○大隈
参考人 九州大学大学院で
憲法学を講じております大隈でございます。
ちょうだいいたしましたテーマは、二十一
世紀のあるべき姿でございました。ところで、あるべきとは、あるはずのという
意味に置きかえることもできるかと
思います。ここでは、私は、そのような
意味で、今後見込まれる
地方自治の姿という
意味を含めた二十一
世紀のあるはずの姿について、本
調査会が
地方からの発言を望まれていると読み込みました上で、レジュメにお示ししました問題、国と
地方のかかわりを素材にして論じてみたいと
思います。
なお、このようなテーマを取り上げることに関してでございますが、私は、
憲法について
考えることの究極の目的は、
生活の場で現実に暮らしている
国民、住民の幸福、福利の充実を目指すことにあると思っております。
この点で、我々
国民、ひいては人類は、この二十一
世紀には十九
世紀、二十
世紀とは異なる
社会状況、
社会条件のもとに置かれることが見込まれていると
考えます。その第一は、限られた自然環境のもとにあるということ、第二は、それぞれの
地域が独自の文化をはぐくみ、その中で人々が
生活するということ、第三は、昨今IT革命とも言われております高度情報化の中に人々が置かれているということでございます。
このような条件は、十九
世紀、二十
世紀に経済問題を中心に東西問題あるいは南北問題として論じられてきました点、あるいはこれらと並行してあらわれてきました、国の権力の自由民主主義的なつくり方と権威主義的なつくり方との対峙といった問題と重複しながら
考えていかなければならないものではございますが、この状況の中で二十一
世紀の人々はそれぞれの
地方でそれぞれに個性豊かに生きていくことになるということでございます。
そして、ここでの
地方の住民が、民主主義の学校、小学校になぞらえられた舞台での小学生ならぬ一人前の大人、民主主義の主役を担う存在、すなわち、民主主義の原動力として政治の中心的役割を担っていくということでございます。したがいまして、当然のことながら、
地方自治も、民主主義の小学校、学校であるどころか、民主主義の展開の上で枢要の地位を占める舞台そのものということになります。
このような
意味で、とりわけ栄誉ある本衆議院
憲法調査会が、
地方での公聴会に加えまして、また、
地方からの発言ということでこの
機会を設定していただきましたことに対して、
委員の皆様に深甚の敬意を表する次第でございます。
そこで、既に
地方分権一括法四百七十五本の整備にも取り組まれてまいりました皆様には、釈迦に説法ともいうべき論点も含めまして、次にまず、本日の報告の
結論を提示いたしておきたいと
思います。
結論の第一は、
地方団体が有する権利、すなわち
地方自治権は、人権にも比較し得るような、自治体が本来固有に持っている権利であり、
国民主権ないし民主主義の根幹を支える
制度であるということ。したがって、我が国の
憲法にあっては、
地方自治権は、人権と同様に、
憲法改正によってもその存在を否定できないものであり、今次の
憲法のあり方をめぐる
調査検討におかれましても、
憲法上の確固たるものとして錨着されるべきものであるということ、
地方自治はそれほどの重要性を持って
保障されるべきものであるということでございます。
第二は、この点と関連しまして、今後一層自治権の強化が望まれるということでございます。現在、例えば住民投票のように、住民が自治に直接参加するという点につきましては、代表民主制を理由にして、一般には
憲法上例外扱いされている状況にございます。
しかし、
地方自治、ひいては住民自治の強化を目指す観点からは、この
考え方をコペルニクス的に大転換し、
国民主権の内容を、従来は代議制民主主義と結びつけて
考えておられました方々が、理念としては直接民主主義的に理解し直すべきであるということ。したがって、住民参加、とりわけ住民投票を積極的に再評価することこそが
憲法上確立されるべきということでございます。
また第三は、この第二点に関連いたします。以上のような
国民主権の理解の仕方からは、
地方議会の場合も含めまして、議員の
皆様方が
国民ないし住民の代表であるということの内容として、代表者は当然に、特にすぐれた
能力を有するから代表であるというわけではございませんで、
