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参考人(
寺島実郎君)
寺島でございます。
私は、一九八七年から九七年まで十年間
アメリカの東海岸で仕事をして帰りまして、前半の四年間がニューヨーク、後半の六年がワシントンという、そういう経験を踏んできております。
きょうは、「二十一
世紀における
世界と
日本」という枠の中から、
我が国外交の
あり方について、私の
立場はビジネスの現場に軸足を置いているということと、それから
一つ海外から
日本を見る
機会が多いという、そういう視点で発言をさせていただいているというふうに思っております。
まず第一点目として、ブッシュ新政権と
東アジア外交、その中での対日
外交の性格ということについての私の
考え方を申し上げさせていただきます。
クリントンの
東アジア外交との対比において説明するのが一番説明しやすいかなと
思いますので申し上げますと、クリントン政権八年間の
東アジア外交というのは、一言で言うとあいまい
外交という言葉がよく言われますけれども、あいまい
外交と言っている意味は、
日本も大事だけれども
中国も大事、
中国も大事だけれども台湾も大事という、要するにあいまいにしておくことによって
外交政策を展開すると。
一昨年になりますけれども、御
承知のように、クリントンは、もともと登場してきたときにはお父さんのブッシュの方の
中国政策を非常に強く批判して、
中国に対して甘いという
立場で批判的に登場してきたわけですけれども、みずからはやめるときには最も
中国と理解を深めた大統領として去っていったといいますか、九日間北京を訪問しました。それで、戦略的パートナーシップという言葉を
中国に対して使い始めた。
日本は同盟国、
中国は戦略的パートナーという
考え方ですね。
東アジア外交の展開をそういう展開をしてきた。
対日
政策について言えば、その特色というのは、僕はクリントンの第一期と第二期で非常に大きく
変化したと
思います。
クリントン政権の第一期のときは、御記憶のとおり、対日
外交の主役というのはミッキー・カンターというUSTRの代表が非常に目立っていました。通商摩擦、つまりUSTRが
日本を個別の通商問題でぎしぎし追い詰める。それから、財務省が円高圧力ということで、ちょうど九一年、九二年、九三年ごろの
状況を
思い出していただいたらわかりますけれども、ホワイトハウスは真ん中に立って、右にUSTR、左に財務省という形のバランスで対日
外交を組み立てていた。当時、私がちょうどワシントンにいた時期です。
後半、九六年以降の第二期に入りまして、
アメリカの対日
外交の主役は財務省に軸足が移ったという印象を強くしております。それは、例えばルービンだとかサマーズが
日本の
経済政策についていろいろな要求なり発言をしてくるというタイプの対日
外交になってきた。その背景には、いろいろな説明が成り立ちますけれども、一言で言うと、
アメリカの産業構造の九〇年代における大きな
変化が背景になっていると我々は
思います。といいますのは、ルービンもサマーズもウォールストリートの出身の人です。つまり、産業の軸足が金融、ウォールストリートへウォールストリートへと
変化し始めた。
八〇年代までは、御
承知のように、
アメリカの産業の軸足は、よく産軍複合体という言葉が使われましたけれども、
軍事企業がきら星のごとく、
冷戦の
時代に
アメリカという国は累積で二百兆ドルの
軍事予算を積み上げています。そのすそ野に巨大な
軍事産業をつくってきた。それが
アメリカの産業の中で最も活性化した宇宙航空産業を中心にした
部分だと言われていました。ところが、九〇年代に入って、クリントンの八年間で
アメリカは防衛予算を三分の一カットしました。財政が黒字化している大きな要素は、やはり
冷戦の終えんというものを前提にした
軍事予算の削減というのが一番大きな影響を与えています。
そういう中で、
軍事分野に注入されていた
資源が、要するに
