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2001-02-26 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十三年二月二十六日(月曜日)    午後一時三十分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         関谷 勝嗣君     理 事                 佐々木知子君                 山本 一太君                 今井  澄君                 高野 博師君                 井上 美代君                 田  英夫君     委 員                 入澤  肇君                 亀井 郁夫君                 田中 直紀君                 畑   恵君                 松谷蒼一郎君                 山内 俊夫君                 山下 善彦君                 木俣 佳丈君                 佐藤 雄平君                 広中和歌子君                 本田 良一君                 沢 たまき君                 緒方 靖夫君                 高橋 令則君                 島袋 宗康君    事務局側        第一特別調査室        長        鴫谷  潤君    政府参考人        特命全権大使国        際連合日本政府        代表部在勤    佐藤 行雄君    参考人        前国際連合難民        高等弁務官    緒方 貞子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○政府参考人出席要求に関する件 ○国際問題に関する調査  (「二十一世紀における世界日本」のうち、  新世紀課題国連について)     ─────────────
  2. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  政府参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国際問題に関する調査のため、本日の調査会特命全権大使国際連合日本政府代表部在勤佐藤行雄君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  4. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会のテーマであります「二十一世紀における世界日本」のうち、新世紀課題国連について、参考人から御意見をお伺いした後、それに対する質疑を行い、その後、政府参考人から説明を聴取し、それに対する質疑を行います。  まず、前半は前国際連合難民高等弁務官緒方貞子参考人に御出席をいただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  緒方参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  本日は、十年にわたる国連難民高等弁務官勤務を終えられました参考人から、新世紀課題国連について忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず緒方参考人から三十分程度御意見をお述べいただいた後、午後三時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。  なお、意見質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、早速緒方参考人から御意見をお述べいただきます。緒方参考人
  5. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) ありがとうございます。  本日は、参議院国際問題調査会参考人として出席するようにという御招待をいただきまして、ありがとうございます。また、御案内によりますと、もうここ数年来、国際問題そしてまた国連役割等について御調査をお続けになっていらっしゃる御様子、大変心強く拝見いたしました。  きょうは、特に国連難民高等弁務官の勤務を終えてということで、私が十年間の経験その他から考えましたこと等について御報告申し上げ、今後の調査の御参考にしていただければと考えている次第でございます。  その前に、一つお礼を申し上げたいと思いますのは、去る二月七日にUNHCRのための議連を発足していただきまして、ここにいらっしゃる先生方の間にも何人かお入りいただいたのではないかと思いますが、そのときも私は申し上げましたのですが、国連のいろんな活動についての支援というのは政府ベースだけでは不十分で、これは国民的なベースでぜひ御支援いただきたいと。その中でも、議員の先生方は国民と政府を結びつける非常に大事な方々でございますので、その意味でもこの議連が発足したということに私は大変うれしく、また心強く感じている次第でございます。  議連の発足に当たりましては、いろいろ先生方の間でもお諮りいただいたのだと存じますが、一番感じましたのは、普通は私が高等弁務官の間にこういうものができるというのが普通の姿ではなかったかと思いますのですが、むしろ終わってからできたということに、別にこの議連は緒方を助けるためではなくて難民を助けるためなんだ、政策としてのUNHCR支援難民支援ということでお立ち上がりいただいたと、そういうふうに私、解釈いたしまして、今後の議連のお働きあるいは調査等につきまして、何でも私ができることがございましたらお世話させていただきますし、お役に立ちたいと思っておりますので、お礼と同時にその点も最初にごあいさつ申し上げようと思ったわけでございます。  UNHCR国連難民高等弁務官事務所と申しますのは、ちょうど五十年前、一九五〇年十二月十四日に発足いたしました。その後、現在、職員は約五千名、そのうち日本人職員は約六十六名でございます。UNHCRは、世界百二十カ国に二百七十以上の事務所を持っております。国よりも事務所が多いと申しますのは、その国の首都に事務所があるだけではなくて、私どもの場合は事業をしている国連機関でございますので、それこそ首都からヘリコプターや軍用機などでかなり遠いところへ行った僻地にある難民のお世話をする、そういうことで事務所の数というものは国の数よりもずっと多いわけでございます。  難民総数といたしましては、私が難民高等弁務官になりました一九九一年には約千七百万、その後ピークが一九九六年でございましたが約二千六百万、そして私が退任いたしました二〇〇〇年の終わりには約二千二百万でございます。つまり、中ぐらいの国の数ぐらいの人口を私どものオフィスでいろんな形でお世話してきたと。年間予算は約九億から十億ドルでございます。このうちの大部分は各国政府任意拠出で賄っております。  それで、一番最初によく聞かれますのは、難民というのはだれを指すのですかと。この難民と申しますのは、難民条約にその定義等が書いてございますが、迫害、さまざまな政治的信条、宗教その他の理由で迫害を受けて、自分の国にいられなくて国境の外へ逃れた人々、これらを難民と呼ぶわけでございます。そして、その国の保護が得られなくなった人々、その人たち保護をするために国連難民高等弁務官という官職ができ上がりました。そして、その事業の内容といたしましては、彼らを保護し、支援し、そして彼らの問題を解決する、この三点が難民高等弁務官の任務でございます。  それじゃ、どうやってこの仕事を実際には扱うんだろうかと。まず、法的な基盤はもちろんございます。その人たちが法的には自分の国家の保護を得ていないわけですから、国家にかわって、簡単に言えば法的な滞在の資格であるとかそういうさまざまな法的なバックアップをしなきゃならない。そして、その人たち自分国籍国外にいるわけですから、その人たちのためのさまざまな支援、それは法的なものもございますし物質的なものもございます。さまざまな形の支援が必要になるんですが、その支援を行う。そしてさらに、私はこの責任を一番重く感じましたのですが、彼らの問題を解決する、難民難民でなくなるように努力する、これが私どもに与えられた仕事であったわけです。  具体的に申しますと、難民という犠牲者にかわって各国政府に受け入れを交渉する、支援を交渉する、そして国際社会全般に対してはこういう人たち自分の迫害を受けた国に送り返したりしてはいけないんだと、そういうような世論をしっかりと打ち立てる、そしてまた広くこれは各国政府及び国民に対して訴えまして、そしてその人たちの安全のために、そしてまた福祉のためにさまざまな物質的な支援を集める、そういうような非常に多様な事業を内容としております。  法的根拠としては、一九五一年に成立いたしました難民保護条約がございます。これがことし五十年を迎えますので、その難民条約の確認と、そして十分今の事態に合っているかというようなさまざまな検討を行う、そういう条約の再検討の会議も準備しております。  そしてまた、多くの場合、難民を守るための政治的な交渉を行わなきゃならないと。援助活動と申しますと、ただ慈善のような仕事というふうにお思いになったのでは不十分なんですね。それはどうしてかというと、かわいそうだから上げるということもありますが、難民自分国籍国外にあって、そしてしかも身体的にも安全の面でもすべてを保護するというのは大変なことなんです。特に、大勢の難民国境を越えて隣国に逃げ込んだ場合、隣国の安全というもの、国境周辺の安全というもの、こういうものも侵されますから、そのためにどうにかして難民の安全と難民を受け入れている国、そしてその周辺地域の安全というものも確保していかなきゃならない、そういう安全の保障というのが非常に大きな責任になってまいります。そして、その裏には何があるかというと、法秩序の遵守。これは難民法秩序を乱さないようにということもあるんですが、法秩序が十分守られないために難民がまたさらに大きな被害をこうむることのないようにと。  これは、私が難民高等弁務官を務めておりました際の最も大きな事件としては旧ユーゴスラビア連邦の崩壊がございまして、この場合、民族間の対立、民族の浄化という言葉がしばしば使われたわけでございますが、そういう他民族を追い返す、場合によっては他民族の殺りくというものが紛争の中心にあったわけですね。その中で、どうやってそういう追われる人々を守っていくかというためには非常に大きな苦労をいたしたわけです。  そこで、どういうことで何で二千万人以上の人たちがこういうふうに逃れてきたのかというような難民の流出の原因と、それに対してどういう対策をとるかということについてちょっとお話ししたいと思います。  何と申しましても、冷戦以後の世界の紛争の最も基本的な形態は国内紛争だったということでございます。紛争国内化、これが冷戦までの難民保護の実態と非常に保護の実態が変わった原因でございますね。国と国との戦争であった場合は、難民が逃げてきたときにはその国の外にあって難民を受け入れてキャンプをしっかりとつくり、守っていけばよかった。ところが、国内紛争になりますと、どこでこういう難民をどういう形で守ったらいいかということ。これが、しかも国内紛争に巻き込まれない形で行うというのが非常に難しくなったわけでございます。また、国境を越えた難民以外に国内難民化した人々、その保護というのが非常に大きな問題になったわけでございます。  そこで、やはり私としては、安全保障理事会というところにも、私以前の高等弁務官は一人もそこで証人として行ったことはなかったんですが、しばしば呼び出されまして、あるいは少し話してくれというようなことでお招きを受けまして、全部で安全保障理事会に十二回ほど参りました。それはアフリカの現状の場合、あるいはユーゴスラビアの場合、あるいは難民保護をどうやってやったらいいのかというようなことについて、安全保障理事会は本来は国際的な平和と安全を対象にして活動する国連の機関だったわけなんですが、やはり国内問題、国内紛争というものに踏み込まざるを得ない状況になってきた。それが、やはり人間がその中で一番大きな犠牲者になる、一般の人間が犠牲者になるという状況のもとで、どういう形でこれの保護をし問題の解決をするかということが安全保障理事会の大きな課題になったわけでございます。  また、軍隊との関係、これが大きな問題として出てまいりました。旧ユーゴの場合、何といいましても紛争民族民族の浄化の問題だった。例えば、セルビア民族イスラム系人たちあるいはクロアチア系人たちを追い出さなきゃならない。そうすると、現場におります私ども職員は、逃げようかどうしようかという相談を受けるわけですね。  例えば、イスラム系の住民から、今爆弾を投げ込まれたり非常な危険にある、出ていけと言う、それで出ていかなければ殺されるでしょうと。だけれども、出ていったら民族浄化というその紛争目的に合ってしまうんじゃないか、どうしたらいいだろうと。そういうぎりぎりの相談を受け、ぎりぎりの選択に迫られたこともしばしばあったわけでございます。その場合に、結局、他民族の追放をどうやって防いでいくのか。それと同時に、どうやってこの追放されそうな人たちの命を守ってあげるか。そういう中で、私ども職員は現場で非常に苦しんだわけでございます。  その間、ユーゴスラビアの場合には、国連平和維持軍を派遣しました。七千人ほどの平和維持軍ボスニアに派遣したんですが、その軍隊との協力をするべきか、するべきじゃないか。どうやったら、どういう形でしたらいいかということも大きな問題になったわけでございます。  私ども職員は、それまでは軍隊と協力するというふうなことはしませんで、軍隊とは常に距離を置くという立場で自立性あるいはニュートラリティーというもの、中立性を守ってこようとした。ところが、三民族のぶつかり合いの国内紛争の中で、この軍隊平和維持軍として国連から派遣していまして、やはり目的は平和の維持、人命の尊重、そして人道活動支援ということで出てきたものですから、その人たちの使命と難民保護の使命とは目的においては非常に重なっていたんですが、具体的にはやはり軍隊の存在というものとそれから人道活動活動現場でのイメージというものをどうやって合わせるかということで苦労したわけです。  結局は、特に私ども、歴史的にベルリンの空輸よりも長い期間サラエボの空輸をしたわけですが、この場合、軍隊は私のもとで人道活動のために動くということで、おかしな話ですが、難民高等弁務官がコマンダーでそのもとに空輸をしたと。あるいは、陸路非常にたくさんのトラックで隊を組みまして物資を持っていったわけですが、その場合、先頭にあった国連軍が先に行って安全の確保をしたり地雷があったときはそれを除去したりという形で支援をした。そういうことで、初めて私どもとしては、軍隊と一緒に仕事をしなければ人々が守れない、こういう中での仕事をしたわけでございます。  それで、私どもの方からも人道機関軍隊と働くということを習いましたし、また軍隊の方でも、軍隊というのは本来戦闘のためにできている集団なんですが、戦闘ではなくて人道的な支援のためにどうやって活動していいかというようなことも習得されたんだろうと思うんです。お互いに、ついに私どもの方から軍隊へのいろんな人道活動の内容を示すような教科書のようなものをつくりまして、軍隊の方は軍隊の方で人道活動する、私どもはついばらばらに非常にフレキシブルな仕事をしたんですが、軍隊というのは組織されているものですから、軍隊の組織はどうやって動くかというような形の教科書をつくってお互い支援をし合うための条件づくりというようなものもしたこともございました。  今、人道的支援のために政治的な介入あるいは人道的な介入、人道的な介入という言葉を使いましたときに、多くの場合、軍隊を使用するということについての是非が議論されているわけでございますが、私自身、自分の経験からどういうふうに考えているかと申しますと、人道的な支援から人道的な介入までの段階的な対応というものを計画して実施していく必要があると思うんです。  段階的な対応と申しますのはどういうことかというと、まず一番最初にどこででもしなきゃならないことは、地元の対応能力強化することだと思うんです。難民が入っている、逃げていったその地域、あるいはその国の地元の能力、これは百万人の難民が内戦に敗れて逃げてまいりますと、これが事実今のコンゴですね、当時のザイールで起こったことで、百二十万人が国境を越えて入ってきたときの対応というのは相当の対応能力がなければできないことなんです。そういう対応能力をもっと、危険が起こりそうなところ、紛争が起こりそうなところについてはその地元の、地元レベル対応能力強化ということの必要性というものを強く感じました。  それは、内容的に申しますと、法治能力の育成である、あるいは法務官の育成である、警察及び軍隊法治能力強化のための訓練、あるいは警察力のロジ、コミュニケーション能力強化、こういうことがまず第一にされるべき国際的な支援の形態であるというふうに考えております。場合によっては、人道的なアドバイザーであるとか警察の訓練をできるような国際的な警官であるとか、そういうものの派遣も考えたい。事実、タンザニアでは私どもタンザニアの警察に対してこのような援助をいたしまして、そして難民キャンプ内の法秩序維持ということで努力しております。  それがさらに進みましてどういう段階を考えていると申しますと、地域組織対応力強化でございます。これは、アフリカアフリカ統一機構という地域組織がございますのですが、そこには平和ファンドというものがあって日本からも御出資があるというふうに承知しておりますが、さらに南部アフリカ西アフリカ、そしてアフリカの角の地域にはそれぞれ地域組織があるんですね。そういう地域組織における平和維持能力強化ということがその次の段階では非常に望ましいんじゃないかと。  これは、政治的な交渉力から交渉のためのロジであるとか資金の提供であるとかいろいろなことがあるんですが、地域に基づいた平和維持能力強化ということもひとつ具体的に考えておりますし、ある意味では今、西アフリカが一番危ないところになっておりますが、西アフリカにおいては、ECOMOGと言われております、ECOWAS、西アフリカ経済共同体の中にある軍事部門でその国境監視等をする人たちを養成しております。そういうものがある。それでもどうにもならなくなったときに初めて国際的な人道介入コソボで見られましたようなものが出てくるんじゃないかと。  国際的に見ますと、大規模な軍隊の派遣、それによる人道的な危機のための介入というものをする用意は極めて限られているものだというふうに私見ております。コソボの再現ということはほとんど例外であろうと。そうなってきますと、もう少し段階的でいろんなやらなきゃならないことを、具体的なそういう取り決めも行いますし、組織化が必要であるし、そういう支援が必要なんじゃないかと。それが第一点でございます。  第二は、対応能力強化ということで、もっともっと平和維持活動経済社会開発というものを全く違うものというふうに考えるのではなくて、これは連携されるべきものなんだと思います。紛争の予防であるとか平和の執行であるとか、あるいは解決の問題は絶えず政治、経済の開発能力強化と裏表として初めて実際的な効力を発揮するものだと思うんです。  ここで非常に私が強く感じましたのは、紛争がございますと、緊急人道援助ということは私ども仕事としていたしました。そしてまた、それに対する支援というものも各国政府からも参りましたし、民間の方々からもNGOの方も出てくださるということでいろいろあったわけです。ところが、その紛争が少し解決に向かう、紛争よりも平和の方へ少し向かい出すというときになってきますと、そこではもっともっと開発援助の資金の投入が必要になるわけです。ところが、その資金はなかなか来ないんです。資金も来ないし、技術援助も非常におくれると。  それはどうしてそういうことになるかと申しますと、やはり開発援助というのは、大体ある程度安定した政府があって、その安定した政府を通して援助の計画を立て、開発の目標を立てていくと。ところが、紛争直後あるいは紛争中にあったような国においては、そんな政府はなかなか出てこないんですね。その政府を強く、早く安定したものにつくっていくということ、これに成功すれば紛争から平和への橋渡しがもっともっと順当にできる。  ところが、これがなかなか実現できない。その間のギャップが非常に私は大きな国際的な問題だとも思いましたし、平和の礎というものはもっと早くからつくるべきである、そういうふうに感じましたので、紛争の再発につながるような状況を防止するためにも、もっともっとこの平和維持活動経済社会開発の連携というものを強化していかなければならない、そこに各国政府あるいは援助機関の注目をもっともっと集中させなければいけないと、そういうふうに感じました。  こちらのいろんな調査会の御報告を拝見しましても二本立てで別々になっているんですね、平和維持活動とそれから社会経済開発の問題。このリンケージに実はこれからの世界を平和の方へ持っていく、繁栄の方に持っていくためのかぎがあると。その辺はもう少し今後も御調査いただきたいと思いますし、私の自分の経験からそういうことを非常に痛感したわけでございます。  そしてさらに、目的としましては、こういう内戦に基づいた紛争が平和の方へ進みましたとき、これはいろんな形で追放された多くの犠牲者あるいは難民国内避難民自分のもとのうちへ帰り始めるときなんです。その帰り始めるときの目的としては、やはりコミュニティーづくりから始めなきゃいけない。上からどんなに立派な政府をつくっても、これはやはりそういう紛争の後始末としてはなかなか浸透しない。もっともっと一般の人たちの、お互いに殺し合い、恨みがあり、恐れのある人たちをどうやってまた一緒のコミュニティーの中で暮らす人たちに変えていくか。  立派な言葉で言えば和解の増進なんですけれども、私が現実に見ました状況からいいますと、和解などというものはかなり遠い先の目的で、何とかともに暮らす、そういう道をつけていってあげなきゃいけない。日本語というのは非常に大体難しい言葉だと思いましたけれども、共生、ともに生きるという言葉がよく使われておりまして、これがまさに共生の育成をどうやっていくか、ここに大きなかぎがあるのではないかと思いました。  二点御参考までに申し上げますと、そのために、私はボスニアにおきまして、ともかく今まで一緒に働いていた人たち民族浄化の戦争の過程でみんなばらばらになるわけです、イスラム系人たちクロアチア系人たちセルビア系人たち。もとへ戻ることも恐れているし、戻ったって仕事がないわけです。  そこで、いろいろ工夫しまして、もといたところに、もしも多民族を一緒に働かせるのならば工場をまた持っていきましょう、あるいは牧場を持っていきましょうということで、ほとんど無理をしてでも一緒に働かなければならないような状況をつくり出す。そういうプロジェクトにお金を出すということで幾つか提案いたしまして、一つの共生を進めるための、ともに働くためのそういう支援をする。そういうことをボスニアで始めましたし、またルワンダでもそういうことを始めております。  これはまだ実験段階にございますのですが、私のほとんど最後の願いの一つは、こういう共生プロジェクトをつくることによってどうやったらコミュニティーづくりをまたできるかと。つまり、下からの平和構築の重要性ということに注目いたしまして、国民レベルの平和共存というものをもっと図っていくと。  この場合、非常に女性のプロジェクトというものがかぎになっております。これはボスニア・ウイメンズ・イニシアチブ、ルワンダ・ウイメンズ・イニシアチブ、コソボ・ウイメンズ・イニシアチブという形で出してまいりましたのですが、どうしても紛争後の社会では生き残った家族の筆頭は女性である場合が多いわけです。女性ならいいんですが女の子ですね。ルワンダあたりでは十二、三歳ぐらいの女の子が実は家長であって、そういう人たちの互いの協力をする、出会いの場所をつくっていく、訓練を与える。やはり、私は紛争終結後の社会の構成はもっと女性に注目するべきだと思いましたし、女性中心のプロジェクトも組んでまいりました。  今、このように、ざっとでございますが紛争難民流出の解決についての私なりの考えを申し上げたわけなんですが、何と申しましても中心になるのは現場主義の思考だと思います。これは私ども職員が八割は現場にいる。私もほとんど紛争の現場を歩き回りました。そして、そこでつくづく感じましたのは、現場感に基づいた解決でなければ本当の解決というのは出てこないんじゃなかろうかと。  大変口幅ったいことを申し上げるようでございますが、どんな総会の議論も、どんな安全保障理事会の議論も、あるいはいろんな国際会議の現場でも、幾ら会議をしても現場に伝わっていない場合が余りに多いという現実。この中でせっかく会議をなさるなら、せっかく調査ミッションをお出しになるなら、その結果が現場の実態を変化するようにどうやって持っていったらいいかと。それが私の一番疑問として持って帰った命題でございますし、私はそのためには何でももう少し手伝うことがあったらお手伝いさせていただきたいと。  国連というのはニューヨークの本部中心じゃなくて、むしろ国連を中心とした世界各国の共同事業体のその現場での変化、これが一番大きな国連の課題であると思っております。そして、事業対象は政府じゃなくて、政府はもちろん必要なんです、政府からさらに個人、市民、そういうところまで広がっていかなきゃならないんだ、そういうふうなことを感じました。  いろいろ私としては十年間いろんな勉強をすることもできましたし、特に自分で一番大事な収穫と考えておりますのは、現場から物を見る、あるいは考える習慣だったと思うんです。これはただ、一つだけ大きな危険を伴っております。これは現場にある職員の安全性の問題でございます。現場にいなければ本当にいろいろな人々の支援をすることはできないんです。保護もできない。ところが、現場というのは紛争地である場合が多いものでございますし、非常に法秩序の遵守というものに欠けているところが多うございますから、どうしても危険を伴うのでございます。  したがって、国連の現場主義で働いている機関、これらの機関の職員の安全をどういうふうに確保するか。これは条約は一応できたんですね、平和維持活動及びそれに従事している職員の安全を確保する条約というものはできておりますが、その条約のカバーする範囲というものはもっともっと広げられなきゃなりませんし、また、職員の安全を確保するためにはいろんなセキュリティーオフィサーも必要でございます。それからコミュニケーションの道具も必要でございます。  そういうような職員の安全を保護するための財政的な裏づけ、これが今の国連では大変薄いのでございます。それについて日本からは任意拠出でそれを強化するための支援は出ておりますが、国連仕事というのは現場にあるんだという認識から、もっとこの裏づけを予算的にも強化していただきたいと。国際貢献というものは、抽象論や抽象的な提言や遠ぼえでは不十分であるということを非常に強く感じますものですから、この機会にこういうことを申し上げて、私が常日ごろから一番必要と感じる国連強化策、国際協力の強化策としてこの点を訴えさせていただきたいと思いました。  実は、近く正式に発足すると思いますが、人間の安全保障委員会というのができまして、そしてこれは日本政府からも国連に対して、人間の安全保障に関するトラストファンドというものがもう既に創設されております。そういうトラストファンドが目的とするところ、これは本当に不安全と申しますか、安全の欠如している紛争地、そしてそこにおける人間の安全度をどうやって高めるか。あるいは貧困、これは貧困というものもどれだけ人間の安全というものを脅かすかわからないんですが、その貧困に対して具体的にどういうような改善策をするのか。  そしてまた、社会的な安定というものが、これは感染症の問題なども非常に最近出てまいりましたけれども、社会的なセーフティーネットと一言で言われておりますが、そういうものが本当に一番必要とする人たちのためにどうやったら行き渡るのか。  そして、さらに今私どもが知っております人間の安全保障を脅かすものとしては、一番最近注目され始めたのは感染症の問題ではないかと思います。感染症については安全保障理事会まで取り上げられたんです。ですけれども、十年、十五年先を見ますと、新たな不安定あるいは安全を脅かす材料というものは科学技術の進歩からも出ている。そういうものをもう少し早く予測して、予防策を立てることができるんではないかと。  そういうようないろいろな課題を踏まえての人間の安全保障委員会の発足というもので、私は共同議長としてお役に立てたらと思っておりますのですが、これは抽象論ではない、本当にその委員会の仕事の結果、多くの人々の安全というのがより確実に保障される、そういう結果を目指してしばらく、せっかく引退して帰ってきたのでございますが、もう少し必要ならばお役に立つつもりでおります。  三十分というお時間をいただきましたので、とりあえず問題提起として私の感じるままに御報告させていただきました。  ありがとうございました。
  6. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  それでは、これより質疑を行います。  本日も、各委員から自由に質疑を行っていただきます。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  7. 佐々木知子