国民の中の同僚ないし仲間として選出されているということになるのでございますが、それにもかかわらず、実はこのような以上の要求とは矛盾したことではございますが、
国民、選挙人は、代表者の皆様に対しましては、どん欲にも高い知見と倫理的高潔さを求めるものであるということでございます。このことは、具体的には、国政及び
地方自治のいずれの場合にも、政治の担当者が、
国民、住民に対して、高い識見を持って、真に守るべき対象は何か、
反対に、
国民及び住民の何を侵害してはならないのかを的確に判断されるようにと期待しているということでもございます。
以下、これらの三点につきまして、少し詳しく論じてみたいと
思います。
まず第一の
地方分権、
地方自治の基本的
考え方に入ります。
まずは、自明のことであるとの御批判を恐れず、
地方自治の
憲法的足場を固めることの重要性について再確認しておきたいと
思います。
歴史的には、明治
憲法のもとでは、
国家としての中央集権体制のもと、国と
地方の関係はといえば、国の権力が
地方へと腕を伸ばして支配する関係にあったこと。その後、現在の
憲法が
地方自治を規定し、
憲法制定直後、その充実を期待するシャウプ勧告がなされたことは周知のとおりでございます。
ところで、このような事態に対し、戦後、学問的には、一般にその施行過程で明治の歴史的経験を払拭することができませんでした。すなわち、通説的には、戦後のシャウプ勧告が示した方向への展開を強力に推進する
考え方まで及ぶことができず、防御的な姿勢に立って、
地方自治とは単に
憲法によって
制度化されたもの、したがいまして、
憲法改正によれば廃止することもできるものであるという論理を内に含んでいる
考え方をとっておりました。
しかし、
地方自治に関するこのような理解の仕方に対しましては、既に
憲法制定当初より対立する見解がございました。
地方団体は自治に関して人権にも類する固有の権利を持っているとする見解、いわゆる固有権説がそれであります。ここではその内容の詳細は省き、その根拠としているところを簡単に述べさせていただきます。
その
一つは、歴史的には初めに
地方ありきということであったはずだということでございます。蛇足ながら、我が国においても古くから、「くに」という場合に、漢字では、大別すれば、
日本国の国を指す場合と、故郷あるいは
地方を指す場合のあることを
考えますと、このことが
地方も統治の主体であることを思わせて、意義深く感じられるところでもございます。
どなたも御承知のとおり、このところ、この国の形、このときの国は文字どおり
日本国の国という字でございますが、この国の形がいかにあるべきかというテーマ、これはもう
憲法調査会の専売ということではなく、さまざまな分野で取り上げられてきておりまして、私の所属する
日本公法学会においても、今年の
議論の柱とされているところでもございます。しかし、本日は、これとは異なる
意味で、この国の形の基礎となるものを検討することの大切さ、すなわち、
地方ないし故郷という
意味でのこの「くに」の形をいかに構成するかということこそが
日本国の命運を決するのだという点を強調したいと
思います。
さて、
地方自治権の性質をめぐる
議論が今日的に整理されてきますと、その理解の仕方は
国民主権及び人権の
保障という点から新たに基礎づけられて、改めてそれは
地方団体に固有のものであるというように主張されることになります。私も
地方自治権を自治体に固有のものとするこの見解にくみするものでございますが、このことから、まずは次のような
結論が引き出されます。
すなわち、代議士の皆様も、現在の
憲法のもとで
国民主権と人権の
保障ということを
憲法改正により削除してしまうことはできない、すなわち
憲法改正の限界をなすものだとお
考えになられているかと
思います。そうしますと、
国民主権と人権
保障とに基礎を置く、また逆にそれらを支えるための不可欠の基盤である
地方自治も改正不可能になるということでございます。否、むしろ、こういうような見解、理解からは、
地方自治は一層充実の方向こそが目指されてしかるべきであるということでございます。
この節の副題に「攻めの
地方自治へ」とつけてございますが、こういう副題をつけましたのもこの
意味でのことであり、例えば、
日本経済新聞社が行った
