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森田参考人 東洋
大学社会福祉学科の
森田と申します。
私は、今回の
改正論議は、政府とか
学校運営あるいは
学校管理に当たる
方々といった
大人の側からの
議論が中心になっておりますが、本来この
議論の中の中心となるべき
子供たちですとか、あるいはこの問題をある
意味では正面に受けとめなければならない親
たちにとって、果たしてどういう問題を抱えているのかといったこと、あるいは今のこの
法案が通ることによって一体どのような問題を今後抱えることになるのかといったことについて、お話をさせていただきたいと思っております。
私がかかわっておりますのは
児童福祉という分野でございます。
教育現場でさまざまな形で抱えることになった問題を、ある
意味では、
地域に帰り、
家庭に帰り、正面から受けとめることが必要とされているのがこの
児童福祉の分野と言ってもいいかと思います。
その中で考えてみますと、私は、四つの点で今回の
法案について
皆様への私の
意見を言わせていただこうと思います。
まず第一に、
教師も
子供もある
意味ではだめなものは切るという、分離
政策と言ったらいいでしょうか、切るという発想について、これが私は非常に強く今回の
法案の中から感じることでございます。
私は親や
子供たちの調査、エンゼルプランといいますが、これをこの関東近辺の自治体の中で多様な形で行ってまいりました。その中で、もちろん、暴力を
子供たちに振るう
教師ですとか、あるいは
子供たちの
意見をまともに聞こうとしない
教師たち、そういった
教師がいないわけではないということは十分に存じ上げております。また、
子供たちの抱える問題の中で、
学校に登校しないということを選択する
子供たちがいることも、一方では当然の権利というふうに思っております。
けれども、こうした中で、
関係を絶つとかあるいは分離をするということからは、
子供の育つ環境を整えていくという
大人社会の役割は決して果たせないということを考えております。
それは、具体的に言えば例えば、昨今この
国会の中で定められました、虐待防止に関する
法律についても、虐待する親
たちを
子供たちから引き離すということはいたしました。あるいは少年
法改正の中で、
事件を起こした
子供たちを早い年齢から罰するということをいたしました。けれども、私は、非常に重要な視点というのは、回復していくための支援、具体的に言えば、
関係の改善をしながら
子供たちや親
たちが回復していくための支援ということ、この視点を今までの
政策の中でどれほど取り入れてくださったかということでございます。
例えば、
幾つかの新聞等でも報道がありますので皆さんも御存じかと思いますが、川西市という小さな町がございます。そこで取り組まれておりますオンブズパーソン、
子供たちのさまざまな問題を正面で受けとめるという試みをしておりますが、こうした
取り組みをし始めている自治体というのが
幾つか今の
日本の中には出てきております。
けれども、この
取り組みというのは、ある
意味では大変手間暇のかかる、志を持った大
人たちがお金もかけていかなければいけない
取り組みです。しかも、大変時間のかかる
取り組みであるというふうに思います。でも、こうしたことを私
たちが続けていくということは、憲法二十六条に保障された「ひとしく
教育を受ける権利」ということの侵害
状況を克服していくためには重要な
方策だと感じております。
私は、今の
子供たちや大
人たちに大切なことというのは、新しい価値の中で自分
たちの育ちや子育てをしていこうとしている視点を、行政やあるいは
学校現場や、あるいはもちろんこうした
国会の中でもこの視点を理解していただいて、共感的に見守るという視点を持っていただけないかということでございます。初めに分離ありきという
考え方で臨んだときには、その場で、
子供と
教師というもの、あるいは親と
教師の
関係、こういったものは決してよくなってまいりません。
幾つかの例がございますけれども、具体的には、例えばこれは、私の非常に親しい友人が出会ったケースでございます。東京のある町で
教師をしておりました、私
たちの友人ですから四十代ですが、この四十代の非常にベテランの
