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岩國委員 今
武部大臣が、将来の教育、
水産高校のあり方を中心に、いろいろ自分のお
考えをお話しになりました。その
一つ一つ、大変
意味のあることだ、いい
方向だと思いますから、ぜひ、大胆に、早く実行していただきたい、私はそのように思います。
こうした小さいころからの教育、小学校の教育の中で、中学校の教育の中で、
農業に、
林業に、
水産に親しませるということは非常に大切なことだと思います、
水産高校にとどまらず。
昔は、国語の読み方の一年生のときに、「サイタ サイタ サクラガサイタ」そこから私たちは始まりました。そういう木に対する親しみというのを、一年生
最初の一ページから教えられたんです。今の教科書は、何ページ繰っても桜も出てこない、竹も出てこない。国会から桜内
先生も竹下
先生も去ってしまわれた、それぐらいに、桜も竹も全然教科書の中に出てこないことになってしまった。魚も出てこない。そういうことを学校教育のあり方の中で
考えるべきだと私は思います。
そこで、今度の
水産基本法に絡んで、いろいろ、
都市と漁村との交流ということが非常にうたわれていますね。
農業基本法のときにも、それはうたわれたわけですけれ
ども、そうした
都市との交流ということは大変大切なことだと私も賛成でありますけれ
ども、森林・
林業基本法案の中でも、そうした
都市と山村の交流ということがうたわれております。食料・
農業・
農村基本法の中でも、
都市と
農村の交流。そして、今度、
水産基本法の中でも、
都市と漁村の交流。それぞれに、
都市と山村、
都市と
農村、
都市と漁村。全くこれは縦割りの発想なんです。
武部大臣、一番大切なことは、山村と漁村の交流、山村と
農村、
農村と漁村、そういう地方の
集落あるいは市町村ごとの交流の方が本当はもっと先行しなきゃいかぬのです。交流といえばすぐに大
都市。それも大切なことでしょうけれ
ども、もっと山村と漁村の交流を、昔から海彦山彦という物語もあるでしょう。
武部大臣が北海道の話をされますから、私も出雲の話を少しさせていただきます。
竹下さんの掛合町からは
日本海が見えない、
日本海の深さが見えない、青木幹雄
先生の大社町からは山の、森の深さが見えない。私は出雲市長
時代に海彦・山彦というプロジェクトをつくって、漁村の子供たちには、夏休みになったら山の中へ行って
生活させる、山の子供たちには海岸の方へ行って
生活させる。そういう交流を、海彦・山彦として今でも続いております。小さいときから、子供たちは、天から降ってくる水が、山を守る木を育てて、それが川になって、自分たちの海へ注いでくるんだ、その山を見に行かせる。海しか知らない子供たちは、その山の大切さというのを自分の目で確かめるでしょう。
そして、山に育った子供たちは、山に降った水がどういうところに流れていって、そこで大きな海になり、大きなたくさんの魚になる、それを驚きの目で見ています。
そうした海彦・山彦、これは私が名前をつけたんですけれ
ども、先ほど後藤
委員からも質問がありました。山は海の母だとか、山は川の母、こういうことはよく言われますけれ
ども、単に
言葉で教えるだけではなくて、足で、目で、それをしっかりと教えておくこと、それが、すそ野の広い、漁村に対する理解だけではなくて、将来の
漁業をやってみたい、あるいは
林業をやってみたいという若い人を育てることにもなるんではないでしょうか。
特に、
日本は大きな海を持っています。四百五十万平方キロメートル。これは、小学校一学級が十五平方キロメートルの海を持っていることなんです。山の子供たちが海岸へ行って、大きな海を見て、僕たちのクラスだけであの十五平方キロメートルの海を持っているんだと
先生がそこで一言教える。子供たちの海を見る目つきが違ってくるでしょう。すばらしい財産を
日本が持っているんだということ、私はそういう教育が必要ではないか、そのように思います。
都市との交流ということにお金をかけるよりは、もっと手近で身近な山村、漁村、
農村同士の交流というのをしっかりと各自治体にも指導していただきたい、そのように思います。
これはイギリスの例ですけれ
ども、イギリスという国は
日本と同じように島国、小さい国です。しかし、どこまで走っていっても緑があって、どこまで走っていっても小さな
集落は健全で残っている。次々と十年ごとに消えていく
集落なんというのはほとんどありません。なぜか。それは、どんな小さな地域にも三つのものがあるからです。教会がある、郵便局がある、小学校がある。この三つさえあれば
集落は守れるんです。
それを
日本は次々と小学校を統合します。残念ながら、毎年毎年、小学校は少なくなり、統合され統合され、小学校が遠くなればなるほど子供の姿は見えなくなる、親が移転する、そして耕作地は放棄される。
日本の耕作放棄地をつくっている原因の
一つは、こうした小学校の統合にあるのかもしれません。
私は国土
審議会の
委員もさせていただいていますけれ
ども、二十一
世紀の国土のグランドデザインというのは、小さな
集落、漁村と言われようと、山村と言われようと、
農村と言われようと、小さな
集落をどれだけきちっと守っていけるかどうか、それが国のステータスあるいは国の力をあらわすことになるんではないでしょうか。
不便なところはどんどん切り捨てて、大きな
道路ばかりつくって、大
都市ばかりが便利になる。そんな国土のデザインの
時代はもう終わったし、終わらせなければならないと思います。すなわち、そういうものこそ大きな自治体にどんどん任せて、小さな地方の自治体がやれない、
農村を守る、漁村を守る、山村を守る。私は、国土
審議会も、また
農水省自身も、そちらに行政の努力の対象を向けていくべきじゃないか、そのように思いますけれ
ども、
大臣の所感をお聞かせいただけませんか。