憲法に関する有権者の意識に関する世論
調査、五月三日の分によりますと、
地方自治の
考え方が不徹底だとする見解が、首相公選制導入についての五六%、環境権など時代への対応三四%に次いで、二五%と第三位を占めていることも、この攻めの姿勢を支援してくれるものであるというふうに
思います。
そこで、次に第二の、
国民主権と住民主権、住民自治ということに入らせていただきます。
以上のような自治権の理解の仕方につきましては、従来からその内容として二つの要素を
憲法学では取り出しております。
一つは、自治体は、その
地域において住民が主体となって自治を行っていくべきであるということ。いま
一つは、自治体が団体として、住民の安全と
福祉、人権の
保障のために、統治の任務を担いつつ、あわせてこれらを侵害するものに対抗するということ、言いかえれば住民の側に立って防壁としての役割を果たすべきということでございまして、これこそが自治体の団体としての存在意義でもあるということであります。
このうち、後に申しました団体自治の側面につきましては、国の三権との対比で申しますと、今般の
地方自治
改革に伴い、行政権の場では
地方への事務の移管が見られましたり、立法権に対応しましては、例えば住民投票や自主課税権をめぐり条例化が問題とされてきましたり、また理論的にとどまるとしましても、司法
改革の面では自治司法の
可能性すらも想定することができるなど、分権
改革が目指す国と
地方の対等・協力の関係を実現するための胎動も見られ始めております。今、
日本中央競馬会の売り上げに課税する横浜市の勝馬投票券発売税導入をめぐりましては、横浜市と国との間に早くも国
地方係争処理
委員会の場での全面対決さえ始まっているようでございます。
したがいまして、ここでは、この方面での目的の実現へ向けては皆様の一層の御尽力をお願いいたすこととしまして、以下では、前に申しました住民自治の側面、すなわち、住民がみずから主体となって自治を担っていくべきであるということ、住民自治ないしは住民参加の問題に焦点を当ててお話ししたいと
思います。
さて、住民自治の内容につきましては、固有の自治権ということの基礎づけとなりました
国民主権、これと密接にかかわる民主主義をどのように理解するかにより、その
結論が全く異なったものとなります。従来、我が国の
国民主権のもとでの民主主義体制のあり方につきましては、一般に、国政及び
地方政治の場では議会の代表者や行政の長が、また学問の場では旧来の通説が、これを議会制民主主義、代表制民主主義として理解してきております。そして、その内容として、
国民ないし住民の代表者は、いわゆる選良としてすぐれた
能力を持ち、
国民、住民の意思に命令、拘束されることなく、自由な
議論を通して、全
国民、全住民のために行動すれば足りるものだというふうに理解されてきております。
その一例は、例えば、過ぎる四月、柏崎刈羽原子力発電所のプルサーマル計画の是非をめぐる住民投票に関しまして、村長が、住民投票は代表民主制では極めて補完的な
制度だという見解を示していることにも見られます。この点は一歩進めた認識としまして、行政学の立場から、例えば東京大学の森田教授が、特に住民投票に関してですが、間接民主主義を重視するのか、あるいは直接民主主義が原則なのかという比重の置き方については必ずしも
議論が整理されていないのが現状だというような指摘もなされているところであります。
しかし、
憲法学の場におきましては、既に昭和三十年代以来、少なくとも事実上のこととして議会の代表者が
国民、住民の意思に現実には拘束されているということを共通の認識とした上で、今日まで、
研究者はこれを
憲法学的にどのように構成すべきかということに心を砕いてきておりました。
そこでの、代表ということの性質をめぐる問題の核心は、議会代表者を
国民の中のエリートの集団というふうに見立てて、国政の最終的決定を挙げて代表者にゆだねることこそが民主主義の理念であるのか、それとも、理念としては本来は
国民こそが最終的決定権を持っているけれども、現代
国家の規模を
考えますと、技術的に主権の行使をひとまず代表者にゆだねていると見るべきなのかということにあるのでございますが、この問題に対する
結論は、私にとっては明らかなように思われます。
