○
参考人(
小澤隆一君)
静岡大学の
小澤です。
本
調査会に
参考人としてお
招きをいただき、光栄に思います。
国民主権と国の
機構に関する総論的な
内容の
意見を述べることが私に対するお
招きの
趣旨と受けとめ、かつ
日本国憲法について広範かつ総合的な
調査を行うという会の設置の
趣旨に即して、
レジュメの標記の
テーマで
お話をさせていただきます。
表題の冒頭に「
日本国憲法における」と掲げたのは、
憲法を変える変えないの
議論をする
前提として、
日本国憲法に盛り込まれた
理念、権利がどのようなものであり、それはこの
憲法の五十
有余年にわたる運用の中でどのように扱われてきたのかを踏まえるべきこと、このことの
検討抜きに
議論は成り立たないことを強調したいからです。また、
検討は総合的に行われなければなりません。広範であるということは散漫とは違うはずです。また、個別具体的な問題を
検討する場合でも、
憲法の制度全体への目配りやその
歴史的な展開を見る視点を失ってはならないと思います。個別の事実、あるときの
歴史的出来事だけを取り出して
憲法を論ずることは厳に慎まなければならないと思います。
レジュメに即して
お話をさせていただきます。
一、まず
国民主権と国の
統治という主題についての私の
基本的な
考え方を述べたいと思います。
第一に、
国民主権の
原理は、
西欧近代におけるその成立以来、今日に至るまで普及発展し、
世界の多くの国々の
憲法の
基本となっていること、それは今日、経済の
グローバル化や
国際法秩序の変容などによってその機能や
意義について変化が生じてはいるものの、今なお重要な
役割を果たしており、そして二十一
世紀中も
相当程度の間、
相当程度の間というのはどのぐらいかはちょっとまだ見当がつきませんが、重要な
役割を果たし続けるであろうということです。今後とも、この
原理を維持しつつ、その
内容を豊かにしていくことが
憲法を考える際の
基本に据えられなければなりません。
第二に、
国民主権との関連で国の
統治とその
機構を問題にするならば、
主権者たる
国民と
国民の代表府たる議会、
議員との
関係をまずもって論じなければならないということです。先立つ三回の本
調査会では、各
参考人から
二院制、
国会と内閣の
関係、裁判所、
地方自治、天皇などについて
意見が寄せられています。いずれも
国民主権と国の
機構という
テーマにとって重要なものですが、この時間も限りがありますので、私の
意見は、他のあらゆる問題よりも
基本的で、すべての問題の
出発点になると思われる
主権者国民と
国会、
国会議員の
関係に問題を絞らせていただきます。
二の
国民主権の
意義です。
国民主権の
原理は、今、
長谷川参考人が御
説明なられましたように、
アメリカの
独立革命や
フランス革命によって樹立され、
日本では現在の
憲法によって初めて採用され、今日に至るまでその
内容を豊富化させてきています。
市民革命の
時代には、
国民主権は
制限選挙制をも容認するものとされていました。
女性は長らく
参政権すら与えられませんでした。
市民の
政治活動や
表現の自由が厳しく制限されたこともありました。その後、
選挙権がすべての男性と
女性に保障され、
市民の
政治活動、
政治への
参加、
政治の監視が
国民主権を基礎づけるものとされるようになりました。今日の
国民主権は、こうした人類多年にわたる
自由獲得の努力の成果、
日本国憲法の九十七条ですが、を踏まえて理解されなければなりません。
国民主権原理は、その長い
歴史の中で、
国民とはその国の国籍を持つ人の全体であるとか、あるいは過去、現在、未来の
国民という抽象的な全体であって、みずから
主権を行使できるものではないとか、あるいは
国民に
主権がある、
主権があるとは
国家権力の
正統性が
国民にあることを
意味し、
国民主権から即
国民の
政治参加が導かれるわけではない等々のさまざまな
説明が示されてきたこともあります。二百数十年、
国民主権の長い
歴史の中でいろんな
説明がされてきております。
しかし、今私が言いましたようなそういう
説明は、今日の
到達点にあってはもはや克服されていると思います。
レジュメにも書きましたように、
国民主権とは今日の段階では、すなわちその国において
政治に
参加する能力のある
市民が平等に
選挙その他の方法で
政治に
参加し、国の
政治の
基本的な方向を決定する権能を持つこと、このことを要請する
原理として理解しなければならないだろうと思います。
そして、
国民主権の
憲法のもとでも、現実に国の
政治を動かすのは
皆さんのような
議員やあるいは政府などでありますから、それらの