アメリカの産業の活性化のてこになったというのはIT革命だと言われていますけれども、インターネットというのも一九六四年にペンタゴンのARPAが
開発に着手した技術です。つまり高等研究
開発院ですね。それが九〇年代に入って、民生用に開放されて商業ネットワークとリンクする形になった。ARPAネットが商業ネットワークとリンクしたのは九三年です。したがいまして、わずか七、八年の間に
世界の情報技術革命の基盤インフラになっているインターネットというものの存在自体が
アメリカの九〇年代の産業の
変化を象徴しているわけですけれども、やがてIT革命が
歴史で総括される
時代が来たら、私は、IT革命というのは
冷戦が終わって
アメリカが主導した
軍事技術のパラダイム転換だったんだということにみんなが気づく
時代が来ると思っております。
そういうことで、それまで
資源が
軍事分野に注入されていたものが民生用に展開していく
流れの中で、例えばITに明るい理工科系の卒業生、工学部、理学部、物理、数学なんかを専攻した学生の八割が八〇年代までは
軍事産業に雇用吸収されていたと言われています、
アメリカでは。九〇年代に入って、それらの人たちが
軍事産業のリストラ、合従連衡の中で職業のチャンスを
軍事産業に見つけられなくなった。そういう人たちが注入されていったのが金融です。しかも直接金融です。
そういう金融というセクターの肥大化を背景にして、もうこれは余り詳しく説明する気持ちもありませんけれども、十年前は
アメリカの
経済はどうなっているんだといったら鉱工業生産とか設備投資とかをみんな
議論していたんですけれども、昨今、御
承知のように、
アメリカ経済はどうなっているんだといったら全員が株価の話をしているといいますか、要するに、ウォールストリートはどうなっているんだ、ダウはどうなっているんだ、ナスダックはどうなっているんだということだけが気になるような産業
国家になってきちゃったといいますか、その余波をまともに受けているのが
日本だということは私が言うまでもないわけです。
ルービン、サマーズなんかが主役だった前政権に対して、今回、先ほど名前が出ていましたけれども、
ブッシュ政権の
一つの特色ですけれども、ウォールストリートの関係者の人たちが政権の中枢にいないというのが特色なんですね。例えば
オニール財務長官はアルコアといういわゆる非鉄金属の物づくりの会社の出身です。それから、首席補佐官のカードさんはGMの副社長だった人です。そういうことで、前政権が、これは余談みたいなものですけれども、ウォールストリートとかサンフランシスコ郊外のいわゆるシリコンバレーに軸足を置いた人たちが多かったのに対して、際立った特色がその
部分にあると
思います。したがって、これが対日
政策にどういうふうにあらわれてくるのかなということは非常に興味深く我々は見ております。
いずれにしましても、今の話を整理しますと、クリントンの
東アジア外交、対日
外交とどういう
変化が見えてくるだろうかということなんですけれども、まず、ブッシュの
中国外交というのはやはり非常に大きなポイントになってくると
思います。
御
承知のようにブッシュは、例えばブッシュ自身も
中国は戦略的パートナーではなくて競争
相手だということをあえて発言したりしております。パウエルも、
アメリカにとってのいわゆる
国際関係を四つのカテゴリーに分類していまして、
一つは同盟国、
一つは戦略的パートナー、
一つは潜在的敵国、
一つは敵国と。このカテゴリーの中で、クリントン政権は少なくとも
中国については戦略的パートナーという言葉を使っていたんですけれども、あえて戦略的パートナーではないというような発言をしてトーンを落としています。私は、よく米国と
中国の関係は
ブッシュ政権の中で悪くなるんじゃないかということを言う人がいますけれども、現実的に政権につきますと
中国の存在感というものをやっぱり認知していかなければいけないということになりますので、クリントン自身が大きく
変化したように、ブッシュ
外交だからといって対
中国外交が物すごく緊張するというような