教師が、ある別の町に教職として移りました。それで、非常に困難なクラスに配属をさせられたのですね。でも、その困難な
状況というのを聞かされないで教職に、クラスに入っていった。その中で、親
たちとの信頼
関係が築けず、私から見ても本当にすばらしい実践をしてきた、三十年もやってきた
教師であるにもかかわらず、その中でできたことというのは、徐々に徐々にクラスの中で発言もできなくなっていく、時にはクラス通信の一字すらもう書けなくなってしまったというようなことを、私は間近に見てまいりました。
そうした
意味で、いい
教育実践をしていただくためには、本当に
子供や親との信頼
関係というものが大切だということです。親
たちの側からすればあえて、やめてほしい、もちろんそういった
教師の
人たちもいるわけですけれども、初めから切るということを
前提にしますと、本当に一番困るのは
子供たちであり、親
たちである。そのあたりをどういうふうに、誠実に
議論をしたり、あるいは調査をしたりしながら
子供たちの毎日の生活を守れるかということ、こういったことを私はぜひお考えいただきたいというふうに思っております。
第二に、私がこの
議論の中で大変重要だと思っておりますのは、
子供が主体になっていないということです。今回の
改正の中で、この
社会奉仕は、
子供の自発的、主体的な選択を保障するという、ある
意味ではボランティア活動という形に置きかえるべきではないかというふうに私は考えております。
お手元に資料を配らせていただきました。私はこの五年間ほど、幼稚園や保育所を使って小中高校生
たちがボランティア活動をする、それもあくまでも自発的な選択によって行うという活動をずっと追いかけてまいりました。
ある
意味では、
日本の
社会では、これまで
子供たちを
市民として
社会の中に余り受け入れてきませんでした。
教育の対象となっている、あるいは保護の対象となっている
子供たちというのは、
市民としてのいろいろな権利を与えられてこなかったわけです。そういう
意味での
子供たちが、小さな乳幼児の
子供たちの中に入ったときに、大変すばらしい、生き生きとした活動をしてくれました。
後でぜひこのデータをごらんいただきたいというふうに思っておりますが、具体的にはいろいろなイメージを
子供たちは描いておりましたが、皆さんにお配りしてあるもので、この近郊の土浦というところで行った調査の中では、例えば生意気というふうに、これは決して悪い
表現ではないと思いますけれども、そういった感情を持っていた
子供たちなんかも、やった後ではぐっとイメージが変化していく。あるいは、
子供って怖い存在だと思っていた小中高校生
たちが、その行ったことによって怖いというイメージを払拭していく、こうした多様な
関係性がこの中から生まれてきます。
私は
社会福祉を専門としておりますので、とりわけ
皆様に申し上げたいことは、
社会福祉の世界では、既に十九
世紀の
ヨーロッパの中で慈善事業という発想がございました。その中では、力のある者がない者を助けるという
考え方、あるいは二十
世紀には、これが
社会福祉の領域では権利としての
社会福祉として語られるようになってまいりました。あくまでも援助される側の立場というもの、具体的にはその権利擁護のために必要な援助をしていく、こういった発想で、
社会福祉の領域ではボランティアという概念を使いながら多様な実践を展開してきているわけでございます。
そういった
意味で、二十一
世紀の
子供たちがボランティア活動をしていく、そういったときに、
社会奉仕活動という概念で、ある
意味でいえば強制や、あるいは上から下へというような概念を持ち込む形で
子供たちに
表現することが適切であろうかということを、ぜひ私は御検討いただきたいというふうに思っています。
私が自治体の中で小中高校生と幼稚園や保育所の
子供たちとの活動を展開していく中では、多様なイメージが出てまいりました。時間がございませんので
一つだけ御紹介しておきますと、
子供たちは、例えば楽しいとか、素直という項目ですとか、あるいはかわいいというようなイメージを非常に持っています。むしろ、苦しいというような活動とか、あるいは助けてあげるとかというイメージは余り持っておりません。
私は、保育所に小中高校生が行くときに、きっと小さい、低年齢の
