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山岡委員 結局、具体的に参議院の候補をどうするのかという返事はない。つまり、かえない、そのままでやる。そして、おれの言うことを聞いてもらう。
私が一番最初から申し上げておりますが、徳川幕藩体制の中で、それを守りながらやろうと思ってもできないんだと言っていることを具体的にお聞きをしていったわけでございまして、そういう点では、本当に、今はまだかすかな期待をしておりますけれども、その期待がかなうように、ぜひ御努力をいただきたいと
思います。
次に、新世紀維新ということについてお伺いをしたいと
思います。
先ほど申し上げたように、維新というのは革命という
意味でございまして、新世紀の革命を起こす。二十世紀はどういう世紀であったか。まあ、これはいろいろ言い方はあると
思いますが、一言で言うなら、私は、物と戦争の世紀じゃなかったかと
思います。二十一世紀は、格好のいい言い方かもしれませんが、人間性の世紀にしていかなきゃならないんだと
思います。
それじゃ、その
中身は、大きく分けると、両極ですが、二つあると私は
思います。
一つは、やはり今日のような、中央集権、官尊民卑、護送船団、こういった
言葉にあらわれているような、言うなれば、国家統制や規制の世の中から、もっともっと個人の自由な能力やアイデンティティーが発揮できる、そういう世の中に変えていかなきゃならないのじゃないかと
思います。我が党の
言葉で言えば、フリー、フェア、オープン。自由、公正、公開の社会をつくるという言い方をしておりますが、
中身はそういうことでございます。
一方においては、自由な活力を出すのはいいけれども、人間とはそんな立派なものじゃないところがありますから、やはりみんなでやらなきゃならないものもある。その
一つが環境だと
思います。そして、ある
意味では福祉もそうです。親が子供を、子供が親を面倒を見ればいいんだ、そうはいったって、現実なかなか見れるものじゃない。だから、福祉も国家や社会、みんなで見ていかなきゃならない範疇に二十一世紀は入ると
思います。また、教育もそうだと
思います。親の背を見て子は育つ、こうはいいますが、しかし実際に母親も共稼ぎ、家はなかなか子供の面倒は見られないという現実も直視しなきゃならない。こういうものに対しては、やはり社会や国で目配りをしていかなきゃならないものだと私は
思います。
そして最後に、見落とされがちでございますが、忘れちゃならないのが食糧という問題でございます。今は飽食の
時代、食べ物は幾らでもありますからそういうことは全く感じないけれども、二十一世紀、どういう世紀か。環境も含めて、ある
意味では人類最大の問題、我が
日本国の最大の問題は、食糧不足にいかに対応するか、これが政治の課題じゃないかと思うわけでございます。
もう今さらここで言うまでもありませんが、人口は急増しているわけでございまして、今六十億、三十年前までは三十七億、そしてあと三十年たてば八十億あるいは九十億になると。もう人の数が地球上の食物の数を間もなく追い越すわけでございまして、だれがどんなうまいことを言っても人類は生きていけない。
さらに、数がふえるだけじゃなくて、文化的に生活するのは我が
日本人だけでいいやというわけにはいかないんです。世界どこの国の人だって生活水準は上がっていく。上がっていけば、当然起こるものは、それは地球環境が悪化するわけです。二酸化炭素、フロン、もう今だけでも大変な量になっているわけでございます。そういう点じゃ、もうそういうものだけでも、エルニーニョ現象とかラニーニャ現象とか、異常気象が続いて穀物はとれなくなっている。
しかも温暖化は進む。これが全く予測できないんですけれども、来世紀中に二度上がると言う人もいる、五十センチ上がると言う人もいる。一メーター海面が上がれば、これは地球の農耕のできる耕作地の三分の一が沈むと言う人もいる。誰もわからない。しかし、現に黄河は、あの黄河がですよ、言うなれば下流の水がなくなっちゃっている、こういう現象が今起こっているわけでございます。
砂漠化、緑の破壊、こういう中にあって、我が
日本国はどうしなきゃいけないか、二十一世紀の最大の課題じゃないかと私は思うわけでございます。
今飽食の
時代ですから、幾らこう言ってもなかなかぴんとこないと先ほど申し上げましたが、一九七三年、
アメリカで大豆がとれなかった、禁輸された。
日本はどうなったか。豆腐の値段が倍になったことを契機に、狂乱物価というのが起こった。覚えている人もいらっしゃるんじゃないかと
思います。
また、一九八〇年にはソ連がアフガンに侵攻しました。
アメリカはソ連に農産物の禁輸を行った。そしてそれがもとで、十年後にソ連が滅んだと言われております。
また、一九八九年、ベルリンの壁が崩れました。我々はどんなしっかりとしたイデオロギーを持った人が機関銃に撃たれながらあのベルリンの壁を突破したんだろうかと思っておりましたら、実は本人は、西側に行けばバナナが腹いっぱい食えるというのが動機だった、こんな話を聞いて私はびっくりしたのでございまして、いかに食べ物ということが、場所によって、
時代によっては切実な問題か。
一九九三年にはトウモロコシが禁輸をされました。はしけが壊れたというだけのことで
日本に来なくなっちゃった。ミシシッピ川のはしけです。幸い、
日本は備蓄があったから事なきを得たんですが、あれがなかったら大変なことになった。
同じく一九九三年には、みんな記憶に新しいと思うけれども……(発言する者あり)私の
質問時間なんだから、騒がないで結構です。そのときには、言うなれば
日本じゅうが冷害で不作ですよ。これだけ、そばがあり、麦があり、パンがあり、まんじゅうがあり、お菓子があって、飢えなんかに苦しむことは全くない。しかし、この現代において、
日本じゅうで米騒動が起こったわけです。
みんな米を買い占めて、東京の親戚に送ってやる、棚に積む。そして、自主流通米が横行して、今が一万五千円であるのにかかわらず、当時は四万円、六万円、一番高いので一俵が八万円までした。なぜか米泥棒がはやった。何も米なんかとらなくたって、金をとればいいものを、わざわざあんな重たい米を盗んでいく。なぜなんですか。異常心理なんです。食べ物がなくなるということは異常心理なんですよ。
だから、そういうことを
考えたときに、
我が国の食糧のことを
考えて、今はだれも何も
考えないで、こうやってやじっている。しかし、一たびなくなったときに
日本はどうなるか。今、世界の先進国は、その自給体制を整えるために必死に努力をしているんですよ。
アメリカは
一三二%、フランスはカロリーベースの自給一四一%、ドイツは一〇〇%、そしてイギリスは七八%、我が
日本国は四六%が平成六年、今四〇%ですよ。
この自給率について、
総理は、我が
日本国は幾らぐらいにしなきゃいけないか、どうしなきゃいけないか、感想で結構ですから、まず言っていただきたいと
思います。