国民を愚民視して、こういう言葉も使われますが、直接民主制の恐怖ということを語るのならばいざ知らず、二十一
世紀の
国民、住民が民主主義を担う主人公であるということを確認しますならば、今や民主主義というものは、理念としては、ここでは理念ということをあえて強調いたしますが、理念としては本来は直接民主制を原理に据えるものであるはずであります。
こうして、本来は直接民主制を理念とするものであるということが明らかになりますと、
地方自治の場における住民の自治というものは、民主主義の基幹をなすものとして、それこそ理念としては一層住民の直接参加を求めるということになるかと
思います。
こうした
地方自治における住民参加の必要性については国際的にも認識されておりまして、昨年十月十一日の官庁速報による、当時自治省の仮訳の
世界地方自治憲章草案によりますと、その十条には、
地方自治体は、意思決定に係る住民参加の適当な形を規定する権能を有しなければならないとされているところでございます。
また、このような直接的な住民参加の採用に関しましては、特に今日住民投票制が
議論の的となっております。そして、この実施に際しての費用や技術の面での問題が指摘されないわけではありませんが、既に国内的にも電子政府の
可能性が模索される中で、新聞報道によりますと、国としての電子投票システムの本格的検討も始まっているようでありますし、また、広島市では、今年十一月の県知事選で電子投票制を試行する意欲を見せているとのことでもありますので、今後この難点は遠からず克服されるものと
考えられます。
ただし、以上のような
国民ないし住民による直接的な決定への参加、住民投票ということにつきましては、もとより投票に至る過程で、主題について十分に
調査と
議論がなされる必要があることは言うまでもありません。また、住民投票で決定するという場合、それはすべての問題についての決定を行うべしというわけでもございません。直接民主制は理念としてそうあるべきということであり、代表者は常にこの理念を踏まえるべきであるということでございます。
念のためにつけ加えておきますと、住民投票
制度を現実に作動させるとなると、難問が山積しております。一般的な
制度としてどういう性質の
制度をつくるのか、とりわけ法的拘束力をどのようなものとするのか、また、それを発動する条件としてどのような場合に住民投票にかけるのか、住民の請求と議会の議決、あるいは首長の決定との関係はどうであるのか、あるいは住民投票にかけるタイミング、時期はいつであるべきか、投票の成立要件として最低投票率を
考えるべきであるのか、
地域の要素を中心とする有権者の範囲はどうするかという問題、あるいは昼間
人口と夜間
人口との相違の問題、何を対象にして住民投票をするのか、さらには投票の仕方や区域の問題といった技術的な点はどうするかなどなどがそれであります。詰めて
考えなければならない問題は余りにも多岐にわたっております。
しかし、それにもかかわらず、我々は、さきに述べたとおり、
国民主権、住民主権の持つ理念としての直接民主主義的
本質を見逃してはなりません。これまでは国、
地方を問わず、政治の場で時に代表者の側から見て都合のよいときにだけ、民の声は神の声であるとか、見えざる声に耳を傾けるということが言われてまいりましたが、代表者あるいは為政者は、その政治的判断に際して、見えない神の啓示に頼るのではなく、重要な場面では、現実に表明された
国民の声、
国民の意思に耳を傾けるべきであります。したがいまして、これまでは例外扱いされてきた以上のような
制度こそが本来はあるべき姿であるという
考え方に道を開くような
憲法規定こそが望まれるということでございます。
そこで、第三番目に、「議会代表等と
国民の声」という項目に入らせていただきます。
これは、最近の首相公選制をめぐる
調査についてのもの及び私が行いましたアンケートから取り急ぎ拾い出した部分だけを持ってきておりますが、このアンケートに基づいて話をさせていただきます。
そこで、次に耳を傾けるべき
国民の声が、さきの直接民主制についてどのような期待を持っているか、さらに言えば、以上のような主張を支持しているかということについて、最近の世論
調査と私の
調査の二つで検証してみたいと
思います。
まずその第一は、過ぎる三月三十一日と四月一日の両日に
日本世論