    佐々木知子君 自民党の佐々木知子でございます。  緒方先生には、きょうは本当にお忙しいところ、現場の体験に基づいた有益なお話をありがとうございました。  三点ほどお伺いしたいことがあるのですけれども、まず、国際社会での経験を通じて国会への提言というのをひとついただきたいのです。  外交というのは国民に支えられたものでなければならないわけですけれども国民を代表する国会というものがこれまで外交の全体像について必ずしも積極的に発言して、提言してきたとは言えないのではないかというふうに思っております。  当調査会は、国連改革と国連の機能強化国連国連機関を通じた我が国の貢献、国連とNGOとの関係などについて多角的観点から重点的に調査を行ってまいりました。  国連活動には緒方先生が職責を果たしてこられた難民問題を初め、加盟国政府だけではなくてNGOや企業などの協力なしにはなし遂げられないものが多いわけですけれども、このような流れの中で、国民を代表する国会もまた国連への関与が強く求められていると考えている次第ですが、国連の取り組む諸課題国連外交における国会の役割について御所見をお伺いしたいというのが一点でございます。  二点目は、二十世紀最後の十年というものを振り返っての御所見をお伺いしたいのですけれども緒方参考人国連難民高等弁務官として職責を果たされてきた九〇年代というのは、冷戦終結後の最初の十年間であるとともに二十世紀最後の十年間であったわけです。  一方、日本はどういう時代だったかというと、九〇年の湾岸危機を契機として、九二年にPKO協力法を制定いたしました。九七年の小渕内閣は人間の安全保障の重視とこれを基軸とする国際協力の推進など、これまでどちらかといえば不得手とされてきた多国間外交や多国間協力への取り組みを遅まきながら強化し始めたわけですが、緒方参考人は、九〇年代の国際社会を振り返っての御所見というもの、難民問題に取り組む最前線から九〇年代の日本を見てどのように感じられたのかということをお伺いしたいということが二点目。  それから、国連を二十一世紀課題に取り組むことのできるものにすべきという問題意識は同じだと思うんですけれども、それをどのような形で実現していくかということについては考え方がさまざまあろうかと思います。  緒方参考人は、グローバルガバナンス委員会のメンバーとして、冷戦後の主要課題対応するため国連を含む国際機関の改革を提言されてこられました。国連システムの重大な一翼を担う国連難民高等弁務官を現在退官されたわけですが、国連改革というのは参考人にとりましてはいわば永遠の課題になろうかと思います。国連改革に関する現在の御所見、つまり、日本は今世紀最初の十年をまたどのように進むべきかということで御所見を伺えればと思います。  以上、雑駁三点でございますが、お願いいたします。
  8. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 大変重要な指摘をいろいろ佐々木委員の方から伺いました。  国会への提言といたしましては、確かに今までの国連及び多国間外交においては議員レベルよりも政府レベルの場合が多かったんです。ですけれども、今、国際議員連盟というんでしょうか、国連事務総長及び私どものところにもいろいろお働きかけがありまして、各国の議員方との交流あるいは意見交換の場というものがふえてまいりましたし、ふやす努力を国連側もいたしていると思います。  と申しますのは、やはり民主国家がふえてくる。その民主国家におけるかなめは国会にあるわけですから、国会議員の先生方が音頭をとられて、そして国民、NGO、そういう方々とそれから政府との間に立っていろいろお働きかけいただくということは極めて望ましいことだと思います。  そしてまた議員の方々も、私ども難民高等弁務官のオフィスの方から申しますと、かなり現場にお出ましいただく方が多うございました。そういう形でたしかコソボにもお出ましいただきましたし、歌までつくっていただいたりしたようなこともあったと思うんですが、コソボであるとかあるいはティモールであるとか、そういうところにもお出ましいただきましたので、これは開発現場あるいは紛争現場、そういうところにもいろいろお出ましいただいて、現状を把握された上で政府等にいろいろ提言いただけるという方向は私は期待いたしておりますし、国連全般でそういうことを期待しております。  二十世紀最後の十年のいろんな御努力は十分承知しておりますし、非常にこれは評価しておりますが、日本をどう見たかと。やはり多国間外交の強化の方向に向かって日本もお動きになりつつあるという現状は十分承知しておりますのですが、やはりNGOの数も少のうございます。規模も少のうございます。そしてまた、緊急事態のときに飛び出していっていろいろ緊急対応の場で働いていただけるというような陣容も少ない。そういうやはり現場とのつながりをもっと日本は持っていただく必要があるのではなかろうかと。  資金につきましては、私ども事務所につきまして言うと、約十億ドルの予算のうち一億ドル、一〇%というものを日本には御支援いただいたわけです。資金援助の方は、速度の面でもそれから選定をなさる面でもかなりしっかりした形で御支援いただいて、これは十分職員一同評価しております。ただ、人間のかかわり方ですね、そこでもう少し先頭に立っていただければ、この日本のいろんな形での貢献ももっと生きてくるんじゃなかろうかと。  最後に、グローバルガバナンス委員会は、私、委員もいたしましたし、国連改革についてもいろいろな形で加わってまいりましたが、一言で言えば、官僚制をもっと打破することだと思います。非常にビューロクラティックな面が多くて、これは人事の面におきまして特にはっきり出てくるんですが、国連行政のビューロクラシー、これはみんな私どもは感じていることなんですが、どうやってもっとビューロクラティックじゃない、特に活動をしている現場を持っているものは、これはどうしてもビューロクラシー、官僚制ではやっていけませんが、規則はきちっと守る、しかも透明度は高めるけれども、やはり状況に対してもっともっと柔軟な態度で対応できる人材の育成ということが今後の国連の大事な課題であるというふうに考えております。
  9. 高野博師

