○
脇雅史君 自由民主党の
脇雅史でございます。
私は、
外務省の
松尾元
室長の
事件に
関連をいたしまして、
内閣官房と
外務省の
報償費について
関連をしてお聞きしたいと思います。
最初に、私自身、最近少しこれではいけないのではないかなというふうに感じているわけでありますが、
世相といいましょうか世情といいましょうか、特に
テレビを中心として
事件や何かが起こった場合に非常に簡潔に物を伝えようと。わかりやすいということは非常にいいことなんですけれ
ども、物事を簡単にしようと思いますと、悪く言えば単純化してしまうわけで、見かけだけの、見せかけだけの論議に終わってしまうことが多いわけでありまして、これはいろんな場面で見られるわけであります。
例えば
党首討論なんかでも、本来、我が国を
代表する政党の
党首が
議論するわけでありますから、非常に
中身の濃い
議論をしていただきたいわけでありますが、どうも
上辺の
言葉だけで
やりとりをしている。ひどく言えば、悪く言えば、
相手を罵倒するだけに終わってしまうというような
ケースが非常に多いわけで、私としては、これはいかがなものかな、もう少し実質的に
意味のある
中身の討議をしていただきたいというふうに思うわけであります。悪く言えば、極めて
子供っぽい
議論が
世相には多い。
国会でもそういう
議論が多いわけでありまして、例えば
公務員倫理法というのができました。私は、後何年かしたら、
天下の悪法とは言いませんけれ
ども、かなりみっともない
法律をつくったというような
評価が場合によっては出るのではないかとすら思うわけであります。変な、変なと言っては語弊がありますが、学校の校則でも定めたような、国の
公務員に規定する
法律としては極めて格調の低い、これも、大変な
不祥事が起こりましたから、
不祥事に
対応すればいいんだ、
対応しなければいけないという単純化された
議論の中で出てきたように思うわけであります。
また、
政治資金規正法なんかにしても私はその感を抱くわけでありますが、非常な
不祥事が出ますと、その
お金はどこから出ているか、みんな
企業だ、
企業、
団体からの
お金は悪いんだ、禁止しろと。これも短絡的だと思うわけでありますが、最高裁の判例にもありますように、そもそも
企業、
団体、
法人といいますものは、これは政治的な
存在でもあるわけで、
世の中には個人的な
存在と
団体としての
存在があるわけで、それはみんな政治的な
活動をすることも許されているわけでありますから、額が多過ぎれば減らす、影響が大き過ぎれば小さくする
工夫をする、それが大事なことなんであって、短絡的にただ悪いんだという
議論は、これまた表面をなぞった
議論なのではないかなというふうに思うんです。
つい先ごろですけれ
ども、
憲法調査会で
渡部昇一さんがこういう
お話をされました。平等ということについて、
参考人として
出席されていたわけでありますが、
渡部参考人はどう思うかという問いかけに対しまして、平等というのは地獄へ続く道だというふうに極めて怖い
言葉なんですがおっしゃられたわけですね。ところが、私は、
人間というものあるいは
人間の
活動というものを真摯に
考えれば、確かに平等と一言で言いますけれ
ども、
テレビの前でほんの短い時間でこれが正義だ、これが悪だといったように単純化できる
議論ではなくて、本当に深い
洞察力が要るのではないかなというふうに思うわけでありまして、いろいろなことを今我々全員が
上辺だけではなくて本当に
中身で
考えなければいけないと。
森総理の
発言についても、失言問題がございました。これも
中身を聞けばほとんど問題のないことも、一部の
言葉だけとらえて、この
言葉を言うから悪いんだと、そういうふうに言うわけですね。過日、
野呂田発言というのもありました。あれも、私読んでみましたが、何ら問題はないと。ところが、それもまた、どこかの
言葉じりをつかまえてきて
上辺だけで議会をとめてしまうという暴挙までされるわけで、本当におかしな、私は別に
野党を批判しようと思っているわけではなくて、与
野党ともやはり心しなければいけないのではないかなと思うんです。ですから、確かに
言葉は大事ですから注意して
発言しなければいけませんが、それは
相手の
言葉じりをとらえるということではないと思いますね。
言葉じり、私も一度言われたことがございまして、この
委員会ではなかったんですが、この
発言は取り消してくださいと。
放送禁止用語か何かに入っていたんでしょうね。私は嫌だと申し上げたんです。
国会での
発言は
議員が全
責任を負うんであって、何の権限でかえろと言うんだ、嫌だと。ちょっともめそうになったものですから、じゃ好きにかえておいてくれと申し上げたんですが、本当はおかしいのではないかと。だんだん
言葉狩りというのがエスカレートしてきまして、ある作家はこんな中では小説、作品が書けないと言って筆を折った方もおられましたね、しばらく。
お
きゅうを据えるという
言葉がありますね。お
きゅうの業界から、お
きゅうは
誤解を与えるからそういう
言葉遣いはやめてくれと。そうしたら、
将棋倒しというのがあると。
将棋協会から言ったかどうか知りませんが、
将棋倒しという
言葉はちょっと適切でないんではないかと。そういう
やりとりを見ていましたら、これではまるで
漫画だと。そうしたら
漫画協会が文句を言うのではないかというぐらいに、およそ悪口を言えば、すべて
上辺だけの
議論でいえばそんなことになってしまうわけですね。そういうことのないように本当の
意味、本質的な
意味、
言葉で本質と言うのは簡単でありますが、実際はなかなか難しいと思うんですけれ
ども、起こったことに対してしっかりとした考察で
中身をきっちりと見ていかなければいけない。
そういう
意味で、今回の
松尾事件というのは一体何だったんだろうか。単に一人悪い人がいたのだったんでしょうか。そういう
可能性もありますね。わかりません、私には。よく
銀行なんかで
女子行員が何億か横領したといいましょうか、私腹に入れて使ったというようなことが報道されることがありますが、そういう
ケースですと、だれも
銀行の
仕掛けが悪いとは言わなくて、多分女の人が、
事件を起こされた方が悪いんだというふうになるんだと思うんですけれ
ども、
公務員の場合には当然
仕掛けの方に話が行きがちなんでありますが、それも冷静に
考えると本当にそうなのか。
松尾室長という、本当にかつて
考えられないようなことをした人がいたということだけなのか。
この
事件の
意味合いについて、これまでいろんな事実
関係が出てきていると思うんですけれ
ども、これまでの事実に基づいて
外務大臣と
官房長官、どんなふうな
事件だったと思われているのか、お聞かせをいただきたいと思います。