子供たちを選ぶかというふうに思っていました。
子供たちは、あに図らんや、四、五歳の一緒に遊べる相手を求めました。これは私には大変驚きでした。つまり、何かしてあげる、おむつをかえてあげる、ミルクを飲ませてあげる、何か作業ができるから非常にいいかと私
たちは思うわけですが、決してそうではない。小中高校生なんかでも、小さな
子供たちと遊べるということを、大変その中の価値として見出していくわけです。
それから、中
学校三年生と五歳の
子供が出会った幼稚園の実践の中では、その十五歳、十四歳の
子供たちと五歳の
子供たちがカップルをいろいろ形成していくわけですけれども、その中で、本当に一日じゅう一緒に話し込んでいるという姿も見ました。私は、このボランティア活動というのは、一方通行では決してない、双方の
関係性の中でできていくのだというふうに思っております。
それから第三に、
社会奉仕活動の相手先となる
社会福祉施設あるいは利用者の問題をぜひお考えいただきたいというふうに思っております。
時間が限られておりますので余り丁寧にお話しすることができませんが、
皆様御存じのように、一九九九年度からは既に六万人の、
教員になるための
人たちが
社会福祉施設に実習に出ております。六万人です。皆さんは御存じでしょうか。例えば、
社会福祉施設の中でいいますと、高齢者の施設やあるいは障害者の施設といいますが、箇所数でも約二万カ所しかございません。しかも、そこの中に利用していらっしゃる
人たちの数、全員を集めても四十三万人ぐらいしかいらっしゃいません。その方
たちの中に今既に六万人。
そして、もちろん、私が所属しております
社会福祉学科のようなところでは、
社会福祉のこれからの従事者をつくるための実習に出ております。それ以外にも、ホームヘルパーや、あるいはいろいろな、医者だとか、もちろん公務員の方
たちも今
社会福祉
現場にたくさん実習に出ておられます。私がいろいろな施設の中で出会った限りにおいては、
一つの高齢者の施設に年間三百人のボランティアあるいは実習の方
たちがいらっしゃる。そして、毎日数十人の
人たちが出入りしている。この
状況を、例えば生活をしている
人たちの側からお考えになったことがございますでしょうか。これ以上に
子供たちが入り込む、これは大変なことになります。
とりわけ、障害のある
子供たちにとってみれば、
小学校や中
学校の中で、
学校の中で一緒に生活をする、そのことをしていれば、何も施設に出る必要なんかないわけです。ある
意味でいうと、私は、インクルージョン、このことを
学校教育の中でやってこなかったツケを
社会福祉施設の中に転嫁しているような気がしてならないわけです。
子どもの権利条約を採択をした後、子どもの権利
委員会の方からの勧告の中でも、こうしたことに対する、
日本の措置に対する告発、勧告というものが出ております。こういったことも含めて、ともに生きる、とりわけ
学校の中ではそうした発想を持って、
学校から外に出ていく、こういったことを価値の中に入れないで、ぜひ
学校教育の
現場の中で、インクルーシブな
教育、あるいは多様な
人たちとの交流を通して行っていただきたいというふうに思います。
大変雑駁な
意見になってしまいました。最後に私は、
家庭教育への支援ということについて申し上げたいというふうに思っておりました。申し上げたかったことの柱だけ言わせていただきます。
第一点の問題ですが、これはどなたもお触れになっていらっしゃいませんが、かつて
家庭教育手帳というものを文部省は出されました。こういった、子育ての教科書というようなものをお出しになったわけですが、今回、
法改正によってさらにこういった方法を補強されようとなさっていますが、私は、こういった方法にはいろいろな
問題点があるというふうに考えております。
それから第二の点ですが、
家庭教育への支援の中核となるべき
児童館ですとかあるいは幼稚園、こういったところが今再編統合の非常に大きなうねりの中にあるということです。果たして、
家庭教育をこれから進めるというときに、
地域にそれだけのものを受けとめるだけの土台があるのかどうか、そうしたことを自治体が受けとめるだけの力があるかどうか、こういったことをぜひ御検討いただきたいというふうに思っております。
以上、私の
意見とさせていただきます。どうもありがとうございました。