考え方はとるべきじゃないだろうと
思います。
ただ、同盟重視という基軸について、とかく
日本の
外交問題についてコメントしている人は、選挙戦のさなかから、ゴアの対日
政策よりもブッシュの対日
政策の方が同盟重視だから
日本にとってはいいというニュアンスのコメントをしていた人が多いわけですけれども、私はそうは
思いません。つまり、同盟重視ということは同盟のコスト負担重視でもあるわけですね。
日本が果たしていく
役割について、大変踏み込んだ
役割期待というものをしてくる可能性が大いにあると
思います。
そういう中で注意しておかなきゃいけないのは、今度の政権の中に非常に
日本通、
日本について大変詳しい人たちが中軸のところに配置されています。私自身も大変親しくさせていただいているんですけれども、例えば
日本でもなかなか名前の通っているアーミテージさんが国務省のナンバーツーで入っています。アーミテージさんの右腕だと言われたトーケル・パターソンが、これはホワイトハウスのナショナル・セキュリティー・カウンシルのアジア
外交のシニアの、いわゆる最高責任者のポジションでパターソンが入っています。それから、ジム・ケリーといいまして、これもまたアーミテージさんの左腕で、ハワイにあったCSIS、戦略研究所のパシフィック・フォーラムの二人がキーパーソンだったんですね、パターソンとケリーが。この人がペンタゴンに入っています。
したがいまして、例えばの例なんですけれども、これらの人たちは
日本のことについて非常に詳しく知っています。トーケル・パターソンに至っては、中央公論の
論文が
日本語で読めるぐらいの
日本語力を持っている、筑波大学に留学していた経験のある人です。これは、ホワイトハウスのNSCのアジア担当の、これだけ
日本語がわかる人が配置されていた記憶がないです。そういう人が配置されているということは、
日本にとってプラスの
部分と、マイナスと言うと大げさですけれども、
日本のことをよく知っているがゆえに厳しいところに球を投げ込んでくる可能性が大いにあると
思います。
そこで私が申し上げておきたいのは、
日本の主体性、先ほど主体性という言葉も出ておりましたけれども、
アメリカの対日
外交はどうなるんだろうかということだけに
日本人はよく関心を向けがちなんですけれども、最も大事なのは、
日本は日米関係をどうしたいのかというところに話は返ってくるんだということだけまず申し上げて、私の
考え方を進めていきたいわけです。つまり、挙証責任といいますか、語り始めるべきは
日本であって、
日本は対米
外交をどうしたいのかがより重要なんだということを申し上げたいわけです。
その前に、前提として認識を踏み固めていきたい話にどんどん入っていきますけれども、二十一
世紀の
日本を取り巻く
外交の環境について、今度はマクロ的な視点にちょっと戻しまして話を触れておきたいわけですけれども、
日本の二十
世紀というのは一体
国際関係においてどういう姿を持っているんだろうかということについてざっくりと総括しておきたいと
思います。
私は、
日本の二十
世紀というのは二つのモデルを基軸にして成り立ってきたというふうに考えております。
一つはアングロサクソン同盟、
一つは通商
国家モデルという二つのモデルで我々は生き延びてきた。アングロサクソン同盟というのはどういう意味かというと、
日本の二十
世紀百年間のうち七十五年間がアングロサクソンの国との二国間同盟で生き延びたアジアの国という性格を持っています。
前半の二十年は言うまでもなく日英同盟です。一九〇二年から一九二一年のワシントン
会議で日英同盟を解消するまでで二十年間ですね。
日本は、ユーラシア
外交の成功体験という言い方をする人もいますけれども、日露戦争から第一次
世界大戦まで、一応ユーラシア
外交の勝ち組としてプレーできた。それがアングロサクソンの中の英国という、いわゆる主役との同盟関係によって支えられたということは間違いないわけです。
それから二十五年間のダッチロールに入ります。いわゆる一九二一年のワシントン