    ○高野博師君 緒方参考人UNHCR時代の御活躍のテレビ番組を私はNHKで二回ほど見せていただきました。もう本当に大変な活躍をされ、リーダーシップを発揮されたということで尊敬をしております。  そこで二つだけお伺いしたいんですが、今のお話の中で、現場から物を見るという、あるいは下からの平和構築、平和醸成、これが重要だというお話ですが、まさにそこにこの国連改革の重要なポイントがあるのかなという私は感じを持ちました。  そこで、これはテレビでもやっておりましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナあるいはコソボでアルバニア系とそれからセルビア系の女性が人形をつくったり織物をつくったりということで一緒に働いている、あるいは同じ市場にそれを売りに出しているとかという、そういう現場を見まして、こういう紛争が、これは起きた後なんですが、紛争が起きる前にこういう共生のプロジェクトというようなものは紛争予防の手段としてできるのかどうか、そういうプロジェクトは可能なのかどうか、あるいはそれを国連ではなくて日本政府がODAを通してやることは、これは適当なのかどうかということが一つなんです。  もう一つは、参考人のお話を聞いていると、日本が安保理の常任理事国に入るべきかそうでないかというような議論は全然次元が違う話かなという感じを持つんですが、緒方参考人はこの常任理事国入りについてどのようなお考えをお持ちか、その理由も一緒にお聞かせ願いたいと思います。  以上です。
  10. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) ただいま人形づくりの画面をごらんいただいたとおっしゃいました。あのプロジェクトは、まさに私ども共生づくりの一つの実験として出てきたプロジェクトでございまして、共生をイマジンしようというプロジェクトでございまして、これは実は日本国連にお出しになりました人間の安全保障基金の方からちょうだいしたものでございます。そういう意味で、そういう実験的なプロジェクトづくりというようなものはなかなかやりにくいんですが、こういう形でお金をちょうだいして実験づくり、現場ではいろんな人がいろんなものをやっておりましたのですが、もうちょっと体系的にこういうものを見たいということでこういう大事な基金をちょうだいいたしました。これが紛争中にできるかどうか、紛争前の予防としてできるか。  実は、ボスニアにおきましても、普通の多くの人々にとってはこんなお互いに殺し合うような状況が起こるとは思っていなかったんですね。たくさんセルビア系あるいはクロアチア系あるいはイスラム系の間での結婚もございましたし、私どもユーゴスラビア人になったと思っていたということをおっしゃった方が何人いるかわからないんです。ただ、大セルビア主義という運動も起こってまいりまして、それに火がついたときには抑えることができなかったと。  私は、よく思いますのは、やはり社会的な不公正、ある部分の民族であるとかある宗教団体であるとか、そういう人たちが常に社会的に差別があるというのは非常に危険なことで、みんなが貧しい状態のときの方が安全なんですね。ところが、貧しさの中から社会的ないろんな差別がある、差別の集積というのが非常に危険なことだということを感じました。  ですから、そういうものは早くごらんになって、そしてODAのときの援助を、私もODAの援助がいろんな多様なものがあって実際そういうものができるかどうかまでは存じませんけれども、やはり社会間の差別、対立というものを緩和するような、本当のソフトなものだと思いますけれども、こういうプログラムというもの、そういうものに着目されるのは一つの予防の方に入っていくのかなとは思います。  ですけれどもボスニアも非常に激しい戦争の後で今ようやく和解が来ましたのは、やはりデイトン合意から五年、その間にNATO軍が、だんだんだんだん規模は減ってきたんですが、安全な環境づくりということには貢献されたんですね。それでみんなが、少し安全になってきたからそれじゃ自分の家へ帰るかとか、それじゃ相手の人とも一緒に交わるかというような気分になってきた。その安全感の創出というのは相当大事なことだったと思っております。  安保理につきましては、私は日本が入るのは当然だと思っております。  それは、今ここの十年間、いろいろ国内では問題も多くて、経済もいろいろ御苦労を皆様はなさっていらっしゃるということは十分承知しておりますが、何と申しましても日本は大きな国なんです。経済の規模からいっても影響力からも大国である。国連におきまして、分担率からいきましたらもうアメリカに近いほどの大きな国である。そしてまた、日本の技術、知識、そして日本の貢献については広く認識されているところでございますが、入るのは当然だろうと。しかし、国連のさまざまな政治的な配慮からこれがなかなか実現しないでいる。そしてまた、選挙の方を拝見しますと、安全保障理事会のメンバーになるための選挙の努力というのは本当に熾烈なんです。  それからもう一つは、私もそもそも国連というのは平和と安全を確保するための組織だと思っております。あとのものはいろんなほかのところでできるんです。開発援助だってできると思います。けれども、国際的な平和と安全というものは国連使命なんですね。その中で私は安全保障理事会が十分役割を果たしているとは思っておりません。ですけれども、どこかでその役割を果たすとすれば、やはり安全保障理事会なんです。それでなければ私も何回も伺わなかったと思うんです、安全保障理事会に。それで、十分こたえていただけなかった失望というものはございますし、安全保障理事会に行きまして、不言実行でやっていただきたいというようなことをかなり強いことで申し上げたことも幾らもあるんです。それは、そういう憲章上、平和を命令できる機関というのはあそこしかないんですね。  ですから、そういう形で、日本のように軍事大国の道を歩まず、非常に平和を願ってきた国がもっともっと役割を果たすとすれば、私は安全保障理事会に依存するところが大きいと思いますので、いろんな国連改革の御議論があることも承知しておりますし、難しいことがたくさんあることも承知しておりますが、お入りになる方が当然だというふうに考えております。
  11. 高野博師

    ○高野博師君 ありがとうございます。
  12. 広中和歌子

    広中和歌子君 広中でございます。  とかく日本の外交というのは顔が見えないと言われる中で、UNHCRで過去十年間御活躍になった緒方さんの優しくて、しかも輝いて見えるお顔、それを日本人として本当に誇らしく思っていたところでございます。本当に御苦労さまでございました。そして、今後ともまた別の形で御貢献を続けていただけるとうれしく思います。  日本の国際社会における貢献ということは戦後ずっと言われ続けたわけでございますけれども、平和憲法を持ち、そして私どもにとって最もふさわしい貢献というのは、やはり人道的なものであろうという何となしのコンセンサスのもとに私どもはいろいろやってきたわけです。特に貧困、環境、紛争、そのトリレンマ、それを解決するためにODAとかいろいろしてきたわけですけれども、今援助疲れというのがあるんではないかと思います。紛争は絶えず起こるし、難民の数はふえこそすれなかなか減っていかないと。  そういう中におきまして、先ほどお話の中で予防について少し触れられたわけですけれども、どのような効果的な対策を講ずることによって難民そのものを出さない、要するに紛争を抑えていくと。紛争を抑えるためには、ODA、貧困のもとを絶っていくとかいろいろあるんだろうと思いますけれどもUNHCRにいらしたお立場から、どのような支援というものが、ODAというものが効果的なのか教えていただければと思うわけでございます。
  13. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 顔の見えないということは存在がないということだろうと思うんです、顔だけ見せることはできませんから。やはり顔の見える援助をされるのならそこにいなくちゃいけないわけですね。その部分が恐らく私は、日本の、ちょっと数的な比較をしたことはないんですが、援助に携わっていらっしゃる政府機関にしましても、あるいは外務省の外交官にしましても、数は少ないんだろうと思うんです、国際的に比較いたしますと。数が少なくなるということは存在の度合いがどうしても減るわけですね。そういうこととも無縁じゃないと思いますが、やはり顔を見せようと思ったら出かけていく以外ないんじゃないでしょうか。そういう現場へ始終いらっしゃるとか、そういうことがかなり大事なことだと思っております。  でも、貧困、環境、紛争、いずれにしましても難民は減らないわけじゃないんですね。私は先ほど一九九六年のときにはピークだったと申しましたんですが、どうしてそのピークから減ったかと申しますと、これは紛争解決難民が帰ったからなんです。九六年では、モザンビークの難民、これは百七十万人帰りました。それから、ルワンダの難民もかなり帰ったんです。百万人ぐらい帰りましたんです。  どうして帰るかというと、紛争が一応終わって、そして、心配ではあるけれども自分の国に帰りたいというのが多くの人の希望ですから、そこで自分の帰っていく国の安全の状態というものを何とか国際的に実現しようという努力がある程度影響したと思うんです。  私は成果の方は申し上げなかったんですが、私が難民高等弁務官の十年の間に、大規模な難民問題の解決がインドシナ難民です。二十年かかりました。ですけれども、これは解決したんです。それから中央アメリカですね。これはグアテマラのメキシコにございます難民キャンプを閉鎖しました。これが私の最もうれしい仕事なんですが、そういうことで解決は可能なんです。  そんなにすぐ物は解決しないんです。その辺の何と申しますか、忍耐。というのは、人間人間が殺し合って追い出したというのは大変な問題であって、追い出された方にもいろんな記憶がございますから、そういう記憶にもかかわらず何らかの形で帰る一瞬をつくっていくというのは相当な国際的な協力が必要なんですね。  このごろ、グローバリゼーションの時代で何でも早いスピードで動くものですから、コソボにも、逃げた、すぐ帰せと、そういう圧力がかなり国際的にございまして、コソボもかなり強制的に早く帰ったんですが、コソボ状況というのは安定しておりません。これは、やはり強制するような状況になるまでには時間がかかるんですね、人間人間同士で。そのプロセスを早めることはできると思うんですけれども、完全にすぐ解決するということにはいかないから、ODAにしても援助にしましても、人道援助にしても開発援助にしても腰を据えて長くしなきゃならない、そのぐらいの覚悟がなければだめなんじゃないかと思っております。  ですから、難民を出さない工夫というのは、UNHCRについて申しますと、難民の流出に対して早く対応する、それで災害を早く防ぐ。それで、緊急対応システムというものを強化いたしまして、そしてそれに専属の人たち訓練し、物資の貯蔵であるとか、それからインフォメーションであるとかそういうものの強化をいたしておりますが、早く対応することによって災害をある程度限定させると。限定された方が解決が早いわけです。  この難民を出さないような予防ということは、ほとんど各国の政府を全部非常に立派なガバナンスを持った政府に変えることになりますから、これは緊急援助機関などができることではなくて、むしろそれこそ長期にわたる社会構成、経済発展、そこの上に立った民主的な政府法秩序の確立、こういうものが効果を出したときに初めて本当の難民予防はできるんだと思います。それは国際的にできる面も多少はございますが、やはり各国の国づくりの問題が大きいと思うんですね。ですから、完全な予防ができると私は思っておりません。それは余りにも大きな問題だと思っております。
  14. 広中和歌子

    広中和歌子君 ただ、一つ解決してもまた次が出てくるというふうに、本当に切りなくこういうことは続くものだというふうにお考えでございますか、二十一世紀
  15. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) それは場所と状況によると思いますね。  コンゴの状況を見ておりますと、今、先生がおっしゃったような心境になるんですが、モザンビークの状況などを見たりいたしますと、それからインドシナ難民でも解決したんですから、そういう解決をしたプロセスというものを十分把握して、どういうときに解決したのかと。アフガニスタンを見たとき、私は今、広中先生のおっしゃったような心境になるんです。ですけれども解決は不可能じゃないんですね。南アメリカ、これは私が高等弁務官になります前に軍事政権の続出で非常に人権侵害、難民の流出が多かった。コロンビアを除きますと大体安定しておりますから、結局は政治がよくなったときに安定するんですね。
  16. 井上美代