調査会が行った
憲法に関する世論
調査の結果についてでございます。ちょうど地元紙から持ってきておりますが、西
日本新聞の一面、それからその具体的なアンケート内容がその次に付してございますので、ごらんいただきながらお聞きいただければ幸いでございます。
この
調査項目の問いの八によりますと、「重要な問題は
国民投票で直接決めるべきだという
意見があります。あなたは、この
意見に賛成ですか、それとも、
反対ですか。次の中から
一つだけお答えください。」というものでございます。賛成は七二・六%という高率に及んでおります。
また、直接には、さきに述べた議会代表者ということについてではございませんが、問い五を見ていただきますと、国
会議員が国
会議員の中から首相を選ぶ今の議院内閣制よりも、
国民が直接首相を選ぶ首相公選制を導入すべきだという
意見についての賛否を尋ねているところですが、賛成の
意見は、御承知のとおり、何と七九・九%にまで及んでおります。
そして、問い六によりますと、そのうちの半数を超す五二・四%が、賛成する最も大きな理由として「
国民の声を国政に反映することができるから」と答えているところでございます。
このような
調査結果を見ますと、今や国政の場面で
国民参加への
国民の声、要請がどれほど強いものであるかということについては、余りにも明らかでありましょう。
問い八では、
国民はさらに、重要な問題の場合に、できるならばみずからの声を直接国政の場に及ぼしたいと
考えております。
また、ほかに種々考慮に入れなければならない要素が
考えられるにもかかわらず、首相公選制についてさえ半数の人々が
国民の声の反映こそを願っているというわけでございます。
ところで、このような
国民の声、住民の声の反映ということに対しまして、代議士の皆様の場合はひとまずおくとしまして、
地方議会の議員諸氏はどのような意識を持っているでありましょうか。この住民の意向に対し、議員はいかなる態度をとるべきと
考えられているかという点につきまして、その結果は、議員諸氏が直接民主制と密接に結びつく姿勢を示されているということ、これが私の第二の論証いたしたい点でございます。
この点に関しまして、幸いに、私がほんのついせんだって、住民投票に関しまして
地方議員諸氏の意識について行いました書面によるアンケート
調査の結果がございます。これは、文部科学省科学
研究費の御援助をいただき、今年三月末締め切りで行いましたもので、本日の報告のために、急ぎ手作業で必要な項目だけを粗集計したにとどまるものでございます。
その結果は、次のとおりでございました。資料の「科学
研究費アンケート
調査結果」という方をごらんいただければ幸いでございます。
なお、あらかじめ確認しておきますと、このアンケートは、四つの県議会の議員二百五十七名、八市議会の議員三百七十六名、七町村議会の議員百二十四名、合計七百五十七名の方々について行ったものでございまして、三月末現在、まだその後も送り返していただいた方がおられるのですが、三月末現在で、県議
会議員につきましては八十名、市町村議
会議員につきましては百五十九名、県議会、市町村議会という所属について無回答の方五名を含めますと、合計二百五十一名、三三・一六%の方々の御協力、御回答をいただくことができたものでございますが、いずれも自由記入の欄に非常に熱心なコメントを記入されたものでございました。
この
意味では、回答を寄せていただいた方々の本当に真摯なかつ高い政治的見識に大いに敬意を表しているところでございます。
さて、ここで取り上げる質問の第一は、第六の質問でございます。
質問六では、「あなたは直接民主制の方が民主主義のあり方としてはより好ましいと
思いますか」と直截に聞いたものですが、県議会の議員諸氏は、肯定、「はい」とする者が一八・七%、否定が三八・七%、「どちらともいえない」とする方が四一・二%でございました。ここでは、ひとまず直截な質問に対して、県議
会議員のレベルでは肯定と否定の明確な見解が一対二の比率を示しているということ。肯定、否定いずれとも言いがたいとする中間的な回答が、否定される方とほぼ同率を示している点に御留意ください。
これに対しまして、市町村議
会議員の諸氏については、「どちらともいえない」とする回答が三九・六%、「はい」と肯定する回答が二七%となっており、その比率は県議