会議前後、その前のベルサイユ講和
会議あたりからそうなんですけれども、多国間
外交の夢を見て、当時はやった言葉で言うと一等国、
日本も一等国の一翼を占めるようになったということで五大国主義なんというものが出てきて、御
承知の五対三対一・七五なんという大国間のいわゆる海軍軍縮条約のもみ合いの中に突っ込んでいって、
日本も欧米列強模倣路線の中を走って満州国の夢などを追っかけているうちにダッチロールして国際連盟よさらばと、それから真珠湾へという
流れの中に入っていった二十五年という戦争を挟んだ不幸なときに入ります。
それから敗れて一九四五年から五十五年間、この国は
アメリカとの二国間同盟で
国際社会の中を生き延びてきた。したがって、前半の二十年と後半の五十五年、合わせて七十五年間、アングロサクソンとの二国間同盟で生き延びたアジアの国というのは、アジアにそんな例はありません。極めて特色立った性格を持っている。
それから、通商
国家モデルというのは、これは多く語る必要もありませんけれども、要するに
資源、
天然資源のない極東の島国を、百年間の間に人口四千万の国を一億二千万の国に、
産業化とか近代化という枠組みの中でしてくるためには、この通商
国家モデルを走ったわけですね。海外から技術を入れ
資源を効率的に注入し、新しいビジネスモデルをつくって売れ筋の商品にして
国際社会に売り出していって外貨を稼ぐというパターンで今日に至ったと。我々は、このアングロサクソン同盟と通商
国家モデルを成功体験だと思っているんですね。それは、いい意味でも悪い意味でも成功体験だと
思い込んでいるわけです。
ところが、二十一
世紀の
日本が、じゃ同じくアングロサクソン同盟と通商
国家モデルだけで生きていけるだろうかというのが根本的な問いかけです。私は、必ずしもその延長線の中に生きていけないからこそこの国は大変になっているんだというふうに認識しております。
まず第一に、二十一
世紀の
日本に横たわる与件ということで、アングロサクソン同盟。
僕は、安保マフィアという一部の人たち、日米安保さえ抱きかかえていけばこの国は安定するということを
議論している人たちに対して常に言うんですけれども、それがもし許されるならこの国にとってそれはそれなりに幸せかもしれないけれども、例えば
アメリカから見たアジアの図式が変わってきていると。
アメリカの百年間の
東アジア外交のバイオリズムというのを見ていたら非常によくわかりますけれども、国務省の中で絶えず繰り返されている
議論が、
中国を基軸ととるか
日本を基軸ととるかという、バイオリズムのような
議論が繰り返されてきています。そういう中で、今我々は、好むと好まざるとにかかわらず、
中国の
歴史的台頭というエネルギーの中にこれから入っていかなきゃいけないということだけは僕は間違いないだろうと
思います。
それはどういう意味かというと、
中国が統一
国家としての
体制を保ち得るかどうかというような別の意味での
中国論というのは当然あるわけですけれども、例えばこの間も北京に行っていろんな人と
議論して感じましたけれども、九七年に香港を取り返し、九九年末にマカオを取り返して、
中国は、アヘン戦争から百六十年かかりましたけれども、
中国における西洋の植民地というものを一掃しました。強勢
外交という言葉を使いますけれども、
日本は弱勢
外交ですなと言ってにやっと笑われてしまいます。
何も
外交だけじゃなくて、
経済のメガトレンドを見ていますと、世銀だとかIMFが、二〇二〇年に
中国のGDPが
日本どころか
アメリカの方も追い抜くというような
予測を出してきているというようなこともありますけれども、何も
中国の
経済力の高まりということだけじゃなくて、我々にとってやはり
中国の台頭というのが大きなエネルギーを発散してきているということは意識せざるを得ません。
一番、一言だけ触れておきたいメルクマールは、人口です。
日本が、先ほども申し上げたように過去百年間で四千万の人口を一億二千万にしてきた。これから
日本は、御