    ○井上美代君 日本共産党の井上美代でございます。  私は、きょう緒方貞子さんに直接お話、御報告を伺いまして、改めてその一つ一つのお話の重さを感じております。  国連活動はやっぱり現場を変えることだというふうに言われましたし、そして全世界現場で働く職員方々の命の安全を確保する、保障するということの重要性を言われまして、本当に十年間頑張ってこられました緒方さんの貢献に対して心から敬意を表したいというふうに思っております。  私は緒方さんが書かれました論文も読みました。そして、本当に勉強させていただきました。「高等弁務官一〇年 難民問題は解決できる」というこの論文にも大変感動いたしましたけれども、この論文の中で「UNHCR保護し、支援している人々難民や帰還民、五〇〇万人の国内避難民を含め、二二〇〇万人を超える。」ということが書かれております。そして、「今この瞬間でも」というふうに書いてあるんですが、「この瞬間でも、世界の人口の二七〇人に一人は家を追われた悲惨な状況にある」ということが書かれておりまして、私は改めてこの難民問題の深刻さというものを思い知らされているんです。  緒方さんは、この難民問題の解決方法として、その論文の中で三つの分野における具体的な提案をされております。  その一つは、「UNHCRの任務の中核にあるのは、家を追われた人々保護することであるが、その保護活動の法的基盤である難民条約を再検討するよう呼びかけることである。」というふうにしてあります。そして第二に、「実践的な難民保護に関連して、職員の早期派遣と安全を確保するための対策を強化することである。」と。第三として、「難民保護の持続性を確保するために、緊急の人道支援が動き出した後は、早期に開発支援を開始することである。」と、このように述べておられました。  私は、第一に質問をしたいのは、日本が合法的な外国人労働者の受け入れと難民への対応を見直していく時期に来ているということをおっしゃっているのですけれども、これは日本国内のさまざまな問題とのかかわりがあって難しい問題がたくさんあるというふうに思っているのですけれども、具体的に何を改善すべきだというふうにお考えになっているのか、ぜひこの機会に聞かせていただきたいというふうに思います。  二つ目の質問なんですけれども、安全の確保という点ですけれども、私は、日本がPKOやPKFを難民問題解決との関連で外国に出すということは日本の憲法との関係で問題があり、反対なんです。それで、これは単に憲法の九条などから見て反対というだけにとどまりませんで、PKOやPKFの派遣で軍事的衝突にかかわれば際限なく軍事的な解決のためにさらに自衛隊を派遣するという危険性をも持つものであるというふうに思っております。つい昨年の五月でしたか、国連の特別総会に出ましたけれども、ここでも、アフリカの方だったんですけれども、PKOやPKFが来るということはやはり自分たちにとっては戦争になっていくからさらに危険だということが訴えられたんです。そういうところからも私はそのように思っております。難民問題の解決国連全体で行うべきことで、日本がお金も自衛隊もといっても憲法上の制約があります。したがって、できない分野については国連の中でもはっきりと述べておくべきではないかなというふうに思っているんです。  私、緒方さんが取り組まれております難民教育基金、きょうもこのチラシを入れていただいておりますけれども、この創設とそれによる難民の中等教育を行うということ、これに賛同して国連難民高等弁務官事務所の国会議連の幹事にさせていただきました。非軍事的での難民問題の解決のためにやはり力を尽くしたいと私も思っておりますけれども、ぜひ緒方さんの感想をお聞かせ願いたいというふうに思います。  以上です。
  17. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) ただいま先生は、私が書きましたもの、あるいはどこかで話しましたことについてもお読みいただいたということで、大変光栄に存じております。  難民条約の再検討というものを始めます理由は、難民条約ができました一九五一年の状況というのは、難民はほとんど東の社会主義諸国から西の、そのころ考えられている自由主義諸国と言われておりますところへの難民だったんです、個人の場合。ところが、現在の難民というものは個人の思想的な理由から出てくる難民の数というものよりも紛争犠牲者として出てくる場合が多い。多くの場合、ある国から集団で出てくる場合が多いわけです。そういうような中で、難民条約が十分今日の保護目的を達しているかどうかということについてのいろんな検討がございます。また、検討する必要もございます。  それからもう一つは、ただいま、例えばヨーロッパ諸国をごらんになった場合、今イギリスに一番庇護要請者が非常に多くなって、庇護を要請する人たちの大半は実はもう少し自由な市場で働きたいという人たちの場合が多いわけです。そういうものをどういう形で区別し、そしてそれぞれに必要な対策をとるかというのは大きな問題になっております。  この難民条約の再検討においては、条約の基本的原則、つまり迫害された人たち迫害した自分の国へもう一度送り返すことはしない、これは非常に大事な原則で、これを再検討しようという動きではないんですが、この難民保護の諸原則を乱用する、あるいは乱用せざるを得ないような人々に対してどういうふうに対応していくか、これが実は大きな問題になっておりまして、それがただいま先生のお聞きになった不法就労者の問題と絡んでくるわけです。  それで、労働を必要とする人々もたくさんいるわけです、世界には。どんなにとめても生きていくための手段を求めて動く人というのはどうしても限りないだろうと思うんですね。その場合に、どういうようなマネジメントのシステムを持ってくるか、どういう基準の選定をしていくかということが大きな問題になっておりまして、日本も含めてこういう御検討の時期に入ってくるんだろうと思うんです。  それで、一番大事なことは人が合法的にどこかに行けるということだろうと思いますけれども、この場合一番難しいのは、紛争地域からの難民も、不法就労を求める経済難民というそういう人たちも、両方の人たちが出てくる場合が多いんですね。そこに、しかもそういうことを仲介するような商売も出てくる。それがまた非常に悲惨な、お金だけ取って、出てきた婦女子というものをどこかの海岸で、つい最近フランスでもあったことですけれども、そういうことをどうやってこれから予防していくか。それには、やはり基本的にはそういうように将来がないと見切って出てくるような国の内政、政治経済を変えていくことだろうとは思いますが、それはなかなか、今そういうところから、一番たくさん出てくる国としてはアフガニスタン、イラン、イラク、スリランカというようなところから出てきているんですね。そういう状況に対してどういうふうに対応するかということがまずあると思うんです。  日本について申しますと、やはり外国人労働者の実態と、そして将来の外国人労働の必要、そういうものはしっかりと考える、調査されるときが来ているというふうに私承知しておりますけれども、合法的な労働をどういうふうに外国人に与えていくか。  それからもう一つ日本の場合には、今インドシナ難民はインドシナ難民という形でずっと、一万人以上もう日本に定住しておられるんですが、そのほかの条約難民についてはかなり厳しい形で審査してこられたんですが、このところ、この数年かなり人道的な配慮というものも交えた審査をなさるようになりましたし、また審査の透明度も高まってきた、高められるようになってきたということで、比較的方向としてはオープンな方向へ向かっているというふうに私承知しております。  ただ、もう一つは、どうしても難民自分の国に帰れない、また庇護国にとどまれない人たちというのがいるわけです。これはアフリカにもおりますし、それからユーゴスラビア、アフガニスタン、十ほどでありまして、そういう人たちを受け入れる、ちょうどインドシナ難民になさったように、自分の国にも帰れない、もう解決のめどの立たないような人たちに対して定住の機会を与えられるというようなこともそろそろ検討していただいたらいいのではないかというふうに考えております。  それから、PKOとPKFについて、それは軍人としての脅威ということをおっしゃいました。私は、軍がいつも戦うだけにできている軍ならそういう脅威をお感じになるのは当然だろうと思います。ただ、先ほど段階的な役割ということをお話しいたしましたのは、この平和維持活動内容というものが非常に変わってきたわけですね。それは実態に沿って、平和維持というものはその危険のあり方によって形が変わるわけですね。その形の変わってくる平和維持活動に対してだれが一番効果的な対応ができるか、そういう場合に軍という組織はどうしても一つの候補者になるわけです。  なぜかというと、私はコソボのときにも、NATOの本部からいろんな形で何を手伝ってあげようかというようなことの交渉がありましていたしましたが、そのとき、空の管理、航空の管理、これは軍じゃなきゃできないことなんですね。それから、港湾における荷物の積みおろし、そういう作業もこれは軍が一番上手にできるんです。そういう特定のサービスを軍に依頼するということと戦闘に参加する軍の脅威という問題は別の問題だろうと思うんです。  ですから、実態的に軍というものを把握しますと、段階的な平和維持活動、そしてまた各国において必要な危険度の高い事態への対応能力というようなことを考えますと、軍とそうじゃない人ということをすっきり分けて、軍は常に戦う、民間は常に一緒協力するとかそういう二分法じゃない形で、軍の持っているサービス機能と申しますかそういうこともあわせて検討していただく余地はあるんじゃないかと。  そして事実、早急に難民キャンプをつくらなきゃならなかったとき、これはマケドニアで起こったことなんですけれども、とても私どもの力であるとかあるいはマケドニアの土木業者の力では、一晩にあのときは何十万と来たんですが、そういう人たちのための基地をつくることができなかった。キャンプをつくることができなくて、NATO軍がこれは非常に立派にしてくださったんですが、主に英国の軍が協力して大急ぎで、工兵隊がいますから、工兵隊が力を出してキャンプをつくって、できたら私どもに引き渡して引き揚げられたと。  こういうこともありますので、軍の持っているいろんな組織的な能力、ちょうど自衛隊がいろんな自然災害のときに出ていかれるような形での力は私は無視できないものだというふうに考えております。  それで、日本の場合も、ちょうどあれは村山内閣のときだったんですが、ルワンダに、ゴマに主に航空隊の方々が来られて、そして非常に必要だった輸送に当たっていただいて、それでこれは非常に評価されたという前例もございます。それから、今度ティモールのときは、やっぱりいろんな制約で、西ティモールまでは運んでくださったんですが東ティモールには運んでくださらなかったんですね。  ですから、もう少し軍の持っている組織力、工兵部隊の持っている工事能力とか輸送能力とかいうような形で段階的にお考え、御検討いただくと。その上での御結論は、私は全く、政治的なものかもわかりませんし、憲法、法的なものかもわからないから、それは先生方の御判断だと思いますが、そういう面もあるということは、私どもそういうものを必要とする立場にあった者としては御説明できると思います。
  18. 井上美代

    ○井上美代君 ありがとうございます。
  19. 高橋令則

    ○高橋令則君 自由党の高橋と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。  十年間、大変御苦労さまでございました。敬意を申し上げたいと思います。私は、現場が非常に大事だということはもうしみじみ私も考えております。やっぱり現場がないとだめだと思うんです。  十年間おやりになりまして、一つお聞きしたいのは、やはり現場でやるとしても最終的に言えばやっぱり大もとの仕組み、国連の憲章になるかどうかわかりませんけれども、そういうふうな大きな制度的な改正といったものはどうしても必要ではないかなという感覚があるんです。それが、私どもがやっている議論以外に、現場でお聞きになってこれじゃ困るだろうということが多々おありになったと思うんです。安保理事会でもお話があったという話もございました。その中身で特に重要な部分があれば幾つかをお聞かせいただきたいと思います。  それからもう一つは、そういうふうな制度的な問題ではなくて、今現場で大変困って処理された分が多々あると思うんです。したがって、その中で共通項があって、こういうことはやっぱり現場の中で処理しなきゃならぬけれども、大きな仕組みとか何かではなくて現場でやっていくための、マニュアルというのは非常に細かい問題ですけれども、そういうふうな共通的な問題があれば、この二点をお聞かせいただきたいと思います。  それから、退避ということがあるんですけれども国内問題が非常に難しいと思うんです。それについてもお聞かせをいただきたいということで、以上三点です。
  20. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 国連憲章は、私はこれは非常に立派な憲章だと思いますし、特に前文を重要視すると。前文は我々ピープルということで出てきておりますから、それこそ、政府だけの協力国連はどちらかというと政府機関としての色彩が強くなっていると思いますが、前文にある精神は人々なんですね。その人々全体をどこまで政府が一番重要な国連協力の対象であるというふうに理解して進めていくか、その辺にまだ改善あるいは進歩の余地があるんじゃないかと。  ただ、今の事務総長は大変その辺には理解の深い人でございまして、そしてウイ・ザ・ピープルの方に、それで人間の安全保障というようなことについても関心を正面から出しておりますし、それからNGOとの協力、国会議員との協力あるいは企業との協力、これは必ずしも加盟国の代表がすべて非常に賛成しているというわけじゃないと聞いておりますけれども、そういうふうにやっぱり国連世界人々国連だという方向へもっと持っていきたいと。私も、そういう意識が、やはり国家のもし問題があるとしたら、その問題の部分を抑えていく一つの力になっていくんじゃないかなと。  ただいま最後の三点目の御質問は主権の問題だろうと思うんですが、国内避難民について非常に問題がございますのは、これは法的に言えば国家の主権下にある人たちなんです。ところが、国家自分の主権下にある人々を十分に保護していないという実態がたくさんの国内避難民を生んでいるわけで、国内避難民の危険度あるいは貧困あるいは苦しみということは、ともかく国際的な責任下に移った難民よりひどいと一般的に言われております。それは現実なんです。  それじゃ、どうやって主権を侵して国内にいる避難民に対して国際機関援助をできるかというと、そういうことはできないと思うんです。ただ、現実に申しますと、これは現にユーゴスラビアの場合、あるいはロシア連邦の場合、いずれも私どもに対して人道的な援助を要求してきたんですね。それは、どんな国でも自分国民を極度の危険とそれから悲惨な状況に置いておくことはできないんです。  したがって、ロシア連邦もチェチェニアの問題、あれは九四年の暮れでしたか九五年なのかちょっと今失念してしまいましたけれども、人道的な援助をしてほしいということは申し出てこられて、その人道的な援助をするときの代償として、私どもとしては安全の確保であるとかそれからいろんな形で条件というものを話す。軍事力を一般市民に対して行使するのは限度があると思いますから、そういうようなことは援助の形の経過として交渉することはできると思うんですね。  それから、ユーゴスラビアも一番多かったときに四百万人、その四百万人のうちには、外国へ行った難民、それからユーゴもそのときいろんな形で解体していくので、国際的な環境がその前は国内の州の国境だったりしたわけですが、そういう国内避難民、それからサラエボの市民のような全部に対しての援助を要求してきたのは旧ユーゴ連邦の政府だったわけです。  ですから私は、ある程度国家というものは自分国民に対して完全にこれを無視する存在じゃないから、やっぱりそういう形での国際的な介入というのは、介入というよりも支援なんですね、そういう形では可能だと思っております。  それから、制度的に何が大事かと。  やっぱり私は、今コミュニケーションの問題というのは非常に大事だと思いますし、ITの革命というものが一部の人を取り残すというようなことにならないためのいろんな配慮が必要だと思っております。
  21. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ここで各政党会派一巡するわけでございますが、申し出の方がたくさんいらっしゃいます。どうしてもお聞きしなければならないという方は島袋先生の後で挙手をしていただいて、緒方参考人の御了解を得ることができましたら御答弁をいただくということでございます。長時間にわたっておりますので、お考えになって挙手をしていただきますようにお願いいたします。
  22. 島袋宗康

    ○島袋宗康君 二院クラブ・自由連合の島袋です。  緒方参考人、本当に国連難民高等弁務官として、テレビなどで非常にその御活躍を拝見いたしまして、日本の女性の勇気と自信を与えてくださったという点では非常に心強く思っております。  きょうは貴重なお時間を割いていただきまして、本当にありがとうございます。  ちょっと二点ほどお伺いしたいんですけれども緒方参考人がさきに提唱されました国連人道センター、その設置構想について、その後の展開、そしてその構想の具体的内容について御説明いただければと思っております。そして、例えばその資金や設置場所や人材の確保あるいはその教育内容についての問題について、御意見があればお伺いしたいというふうに思っております。  もう一点は、アフリカ難民解決するためには、場合によっては国連平和維持軍派遣する必要があるんじゃないかというふうな御意見も述べられておりますけれども、この国連平和維持軍に対しては日本はどのように対応すればいいのか、またそれについてどういうお考えがあるのか、また日本は憲法という制約はありますけれども、そういった関係について、先ほどと重複するかもしれませんが、その問題について二点をお伺いしたいと思います。
  23. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) ありがとうございます。  人道センターにつきましては先ほど御報告を申し上げた中でお話ししたいと思っておりまして、ちょうどいい質問をしていただいてありがとうございました。  このセンターは、去年の十月に第一回のトレーニングを行いまして、そして今後も続けて、年八回ぐらいの訓練のプログラムを組んでおります。幸い一名ですが、これは緊急援助訓練なんですね、緊急援助対応のプログラムで、専門にこういうことをやっていた者が東京に赴任してまいりましたので、この者を中心にしてもっと積極的ないろいろなプログラムができるのではないかと思います。  ただ、トレーニングというのは、これは一つ日本のNGO、日本政府関係者等を対象にして、もう少し緊急態勢に対して積極的に対応できる方々のノウハウを強めたいと思いましたのですが、アジア太平洋地域全般を考えておりまして、トレーニングの場所も、東京あるいは日本で何回かいたしますが、今度はたしかフィリピン等で行うことになっております。そういうことで、アジアのそういう人材をもっと広めたい。大変反響がよくて、この間はたしかモンゴルあるいは中国あたりからも問い合わせが来ていると。そういうことで、これは大事なプログラムになっていくんじゃないかと思う。  何と申しましても人材育成が大事ですから、そしてその過程で、私はよくどこの建物ですかと聞かれるんですが、建物は要らないんですね。今そういうようなプログラムの訓練をできるような場所はどこにもありますから、建物はなしで、ただプログラムそのものは非常に積極的に展開させていきたいと考えております。これも実は、資金国連日本政府が寄託されました人間の安全保障基金から約二百万ドルちょうだいいたしましてこの訓練はいたします。それが第一点でございます。  それから、アフリカ難民について、今一番平和維持軍についてどういうふうにしようかということで議論が進んでおりますのがコンゴでございます。  コンゴにおきましては、実はオブザーバーのような人たちがたしか、ちょっと覚えていないんですけれども、二、三百人じゃないかと思いますが、その派遣が決まっておりましたのですが、実際は紛争が非常に続くものですから、このオブザーバーの人たちは十分活動できないで終わったんです。  それが、この間カビラ大統領の殺害がありました後で、その後継になられた子息のジョセフ・カビラさんがやっぱりもう少し平和というものについて積極的な対応をとりたいという政策を出されて、そしてコンゴ内の各派及び周辺諸国の間で今また和平交渉が進み出しまして、その過程で今、安保理が三千人の平和維持軍を出すというような方向での議論をしているところでございます。この三千人でコンゴが静かになるというようなことはないんですけれども、私はコンゴに去年参りまして、いろいろ大統領やなんかと話しても、自分たちは努力するけれども、もう少し国連もやってくれないことにはどうにもならないと。  ところが、派遣する方の派兵国の方からいきますと、そんな泥沼に入っても困るし、自分たちの軍隊を危険に脅かすことはできないということでいろいろやっていたんですが、今一番大きな問題になっておりますのはコンゴ、もう一つはギニアでございます。  ギニアは、隣国のシエラレオネとリベリアから五十万人の難民がおりまして、それが二十年近くなる間で、両国も国内的な反対勢力が軍事力を使うというような状況がございまして、長い間、ギニア国境地域にいた難民をめぐる紛争というものは非常に激化しておりまして、そこに国連軍はわずかにおります、シエラレオネに。それだけじゃ十分じゃないということで国連軍強化するという議論は私聞いておりませんが、イギリス軍が旧宗主国であったりして、シエラレオネの軍隊訓練に当たっていると。  それから、先ほどちょっと申しました西アフリカのECOMOGが国境地域の監視に出そうということで、あれはたしか、ちょっと人数は忘れてしまいました、五、六千人だったと思いますが、何とか派遣しようとしておりまして、その派遣しようとしているECOMOG軍に対して国際的な援助をどうやってするかというようなことが議論になっております。  ちょっと平和維持活動国境地域というようなものできちっと行われないと、私は泥沼化になって解決のめどが立たないと思っております。
  24. 入澤肇

    ○入澤肇君 一問だけ。
  25. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 緒方参考人、約束の時間が来ましたけれども、いいですか。
  26. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) はい、結構でございます。
  27. 入澤肇

