○都築
委員 立派な私学として育ってほしい、こういうことでございまして、ちょっとその点についてはまた後で戻ってまいりたいと思います。
私自身は、実は労働問題などを以前担当しておりました。そういう
観点から本当に物づくりの重要性を、先ほどから訴えてまいりましたが、痛切に感じたのが実は今から約八年ぐらい前でございます。
能力開発関係の専門の月刊誌に載っていたのですが、ニューヨークにメトロポリタン美術館がございます。そこに、いつのころか
日本から流出した金びょうぶがあるそうでございまして、その金びょうぶの修復をやらなければいかぬということで、実は、その修復をしてもらえる技能者を探したら、
日本にはいなくて、フィリピンの人にその修復の作業を依頼した、こういうことでございました。
日本の伝統的な金びょうぶ、こういったものの表装さえも、本当にもう
日本にそういった十分な技能者が育っていないのか、こんなことになってしまっては大変なことになると。
また、バブルのあの時期は土地の高騰がどんどん進んで、八年前というともうバブルははじけておりましたけれ
ども、それでも、例えば東京の大田区を初めいろいろな地域で、
日本の戦後の経済発展を支えてきた中小企業や零細企業が、土地を売った方がよっぽどか金になるとか、あるいはまた後継者が全然育ってこない、こういう
状況の中でどんどんつぶれていった時期がありましたし、テレビや新聞でも大変大きく取り上げられたわけでありまして、そういったものを本当にしっかりと引き継いでいかなければいけない。
そんな時期に、またもう
一つ聞いたのが、実は私の大学の同窓生の思い出話でございますけれ
ども、新幹線の車両をつくる会社に就職をいたしました。設計図どおり、一ミリも寸分たがわずに鉄板をつくってきましたけれ
ども、ところが、それが新幹線の車両にはまらない。どうしてだろうということで、わいわい
技術者がやっておったら、そこに技能者が木づちを一個持ってあらわれて、それで、こことここをこうたたけばということで、とんとんとやったらすぽっとはまったというふうな話も聞きました。
また、例えば新幹線のあの先頭のとがった部分というのは、もうこれは工学的な手法ではとてもできなくて、技能者が結局手作業でつくり出す、そういった話も実は聞いたわけであります。
本当に
日本のこのすばらしい技能あるいはまた
技術、こういったものをしっかりと引き継いでいく必要がある、こんなふうに私自身は深く思った次第であります。
ただ、その後、物づくりの問題について本当に一生懸命いろいろな方
たちがやっておられました。このものつくり大学という問題については、KSDの古関
理事長が、職人にステータスをという発想のもとで、あるいはドイツのマイスター制度を参考にしてということで、大学といったものをつくっていった方がいいのではないか、こんなことで音頭をとってたくさんの政治家に働きかけた。
私自身は、政治家がそういった要望を踏まえ、また、国民経済の動向や
日本の産業社会、こういったものの進展といったものを
考えたときに、先ほど申し上げたようにみずから取り組むべき課題であった、それが金まみれになってしまったというのは大変残念だし、金をもらわなければ政治は動かないのか、こういう印象を国民の
皆さんに与えてしまったことは大変残念なことだな、こんなふうに思うわけであります。
ただ、そのものつくり大学の問題について、実は労働省の
関係者も多く含まれておりますし、それからまた、文部省の方においても、例えば私がいただいた資料の中では、「産業
教育」という雑誌がありますが、平成十二年八月号に、ものづくり
教育・学習に関する
懇談会、これは文部省と労働省と共同で平成十一年十月から検討を行ってきた、その中間報告ということで取りまとめた、こういうことになっております。
この時期、もう既に中曽根元文部
大臣は御在任ではなかったか、こういうふうに思いますけれ
ども、いろいろな予算
委員会の審議や新聞の
報道、そういった中でも、当時の文部
行政の最高責任者であります文部
大臣が、平成十一年十二月、赤坂の料亭で、古関さんや逮捕された村上さん、こういった方
たちと懇談をした、こんな話もあるわけでございます。
行政の責任者がどういうふうに、本当に大学の設置について働きかけを行っていたのかどうか。そこら辺のところをちょっと、わかる範囲で結構ですからお教えをいただければありがたい、こんなふうに思います。