承知のように、二〇〇七年と厚生省は言っていますけれども、最近の
予測では二〇〇五年にピークアウトします。二〇五〇年という年にこの国の人口は一億人を割ると言われています。二一〇〇年には六千七百万人に収れんするというのが厚生省の中位
予測ですけれども、最近のあれでは五千万台に入ってくるだろうと言われています。したがいまして、我々はこの国が百年前四千万だった、ピークに今立っているんですね。これからつるべ落としのように人口は落ちていきます。
それで、
日本が一億人を割るだろうと言われている二〇五〇年、この年に
中国の人口はどうなっているかというと、今、
日本に対して
中国は十二億七千万だと言われています。約一対十です。これがこれから五十年たったときに、我々の子供たちの世代は一対二十の
中国といいますか、
中国の人口は二十億になるだろうというふうに
予測されています、人口抑制
政策が相当成功したとしてもですね。したがって、我々がイメージの中に据えておかなきゃいけないのは、あらゆる意味で
中国という国が
民族的高揚期に入ってきているエネルギーを受けとめながら
外交というものを考えていかなきゃいけない。
そういったときに、
アメリカもそれを見ているわけです。
アメリカのアジア
外交の軸は、何も
日本をバイパスして
中国との同盟なんというそんな安っぽい話じゃなくて、
日本も
中国も大事という相対的なゲームになりつつあることだけは間違いないと。そういう中で、対米関係だけを唯一の基軸として、戦後の
日本外交というのは
アメリカとつき合うことをもって
外交と言いかえているような
部分があって、これから本当の意味での、本来
外交というのは多元的なもののはずなんですけれども、
外交軸の多元化、多角化というのは必然的な
流れとして我々の前に横たわっているというふうに言わざるを得ないと私は思っています。
本質的な課題としての対米関係の再設計ということなんですけれども、私はユーラシア
外交が大事だということで、これから
中国とどうつき合うかとか、あるいはプーチン以降のロシアとどうつき合うかという
テーマをまじめに
議論するにしても、その前提として米国との関係をどう再設計するのかということがユーラシア
外交を
議論する上での前提として大変重要な
部分だと
思います。
先ほど申し上げた点であるわけですけれども、戦後、
日本は
アメリカとの
外交を基軸としてこの国を形成してきた。サンフランシスコ講和条約からちょうどことしが五十年目です。終戦からわずか六年で
日本が
国際社会に復帰できた。イラクが湾岸戦争でもう十年以上たっているのに、
国際社会に復帰するというのがいかに難しいかということを考えるとすぐわかることなんですけれども、なぜそんな早いタイミングで
日本が
国際社会に復帰できたかというと、言うまでもないことですけれども、一九四九年、共産
中国の成立。
蒋介石が台湾に追い詰められて、それまでワシントンで戦前から戦中、戦後にかけて新
中国、反日で
アメリカの世論を引っ張っていった例えばヘンリー・ルースに代表されるようないわゆるチャイナ・ロビーの一群の人たちが、
自分が支援した蒋介石が台湾に追い込まれたことに衝撃を受けて、
日本を反共のとりでとして復興させなきゃいけないという方向へ、ばんとバイメタルがひっくり返るみたいにくらがえしたといいますか、ダレスに対して圧力をかけて対日講和を急げと、日米安保条約を急げという側に回ったことが、つまり
中国が二つに割れたということが戦後の
日本の復興、高度成長にとって僥幸にも近い風だったと。
そういうことを考えてみると、サンフランシスコ講和条約からちょうど五十年なわけですけれども、そろそろ
冷戦の
時代の
日本の安定というものを守ってくれた日米安保というスキームを
日本側が主体的に見直すべきタイミングに来ているのではないかというのが、私がここのポイントで申し上げたい
最大のポイントです。
軍事関係におけるけじめと間合いという表現をとっていますけれども、その際、私が言いたいことは多々あるんですけれども、問題意識として中核に据えていることだけ申し上げますと、二つの常識ということについて静かに立ち返らなきゃいけないということを申し上げたいんです。二つの常識というのは、グローバルコモンセンスのことです、勝手な