活動を監視し、コントロールし、そしてその
活動に
国民の
意思を反映させるために
国民主権の
重要性は今日なお低下しているわけではないと思われます。
三番目の
主権者たる
国民と
国民の代表との
関係に移らせていただきます。
以上のような
国民主権の理解を
前提にいたしますと、
主権者たる
国民と
国民の代表、すなわち
国会、
国会議員との
関係はどのようなものになるでしょうか。
日本国憲法は、十五条で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、
国民固有の権利である。」と定め、「両議院は、全
国民を代表する
選挙された
議員でこれを組織する。」と四十三条一項で規定しております。これらの規定から、
国会議員は全
国民の代表として
国民によって
選挙されること、そして十五条一項が書きますように、罷免されることもあり得る存在であることがここからわかります。ただし、この十五条一項の罷免という
表現をでは一体どう制度でもって実現していくのか、あるいはし得るかについては、これは学会の中でさまざまな
意見があります。
でありますが、しかし、少なくともこの罷免という
言葉によって、
選挙された公務員は
主権者たる
国民に対して責任を負って
政治を行わなければならないという
原理が表明されている、このことだけは確かなのではないかというふうに思います。ある
議員が汚職などをきっかけにしてその職を辞すること、これはこの
国民代表たる責任にたえないということのゆえであるというふうに理解することができるだろうと思います。
国会議員が全
国民の代表であるということは、それでは一体どういう
意味か。先ほど
長谷川参考人も
フランスの例を御紹介されましたけれども、
フランスで
革命後初めて成立した
憲法は一七九一年の
憲法です。その
憲法の中で
国民主権が宣言されていますが、それと同時に次のように定めてあります。県において任命される
議員は、各県の代表ではなく全
国民の代表である、県の代表ではなく全
国民の代表だということです。
市民革命が樹立したこの
理念は、
国民の代表たる
議員は、その
選挙区あるいは支持母体を専らに代表するものではなく、全
国民の代表でなければならないという
意味において今日でも営々と生きております。
実際に
国会議員が全
国民を代表するというのは、それは現実には不可能なことだと、無理を要求されている、だからこんな規定は事実に反するから変えてしまえなどというような
憲法改正案を私はこの間、寡聞にして聞いたことがありません。
全
国民の代表である
委員の
皆さんは、特定の人々、特定の団体を専らに代表するものであってはならない。言いかえれば、
政治には公共性が要求される、このことは近代
市民革命における
国民主権原理の樹立以来の揺るぎない原則なのです。そのことを、本会の元
会長と元幹事が収賄容疑で起訴されている今、改めて私は強調したいと思います。この原則に背くようなことがあれば、それは、すぐれて公共的な事柄である
憲法についての広範かつ総合的な
調査を行う資格が問われるのだということを一人の
国民の立場から申し添えておきます。
四に参ります。
全
国民の代表にふさわしい
選挙制度とは、それでは一体どのようなものか。
選挙制度だけではありません。
政治資金のあり方も含めて、
国会とその
議員が全
国民の代表にふさわしくあるためにはそれなりの工夫が必要です。
政治資金の規制は、
議員が全
国民の代表という
性格から離れていってしまわないための工夫であるというふうに言えましょう。
ここでは、
選挙制度の組み立てを中心に、どのような配慮、工夫が必要であるかについて述べたいと思います。
憲法四十三条一項に基づくならば、両議院の
選挙制度は全
国民の代表を
選挙するためにふさわしいものでなければなりません。このことから、次のようなことが要請されるはずです。
まず第一に、今日のように複雑な社会のもとでは、
主権者である
国民の中にはさまざまな
政治的
意見を持つ人が含まれています。両院がそのような
国民のすべての代表であるためには、多様な民意が反映される
選挙制度を採用することが望ましいと言えます。
選挙制度の具体的な構成については、立法府の裁量によるところが少なくないと思います。が、それでも少数
意見が著しく過小にしか代表されない、その
意味において民意の正確な反映という
趣旨から大きく逸脱するような
選挙制度は裁量の限界を超えるものと思われます。いわゆる死票を大量に生じさせるような
選挙制度は、この要請にそぐわないものと言えます。
第二に、
憲法十四条一項及び四十四条に基づく
選挙人の資格、すなわち
選挙権の平等の要請も、