会議員の場合と比べてほとんど変わらない数値を示しております。しかし、「いいえ」と否定する回答が三一・四%と
減少し、肯定の比率とほぼ拮抗する数値を示しております。すなわち、肯定と否定の比率は一対一に近くなっております。
これと同じ
傾向は、議員がどの
程度に住民の意思に即して行動すべきと
考えるかを尋ねた質問十二の回答からも見ることができます。
ここでの質問は、「あなたの自治体で住民投票を行った場合、その結果についてどのようにお
考えですか。」と尋ねているものです。この質問について、県議
会議員諸氏の回答は、一の「議会はその結果に拘束される」とする者が二三・七%、二の「その結果に拘束されない」とする者が四七・五%、三の「その他」が二三・七%となっております。
ここでは、皆様は、さきに見た質問、直接民主制と間接民主制のいずれを好ましいと見るかという質問での対比とちょうど符合するように、一と二の比率が一対二を示していることにお気づきになるかと
思います。
これに対しまして、市町村議
会議員諸氏の場合には、一が四〇・八%、二の回答が四一・五%、「その他」が七・五%、無回答が一〇%でございました。とりあえず、三の「その他」と無回答を一まとめにいたしますと、一と二の比率はここでもほぼ一対一となっております。
こうして、これらの質問に対する回答から見ます限り、県と市町村のレベルでの議員の皆様の意識としていえば、現在のところ、
地域住民により一層密接に活動している市町村議員諸氏の方が直接民主主義を支持する
傾向にあると見ることができるように
思います。
そこで、書き方が難しかったのでございますが、四の選挙人の複雑な願いということでお話しさせていただきます。
以上、学問的な考察の結果としての、代議士の皆様、
地方議
会議員諸氏の
憲法的な地位についてということと、
国民の直接的な政治参加への願い、願望について述べましたが、それはそれとして、私には、
国民ないし住民は、以下のように実は矛盾した別の要求も持っているというふうに思われます。
前の節で見ましたように、議員の皆様自身は、基礎的な
地方自治体の場合になるほど住民の意思に拘束されると
考えております。これに対応して、
国民ないし住民は、エリートとしての代表者ではなく、政治的参加の
能力において
自分たちと同じレベルの仲間から選んだはずの議員諸氏に対して、その態度、意思の表明に際しては、みずからの
意見、住民の
意見を踏まえて行動してほしいと願い、各種の要望を出していることは、皆様もつとに御経験のあるところであるかと
思います。もちろん、この点は今後のアンケートなどによる検証を必要とするかと
思います。したがいまして、ここでは推測にとどまりますけれども、そのようであるかと
思います。
しかし他方で、こういった要望と裏腹に、
国民、住民は、こうした皆様を初め議員諸氏に対して、議会では一般の政治参加者以上に政治的判断においてすぐれた
結論を引き出すこと、かつ皆様が人格において高潔な存在であることを望んでいるところでもあろうかと
思います。この点は、
地方の場合、
家族をも巻き込む形で政治倫理条例というものがつくられておりますのを初め、きっかけが何であったかは別としても、国の場合には国会法による政治倫理審査会の設置も見ていることにあらわれているようにも
思います。
こうしまして、実は議員は、以上のような
意味では矛盾する要請を受けとめる必要に迫られることになるかと
思います。
ここで、もう一度、このような事態に係る私の
調査結果について触れてみたいと
思います。それは、質問十七で、「あなたは自らを「選良」(すぐれた人を選び出すこと、また、その選ばれた人)であると自負しますか。」ということを尋ねてみました。
実は、回答の中には、このような質問には
意味がないという厳しいおしかりの言葉をわざわざ付記された方も二、三あったことを御報告しなければなりませんし、この質問には少々私の方での意地の悪い点も含んでいたかとは思うのでございますが、質問のねらいは、さきに述べました議員の地位を選挙人との関係でどのようにとらえるものであるかという根本的な内容を、したがいまして議員諸氏はどのようにとらえられているかということにございました。
この問いに対する回答としては、私にとってはいずれの回答も非常にありがたい、うれしい結果を示してくれることになりました。