思い込みじゃなくて。
まず第一の常識は、独立国に外国の軍隊が長期に駐留していることは不自然なことだという常識です。そんなことはないよ、ドイツにだって
アメリカの軍隊は駐留しているし
世界じゅうに
アメリカの
軍事基地はあるよということを言う方がいるかと
思いますが、私の言いたいポイントは、ドイツは例えば九三年に地位協定の改定というのをやって、ドイツに駐在している米国の軍隊というものをどうやって相対化するかという
努力の蓄積の中で今日に至っています。占領軍の基地のステータスのまま今日現在も米国の在日米軍というものを受け入れている国は
世界に例がありません。そういう意味で、独立国に外国の軍隊が長期に駐留していることは不自然なんだという常識に、変なナショナリズムで言っているんじゃないんです、当たり前の話をしているんです。
二つ目のポイント。米国はみずからの
世界戦略と
国民の世論の支持の枠内でしか
日本を守らないという常識です。どういう意味かというと、そんなことないよと言う人がいるかもしれませんけれども、日米安保というものに過剰期待してはいけないということが言いたいわけです。
アジアの情勢はもっと複雑です。例えば、一番私の申し上げたい問題意識を一言だけで言うと、尖閣列島の問題を考えていただいたらわかります。尖閣列島について
アメリカは、正式な談話ではありませんけれども、日中間の領土問題には巻き込まれたくないというスタンスを国務省なんかは示しています。しかし、本当はそんな話は
日本にとってこそとんでもないという話なんです。というのは、沖縄が返ってくる瞬間まで尖閣は
アメリカが施政権を持っていた地域なんだから、その問題には介入したくないよというスタンスは許されないはずなんです。しかしながら、私がここで申し上げたいのは、
アメリカはどんなときでも、仮に
中国が尖閣列島に武力を行使して占拠したとして、その瞬間に日米安保が発動されて尖閣を
日本のために守ってくれるともし考えている人がいたら、それは相当にずれていると。
要するに、私が申し上げたいのは、みずからの
世界戦略上それが大事だと判断したときには行動を起こすでしょうけれども、そのときの
アメリカの政権の
世界戦略観と、それから
国民世論の支持の枠組みの中でしか行動しないと言っている意味は、いつでも
日本のために
自分の国の若者の血を流して守ってくれる善意のあしながおじさんじゃないということです。
したがって、この二つの常識というものに返ったときに、これから今まで戦後五十年、日米安保というものが我々の繁栄とか安定とかというものを守る基軸であったということを高く評価する
立場、それから今後も
日本と
アメリカの
軍事協力関係が大事だということを冷静に認識する
立場の
人間こそ、逆に
アメリカとの
軍事協力関係というものを再設計していかなきゃいけない。
それは、具体的には何かというと、僕はやはり基地の段階的縮小であり、これはもう
アメリカ側が新しい政権のアジェンダの中でそういう言葉を使い始めています、我々が言い出すべきだったのに。
アメリカの方が、例えば昨年秋のアーミテージ・レポートなんかにも基地の縮小なんという表現が向こう側から出てくるような局面になっています。
それからもう
一つ、先ほど言いかけた地位協定の見直しです。やはりドイツが九三年に実現したように、
日本における
アメリカ軍の基地を基地ごとに全部見直して、その利用目的を見直して、
日本としての主体性を持って位置づけを再確認し直す作業をすべきだと私は
思います。
それから同時に、
東アジアの安定というのが一番大事なわけですから、
東アジアの安定のために日米がどういう
軍事協力の仕組みを持っていた方がいいのか。このことについて一言申し上げておくと、
アメリカの方がはるかにやわらかいシミュレーションをしているということです。私はいろんな
立場の人と