    ○入澤肇君 大変貴重なお話をありがとうございます。  一つだけちょっと教えてもらいたいんですけれども高等弁務官難民救済の仕事と国際赤十字運動とはどのように連携しているのか。先ほど、予算額九億円とか十億円とかのお話ございましたけれども、この国際赤十字の金との関係で、資金分担関係はどうなっているかについてお聞きしたいんですが。
  28. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 国際赤十字運動とは非常に密接な関係を持っております。  特に国際赤十字運動は、一方に戦時の国際赤十字委員会と平時の国際赤十字連盟とございまして、いずれの組織とも非常に密接に働いておりますし、特に紛争地では国際赤十字委員会、それから私どもが、紛争じゃない、やや平時に近いところでは連盟加盟の各国の赤十字の方々事業の委託をしている場合が非常に多いんです。いずれもみんな任意拠出で動いておりまして、資金を分かち合うというようなことはございません。  ただ、国際赤十字委員会、まあ私ども組織が、倍とまで行かないけれどもUNHCRの方が大分大きいものですから、そこでどういう形で、法的に言いますと、難民は私ども紛争下の国内避難民というのは赤十字委員会ということでお互いにその領域は尊重しておりますが、その両方が一緒に動かなきゃならないというような状況もあるものですから現場主義のお話を申し上げましたのですが、現場で一番動いている組織はどこですかということになりますと、国連でいえばユニセフ、それから世界食糧計画、WFPですね、そして私どもと、国際赤十字運動の委員会と連盟と、それからNGOだろうと思います。
  29. 本田良一

    ○本田良一君 どうも会長、ありがとうございます。  私は、緒方参考人がテレビ、マスコミでよく現場に立っておられる姿を拝見しておりますが、地球より重い、本当に悲惨な場面を見てこられたその方が今現実にここの私どもの目の前にいらっしゃる。その姿を拝見して、本当に静かな語り口で、本当に何と申しますか優しい顔をしておられるなと思って、普通の御婦人のようだけれども大変なことをなさってこられた方がここにおられると、そういうことで大変感無量な気持ちですが、国連安保理に加盟をし、御示唆いただいて私も同感でございまして、大変私の決断にも勇気を与えていただいたと思います。  参考人一つお聞きしたいのは、私ども政治家で国内問題のいろんなところに出向いてはいろんな政治的な課題とか要求、悲惨な場面はほとんどありませんけれども現場で聞きます。特に、人道的なものでマスコミにも一度報道があったのを拝見しましたが、帰ろうかというときにやっぱり緒方は残ったと、そういう語り口で見出しがあった記事を覚えておりますが、そういう悲惨な場面でいろんな政治的な課題を要求されて、それを時のスタンスなり精神、どういう心持ちでその現場で見て聞き、あるいは決断をしてこられたのか、その辺をお伺いいたします。
  30. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 結論的に申し上げますと、私どもはやっぱりたくさんの人たち犠牲者の命を預かっているわけですから、そちらの方の人たちのことを考えて決めると。ただ、私も随分歩き回りましたけれども、現に現場にはたくさん職員がおりまして、直接こういう生か死の判断をしなきゃならなくて、そういう場合に非常に困るともちろん直接電話もかけてきますし、相談に乗るわけなんです。  ゴマのキャンプというのは最も難しい決断をしなきゃならなかったところだったんですが、百二十万の難民の中にはかなり旧軍人であるとか民兵であるとか思わしくない人たちがいっぱいいたわけです。そういうような人たちも交えて援助を続けるのが戦争を続けさせているんじゃないか、反対勢力を強化しているんじゃないかというような批判がありましたし、一部分は当然そうなんです。  それじゃ、それをほって帰っていいかどうかと。これは、一部のNGOの方は自分たちの道徳的義務の上からこれは放置して出る方が本当の道徳的な目的に合うんだということで出られた方があるんですけれども、やはりその百二十万のうち婦女子というものが大半を占めていると。そしてもう一つ、その人たちに対する責任を私としては無視できないと。  それからもう一つは、もしも私どもがみんな去りましたらこの百二十万の人たちは全部散るわけですね、そこに。そうすると、不安定はもっともっと早い時期に広がったと思うんです。といって、私はゴマの状況に対して私どもが安定した解決を与えたとは思っていないんですが、やはり私どもの限度の限りでは生きる機会がある人たちには生きる機会を与えなきゃならない、そういう考え方で決断してきたんだと思います。
  31. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) あとお三方ありますけれども、一問ずつで切っていただけますか。
  32. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 それでは、一点だけお尋ねしたいと思います。  長い間現場で御苦労なさった緒方参考人の話を聞いて本当に胸を打つものがあったわけでありますけれども、特に現場主義ということを再三言われたわけでありますけれども、同感だと思います。我々政治家もやはり現場の人を見なければいけないというのは同感でございます。  そうした観点から見た場合に、UNHCR職員が五千人のうち日本人はわずか六十六人とお聞きしたので、余りにも少ないわけでございますけれども日本は金はすぐ出してくれるけれどもなかなかそういう形ではちゃんとしてもらえないというお話もございましたけれども、どうしてこういうことになるのか。この点について、緒方参考人の方からもぜひこういう点を理解してこのように変えてほしい、変えるべきだというような御意見があるんじゃないかと思いますけれども、その点を一点だけお聞かせください。
  33. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 約五千人の職員の中には現地の職員がたくさんいるわけでございます。それは当然難民キャンプのある国、難民が多くいる国における私ども職員の構成は現地職員が多いわけです。ですから、五千人が全部国際職員じゃないということですね。国際的な職員は千人以下だと思います。八百人です。その中で、先ほど申し上げました六十六人のうちの約五十人ぐらいが国際職員でございますから、日本の場合、非常に国際的なプロフェッショナルの職員の率が高いと。ですから、八百人のうち五十人が大体日本人である、そういうふうにお考えいただいたらいいと思うんです。  もちろん、日本人職員をふやしたいということは私ども非常に大きな希望でもございましたし、そしてまた事実、若い方で非常に優秀な方々が入ってきてくださるんです。その点では非常に心強く思っておりますが、ただ何といっても厳しい世界で生きていただく、若い方が非常に多いんです。ただ、もっと上級の職種にある人たちはもっとふやさなきゃいけないと思いまして、特に、私は高等弁務官を務めたわけですが、そこに近い上級職員への道というものをもっと積極的につけなきゃいけないと思います。これは、日本からお金が少ないからとかそういうことは問題ないんですね。やはり言葉の問題があります。それは最近そんなに問題じゃない、外国で勉強された若い方たくさんおりますし、それからこういうことでやりたいという方もたくさんいるんですが、相当厳しい状況下で仕事をするということは現実だと思っております。
  34. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。
  35. 沢たまき

    ○沢たまき君 公明党の沢たまきでございます。  せんだって、今週の初めにちょうどコソボのテレビをやっておりました。そこではやはりセルビア系とアルバニアのお子さん方、川を挟んで、その取材をしていたNHKの方なんですが、すばらしいなと思ったのは、学校の先生方が子供に共生の道を、憎むのをやめて共生の道を一生懸命お説きになって、そして校長先生が、目の前で母親を殺されたお嬢さん、あるいは絶対苦しみを忘れないという子供たちに授業の合間を縫って一対一で対話をしております。  私は、緒方先生がおっしゃったように、現場というのは大切であろうと思います。私は初めて議員にさせていただいた、IPUで行かせていただいたところで難民がおりました。緒方先生の後にぜひ僕をと皇太子様がおっしゃっておりましたけれども、そこでも本当に狭いところで十七人の家族が住んでいる姿を見て、自分がこの敗戦で家を焼かれて間借り生活をしたこととオーバーラップいたしました。どれだけ子供が傷ついてるか、親もさることながら。  私は、やっぱり現場に行ったときに初めてその校長先生のお話も、それから絵画の先生も、現在と未来と四つ画用紙に自分の心をかけとおっしゃった。そういう手当てをしているのを拝見しながら、やっぱり先生がさっきおっしゃったように、下からのコミュニティーとおっしゃいましたけれども、私はもっと、この前もちょっと調査会で伺ったんですが、国連をもっと人間の顔を持っている国連にしていただきたいなと。そうするためには、安保理もとても大事ではございますけれども、女性の立場から、NGOもあるしなにもありますけれども、普通の、一般の我々大衆が参加できるそういう対話の場も、国際社会フォーラムといいましょうか、地球フォーラムといいましょうか、そういうものも国連の中に、今もやっていらっしゃるでしょうけれども、それをもっとつくっていただきたい。  それからもう一つは、財政面でとても不安定。先生が今度お帰りになって教育基金をおつくりになりましたけれども、こういう形での国連の民衆ファンドと申しましょうか、個人でもよし、企業でもよし、そういう形で全世界方々に呼びかけるファンドというのはいかがなものでしょうか。私は、そういうことができたらとてもすばらしい国連になるかなと思っております。  ピープルということであれば、もっともっと国連が話し合いができる場になっていけば、そこでたとえけんかしても、あんたがこういうふうに悪いんだからこうしたのよという話でも何でもできればいいんではないかなと。私、素人考えかもしれませんけれども、この二つ、私の思っていることに関して御意見を伺えればなと思っております。
  36. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) 今、先生がおっしゃっていらっしゃるのは、もっと役所仕事じゃない国連になれということだろうと思いまして、その点は私も全く賛成でございます。ただ、いろんなフォーラムをなさるんでしたら、ニューヨークじゃなくて現場でやっていただきたいと。そういうところで、その現場方々も踏まえたNGOや議員の方々との話し合いみたいなものの方が今求められているんじゃないかなという印象は持ちます。  それから、教育基金のことをお聞きいただいて大変うれしいと思いますのですが、私どもいろんな形で難民支援をしたり保護をしたり、苦しい、なるべく難民難民である時期というものを短いものにしようとは思っておりますが、その間に何ができるかというと、結局残るものは教育しかないんじゃないかなと、そういう結論に達したわけです。  特に、難民キャンプでは初等教育は何とかやりますのですが、それが中高になりますとほとんどゼロなんです。現在、グローバル化の進んでいる世界で、やはり教育を受けておけば、国に帰ろうとあるいは難民保護の国に行こうと第三国に行こうと、教育を受けていれば何とかやっていけるだろうと。  そこで、今一番の空白の状態がございます中高教育について、できれば一年に一千万ドルずつぐらい集めてプログラムを組んでいきたいと。その対象となるのは、どうしてもアフリカが主になると思いますが、私どうしてこういうことを思いついたかと申しますと、たしかあれはギニアに行ったときだったんですが、シエラレオネの人たちキャンプに行って、よくキャンプに行くといろんな手紙をもらうんですけれども、中学、十二、三歳ぐらいの子供たちからたくさんもらっている。自分たちが急にこうやって逃げてこなきゃならなくなった。それでもう学校へも行かれなくなった。それで本当に学校に行きたいと。村の学校にも行かれないというような手紙を幾つかもらって、非常に考えてしまったわけです。  ですから、この教育基金は、場所によってはスカラシップのようなものになるかもわかりませんが、また場所によっては難民キャンプに近い村の学校に寄附をして、そしてその難民の子供と村の子供が一緒に勉強するようにする、そういうような計画も考えております。  まだ、この難民教育基金についてはこれからいろいろ募金活動先生方にもお願いして御協力いただきたいと思っておりますが、やはりこれは、ひとつ難民難民じゃなくなる日の将来を踏まえてのものだというようにお考えいただければと思っております。
  37. 畑恵

    ○畑恵君 大変時間が超過しましたところおつき合いを賜りまして、本当にありがとうございます。なるべく手短に御質問をさせていただきます。  せっかくきょうは緒方先生御本人においでいただきましたので、緒方先生にしか答えていただけない御質問をさせていただきたいと思うんです。  私も、先ほど沢議員がおっしゃいましたコソボにおける教育現場での教師そして子供たちの精神的なある意味で闘いの現場報告というのを拝見しました。先ほど緒方先生の方からも、難民そしてスタッフの生命、身体の安全確保というのも大切だけれども、その一方でやはり理想を実現していく、ある意味人間の尊厳ですとか誇りというもの、またあるべき姿ということを実現していくという、このあるとき拮抗する非常に難しい問題というのをどのように解決していくかというのが一番問題であるという御提議もあったと思いますけれども緒方先生がこのUNHCRのリーダーとしてほとんどのそれぞれの局面で恐らく生命、身体の危機、そして一方で理想の実現という相克にある種さいなまれて、その中で御決断をそれぞれに下されてきたことと思うんです。ケース・バイ・ケースだとは思いますけれども、その中に一貫した緒方貞子先生なりの判断基準、あるいは核となるもの、支えとなるものというものがもしございましたら、ぜひ教えていただきたいというのが一点でございます。  一点しか聞けないんですけれども、それから派生して、もしそういう中でやはり人間はどんなに危険を冒しても守らなければならない尊厳なりあるべき理想というものがあるとすれば、それを難民教育基金の中で実現していくために、資金を出すのももちろん私ども日本国民使命だと思いますけれども、それ以外の何か私どもができること、人間の尊厳の、まだ難民である子供たちを救うため、支えるためにできることというのがもしございましたら、ぜひ教えていただけるとありがたいと思います。
  38. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) コソボのことでございますが、私はコソボにおいて和解が進むとか共生が進むというのはまだまだ当分来ないと思います。それは、余りに厳しい憎しみの記憶がまだ新たであるということと同時に、コソボの将来が決まらないんですね。そのコソボの将来が決まっていない中で、アルバニア系の人たちは長い間の抑圧の中からようやく自分の国を取り戻したということから独立を望んでいると。  ところが、私どもはそれを支援はしましたけれども、それはアルバニア系の人たちセルビア系やそれからロマと言われているジプシー、その人たち迫害していいということじゃなかったんですが、多民族の共存という実態からほど遠いわけです。このセルビアの政権の変更というものが、国際的にはむしろアルバニア系の人たちがもう少し共存の道を歩んでほしいという政治的な動きになる分だけやはりアルバニアに対して厳しい目が出てくる。そうすると、アルバニアの過激派の人たちが非常に動いているというのが実態でございまして、ミトロビツァというところだと思うんですが、先ほどおっしゃったところは、私もそこへ現に行きまして子供たちと話したりなんかいたしました。かなり安全というものを何とか守りながら、爆弾テロや何かを抑えながら、もう少し状況を改善していく政治的な努力以外ないだろうと思うんですね。一朝夜にしてよくならないんです、人間の社会というのは。ですけれども、そこを忍耐強く進めていくということに尽きるんじゃないか。  例えば、私どもは、これボスニアでもしましたし、コソボでもやりましたのですが、この違う民族が住んでいるところの間を行き来するバスというようなものを動かしたりしたのもUNHCRがしたんですね。それは、多少交流をすることによって、安全に交流するというようなことが、あるいは移動する、自分の先祖のお墓参りに行くというようなこと、そういうことが安全にできるような状況をつくるのだって大変なことなんですね。ですから、一朝夜にしてそんなにいいものにはならない、そういうことを十分に理解した上で、しかし持続的な努力をしていくと。  私は、尊厳なんという言葉が非常にうつろなものに感じたことは何度もありました。ですから、本当に生命のぎりぎりの線を守ってあげて、その上でどうやって一歩ずつよくやっていくかと、そういうようなことを考えたときの方が多かったと思うんです。ぎりぎりの線の中で暮らしている人たちを多少でもよくしていく。そんなに理想を燃やして仕事ができるような状況じゃなかったと言う方が正直なお答えじゃないかと思います。  それでも、ボスニア戦争中何回も参りましたし、デイトン合意ができたときのボスニア、その後の非常に危険なボスニア、そして今のボスニアを考えると、やっぱり変化があるんですね。ルワンダでも同じように、あれだけ厳しい戦争の直後の状況の中へ行ったことはございませんでしたけれども、それでも今ルワンダへ行きますと、やっぱり改善があるんですね。だから、人間というのは、そういう意味じゃ持続、ある時間少し手伝ってあげて、ぎりぎりの状況を少しよくやっていけばよくなるんだというような自信は、あるいは確信は持っておりますけれども、初めからそんなに理想的な夢を持ったりして仕事はしてまいりませんでした、正直申し上げると。
  39. 畑恵