選挙制度は全
国民の代表を選ぶにふさわしいものであるべきだという要請との兼ね合いでその
意味が明らかにされなければならないと思います。
選挙権の価値が
選挙区の間で平等でなければならないということは、十四条や四十四条によって差別してはならないというふうに要求されることと同時に、両議院の
議員は全
国民の代表なのだという点からも求められているのです。
この点にかんがみて、現在の衆議院の
選挙制度は小
選挙区の間の人口格差が二倍を超えており、問題があります。参議院の
選挙区に至っては、定数の対有権者比格差が最近まで五倍ありました。いずれの場合も
最高裁判決は合憲との判断を下していますが、五名の判事による違憲判断の少数
意見がついていることを
指摘しておきたいと思います。
私は、特に参議院の
選挙区における定数格差を
選挙区
選挙の
議員は県の代表たる
性格をも有するのだということを理由に正当化することは、
憲法四十三条の
趣旨に照らして許されないのではないかというふうに思います。それは、その
議員が全
国民の代表であるというその
性格を否定することになるからです。県の代表ではなくて、全
国民の代表であるはずだと思います。
なお、近年、参議院の
選挙制度に関してさまざまな
議論が始まっているようでありますが、その際に、参議院
議員の
国民代表たる
性格を一体変えるのか否か、そういう点まで果たして
議論の射程が及んでいるのかどうか、その点はなお不明確であるように思えますし、
検討も決して十分ではないように思います。この点について慎重に考慮、
議論していただきたいように、その種の
議論に対しては感じております。
第三に、全
国民の代表を選ぶ
選挙制度は、すべての
国民にその制度の
趣旨がわかりやすいものでなければなりません。
選挙で投票するに際して一体何を基準に投票することが求められているのか、このことが
国民にわかりやすい
選挙制度であるということです。
その点では、候補者個人に投票をする
選挙区
選挙や、あるいは政党名簿に対して投票する
拘束名簿式の比例代表
選挙はわかりやすいと言えます。反対に、このたび本院の
選挙に導入された候補者個人名と政党名のいずれの投票も可とする比例代表
選挙の方式は、
国民にとって極めてわかりづらい
選挙制度ですので、改めていただきたく私は考えております。
第四に、
国民主権の
理念の実現のために、
選挙と
選挙運動の制度は
国民に開かれたものでなければなりません。
この点では、現在の両院の
選挙における立候補の制度は、その高額な供託金によって
国民にとって極めて敷居の高いものになっており、
選挙運動も戸別訪問を全面一律に禁止するなど、そのことによって厳しく制限されており、多くの問題点があります。これらの点について、再
検討をお願いしたく思います。
第五に、
国民代表たる
国会の最大の任務は言うまでもなく立法です。そのためにも、立法に当たっての両院の
調査立案機能をさらに充実されますよう希望いたします。
また、議院内閣制の健全な運営のためには、両院による内閣の行政運営に対する適切なコントロール、これが必要不可欠なものと思います。
日本国憲法六十六条の第三項は、「内閣は、行政権の行使について、
国会に対し連帯して責任を負ふ。」と定め、内閣不信任決議の権限の有無にかかわらず両院が内閣の責任を問えるものとしていますから、その
趣旨を踏まえて貴院におかれましても、内閣に対する適切なコントロールを行使されますよう期待しております。
最後に、結びとさせていただきます。私の
意見は以上のようなものです。
主権者国民と
国民代表府たる議会、議院との
関係という国の
統治の
基本的事項にかかわっては、現在の
憲法のどこかを改正して新たな制度につくりかえるというようなことは、今日まで具体的な問題として特に提起されてきていないように思われます。逆に問題があるとすれば、それはむしろ現在の両院の
選挙制度や
政治資金規正の制度などが
日本国憲法の
国民主権や
国民代表制の
原理から見て満足なものではなく、なお立法による改善の余地が大きいということにあると思われます。
今後とも、
国民主権と国の
統治の問題を
調査されます際には、現在の
選挙制度、議会制度、
政治資金制度等が、
憲法の
理念を踏まえて、その
趣旨にのっとり設計され運用されているか、仮にそうでないとすれば、その原因はどこにあるのかについて、厳密かつ入念な
検討を踏まえて具体的に明らかにしていくようお願いいたします。
改めるべきは
憲法の方なのか
法律以下の制度や運用実態の方なのかの判断は、そのような今私が申しましたような
検討を踏まえてなされるべきことを強調して、私の
意見の結びとさせていただきます。
以上です。