議論してみて驚かされますけれども、極端に言うと、例えばハワイ、グアムの線まですべての
東アジアにおける前方展開兵力を引き揚げたとして、もし朝鮮半島に事が起こったときに
アメリカがどう対応するかということまで含めたシミュレーションをやわらかくやっているのが
アメリカのやっぱりすごみです。
日本こそ日米同盟が基軸という金縛り
現象みたいな中におりますので、そういう事態にやわらかく対応していけるようなシナリオというのはほとんど持っていない。
そういう面で、私が言いたいのは、
東アジアの安定に向けて日米がどういう分野でどういう
協力関係に、つまり新しい安保の仕組みというものを構想するかということが非常に重要な局面に入ってきていると
思います。
特に、視点として申し上げたいのは、IT革命が戦争というものを大きく変えています。要するに、前方展開兵力が
東アジアに十万人必要だというふうに考えているまじめな
軍事専門家は
アメリカには一人もいません。本音の
部分では前方展開兵力は極小化していけると。なぜならば、IT革命の中で衛星でモニターして、ピンポイントにトマホークを撃ち込んでいくような戦いに、サイバー戦争というようなステージにどんどん戦争の性格が変わってきているわけで、前方展開兵力の持つ意味が変わってきています。
それから、
東アジアの新情勢というもう
一つのファクターがあります。そういう中で、例えば南北朝鮮会談なんかに象徴されるような
東アジアの新情勢、そういうものに対してやわらかく日米の
軍事協力関係の仕組みを再構築していくべき局面に今僕は入ってきていると
思います。
その中で、同時に多国間の安定確保の仕組みというのも大事なわけです。先ほどくしくも
添谷先生が話しておられましたけれども、アジアにおける多国間のやはり
協力のスキームといいますか、
軍事の分野における
協力のスキームというのも大変重要なシナリオになってくると
思います。
これは、フォーラムみたいなものからNATOのようなものを極端にすぐに構想できるような地域でないということはもう間違いないわけですけれども、フォーラムのようなものから段階的に多国間の安全保障についての
意見交換、情報交換をするようなものを積み上げていくような
流れをつくっていくということが大事だろうと僕は思っています。
次に、
経済関係なんですけれども、「他方、
経済関係における日米
協力の深化」とここに書いてございます。これは時間の関係で一言だけで申し上げますと、私は
軍事におけるけじめと
経済における踏み込みといいますか日米
協力を深める構想とが同時並行しなきゃいけないというふうに思っています。という意味は、これは日米関係、長くつき合っているわけですけれども、包括的な
経済協定はありません。例えば日米自由貿易協定みたいなものが
議論されてはいますが、
一つも包括的な
経済協定というものを持っていない。これはやはり投資、貿易を含む日米間をより親密なものにしていくような構想というのが必要だと。
だから、私の今言っていることを集約すると、
経済関係においてはより密度を深くして、
軍事の関係においては筋道を通していかなきゃいけないときに来ているんじゃないかということです。
それから四番目、最後のポイントですけれども、「求められる
理念と構想力」と、こう書いてございますけれども、最近非常にねじれた反米ナショナリズムみたいなものが高まってきているということを実感します。どういう意味かというと、ここへ来てマネー敗戦的な、金融敗北的な雰囲気の漂う中で
アメリカの陰謀論だとか
アメリカに対する嫌米感、反米感が隠さないような本がいろいろ出ております。
そういう中で懸念されるのは、米国に対してけじめをつけていこうといういわゆる自尊自立の方向へそれが行けばいいんですけれども、ねじれた自尊心といいますか、それが反転して、先ほども
添谷先生が話題にしておられましたけれども、例えば教科書問題なんかに象徴されるような、アジアに向けての閉ざされたナショナリズムといいますか、私が言いたい意味は、過去の
歴史に自尊心を持つということはどんな