    ○畑恵君 ありがとうございます。
  40. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 大変長時間になりましたが、緒方参考人への質疑はこの程度で終わらせていただきます。  一言ごあいさつを申し上げます。  緒方参考人には、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な質疑を行うことができました。ありがとうございました。  最後になりましたが、緒方先生には国連難民高等弁務官としてこれまで大変な御苦労をされてきましたことに対して、調査会を代表しまして心からの敬意と感謝を申し上げますとともに、御健康に御留意されて、ますますの御活躍をいただきますようにお祈りいたしたいと思います。本日はまことにありがとうございました。(拍手)  どうぞ緒方参考人は御退席いただいて結構でございます。お疲れでございました。
  41. 緒方貞子

    参考人緒方貞子君) どうもこちらこそありがとうございました。
  42. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) それでは、引き続きまして、国連代表部に赴任されていらっしゃいます特命全権大使佐藤行雄君が現在一時帰国されておりますので、この機会に佐藤大使から国連をめぐる諸情勢について説明を聴取し、質疑を行いたいと存じます。  佐藤大使におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  本日は、国連外交の第一線に立っておられる佐藤大使から、新世紀課題国連について国連外交の現場からの視点でのお話をお聞きし、国連に関する問題への理解を深める一助にしたいと考えておりますので、何とぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず佐藤大使から三十分程度説明を聴取し、午後四時三十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。  なお、説明質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  この際、佐藤大使から発言を求められておりますので、これを許します。特命全権大使国際連合日本政府代表部在勤佐藤行雄君。
  43. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) 佐藤でございます。本日はこのような機会をつくっていただきまして、まことにありがとうございます。  時間も限られておりますので、早速御報告をさせていただきたいと思います。    〔会長退席、理事山本一太君着席〕  先ほど緒方先生から繰り返し現場の重要性を強調されておりまして、ニューヨークにおりましてもいかに現場が大事かという感じがひしひしといたしております。ただ、私の現場はニューヨークでございますので、若干抽象的な話になるかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。  お手元に出させていただきました紙に本日報告申し上げたい三点が書いてございますが、その前に、ことしは国連にとってどういう年になるのかということだけ一言御報告させていただきたいと思います。  一口で言って、ことしはミレニアム宣言実施の第一年目だと私は考えております。ミレニアム宣言と申しますのは、昨年の九月六日から八日まで、国連で百四十四カ国の国家の元首、政府首脳が集まりましてミレニアム総会というのを開きました。ミレニアム・サミットと呼んでおりました。その結果として、九月八日に百四十四カ国の代表あるいはそれ以外の加盟国、国連はちなみに今百八十九カ国ございます、それが一致して出したものがこのミレニアム宣言でございます。  項目だけ御紹介させていただきたいと思います。というのは、この中でこれからの大事な点として八項目の指摘がございました。中身には入りませんが、題名だけ申しますと、第一が価値と原則、第二が平和、安全及び軍縮、三番目が開発及び貧困の撲滅、第四が環境の保護、第五が人権、民主主義及びよい統治、第六が弱者の保護、第七がアフリカの特別なニーズへの対応、第八項目が国連強化でございます。このあたりに、今二十世紀から二十一世紀に移ってまいりますときに、世界の国々が感じている、国連が何をすべきかということが集約されていると思います。  そういうことを前提にいたしまして、ことしは国連の場におきましてもさまざまな会議が開かれます。五月には後発開発途上国を対象とする会議があり、六月には国連人間居住センターの特別総会があります。これは、わかりやすく言いますとスラムをいかにしてなくしていくかということで、これもミレニアム宣言の中に出てくることであります。六月にはエイズについての特別総会がございます。さらに、七月には国連の小型武器に関する会議、八月には南アフリカで人種主義に反対する世界会議、そして九月には開発問題についてのグローバル・パートナーシップ・ハイレベル会議、同じ九月には子供の特別総会がございます。そして、国連総会、通常の一般討論を挟みまして、包括的核実験禁止条約発効促進会議、さらに十二月には国連文明間の対話等についての会議がございます。こういう流れで、恐らくそれぞれの会議にミレニアム宣言に盛られたさまざまの問題意識が投影されていくものだと思っています。  ちなみに、事実関係として御報告しておきますと、ことしは何々の年というのがいろいろございますが、ことしは国際ボランティア年でございます。これは日本が提案して実現したことで、国連ボランティア計画というのがございますが、それが中心になって世界的にボランティア活動をさらに広げていこうという願いを込めてことしを国際ボランティア年といたしております。もう一つは、イランの提案によります国連文明間の対話年というのが二〇〇一年でございます。それともう一つは、先ほど南アフリカ会議があると申し上げましたが、人種主義、人種差別、排外主義、不寛容に反対する動員の国際年というのがことしのもう一つの行事といいますか、標語的な問題でございます。    〔理事山本一太君退席、会長着席〕  以上からおわかりになりますように、貧困、紛争、そして弱者の問題、感染症の問題、先ほど緒方さんが触れられました人間の安全保障にかかわる問題がさまざまな格好でこの年の間に取り上げられることになります。日本人間の安全保障を重視しようという姿勢を強調しておりますので、これらの会議のそれぞれのテーマに応じて日本の考え方を具体的に明らかにしていくことが求められていると思っております。  以上がことしの一年、これから起こることでありますが、まず、以上申し上げて、この三項目についての御報告をさせていただきたいと思います。  まず、分担率交渉の経緯でございます。「主要国の国連分担率の推移」という紙をお配りしてあるかと思いますが、これをごらんになりながら聞いていただければありがたいと思います。  ちなみに、国連には予算が二つございます。通常予算とPKOの予算でございます。通常予算は二年間単位でございまして、大体二年間で二十五億ドル前後、ですから年間にしますと十二、三億ドル、それを百倍にしたのが大体の円だろうと思っていただきます。千三、四百億円が国連の通常予算でございます。PKO予算は、そのときによってかなり変化がございます。一九九〇年代に入りまして、九三年、四年あたりがPKOが非常に大きくなった時期でございます。年間三十数億ドルという予算になったときもございます。最近はまた増加傾向にあると見られております。  それで、昨年ございましたのは国連の予算の分担率に関する交渉でございます。国連の予算は先ほど二年単位と申し上げましたが、分担率は三年に一回交渉をいたします。この表の例として通常予算分担率の二〇〇〇年、右から四つ目の二〇〇〇年を見ておいていただきますと、これが昨年までの予算でございました。アメリカの分担率が二五%、日本が二〇%、両方合わせて四五%を負担しておりました。その下に、ドイツを飛ばしてフランス、英国、ロシア、中国、四つの常任理事国がございますが、その一番下の欄、P4の合計というのは四つの常任理事国、アメリカを除く四つの常任理事国の合計でありますが、一三・七%という状況でございました。  そこで、我々の目標といたしましたのは、やはり予算の分担率の配分をより公平なものにしようというのが昨年の交渉目的でございました。結果は、二〇〇一年から三年にかけて、若干の調整期間はありますが、アメリカは二五%から二二%、この点については後でちょっと御説明いたしますが、日本は二〇・五から一九・五へと一%減。それで、例えば下の中国を見ていただきますと〇・九から一・五、ロシアについても一・〇から一・二へ増、そういう格好になりました。税金の見地から見ますとまだまだ日本の負担率は多過ぎるんじゃないかという御意見はあると思いますが、百八十九カ国の中での交渉でございますので、残念ながらこのあたりでとまらざるを得なかったというのが実態でございます。  その背景にありましたのは、アメリカの議会が予算分担率を二五%から二二%へ下げるということを法律で決めました。もともと滞納金があったところで、無条件で払うべき滞納金でありますが、にもかかわらずアメリカの議会はこういうアメリカの分担率をさらに下げれば払うという条件をつけたわけであります。百八十九カ国の加盟国、恐らく百八十八カ国が全部反対だったと思います。ただ、最後の二週間の交渉のときにはばたばたと各国おりまして、結局アメリカの要望をのむということになりました。  その中で日本も一%を下げ得たのはなぜかと、この点が私、特に本日御報告を申し上げておきたい点でございます。  実は、十二月の最後のこの二週間は徹夜折衝が続くような状況で土、日もなくやっておりましたが、その半ばぐらいになりましてナイジェリア、インド、南アフリカといった国々の大使たちが私に、仮にもうアメリカの条件をのまざるを得ない場合にも、日本については一切迷惑をかけないというのがG77というこの南の国々の集まりのコンセンサスだということを言ってまいりました。同僚の話を聞きますと、過去の三年前とかそれより前の交渉ですと、EUとG77がいつの間にか手を握って日本が最後にびっくりするという場面があったようですが、今回はG77の方から日本に対して、日本には絶対迷惑をかけないからと言ってまいりました。  我々、河野大臣からもお手紙を出していただいたりしまして、私も現場でも言っておりましたのは、日本は六兆ドルの借金、地方公共団体も足してそれぐらいの借金がある。そういう中で、多いときには百五十億ドルのODAも出している。さらに、国連分担率でも二〇%もしょっている、こういう話を、説明を繰り返し繰り返ししたわけでありますが、開発途上国の人たちは、自分の国がどれだけ日本のODAの世話になっているかという気持ちは非常に理解しているんですが、日本の財政状況がそんなに悪いということは知りませんでした。そういう意味でかなりショックだったようでありますが、今回はそういうこともあって、開発途上国の方からもうこれ以上本当に日本に迷惑をかけちゃいけないという声が盛り上がってまいりました。おかげさまでこれができたというのが、下げ率は御満足いただけないことかもしれませんが、現場で私はこの結果を、というか過程を見ておりまして、ODAの効果がきいているということがしみじみと感じられました。  私は、別にこれはODAを減らさないでくださいということのためにわざわざつくったお話をしているのではなくて、今度の予算分担率交渉をめぐりまして、非常に私は強い印象を受けた点でございますので、御報告を申し上げておきたいと思います。  次に、邦人職員の問題であります。もう一枚の紙を見ていただければと思います。  私、実は二年前国連に赴任する前に、この調査会の場で抱負を述べろと言われましたときに申し上げたんですが、それまでいろいろ議員会館を回っていて一番言われましたのがこの邦人職員の数をふやすように努力しろということでございました。そこで、到着後早速私を本部長にして代表部全体で取り組む体制をつくりましてこの国連邦人職員の増強ということに取り組んでまいりました。  増強と申しておりますのは、実は数をふやすだけでなくて、なるべく大いに上のランクに引き上げていこうと。先ほど緒方さんが言っておられました高級幹部をなるべくつくろうと。天下り的に入れるのもいいんですが、やはり私は若い方に入っていただいて、その方が生き抜いて上に上がっていくというのが一番いいだろうと。そこで、なるべくそういう昇進をお手伝いしたいということで増強と言ったわけであります。  結果がそこにございまして、三年の比較がございますが、まず国連事務局だけでは、全体数が一九九八年の十二月三十一日、ついた年には百二名でございました。二千三百九十四のうち百二名というのが引き継いだ数字でありまして、翌年十二名増、三名減で百十一名になりました。ただ、昨年は七名増でしたが八名減になりまして、百十で一名減るというところで残念ながらとどまらざるを得ませんでした。  他方、昇任につきましては、一昨年十五名、昨年は十三名の昇任ができたと。それから、国連事務局ではございませんが、ニューヨークにある大きな国連機関国連開発計画、それから国連児童基金、ユニセフですね、それから国連人口基金とございますが、昨年は国連開発計画で十一名増、二名減で三十名になりました。国連のユニセフも六名増二名減で三十名に達する。国連人口基金は残念ながら増減ございませんでしたが、全体で百七十八名の組織ですので、なかなかここで人をふやすというのは難しい、そういう状況であります。  結果について、私はこれはまだまだ満足しておりません。例えば、この一番上の欄、「国連事務局」のところで、括弧の中に「望ましい職員数の範囲」というのがございます。これは国連が毎年各国の予算の分担率とかその他の条件を加味しまして、この国からはこのくらいいてもいいなと出している数字であります。今、この時点で日本人の望ましい姿は二百五十七から三百四十八人いてもいいと。にもかかわらず百十名でありますので、まだまだとても満足できる状況ではありません。そういう意味で、この邦人職員の増強計画には今後とも最大の優先度を与えて取り組んでまいるつもりでございます。  幾つかやり方が、これまでに覚えてまいりましたが、一つは、やはり国連あるいは国連の関係機関に口説いて日本に採用ミッションに来てもらうというのがどうも具体的成果につながる一番早道のような気がいたしております。もう一つは、国連の競争試験を通った人をなるべく全員採ってもらうように各方面に働きかけていく。そういうことで今後とも努力をしてまいりたいと思っております。  それから三番目に、安保理改革の問題でございますが、まず安保理改革の国連における議論は一九九三年に始まりまして、昨年でもって七年たっております。国連の会期というのは九月から始まりますので、九三年の九月から始まったのが一年目で、昨年の九月から始まりました今の会期が八年目ということになります。  その間、基本的にはこの問題は、どれだけ一体安保理を大きくしたらいいのかという問題、それから常任理事国と非常任理事国の両方を拡大するのかあるいは非常任理事国だけでいいのかという問題、それから拒否権の問題と、この三つの問題をめぐってぐるぐると議論が回っているという状況でございました。  まず、安保理の数につきましては現在十五でございます。常任理事国が五、非常任理事国が十ありまして現在十五でありますが、長いことアメリカが二十一まではいいけれどもそれ以上はだめという立場をとっておりました。オルブライト国務長官御本人が国連大使をやられた経緯もあって、非常に数をふやすことに抵抗感を持っておられたようであります。ただ、これにつきましては、日本政府としては、橋本総理、小渕総理それぞれのもとにおける外務大臣からも繰り返し働きかけをいたしまして、昨年の四月三日にホルブルック常駐代表がアメリカは二十一をもう少し上回る数字を考えてもいいということを発表いたしました。これは実は、日本では小渕総理の緊急入院のときと重なってしまいまして、ほとんど大きなニュースにならなかったんですが、国連加盟国の間ではかなりな衝撃波が走りまして、議論が少し前へ進むという結果を生んだと私は思っております。  もう一つは、常任、非常任を拡大するかあるいは非常任理事国だけ拡大するかという議論であります。実は、これまでの議論というか昨年までの議論を総括いたしますと、常任理事国の拡大に反対している国が中心になった議論であったような気が私はいたしております。例えば、ドイツだけは絶対に常任理事国にさせたくないと思っているイタリー、インドだけは絶対嫌だと言っているパキスタン、それから原則の問題として常任理事国というのは非民主主義的だから反対だと言っている例えばカナダのような国、メキシコのような国、こういう国がコーヒー・クラブというのをつくりまして、そもそも安保理改革に反対する、どうしてもやるならば非常任理事国だけを拡大すればいいじゃないかと、こういう議論を展開してまいったわけであります。  我々は、常任理事国と非常任理事国両方を拡大すべきだということを主張してまいりまして、実は昨年の、先ほどちょっと冒頭に触れましたミレニアム・サミット、各国の首脳が集まるわけですから、ここを一つの場として使おうと、八月には森総理から百五十カ国を超える国に親書を出していただきまして、私も国連で八月だけで百人ぐらいの大使に会って理解を求めたわけであります。結果がどうなったかといいますと、ミレニアム・サミットとその後の一般討論を通じて、九十八カ国が常任理事国と非常任理事国の両方を拡大しようということを言いました。その間、非常任理事国だけでいいと言った国は実は十五カ国しかありませんでした。  それに加えて、そのミレニアム・サミット及びその直後の一般討論では発言しませんでしたけれども、これまでにこの常任理事国と非常任理事国の両方を拡大しようということを明確にした国、その中には、例えばカリブ海の十四カ国の閣僚が日本で集まったときに安保理改革については両方のカテゴリーを拡大するのが大事だと発表したわけですが、そういう国も足していきますと、実は両方を拡大しよう、常任理事国の方も拡大しようと言っている国は百五十カ国を超えます。  私は、昨年の十一月にその点を国連の議論の場で発表いたしまして、もうこの話は大体決着がついたんだから先へ議論を進めましょうという話をいたしました。おかげさまで、ニューヨーク・タイムズが大きく報じてくれまして、ヘラルド・トリビューンにも出たんですが、日本の新聞には残念ながら出ませんでした。ちょうど十一月の半ばというのはフロリダでアメリカの大統領選挙のカウントし直しをやっておりまして、ニューヨークで日ごろ我々を追っかけてくれている新聞記者の人が全員フロリダに行っておりまして、私の見たところでは全然ニュースにならなかったんじゃないかと思っております。きょう配っていただきました最後の外交フォーラムの原稿にその点を書きましたのは、やはりこれは記録に残しておかなければいけないと思いましたので書かせていただいたわけであります。  そこで、昨年までのところで、常任、非常任両方を拡大しようという話は、私はその点だけ取り上げれば話はもう決着がついたんじゃないかなと思います。あと安保理の数を一体どこまでふやすかというのがこれからの問題でありますが、私は、日本は従来から二十四までふやしたいということを言っております。詳しく立ち入りませんが、そこで今度はこのブッシュ政権から二十四ということについての同意を取りつけるところから始めなければいけないと思っています。  実は、アメリカというのは国連で決して好かれておりません。しかし、国連の加盟国のほとんどがアメリカが動かないと物は動かないと思っています。そういう意味で、やはりアメリカの理解と協力なしには安保理改革は進まないと思いますので、まずはこの数についてアメリカの同意を得ることが大事だと思っています。なぜ大事かといえば、二十四ということが決まってまいりますと、やはり安保理改革そのものが動き出したという気運がさらに高まるからだと私は思っています。  そこで、これからはアメリカとの問題も含めて二つのことをしなくてはならないと私は思っています。  一つは、常任理事国五カ国と話し合い、それからいずれは安保理、自分も常任理事国になりたいと思っている国にももっと前に出てきてもらって、その両方が理解、同意できるような具体的な案を模索していくというのがこれからの課題だろうと思っています。  実は、これそう簡単なことではないとは思いますが、例えば中国については、よく中国は反対なんじゃないかという人はおりますけれども現場で見ている限りは、中国は世界の大勢が安保理を拡大して、その中に日本が常任理事国として入るということが世界の大勢だということになってくれば、正面から中国が反対するということはないというふうな印象を私は持っております。  ロシアについても同様ではないかと。ただ、ロシアは日本と並んでドイツを重視していますので、ドイツと一緒になってロシアと話し合っていくということが必要ではないかなと思っています。  英国とフランスは安保理改革に非常に賛成ですし、拡大する数を二十四とすることにも賛成しておりますので、我々の仲間として協力し合っていく相手と考えております。  さてもう一つは、どういう国を常任理事国にするかでありますけれども、ドイツはなりたいということは明確にしておりますが、先ほど申し上げましたようにイタリーが反対をしております。かつてニューヨークにいたイタリーの大使の言葉をかりますと、もし日本とドイツが常任理事国になってイタリーが取り残されるようになれば、これはイタリーにとって第二の敗戦だと。そのようなことは、言うなれば第二次世界大戦のときに一緒に負けた三カ国のうち二カ国だけが常任理事国になってイタリーが残るようでは、これはイタリーにとって第二の敗戦なので、これは受け入れられないというようなことを言っています。イタリーも大事です。  それに、これからEU全体としての共通外交安保政策というものもできてきます。二〇〇三年にはEUの緊急対応部隊がいよいよ実現します。そういう流れの中でヨーロッパの議席をどう考えるのかということはこれから大きな問題だろうと思います。日本だけでできる話ではありません。イタリーやドイツとよく話し合っていかなきゃならない問題だと思っています。  次に、アフリカでありますが、ナイジェリア、南アフリカ、エジプトといった国がそれぞれなりたいと陰に陽に意思表示をしております。その中で、ローテーションを組んでいこうという動きも若干出ているようでございまして、そのあたりがどうなっていくかがこれからの見どころかと思っております。  同じように、ラ米の中でブラジル、メキシコ、アルゼンチンという国がそれぞれ関心を持っているようであります。メキシコは常任理事国みたいな制度そのものが非民主主義的だから反対なんだという、これまでそういう態度をとってまいりましたが、実は昨年の暮れになりまして非常任理事国に立候補いたしました。メキシコは今までずっと安保理そのものを無視していたわけですが、その理由はいろんな説があります。  例えば、安保理という場で重要な隣国アメリカと対立する立場に立ちたくないからメキシコは安保理に入らないんだというようなことを言っている方もいらっしゃいましたけれども、いずれにせよそのメキシコが突然従来の態度を変えて非常任理事国に立候補した、これもやはり常任理事国入りを視野に入れた動きではないかというふうに言われております。  アジアでは、インドの問題があります。ただ、インドは核保有のままで常任理事国になれるとは世界のだれも思っておりません。だから、インドにとっていずれ重要な選択が迫られるときが来るんだろうと思います。  そういうことで、これからは現在の常任理事国とこれからなりたいという国の間で一体どういう案ならいいのかということをつくっていく段階にだんだんと入るんだろうと思います。ただ、これはまことに難しい問題で、国連自身もそこの道筋を描いておりません。私も具体的な展望は持てません。何か今までは丘を登ってきた、これからは絶壁を登るという感じがいたしております。  ただ、いずれにせよこの問題は少しずつでも進みつつありますので、いずれ日本としてどういう形でならば常任理事国入りを果たすのかということを考えなければならないタイミングが来るものだと思っています。そういう意味で、国内的にもいろいろ議論をしておいていただくことが大事だろうと思います。  特に焦点となるのは、先ほど冒頭に申し上げました三つの問題のうちの最後の問題であります拒否権の問題であります。  拒否権の問題は、今、世界百八十九の加盟国の中で、非常に大ざっぱに言えば、恐らく百八十四対五の問題ではないかと思っています。常任理事国の五カ国はそろって既得権を守りたい、残りの国はみんなで何らかの格好でこれを制限すべきだと思っている。日本もそういう考え方を持っているわけであります。そういう中で、これをどういうふうに処理していくのか。  例えば、これは全くの想定の話でありますが、完全に拒否権つきの常任理事国入りを目指して永遠に待つのか、あるいは中間段階として拒否権の問題については若干の、あるいは大きな制限を認めて、とりあえず常任理事国という席をとるのか、このあたりのことも問題の進展によっては一つの選択として我々は直面しなきゃならないんではないかと私は思っております。  そういう意味で、そういう問題がどういう日本にとって意味合いを持つのかということを政治のレベルでもいろいろ今後議論をしていただければありがたいと思っております。  私、ちょうど三十分たちましたので、ここでとめさせていただきます。
  44. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  以上で説明の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  前半と同様、各委員から自由に質疑を行っていただきます。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  45. 山本一太

