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西村委員 大変なことになるというのは、我が国国民もみんな認めておる。ただ
防衛庁長官としては、それにとどまらず、
情報操作というものがあるのですよ。潜水艦というものは、プロペラが
海面上に出て回っておるのです。だから、
事故の現場から離れねばならない、吸い込んで、浮かんでいる人を吸収して殺してしまうから。そういういろいろなこともあって、
日米の
情報の中に
日米安保を離反させるきっかけとしてのものが出てこないようにしなければならない。
そして、一番大切なことは、先ほど言ったこと。直ちに
総理大臣から我が国民の
救助を直接
大統領に要請するということ。この体制がなかったら我が国国民は不安で仕方がないし、こんな体制がいまだつくれていない。
官房長官の発言なら、頑張りますというレベルでは済まされないんだ。今太平洋の下に我が国の国民、高校生も含む国民がまだ行方不明になっている段階で、頑張りますもくそもありますかいな。今ないんなら、それをつくるとかいう答弁がなぜできないのだ。答弁を求めてもまた繰り返しになって、大分時間がたった。しかし、これは強く要請する。
そして、
日米安保条約が亀裂を生むきっかけにならないように、
情報に対する
説明も含め、一生懸命
救助されている、ただし
救助はしない、傍観したという
議論も出る。その真偽を確認した上で、傍観したなら傍観したで抗議する。しかし、潜水艦というものの構造から、現場には近づけない、そういうこともあった。
日本政府もそれを
情報収集してください。
私のこの潜水艦に関する
質問をこれで終わらせていただきますので、
長官、どうぞ、御苦労さんでした。
本題の
集中審議に入りますが、本件、横領と汚職、これを私は、この問題単品としてはとらえたくないわけでございます。なぜなら、ここは
国会の場で、与野党を問わず、
日本国の病状についていかに是正するかを
政治家として
議論する場であるからでございます。同時代に避けて通れない病状が我が国の社会にあって、政治の世界にあって、そこから浮かび上がってきた病状なら、この全体像を把握して、その
発生の根源に我々は
議論を集中するということが必要であります。したがって、本日は、総論としての
集中審議を私としてはいたしたい。その総論の
意味は、ディテールを捨象するという
意味ではなくて、ディテールを総合して本件問題を
考えてみたいということです。
さて、我が国の病状の全体像の中にこの問題を位置づけたいと思います。
例えば、昨年、警察官の懲戒処分を受けた者は五百四十六名。一昨年より百九十名増加。それと並行して犯罪は増加の一途をたどり、犯罪検挙率は反対に減少の一途をたどっている。少年犯罪の異常さは申すまでもないことであります。そして、本年に入って我々が直面したのは、若い母親がみずからの赤子を殺すという
事件が続発した。
それどころか、本年は成人式も各所でできなくなった。やじと怒号でできなくなった。そう思っていると、ちょっと前までその者たちを教えていた日教組の教研集会では、来賓に対するやじと怒号をだれもとめる者がいない。
大阪府教育
委員会の昨年の発表では、高校教員の四百名に問題行動がある。雨の日は学校に行かない。授業中にパチンコに行く。生徒の
質問に答えられない。教育
委員会が発表しただけでも、高校教員に大阪府だけで四百名。ということは、一つの教室が四十名の高校生から成り立っているとして、毎日一万六千名の生徒に問題行動をする教師が接しているということだ。惨たんたる
状態だ。
さらに言うならば、
内閣府が一月発表した世論調査の結果、北朝鮮に関する国民の一番の関心の高さは拉致問題である。しかしながら、
外務大臣は所信表明で拉致問題も挙げない。米だけ五十万トン渡す。
また、ODA四原則というのがある。この四原則をもってすれば、核弾頭ミサイルを開発しつつ
軍事大国化を目指し、人権を抑圧する独裁専制
国家にODAは出せないんだ。しかしながら、中国に対しては、ODAは既定事実のように我が国は出し続ける。
こういう中でこの問題を位置づけましたならば、我が国に何が欠けておるのか。
文部科学大臣にお聞きすることでございますが、我が国には、
国家としてのアイデンティティーを持つ
官僚も
政治家も青少年もいなくなったのではないか。それを結果せしめたのは戦後教育ではないか。その戦後教育が回避し続けてきたのが、我が
国家の形、天皇を中心とする我が
国家の形というものにあるとするならば、それを復元するために教育は、政治を復元さす大道は教育にあるわけですから、何をしなければならないのか、こういうふうにお聞きせざるを得ないんです。
私は今突拍子もないことを言ったように聞かれますけれ
ども、例えばロベルト・ギランという、「アジア特電」というページ数の多い本を書いた、戦前戦後
日本に駐在したフランスの特派員、彼がシベリア鉄道で満州に入ってくる。満州に入ってきたら、そこで一挙に、タイムズもワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズも手に入った。これは文明に来たんだと思って、東京に来た。そしてしばらくすれば、二・二六
事件が起こった。直ちに官庁街に駆けつけた。これはクーデターかと隣におった
日本人に聞いた。彼は一言のもとに答えた、天皇の国にクーデターはない。
それから、戦前戦後を通じて弁護士をしておった正木ひろしという方の
言葉も紹介します。彼は、官憲の横暴に対して弁護活動をした有名な弁護士で、首なし
事件という映画化された物語の主人公でございますが、彼はこう言った。戦前の方がはるかに国民の権利は守られた、
官僚もしっかりしておった、戦後はそれができない。なぜなら戦前は、天皇陛下の赤子におまえは何をしたんだと言えば、
官僚の背筋は伸びて、申しわけございません、こういうふうになったんだと。戦後は、そういうことを言えば、おまえはあほかというふうな目で見て、それが魂に入るような
官僚は一人もいない、こういうことを言っているのです。
他の国が、他人が何と言おうともこれが
日本だというものを、我々は教えていないのではないか。つまり、具体的に言うならば、教科書。
日本人に生まれたことが後ろめたいような教科書をつくって、どうして成人式でしっかりして、
責任感を感じ、祖国に対する愛を持って、それに対して使命感に生きようとする青年が生まれますか。
日本国に対する愛を教えずして、歴史は悪かったんだと教えて、どうして
国家に対する忠誠心を持つ
官僚が生まれますか。こういうことになってきているんだ。
もうかなめは一つ、我が国のアイデンティティーを子供に教えるか。
日本に生まれて幸せだ、この国のために、祖父母が同じようにしたように自分もこの国のために働きたい、そういう青少年をつくるための教育に大転換するかどうかと私は思いますが、具体的には教科書を変えるということです。
子供に犯罪現場を見せつけるような教科書なんかだめだ、それは大学へ行って教えたらよろしい。現代授業でも、交通
事故の現場、暴力団の
組織、売春宿、これを子供たちに見せてこれが現代社会ですよと教えることはしない。ただし、歴史教育においてはそればかりしている。こういうふうなのを、
大臣、
大臣の決断で
大臣の在任中に変えるかどうかです。いかがですか。