民族にとっても大事なことなんですけれども、ねじれた自尊心といいますか、おれたちだけが悪かったんじゃないというような、要するに新種の閉ざされたナショナリズムのようなものがここへ来て非常に台頭してきている感じがします。
そういう中で、少なくとも近隣の諸国から理解されるナショナリズムでなきゃいけないというか、これが閉ざされたと開かれたとの違いだと思うんです。どんな国にだってナショナリズムはあっていい。だけれども、どこまで理解のすそ野を広げられるかということが大事なポイントだろうと僕は
思います。そういう中で、多国間の
外交に嫌でもシフトしていかなきゃいけない
時代こそ
理念性が問われるということを最後に僕は申し上げておきたいんです。
これは私の国際的な体験をベースにして申し上げているんですけれども、この国は七十五年、さっき申し上げたように二国間
外交で生きてきたんですね。二国間
外交というのは、我々の
世界でいうと労働組合と会社の交渉みたいなもので、何百回も同じ顔を見ていたら落としどころが見えてくるという、殺気立っているように見えて落としどころが見えてくるというのが二極間のゲームです。ところが、多国間のゲームはまさにこういう雰囲気で丸テーブルを囲んでいます。したがって、筋道の通った主張をしなかったならば、例えば
インド人、例えばユダヤ人のような人たちが座っていて、
日本の言っているのももっともだなというシナリオがなければとても多国間の
外交の中を生きていけるものじゃない。したがって、多国間
外交こそ
理念性が問われるということを申し上げたいわけです。
その
理念性というときに、私はこの国の戦後というのは必ずしも自虐的に振り返るべきポイントばかりじゃなくて、例えば非核平和主義ということをとっても、これこそ武力をもって紛争の解決の手段としないという
思想、基軸が
国際社会にとってアピールこそすれ後退する必要はない最も重要な
理念性の高い
部分で、これから多国間
外交を展開する上で大変大きな意味を持ってくるだろうと私は
思います。
そういう意味で、
日本の
理念性というものを踏み固めるというのが大事だということを申し上げて、もう
一つは繰り返しになりますけれどもアジア連携の
重要性、特にITにおけるアジアとの連携の必要性、なぜならばITの分野における
アメリカのひとり勝ち的な
状況というのが非常に際立っているわけで、そういう中で、例えば今シンガポールとの自由貿易協定みたいな話が進んでおりますけれども、これは大変重要と。なぜならば、何も関税引き下げる自由貿易協定という意味で必要なんじゃなくて、IT、特に電子の分野でのアジア連携というのがこれから大変意味を持ってくると。
それから最後に、後でもし御質問でもあれば申し上げたいと思っていたのが、この種の
外交を展開するためには
外交インフラが要ると。
外交インフラというのは、要するに情報力の基盤という意味です。それは、例えばシンクタンクであり、例えば
外交問題を
議論するアカデミズムであり、要するに、
外交のインフラが非常に乏しいために、一言だけ例を申し上げますと、例えば、先ほどフランスが
アメリカに対し非常にしたたかな
外交を展開しているという例が出ましたけれども、私がよくパリに行って必ず立ち寄るんですが、アラブ
世界研究所というのをフランスは、一九七三年に石油危機が起こってその翌年、その構想を発表して二十年かけてつくりました。フランスが六割お金を出して四割アラブ二十二カ国に金を出させて、今日、中東とかアラブとかそれから石油だとか、そういうことについて情報を集めている人は必ず情報の磁場が形成されているこのアラブ
世界研究所を訪ねざるを得ないというようなものを瞬く間に構築していっています。
日本は、対米
外交が大事だと言ってみても、
アメリカ研究所
一つあるわけでもなく、いわゆる
東アジアの情勢さえ
アメリカから情報をもらっているような
状況下ですね。率直に言って、
外交インフラの充実なくして
外交戦略なしということだけ最後に一言申し上げて私の話を終えたいと
思います。
どうもありがとうございました。