    ○山本一太君 分担率の話あるいは安保理改革の現状と展望について極めてロジカルで明快なお話をいただきまして、大変参考になりました。ありがとうございました。  昨年五月か六月にニューヨークでNPT再検討会議というのがありまして、政務次官としてニューヨークを政府代表として訪れた際に大変大使にもお世話になりまして、数十カ国、四十カ国か五十カ国か忘れましたが、ずっと国連代表部の大使を一緒に回っていただいたことを思い出します。私も国連機関に勤めていた経験があったり、あるいは国連議連やさまざまな国連にかかわる活動を通じて随分いろんな大使にお目にかかりまして、皆さんそれぞれすばらしい方でしたが、佐藤大使のようにダイナミックで人使いの荒い方は初めてだなというふうに思いました。  例のアメリカの改革された安保理の数について、これを二十一以上にしてもいいと、こういう発言をホルブルック大使から引き出された功績は大変高く評価をされていると思いますが、引き続きこの安保理改革、特に国連改革については精力的に最前線で頑張っていただきたいと思います。  私の質問は、大使と昨年ほとんど主要国と言われるところの国連大使に会う中で、日本の安保理常任理事国入りについて反対する国はほとんど一つもないという現状を改めて確認したわけなんですけれども、ラザリ提案が出てからもう既に八年目になると。日本についてはどの国も反対していないけれども、極めて現状は難しい問題がいろいろあって、大使がよく全方位外交とかステップ・バイ・ステップでというふうに言われるんですけれども、最近、私は本当に安保理入りできるのかなという気持ちが強くなっていまして、これは難しい質問かもしれませんが、大使の感触として、これから日本という国が国際社会での地位の低下をどのくらい防げるかとか、あるいは国際情勢なんかにもよると思いますが、ここ十年ぐらいで本当に日本が安保理入りする可能性があるかどうか、大使の感触をひとつお聞かせいただきたいと思います。  もう一つは、この安保理常任理事国入りについて、もちろん政府は、歴代の外務大臣、総理を初め、安保理入りの意思があるということを表明しているわけなんですが、国会が立法府としてこの常任理事国入りについて何ができるかということについてもちょっとお聞きしたいと思うんです。  私は、さっき緒方先生のお話を聞いていて、顔の見えない援助という話があって、存在感を高めるためにはそこに人が行かなければいけないというお話が大変印象的だったんですが、毎年毎年国連総会のときにニューヨークに行って思うことは、カナダなんかは国連総会の際には、立法府といいますか国会議員が集団できちっと、国会議員の一団がニューヨークに陣取っていわゆる国連の議論を傍聴し、それを政治にフィードバックさせる。ヨーロッパの国も、とにかく国会議員が国連総会にやってきて国連の動きをウオッチしていく。このことがさらに立法府における国連改革とかあるいは安保理の問題に対する意識を高めている実は一助だと思うんですね。  私はいつも思うんですけれども日本もこれをやった方がいいんじゃないかと。衆議院はもういつ選挙があるかわからないので、衆議院の方々にそういうことを考える暇はないと思うんですけれども、例えば参議院のこういう国際問題調査会みたいなところでとにかく毎年五人でも六人でも、各会派から一人ずつニューヨークに国連総会のときは人を送る、予算はちゃんと参議院から出す、こういうことをやったらどうかと思うんです。これは別に正式に諮っているわけでも何でもないんですけれども、そういうサポートについて大使がどう思われるか。  ちょっと長くなりましたが、ここら辺についてお答えをいただければと思います。
  46. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) まず第一の問題でございますけれども、今、国連の場では安保理作業部会という大使レベルでやる会議が毎年行われて、これが八年目に入っているんですが、これは実はコンセンサス方式なんです。したがって、一人でも反対したら先へ進まない。もちろん、どこかで乗り越えて国連総会で決議するという手もありますが、なかなかそこを踏み切れない。やはりどこかの段階でもう一度政治レベルの入った会議でそれまでの議論を集約して、どういう結論を中間的にでも出すかということを見きわめなきゃいけない、そういうものを仕掛けなきゃいけないと思っています。そうでなければ、いつまでも議論を毎年繰り返して、今、山本先生が言われたように、十年内にできるのか、今のままで行くんだとすれば、十年内に結論が出るとは申せません。  したがって、もし日本が国としてあるいは政府の指導の形で安保理改革問題について指導性を発揮しようとするのであれば、あるいは本気で常任理事国になろうとするのであれば、どこかの段階でタイミングをつかんで、国際社会に向かって政治レベルでの会議を提案して、そこでの決着を図るということを考える必要があるのではないかと、私は個人的には……
  47. 山本一太

    ○山本一太君 サミットみたいなこと……
  48. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) はい。  それで、きょうは個人的な意見として言わせていただいて、後ろに聞いている者もおりますのであれですが、やはり先ほど申しましたように、九三年から議論を始めまして二〇〇三年、十年たって何事も起きませんと、十年議論しても何事も起きなかったではないかという議論が起きてくる可能性があるんですね。したがって、私個人としては、別に二〇〇三年という年というふうに限定しては申しませんが、議論が十年目を過ぎる、あるいは過ぎたあたりで何か政治レベルの議論をもう一回行うということが大事ではないか。  実はこの間、二月五日にニューヨークで行われました安保理作業部会で、カリブ海の十四カ国を代表してしゃべった大使が、ガイアナの大使でありますが、そろそろやはり政治レベルの意見を注入して、各国の首府、首都を巻き込んだ形の議論をすべきじゃないかということを提案されておりました。そろそろ議論も八年目に入るので、そういう雰囲気が出てきているんじゃないかと思います。  いずれにせよ、何も仕掛けないで待っていても、待っていると何事も起きないとは申しませんが、大きな前進が図れないで時が過ぎていく可能性は、危険性はあると私は思っています。そういう意味で何かしなきゃいけないんじゃないかなと思っています。  それからもう一つは、国会の先生方の問題でありますが、ニューヨークにおりましても、何カ国かのそういう、毎年ほかの国の議員さん方が訪ねてみえます。もちろん、投票を含む行動はそのときの政府責任でそれぞれの代表がやっているわけでありますが、同時に与野党の方々が各国を回られて、各国の意見を聞かれたり、あるいはそれぞれのお立場からの意見を我々に言っていかれたりします。やはり政治主導と言われる時代でもありますし、それ以上に投票で国民を代表されている国会議員の方々が外交の現場を見られるということは非常に大事だろうと思います。  先ほど沢先生もおっしゃっていた対話の話もございますが、いろんな市民レベルの対話も既に国連はいろいろやっておりますけれども、まずは国会議員の方々国連の、特に九月から十二月の総会期間中にお見えになられて、各国の代表と、あるいは各国の議員さんたちと議論をされることができたら非常にすばらしいと私は思います。
  49. 佐藤雄平

