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参考人(
石黒正康君) ただいま御紹介に上がりました
石黒でございます。
私がいただきましたテーマは、
石油業界関連でございます。この中で、私は二点についてプレゼンテーションを申し上げたいと思います。(
OHP映写)
一つは、「
石油業界の
現状と
課題」でございます。もう
一つが、「
石油に係わる
規制改革の
影響と今後の展望」でございます。
まず、第一の
課題でございます「
石油業界の
現状と
課題」でございますが、これを論ずる前に、今まで
石油業界がどういう
状況に置かれてきたかを少し見てみる必要があろうかと思います。
御存じのように、
石油業界はいわゆる
業法による
規制と保護のもとで育成されてきた。これは、他の
産業と比べてかなり違った
状況に置かれたわけです。この
業法によって
石油産業自体は経営の
自由度が極めて限定されてまいりました。
それから、もう
一つ石油業界にとって大きな
影響を与えたのが、七〇年代に二度起こりました
石油危機でございます。このときに
価格の
規制が行われました。いわゆる
家庭用の燃料である灯油あるいは
輸送用であっても物流に使われる軽油というものは値上げが抑えられました。
唯一ガソリンでその
利益を
確保するという構造が起きたわけです。
ここに各国、いわゆる
先進国として
日本、
米国、イギリス、ドイツの
輸入原油価格に対して
製品価格はどうであったかというものを示してみました。この
グラフから見ておわかりのように、
日本の
製品価格は極めて
製品間で大きな幅が出ております。つまり、
ガソリンだけに
利益を依存すると。それからもう
一つ注意していただきたいのは、この
原油というのは
コストでございます。それに対して精製した
製品を販売するわけですから、この幅というものが本来であれば
精製コストとマージン、収益であったわけです。
日本は他国と比べてこれほど大きかったはずです。ところが、
実態として
石油精製業界は決して
利益を上げたわけではございません。そこには非常に非効率があり、
利益に結びつかないという
状況もあったわけでございます。
そして、七〇年代の
石油危機を越えまして、八〇年代になりますと、それまでの
産油国が公示
価格という形で決めてきた
価格の決定が
市場にゆだねられる形になりました。つまり、マーケットの機能が働き始めたわけです。八〇年代に入りまして、既に欧米のメジャーズはもうリストラを始めておりました。
日本はかなりおくれました。
具体的には、八六年に
石油価格が暴落いたしました。いわゆるプライスコラプスでございます。その後、八七年から政府は
規制緩和プログラムを開始いたしました。いわゆる特石法を通した十年をかけたいわゆる
規制緩和でございます。ただ、これが問題であったのは、時間を余りにもかけ過ぎたと私は感じております。
そして、その特石法が九六年に廃止になって、それから五年たちました。つまり、十五年かけてやっと
産業の立て直しが行われたわけですが、先ほども申しましたように、欧米メジャーズはもう八〇年代の前半から既にマーケットの変化を読み取って徹底的なリストラを始めたわけでございます。例えば、エクソンで見ますと八三年から人員整理を始めております。八五年に十四万人いた職員を九七年には八万人、モービルでいいますと同じく八六年に十六万人いた人員を四分の一の四万三千人まで減らしております。さらに、メジャーズ同士で八〇年代後半から九〇年代にかけていわゆる下流部門の提携による合理化を進めました。欧州ではBPとモービルが業務提携いたしました。それから、
米国ではシェルとテキサコが精製・販売部門の統合を始めたわけです。これはもう八〇年代、九〇年代の頭に始まっておったわけです。
日本はそれに比べてかなりおくれたわけです。
このような経緯がございましたが、九六年の特石法の廃止によりまして本格的な
規制緩和が進みました。これは、ある意味では
日本の
石油業界にとっては急激な
環境変化であったわけです。まず、それまで参入が守られていた、業界にとって守られていた
市場に
石油精製・元売以外の新規事業者が参入してまいりました。例えば、総合商社、丸紅、三菱商事といったところが
製品の
輸入を開始いたしました。大手の流通業者、いわゆるダイエー、ジャスコと呼ばれた企業も
ガソリンの販売、リテールに出てきたわけでございます。
そういったことで、非常に
市場が厳しい
状況になったわけです。その中で、
石油業界は合理化がかなりおくれました。その結果、九六年から九九年までに