回答は、県議
会議員の場合に、一が六三・七%、二が八・七%、無回答が二三・七%、しかも付記の形で「どちらともいえない」とする方が別に五%でございました。市町村議会の議員の場合には、一が五九・一%、二が一三・二%、無回答が二一・三%、付記して「どちらともいえない」とされる方が六・二%でございました。
ここでは、県、市町村のレベルを問わず、選良と自負される方が三分の二の多数を占めており、この
意味で、表面上は、さきに述べたエリートの人々による政治を裏づけているというふうにも我田引水的な読み方をすることは可能でございますが、実は、二の回答や無回答、または「どちらともいえない」とする回答の中に、そうなるように努力したい、ないしは努力していると付記されている方々が多数見られました。
この付記された回答は、質問者の意図を超えたものでございましたが、議会の議員諸氏が現在意識されているところを余すところなく示してくれているように
思います。一でそのように自負されている方々を含めますと、大多数の方がそうあるべきと
考えられている証左であると思うからであります。言いかえれば、
地方自治を今後取り上げるにつきましては、
地方自治それへの信頼こそが出発点になってよいと思われるところでございます。
結論はもう初めに述べましたが、重複を顧みず、いま一度まとめの言葉を述べさせていただきます。
まずは、初めに述べました内容的な側面についての確認でございます。冒頭に、あるはずの
地方自治と申しましたが、自治の
流れはまさしく二十一
世紀のあるはずの姿へととうとうたる
流れを見せており、
社会自体が、今や予言どころではなく、今
世紀のあるべき姿を見せ始めております。学界は既に、その発展を目指して財源の充実を点検
課題とし始めております。
憲法学では、
憲法九十二条の
地方自治の本旨が何を
意味するのかと追い求めてまいりましたが、このチルチルとミチルが追い求めてきた幸せの鳥ということにも擬せられたものが、今や私
たちの足元で、各
地方で現実の面からその存在を主張している姿が見られるのであります。
ただ、実現まではいまだ山ろくというほかありません。税財政
制度にかかわって、これはそちらの方での御専門の神野教授が、全国的に、統一的、画一的に供給される公共サービスに多様な
地域社会での
人間の
生活を合わせるのではなく、多様な
地域社会での
人間の
生活に公共サービスを合わせる、これが
地方分権の約束の地であるといったようなことを言われておりますが、今後はこの点を
地方自治の橋頭堡とすることこそが
課題となります。
憲法学の場においてこそ、
地方分権の約束の地への道筋、神野教授の言葉で言えば、
地方政府のもとでの自己決定権の確立強化ということが問われているのでございます。
こういう状況を踏まえまして、議員諸氏におかれては、
地方自治ということの原点に立ち返って、まずは代表民主制を原理としてきた発想を転換し、
国民、住民が本来直接に参加し判断すべきところを代議士、代表者の皆様にゆだねていると
考えること、理念的には本来は直接民主主義の方こそが原理であることに
思い至っていただきたいと
思います。
今や、国及び
地方の民主主義政治は、住民の参加と監視に根差していることを根本に据えて、情報公開
制度の充実も見つつあります。このことは、今後の政治のあり方をますます
国民、住民が直接に政治に参加する民主主義の方向に促進するものでありましょうし、それに応じて、直接民主制の理念としての重みも再確認されてくると
思います。
以上の点にかかわる問題としまして、最後に、もしも
憲法改正ということが検討の対象になるとするならばということで、形式的、技術的な側面、改正の手続に関して若干述べさせていただきたいと
思います。
本日はいただいたテーマを中心に報告いたしましたが、改正に関する対象の特定ということなどについては、言うまでもなく、問題が
国家的重要
課題であるだけに、十分に慎重な
調査の手続を必要といたしますし、その上で手順を尽くした
議論をお願いしたいということでございます。
この点でお話ししたい点は、本報告で
憲法改正問題に絡めて陳述することができましたのは、実は
地方自治に焦点を絞ってのことであったからということでございます。
