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河野国務大臣 大石議員は、私も大変長くおつき合いをさせていただいて、先般亡くなられた河村勝
議員の大変強い御支持があって国会に出てこられたと承知をいたしております。
大石議員の国会
議員としての御活躍を河村先生はどんなにか期待しておられたかと思いますし、これからの
議員の御活躍を河村先生にぜひ見ていただきたかったと思っているのは、私だけではなくて、
大石先生が一番強くそう思っておられるだろうと思いますが、先般の御葬儀でも御
関係の多くの方々からそうしたお気持ちが述べられていたことを、私は大変印象深く記憶にとどめております。
それはそれといたしまして、今幾つか
大石先生から、今回のえひめ丸の事故について御認識が述べられました。
アメリカは、今回の
原子力潜水艦の起こした大変な事故、これに大変正面から大きなショックを受けているように思います。大統領を初めとして
アメリカのさまざまなレベル、さまざまなチャネルから、我々の抗議に対しましても本当に誠心誠意おわびの意思が伝えられてきておりまして、私
どもとすれば、どんなにわびられても、こうした事故が起きたということは我々にとって納得のできることではございませんけれ
ども、しかし、起きてしまった事故に対して大統領以下があれだけ正面から率直におわびをなさったということについては、一定の評価を我々はしていいというふうに思った次第でございます。
しかし、私
どもは、そうはいっても、御
関係の御家族のお気持ちというものを体して、引き続き
アメリカに対しては、おわびの気持ちがあるならばその気持ちを形にあらわしてほしいというような思いで、例えばえひめ丸の引き揚げの問題を初めとして、御家族が思っておられることを実現してほしいということをしっかりとこれからも言っていかなければならぬというふうに思っております。
今お話がございました
ワシントン・ポストの記事につきましては、もちろんコラムニストの話、しかも
ワシントン・ポストという、それは大変なクオリティーペーパーではありますけれ
ども、一新聞社のコラムニストの記事について、
政府としての見解を一々これについて述べるということはどうかという御意見もございますが、いずれにしても、そのコラムの中にあります、今
議員がお話しになりました幾つかの歴史的事実に対します誤認については、これはきちっと訂正をしておかなければならないことだというふうに思っております。
ちなみに、柳井大使は、
ワシントン・ポスト紙の記事に触れまして、その中の幾つかのコラムの
指摘に対しまして、例えば、
日本の態度について
ワシントン・ポストの
指摘が妥当な批判だと思うかというような問いに対しまして、そういうことを言っている人はそういうことを言う立場にないのではないか、つまり、一定のそういうことを
日本に対して言える立場ではないだろうと。そして、過去の問題というのは、加害者と被害者という観点から先ほど自分は触れたんだが、他方、背景が全く違うということも言っておかなければならない、一方は戦争の問題であり、一方は平時における事故の問題ではないかということを言われて、さらに、歴史的な事実についても、過去の問題について言えば、
日本が謝罪していないということは間違いだ、我々は我々としていろいろな場面で謝罪をしている、戦後五十年のときに村山総理の総理
大臣談話を発表したけれ
ども、この談話でも明確に謝罪をしているということを
指摘しているわけでございます。
こうしたことを記者会見で
質問などに答えて述べておりますと同時に、
ワシントン・ポストのコラムに対しても、歴史的事実の認識の違いについてはきちんと
指摘をしているというふうに聞いております。
それから、最後にもう
一つ申し上げれば、私は、今回の事故は、事故の御
関係の方々にとってみれば本当に不幸な事故であったというふうに思いますが、それと同時に、日米の同盟
関係についてもこの問題はやはり相当重要に考えなければならないことだというふうに思っています。
私は、先ほど申し上げましたように、事故後の
アメリカがとった誠実な態度というものは、事故を起こしたという問題とは別に、
アメリカが日米
関係を大事にしていかなければならないということのあらわれでもあると思うんです。
今回の事故についての我々の気持ちの高ぶりの中には、やはり
沖縄におけるさまざまな事件、事故などが重なって、非常に強い
アメリカに対するある種の不信感といいますか、憤りみたいなものがあることは事実でありますけれ
ども、しかし、日米の同盟
関係、五十年間にわたってはぐくんできたこの日米
関係というものは、やはりお互いに冷静になって大事にしていかなければならぬということも重要だというふうに考えております。事故の問題を解決するために言うべきことはきちっと言うと同時に、日米
関係の重要性というものもまた我々は大事にしていくという気持ちも持っていかなければならぬというふうに思っているところでございます。