石油業界は収益を非常に削り、実に九九年三月期では、精製・元売で合計マイナス百八十億円という大赤字になったわけでございます。
これは見ておわかりのように、九六年が特石法の廃止、その前の九五年から明確に
利益が落ちて、九九年には赤字に転落したわけです。これが過去五年間の実情であったわけです。
現状は、直近で見ますと、おくれたとは言いながら、業界も合理化を進めました。事業の再編、集約化を進めました。例えば、人員削減を見ますと、多分一番人員削減を進めたのはコスモ
石油であったかと思いますが、四〇%、実に二人に一人が退職をするという
状況まで追い込まれたわけです。その中で、現在ですと四グループ、日石三菱・コスモグループ、昭和シェル・ジャパンエナジー、そして出光とエッソ・モービルグループ、この四つに大方集約されるようになりました。直近で見ますと、二〇〇〇年三月期、そしてこの二〇〇一年三月期の決算がそろそろ出ておりますが、かなり収益力を回復するようになったわけでございます。
課題でございますが、まだまだ経営の面から見た
石油業界の
課題はたくさん残っております。まだまだ合理化は足りません。
例えば、精製設備能力でいいますと、今、
日本での
原油の処理
需要というのは約四百万
バレル・パー・デーでございます。これに対して常圧蒸留装置がまだ五百万
バレル・パー・デーでございます。稼働率でいくと、今現在でやっと八〇%いくかいかないか。こういった設備のまだ合理化も必要でございます。特に設備の面から見ますと、
日本の
石油精製業界は近隣諸国、例えば韓国、シンガポールに比べて恐らく
精製コストは二倍以上、まだまだ
コスト高でございます。
もう
一つは、
日本の
石油産業といいますと、基本的には下流部門だけでございます。いわゆる精製業界を指しております。今現在、水平的な再編によって四グループまで集約されておりますが、
長期的には精製業が本当の意味での
エネルギー業界に脱皮する必要があります。そういった意味で、これから上流部門へのいわゆる事業の再構築が必要です。
ただ、この上流部門への進出というのは戦後一貫して
石油業界の悲願ではございました。ただ、資金力、また
技術力から含めて非常に
課題は多いわけでございます。
例えば、オイル、ガスというのは同族としてとらえられております。
日本はLNGを
輸入しております。じゃ、かつてLNGの
輸入にどこの
産業がリーダーシップを示したかといいますと、例えば商社でございます。なぜ商社がそういったリーダーシップをとれたのに
石油産業ができなかったか。そういった過去をやはり振り返ってみる必要はあろうかと思います。
次に、「
石油に係わる
規制改革の
影響と今後の展望」、これはあくまでも私の私見でございます。
まず、将来を展望するに当たって基本的な認識を少しまとめてみました。
まず、
石油のマーケットですが、八〇年代に入りまして実は
市場のメカニズムが機能し始めて、現在では戦略商品という
性格から完全に市況商品へと変わっております。いわゆる
石油のコモディティー化が進んだわけでございます。
これは
石油価格を示したものでございます。ごらんのように、確かに名目
価格で見ると九九年も非常に暴騰いたしました。九八年が十一ドル、その後三十七ドルまで暴騰したわけです。これを見ると、あ、これ第一次オイルショックのときと同じではないかととられるのですが、第一次オイルショックは一九七三年です。今から二十八年前です。つまり、その当時の三十ドルと今の三十ドルとは全く貨幣価値が違います。
これは、私が二千ドルの実質
価格、ドルをGDPデフレーターで戻したものです。これを見ておわかりのように、
原油価格は、実質
価格で直しますと、
石油価格が暴落した以降それほど動いてはおりません。いわゆるボラティリティー、急激な変動はございますが、構造的な変化はそれほど出ておりません。
こういった
状況を考えますと、基本的には
市場の機能が動いております。そういった中で、政府が過去行ってきたように、
産業の日々の活動、いわゆるはしの上げおろしまで
規制することは決して
エネルギーの安全保障の担保にはつながりません。国といえども
世界の
石油マーケットを動かすことはできません。
そういった意味で、安全保障を
確保するための最大の方法というのは、やはり
市場が十分に機能する
環境を整えることです。これは、誤解のないように言いますが、
市場だからほっておけばいいということではなくて、その
市場機能が公正に、公明に動くような整備をしてやることです。
もう
一つ、緊急時への対応。例えば、昨年オイル
価格が暴騰した。
アメリカでもそのとき