言いかえれば、改正については、変えようとするものと変えてはならないとするものをはっきりさせ、何をどのように変えるべきかという点を明らかにしなければなりません。そのためには、実際には個別の修正こそが可能なのであり、
地方自治の場に限れば、
憲法改正が民主主義の強化面に関する限りという点で、まず最初に促進されるべきであるということであります。
このことへの示唆は、つい最近のフランスの
国民投票の事例からも得ることができます。
現在
調査中でございますが、フランスは、昨年九月に、
憲法改正
国民投票により大統領の任期を七年から五年へ縮減いたしました。このときの改正をめぐる
意見の対立の状況は、政党に応じて十幾つかの多岐に分かれ、
国民にはまことにわかりにくく、また、投票当時オリンピックが開催されていたということもございまして、投票率はわずか三〇%を示すにとどまっております。
これを他山の石として我が国の場合を
考えれば、
憲法改正に関して、手続的には、本
委員会の検討にも見られますように、広い範囲のテーマを丁寧に
議論する手順を尽くした上で、実際の改正としては、テーマを絞り、他の条項との関連など深く
議論を尽くし、その上で、論点を単純化し、明確化した上で行わねばならないであろうということでございます。
例えば、ここでの
地方自治の強化や、文脈の中で触れました首相公選制についての
憲法改正という場合、
憲法中の他の規定との関連性を問題とせねばならないことになります。例えば首相公選制の場合、議会が公選された首相を辞職させられるかなど
制度上の理論立てが難しいといった発言、
反対論も見られますように、現在の議院内閣制と異なるシステムの構築を必要とすることになり、国の権力関係図の抜本的
改革を必要とすることになりましょう。
ただ、本
調査会で、昨年十一月に石原都知事がこの問題について、
国民の政治に対するコミットメントの意識を育てると述べられていますが、本日報告の
憲法における
地方自治規定の改定に問題を移しますと、他の
憲法規定との整合性に大きな問題を生じることなく、自治の強化という方向での改定、民主主義の強化こそが望み得ると
思いますし、石原発言に即せば、
国民のコミットメントの意識を育てるのではなく、
国民の政治参加を強化するということに焦点を当てることができると
思います。
住民自治強化の規定に加えて、その趣旨をさらに進め、法律についても一定の
国民参加を論じるということまで問題を広げるとなれば、論点はますます複雑化しますので、それだけ
議論の仕方が難しくなることも否めなくなるかと
思います。
こういった技術的な問題と別に、まさに文字どおりの手続、制定過程で一定の案が浮かび上がった場合、本日のような
機会も含めまして、多様な検証の場を設けていただければと
思います。
憲法学の場では、既に、字句上のこと、文言に関しても、文字どおり文法上
意味の通りにくい条文のあることが指摘されておるところでございまして、それにもかかわらず、そしてまた政治の場がバーゲニングのプロセスであることは承知の上ですが、時に出される改正私案の中には、そういった条文の字句上の問題等に気づかずにそのまま踏襲するような場合も見受けられますので、改正を論ずるか否か、またそこでの論点の内容は別としましても、現行
憲法における文意あるいは条文間の関連が定かでない条文もあるということを
考えますと、こういった点検には
国民多数の目、多くの専門家の目を通すことが有効な手だてではないかと思う次第でございます。
結局、二十一
世紀に見込まれる国と
地方のかかわり方としましては、このような
意味で、国政の重要な場面で住民が直接に意思を表明することのできるような
可能性を含んだ民主主義的運営の中で、国と
地方は、それぞれに担当する
仕事を分担しながら、
国民ないし住民の幸福、福利の実現に努めていくことになると思われます。
もとより、その根底には、それぞれの個性、特色を持った
地域ごとに、限られた自然環境の中で、
世界的な広がりの情報をみずからのものとしながら、それぞれの文化的果実を豊かに享受して生き生きと
生活する住民の姿があることは言うまでもありません。
以上をまとめの言葉とさせていただきまして、御報告を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)