    佐藤雄平君 佐藤雄平でございます。  先週からずっと国連の話を聞いておりまして、本当に国連の重要性はもうひしひしと感じるんですけれども、また逆を言うと、何か国連はうんと頼りないようなところが幾つかあるんです。そういう意味で、やっぱり国連そのものは人命尊重の大前提に立つ、まず第一番目には紛争解決、そのためには、今、大使の方からいろんな話がありましたけれども安全保障理事会の中での常任、非常任の拡大とありますけれども、適正なる規模というか、これは余り多くても解決できるものが解決できない例もあるでしょうし、余り少なくてもこれ解決できないと思うんです。そういう意味でも、大使のその考え方、どれぐらいが一番適当であるか、まずそれが第一点。  それから、昨今のこの日本経済、景気の状況、きのうも例の国債のAAAからAAになってしまったとか、あと国内政治状況、こういうふうなものは国連にいて、要するに日本を見る目が、世界的なこの数年間の変化というのは率直なところどんなふうに感じておられるか。  さらにもう一つは、COP6がこの間ハーグであって、結果的には決裂して、今度またパリでやる。私は、環境問題というのは、まさに環境省が云々の話じゃなくて、もう外交問題になっていると思うんです。それは将来的にはやっぱり地球環境とか資源ということになると、ある意味では国連が全世界経済成長のパーセントを決めるぐらいの時代にならないと、いわゆる循環型の地球が維持できない。そういう意味からも私はもう本当に大事な任務があると思うんですけれども、残念ながら環境問題についても資源問題についてもそれぞれのいわゆる単一、単体でそれぞれやっているというふうなことを考えると、もうG8にしてもその気候変動枠組み会議にしても、それだけではもう解決できないので、極めて多面的な要素が解決の前提となると思いますので、その点について大使のお考えをお伺いしたいと思います。
  50. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) まず、規模の点でございますけれども、よくかつてアメリカが二十一以上だめということを言っていましたときに、私はアメリカに言っていたんですが、安保理事会の停滞を起こしているのは非常任理事国の数の問題ではない、常任理事国の間の対立、例えばイラク問題についてアメリカ、イギリス対フランス、ロシア、そして中国が入ってくる。常任理事国が拒否権を背景にしてそれぞれの主張をするものですから、そこで物事が停滞する。したがって、アメリカの言う効率化論というのは私は受け入れられない。かつ、今の常任理事国というのは、御承知のとおりすべて第二次世界大戦の戦勝国です。かつ核保有国です。  そういう中で、例えばアジアの問題をなぜ中国が代表していなきゃいけないのか。中国が代表することに私は異存はありませんけれども、中国だけでいいのか、こういう問題がありますので、規模との調整の問題はあるかもしれませんが、あと五つぐらいふやしてもいいというのが、実は私というよりも日本政府の立場であります。先進国からあと二つ、それから開発途上国、アフリカ、アジア、ラ米それぞれから一カ国、全体でこうして十にしようと。そういうことの中で常任理事国の中の力関係が少しでも変わっていくことが常任理事国を活性化することにつながってほしいと、我々はそういう意気込みで行きたいというふうに思っております。  次に、日本の評価でありますけれども国連百八十九カ国のうちほとんどが開発途上国です。もちろん、それらの国の人たち自分の産品を買ってほしいという気持ちはありますが、日本を見る目は一番先に来るのは今のところまだODAです。そういう意味で、日本経済について心配はしていると思います。けれども、急にイメージが下がってきているという感じは私はまだ受けません。例えば、昨年の十二月の交渉で、むしろ日本がそれだけ借金しているにもかかわらずこんなにしてくれているということに対する感謝の気持ちが出てきたという状況です。  最後に環境ですが、先ほど私は、ミレニアム宣言の項目を挙げましたときに単に環境と申しましたけれども、実は「共有の環境の保護」という言葉でありまして、わざわざ一項目、八項目のうち一つ特記して重視しているわけです。  それで、いろんな立場で悩んでいる国があります。途上国の中でも、例えば小さな島国、温暖化で沈んでしまう危険に直接さらされているわけですし、内陸国の中には砂漠化の問題もあります。そういうような問題もありますので、途上国が多い国連でも環境問題は非常に強い関心がある。現にミレニアム・サミットで出たのは、リオ・プラス10と言っていますけれども国連環境開発会議がちょうど十周年、リオから二〇〇二年、十周年になります。そのときまでに京都議定書の発効を確保しようというような意見がこの中に載っているわけです。そういう意味で、国連でも環境問題は大変大きな関心であると。  ただ、国連というのは、大きな国際世論の流れをつくっていく上では意味があるんですが、なかなかその場その場で決めていかない。平和と安全にかかわる安保理事会の問題を除きますと決定はいたしませんので、世論を積み上げていく、そういう意味での影響力ということに限られますので、限界はあるという感じはいたします。
  51. 佐藤雄平

    佐藤雄平君 クローン人間規制法を日本でつくったんですね。先週ですか、アメリカでいよいよまた場合によっては始まるかと。そして、ちょうど去年、クローン人間無法地帯というのが紀伊国屋から出たのを見て、将来、これはその半分は想像なんでしょうけれども開発途上国でいっぱい売っているんです、同じ、はいクリントンは売っています、何が売っていますで。だから、これは国連と、これは保健機構がやる、どこが所管するんだかわかりませんけれども、さっきの生命倫理とかそういうふうな観点から考えると、これもやっぱり国際的に統一見解というのがぜひ必要だと思うんですけれども、この辺についてもひとつお考えと、それからどんな方向で行くか教えてください。
  52. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) 国連というのは、まさにそういう特定の将来出てきそうな問題を先取りして、世論をつくり、あるいは条約を締結することについての注意を喚起していく、そういう役割があるわけですから、その問題も我々としても大いにやっていかなきゃいけないことだと思っています。
  53. 佐藤雄平

    佐藤雄平君 ありがとうございました。
  54. 緒方靖夫

    緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。在日中の大使から御苦労とまたリアルなお話を聞けて大変よかったと思っておりまして、感謝しております。  一点は、国連安保理の常任理事国入りの問題ですけれども、私自身の考えは、やはり軍事的な関与の義務を負うという理由、憲法上の理由から反対という考えですし、それからまた、そもそも日本の外交のあり方ということからもやはり存在感のある外交、独自性、先ほど緒方貞子さんが大活躍の話をして大変誇りに思うわけですけれども、ああいう活動日本外交として展開するような、そういうことになったときにはまた状況が変わってくるかもしれません。  例えば、先進国としてカウントされていると思いますが、日本の入ることを。アジアということで考えたときに、アジアの国ではあるわけですけれども、例えば日本が本当にアジアの一員となったときに支持できるという国もあるわけです、今は支持できないということを同時に言っているわけですけれども。ですから、そういうことを考えたときに、そもそもなぜ入る必要があるのか、また入るべきなのかどうかという根本的な問題というか意見を私は持っているんですね。  そういう中で私お聞きしたいのは、確かにODAに対する期待がある、援助に対する期待がある、ですから、真っ向から日本がそういうことを表明したときに反対するという国はなかなかないかもしれません。しかし同時に、純粋に日本がぜひ常任理事国に入ってほしいという熱烈に支持するそういう国、なかなか言いにくいかもしれませんが、もし可能な範囲でおっしゃっていただけるならば、この点を教えていただきたいというのが第一点です。  それから第二点、国連憲章の原則と目的を守れという声が国連総会なんかでも演説なんかを見ますとかなり出ているように聞こえてまいります。それはやはり、コソボのNATOの空爆等々で国連の授権がないもとでああした爆撃が行われたということによってそういうことが生まれていると思うんですけれども、この問題について、国連憲章の原則と目的を守れというそういう考え、声というか、この原則と目的について大使御自身のお考えがどうかという、その二点についてお伺いいたします。
  55. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) 後者の点は、私は、政府の立場が明確に出ていますものですから、それ以上のことは申し上げられないんですが、政府は理解するということを言ったわけですね、支持とも言わないで。私は今、公的に代表していますものですから、それ以上のことを言わないことをお許しいただきたいと思います。  それから、国連の安保理、日本が常任理事国になることついての国連の中の意見ですが、真正面から反対を表明しているのは北朝鮮一カ国です。中国については、何も言わないのでいろんな方が想像して、実は内心反対なんじゃないかと言っておられる方はいます。ただ、先ほど申し上げたように、世界の大勢がそっちへ動いていけば、中国はひとりそれに反対することはないだろうということも言われていますし、私はそちらに近い見方をしております。  あとは、日本に常任理事国になってほしいという意見はかなりいろんな国の人が言います。非常に明確なのは、例えばアフリカのような国ですね。あるいは、先ほどちょっと御紹介しましたようにカリブ海の国、中米の国も共同声明の中でそういうようなことを言っていますし、実は常任理事国になるかならないかということに自分の問題として関心がある国は一ダースぐらいしかないんですね。それ以外の国が実はなぜ日本を支持すると言ってくれるのか、そのあたりは、私はやはりODAあるでしょうし、非核大国という立場もあるでしょうし、いろんな、先ほど緒方先生が言っておられたような経済大国としての日本に対する期待というのもあるでしょう。あるいは、アジアの国のことと欧米先進国と両方の物の考え方がわかる国であるという点も、うまく、日本の動き方いかんでは両方に効果が出てくる話ですね。  ちょっと余談になるようですが、一つだけ紹介させていただきたいのは、おととしですか、東ティモール問題を議論したときに、実は我々もう非常任理事国ですらなかったんですが、国連事務局から言われまして内々に議論をするグループに入りました。それで、あとはアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、それと日本です。その中で議論をしていまして、我々も東ティモールで起きた残虐行為については批判は強くしたんですが、そのときにインドネシアの民主主義を、インドネシアが安定しながら民主主義の方へ進んでいくことが大事なんだということを内々繰り返し指摘したのは我々だけなんです。  ですから、私はあのとき思いましたけれども、やはりアジアに位置する国として、そういう物の見方、普遍的な価値は価値として、普遍的な価値を適用していくのに現場に、現状の実情に合わせてどうやっていったらいいかというようなことをアジアの立場から発言する日本の役割というのは相当あると思いました。そういう意味で、私はあの経験をして、やはり常任理事国になるべきじゃないか、日本のためだけじゃないと私は思いました。
  56. 緒方靖夫

    緒方靖夫君 ありがとうございました。
  57. 島袋宗康

    ○島袋宗康君 どうも御苦労さまです。  国連における日本代表として大変活躍されておられますけれども、そういった面の日本代表として一番制約を受けるというふうな感じ方、その辺についてはどういうふうにお考えなのか。  それから、日本国内政治状況や法体系上の問題とかで、その制約でこれはない方がよいとか、こういうことを希望するとか、そういったふうなことは国連に代表されてどういうふうにお考えになるか。  それから、先ほどもっと日本人職員をふやすべきだというふうなことが、赴任前にも相当インタビューを受けて、その後その面に努力するというふうなこともおっしゃっていますけれども、何かしらやめる人と採用されている人がどっこいどっこいという形で、なかなか思うようにいっていないような感じがするんですけれども、ぜひ佐藤大使が就任中にもっと拡大していただきたいんですけれども、その辺についてはもう少し詳しく御説明願いたいと思います。  ありがとうございます。
  58. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) 憲法を初めとして国内法上の制約と言われましたけれども、そういう制度の中で働くのが我々政府人間でございますので、その枠の中で精いっぱいするしかないと思っております。あとは政治の御判断の問題だろうと思いますが。  ただ、確かにいろんなところで言われますのは、もう少し人が出てきてもいいんじゃないんでしょうかということはよく言われます。例えば、先ほどお話ししました東ティモール、アジア太平洋地域の国と思っていますものですから、あそこに何でPKOにあるいは文民警察官が今いないのかというようなことはよく聞かれます。確かに、こういうことがありまして、お金を日本はいっぱい出していると、でも人出してないからねと言う人もいるんです。したがって、その点は一般的にもっと、何も私、これは自衛隊、文民警察に限らずいろいろなところで人が出ていく、そういう意味で顔が見えるというぐあいなことになることは大事じゃないかと思っています。  それから、今の邦人職員の問題ですが、この間アナン事務総長が日本に見えたときに総理にも話をされておりましたけれども日本の働く人が国連を生涯の仕事としてほしい、自分も一番下から一番上まで来たと言っていました。そういう意味で、入った人もなるべく長続きするようにしていただきたいと思っているんです。  それで、今そういう連絡網の組織をつくりまして、例えば職種を変えると上に上がるというようなことがあったり、今の仕事に満足しないからやめちゃうのをやめてほかに異動してもらう、そのために新しい職を紹介するというようなことを情報を集めてお互いにEメールで流すとか、あるいは時々お昼御飯を食べたりして情報交換したり激励したり、そういうのを組織的にやっています。  結局は、どうしてもやめたいという方はしようがないんですけれども、一人で、先ほど緒方先生もおっしゃっていましたが、UNHCR仕事は厳しいと言われましたけれども、ほかでもやはり国際的な熾烈な競争の中で働いて上がっていくわけですから、それぞれの立場で厳しい状況に置かれていると思うんです。したがって、お互いに激励し合ったりする場とか、周りの人の状況とかいう情報を提供していくとか、そういうことを考えていくことが大事だと思っています。  ただ、一つだけ私に非常に印象的なのは、どこで会う人も非常に元気ですね。この間もイスラエルに、ゴラン高原の自衛隊の激励に行った帰りにガザに行って、そこで働いている日本の若い女性二人ほどにお会いしたんですが、非常に目が輝いているんです。ですから、やはり国際社会のためにいいことしているという実感があるんじゃないかと思うので、そういう職があるということをもっともっといろんな人が知れば人がふえてくるんじゃないかと思っています。
  59. 島袋宗康

    ○島袋宗康君 ありがとうございました。
  60. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) それでは、予定の時間も近づきましたが、最後に佐々木知子君。
  61. 佐々木知子

    佐々木知子君 ありがとうございます。  佐藤大使御赴任される前、九八年の九月にやはり当調査会にお越しいただきまして、そのときにも御質問させていただいたんですけれども、実際に赴任されまして、ニューヨークの国連で論議の中心になっているというようなことと日本国内で報道や論議が国連に関しては活発だということとの間に恐らく隔たりというか、何か温度差があるんじゃないかというふうに想像するんですけれども、その点についての御感想、温度差があるんだとしたらどうしてそういうことが生じるのかということについてお聞きしたいことが一点と、それと、実際に国連外交の現場に身を置かれてみて、御自身が重要であると判断、認識されたのにかかわらず日本国内ではそれほど関心を集められなかったというケースがあったのかどうか。そういうことを具体的な経験をもとに御教示いただければと思います。
  62. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) いずれも非常に難しい御質問でして、今、第一の点の御質問を伺いながら思ったのは、国連の場における例えば平和維持活動の議論の進みぐあいと日本国内における議論との間には差があるような気がします。日本の場合には日本として出すべきか出さざるべきかというところで議論が行われているわけですが、国連の方ではいかに効率的に平和維持活動を進めるか、したがって最近の出た報告では、平和活動という言葉で先ほど緒方さんも言われたように幅広くとらえたところでどういうことをするかということが、議論が行われている。日本はまだ伝統的な平和維持活動についてどこまでやるかという議論なんで、そこの間が差があるような気がします。  それから、もう一つ言えば、先ほどこれも緒方さんのお話を伺っていてつくづくそう思ったんですが、国連に絡んで理想が語られるときに私はいつも思うんです、国連の場というのはもっと非常に現実的な、かなり各国の思惑が絡んだ政治の場だという気がします。その点はちょっと日本における国連のイメージと違うんじゃないかなと、少し差があるんじゃないかなと思います。  ただ、私が赴任する前にある国連を知っている日本の新聞記者の人が言ってくれたのが正しいのかなと思っていまして、日本における国連のイメージというのは二つあって、例えば緒方さんに代表されるような現場国連現場で働いている国連、これはとてもいいイメージ。それに対してニューヨークの国連は、どろどろしていて議論ばかりしていてわからないというイメージ。私は後者の方に身を置いておりますので、余計そういう目で国内的には見られているのかなという気はしますが。  それから第二の御質問の点は、あっという間に二年過ぎまして本当にいろんなものがあります、国連では次から次にといろんなテーマがありまして、余り自分の考えていることと日本対応との間のギャップを感じて悩んだというようなことは今までのところは幸いにしてございません。
  63. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  佐藤大使への質疑はこれで終わらせていただきます。  佐藤大使におかれましては、国連代表部において、今後とも健康に御留意され、ますますの御活躍をいただきますようにお祈り申し上げ、私からのお礼のあいさつとさせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  64. 佐藤行雄

    政府参考人佐藤行雄君) どうもありがとうございました。
  65. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 次回は三月五日午後一時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十二分散会