産油国に対して政治的な圧力をかけたわけです。これは民間にできる仕事ではありません。すなわち、緊急時への対応と日常の
経済活動への介入というのは混同すべきではない、これは明確に分けるべきだと考えております。
そういった意味で、私は、政府の役割というのはこの三つに集約してよろしいかと思います。
まず、
市場を守るという意味で、
市場の機能を阻害したりゆがめたりする行動を監視すること。公正な競争の担保でございます。不
正行為の排除でございます。
二つ目が、情報がすべての人に正確に
流れることを助ける、それによって
石油会社、消費者、政府が最善の判断ができる
環境を整備することです。つまり、
市場に対して常に正しいシグナルを送ってやるということです。
市場がどう動くかというのは、これはだれにも判断はできないんです。それぞれの判断の中で最適値を見つけるしかないわけです。決して政府が常に正しい判断ができるわけでもありませんし、専門家であったはずの
石油業界が正しい判断をできるわけでもありません。そういう意味で、全員に正しい情報を送る、その中で判断させるのが最善の方策だと考えております。
そして、もう
一つは緊急時への対策でございます。先ほど言いましたように、緊急時、これは民間にできる能力を超えた部分がございます。
例えば、備蓄の問題でございます。これは
日本だけではございません。
アメリカでもいわゆる戦略備蓄、さらには
アメリカの場合は軍も備蓄しております。ヨーロッパも同じです。この備蓄をどうするか。緊急時にどこで放出するか。この判断というのはかなり政府の判断に任されるわけです。
それから、
原油価格が急変したときに
産油国との対話をどうするか。これは民間企業だけでは力がありません。先ほど申しましたように、九九年にオイル
価格が暴騰したときに、
アメリカはやはりサウジアラビア等に政治的な交渉を行っております。そういう意味で、これはやはり政府の役割なわけでございます。
最後に、将来展望ということですが、まず
石油産業以外の
産業を見ますと、基本的に
市場、マーケット、
産業というものは国際化しております。まさにメーカーなどはそうです。そういった意味で、グローバライゼーションという言葉は使われておりますが、ある意味ではもう時代おくれとなりつつあります。そういった意味で、
石油業界は非常におくれてしまいました。これから
石油業界が本当の企業として残るには、国際社会の中で
競争力を持たねばなりません。そういった意味で、まずは
コストを削減しなければなりません。
それからもう
一つ、「ワンセット主義」と書いてありますが、何が何でも
日本の資本と
日本の企業だけでやるということは不可能でございます。
投資能力からいっても
技術力からいっても不可能でございます。そういった意味では、そのワンセット主義、私は
日本が今まで標榜しておりました消費地精製主義もやはりもう
限界に来ていると思います。そういった意味で、
石油製品の貿易を通しての安定化というのはこれは避けることができませんし、またそれを進めることが
日本にとっての安全保障の担保になると思います。
例えば
アジアの他の国を見ましても、韓国は九八年に外資の
規制を廃止しております。アブダビは現代に資本参加しておりますし、サウジは雙龍、いわゆるリファイナリーに資本参加しております。そして、フィリピンのペトロミンに対してサウジアラムコは資本参加しております。こういった資本の
流れによって、
石油を通した
アジアの
経済圏あるいは
アジアと
中東、
日本と
中東、
アジアとの
経済交流の発展、その中で安全を
確保していくのが最大のかぎかと思っております。
かつて外資を追放しました
中東産油国も既に
石油政策を変えております。外資を受け入れようとしております。なぜならば、
投資が必要です。
技術が必要です。そこにはやはりマーケットが存在するわけです。
そして
最後に、
長期的
課題、まさに
日本の
石油業界が夢見てきた上流部門の取り組みでありますが、先ほど申しましたように、日の丸一本やりではもうこの夢はかないません。少なくともメジャーズと比べて資本力、
技術力でかなり劣っております。とすれば、自分たちの比較優位性がどこにあるのか。
技術力はどうなのか。
投資能力はどれだけあるのか。
投資に対してどれだけのリスクがあってリターンがあるのか。この見きわめを明確にした上での
開発が必要かと思います。
そういった意味では、先ほど言いましたまさに日の丸
石油だけではなくて、外資との協力あるいはいわゆるエクイティーの参加という形での
開発も必要だと考えております。
以上でございます。