、いつ起こるか知れないものに二千人も常勤を抱えて、そしてそこで専門的な研究をいろいろとやっているということ、そんなむだなことがあるかという発想がある限り、
国民の生命、財産を守ることは国の責務だということとの間に大きな乖離が起こるというふうに私は考えております。
したがって、本当の危機管理、
地震列島の上に住む日本人の生命、財産を守るのなら、二十四時間、そういう
地震とか水害、火山、あらゆる自然の猛威にさらされる
国民を守りますよというものがあるということが、
国民はそれをコストが高いと言うかどうかの問題だと思います。
だから、小泉総理が聖域なき構造改革と、こうおっしゃった。痛みも分かち合いなさいよと。それは結構でしょう。しかし、その構造改革ということは、何も人を減らしたりあるいは官から民へとかということじゃなくて、今までそれをコストと考えておったのをコストと考えないということも私は改革の重要な視点だと思うんですよ。それを
国民に訴えてみたらどうですか。
皆さん、二千六百人が絶えず専門的な研究を重ねて、二十四時間、
皆さんの生命と財産を守るためにそこに待機しておるんですよと。それはむだだと思いますか、どうですかという問題ですよ。私は、むだだというふうな答えは返ってこないと思います。
そこのところに切り込めない構造改革というのは、私はある
意味ではこれは片手落ちだと思うし、
防災担当大臣こそそこに切り込むべきではないかということを、ここで強くあなたの意見に反論をしておきたいのであります。この反論をしたからといって、あなたが直ちに、いや、わかりましたとおっしゃるほど簡単なことだと私は思っていません。だから、いずれまたそのことについて議論をするときまで私はそれをあなたに宿題として置いておきます。
そこで、例えば
阪神・
淡路大震災のときの出来事で、どれだけの
被害が起こったかという
被害の実態を知るそのやり方について、私は当時、自社さ政権のときに、幸いそのときは与党におりました。だから、ある
意味では、
阪神・
淡路大震災でもっときちっと村山総理
大臣が本当に僕の言うような形でやっておったら私は社会党を出なかったかもしれない。せめてそのことだけでも社会党の総理
大臣であったがゆえにやってくれておったら、さすが立派やと思うんですが、そうでなかったですよ。
住宅にしても個人のそういう問題にしても、個人の財産は個人が守るんだ、国が税金でもってそういう
災害の後始末をすべきでないという大原則のところに全部私たちの考えはつぶされてしまったんですね。
そこで、FEMA的な形と日本の今あなたのおっしゃるのとの違いを申しますと、例えば
阪神・
淡路大震災で
被災を受けた神戸、
阪神間を航空写真で事前にきちっと撮っておく。どのように
住宅が密集しているか、
道路がどこにあってということを航空写真で撮っておく。があんと
地震が起こったら、また同じところを航空写真で撮る。そして、それを重ね合わせる。一目瞭然に
被害を受けたところとそうでないところがわかるわけです。何市の何々町の何番地のここが
被害を受けて何戸、そしてすぐ出動するというんです。よろしいか。
そして、そこに対して小切手が、見舞金が二、三日のうちに配られるというんですよ。その配られる中に
被害を受けていない人もおる。だけれ
ども、それを配るというんですよ。それがまたコストの問題と関連してくる。中には
被害も受けていないのにそれをもらってどこかへ逃げてしまって、まあ言うたら詐欺をしたような形になる場合もある。だけれ
ども、そういうことが起こるからといって、現に
被災を受けて今塗炭の苦しみを受けておる人に助ける手がおくれるということとの関係はどうかという議論をするようです。そのときにどちらをとるかというと、そちらで詐欺的な、
被害も受けていないのに丸もうけする人ができても、
被害を受けている人のところに一日でも早く、一時間でも早く救援の手が差し伸べられる方が大事だという発想に立って、FEMAの職員が、あのときは六千人から入ってきたといいますが、ノースリッジなんかは。九千人か。そういう形でそれぞれをこうやると。
日本やったらどうですか。一々、本当に
被害を受けたんですか、どこがどうつぶれたんですか、綿密なる
調査をやって、一軒の落ちこぼれもないような状態にしてお見舞金を配っていきますね。しかし、その間にどんどんどんどん時間が過ぎていくということ。そこにくしくも先ほどのコストの問題と同じような発想が出てくるんです。
だから、そういう危機管理庁というふうなものが、緊急の
対応に絶えずふだんから訓練されている職員が事態が起こるとさっと入って、そして今言ったような
対応をしていく。全壊か半壊かというのを調べるのも、それの専門の人がだっと入ってくる。
阪神・
淡路なんておりはしませんよ、そんな人。いろんな人が出てきて、あれ本当に専門家かなと思う人でも、黄色い紙、赤い紙をべたべた張っていくということをやるしか仕方がない、その訓練した人がいないんだから。FEMAにはそういう人たちがちゃんといて、
コンピューターに
携帯電話をつけたものを持って入っていって、そして何番町の何々はこうだと。ぐるっと回ったらもうそれは
一つの統計になって、
コンピューターで統計されて、どこにどれだけの示唆をせないかぬかということがぱっと出てくる。それで、直ちに
住宅の
支援だとか個人の
生活支援のための申請を受けつける窓口がずっとできる、そういう仕組み。
なぜかというと、FEMAに基金といって、各
省庁と相談し、大蔵省的なところと相談しなくとも大統領とFEMAの長官の判断で使える予算というのが一千億ないし二千億基金としてあって、それを自由に使うということですよ。日本だったらそんなことはできないでしょう、足らなくなったら補正予算で組むという仕組みが。
だから、迅速に機敏に生命、財産を守るんだということ。それで、その全体は、
地域社会の復興であると同時に政治の復興だというとらえ方をしているようです。わかりますか、政治の復興。というのは、政治というのは絶えず不信感を持たれるんですよ、何にもしてくれへん、勝手なことばっかりやっているというふうに。そういう不信、不満の対象ですよ、政治は、はっきり言うて。今、小泉さんは何や物すごい人気があるけれ
ども。だから、そういう震災のときに、
国民が文字どおり生命、財産の危機に瀕しているような状態のときに国が何をしてくれたかということこそ信頼を取り戻す、信頼を回復する、いわゆる政治の復興という観点がそこにあるということでやるようですよ。私は、こういうことは大いに学ぶべきだというふうに思う。だから、FEMAのそういう仕組みを日本にもぜひ取り入れるべきだと言ったんですが、なかなかそれに対して取り入れようとしない。
どうですか、
防災担当大臣、聖域なき構造改革とおっしゃっているんです、だから思い切ってコスト論を吹っ飛ばして、そしてFEMA的な自然
災害危機管理体制というものをつくる上で、あなたのような立場の人は危機管理庁の長官となって、そして三年、五年という一定の期間、自分の責任においてその
システムをつくり上げていく。そこにおる人も、それこそ何年か継続して全体としてつくる。今のように何か人事
異動でぐるぐるかわったりして、さあ必要なときに、おい、だれか経験のある者おらぬか、集まってこいというふうな形ではだめじゃないかと、このように思うんですね。
随分たくさん私しゃべりました。一言どうですか。ちょっとFEMA的なものを考えてみようかという気にはなっていただけませんでしたでしょうか。